14.ポケット

 いびつな丸で切り取られた空は真っ黒だった。灰色ですらないので、つまり夜ということだ。
 どうやら穴の中にいるらしく、その縁は簡単には届きそうにない上方にあった。穴の内側は古びたコンクリートで、所々はげ落ちて土が露出している。
 星も月も望めない夜に周囲の様子が見えるのは、手足に取り付けた極薄型ライトのおかげだった。バッテリーが切れたのか衝撃で壊れでもしたのか半分ほどは点いていないが、周囲の様子は分かる。
 ヘルメットにはヘッドライトを装着していた。それは無事あるだろうかと手を動かそうとして、うめき声を漏らした。右手も左手も無事とは言い難いが、付いてはいるらしい。
 一度痛みに気が付くと、全身痛くないところなどないことが分かった。
 右の二の腕は折れている。右足も折れていて、左足はついているが、ほとんど感覚がない。痛みがまだましな左手は折れているところはないようだ。
 その左手で体をゆっくりと探る。ヘルメットもマスクもなくなっている。防護服もぼろぼろで、あちこちが血で濡れている。濡れているのが分かるのは、手袋が大きく破けていたからだ。
 満身創痍という言葉がふさわしい状態だった。手足の骨だけでなく、たぶん肋骨も折れている。マスクがないせいで喉はやられ、目もかすむ。
 助けを呼ぼうと、防護服の左腕に取り付けられている薄型端末をのぞき込んで、舌打ちした。画面が暗い。歯を食いしばって右手でいろいろと操作してみたが、端末はうんともすんともいわなかった。
 あきらめて穴の縁を見上げる。端末が生きていたところで、深いポケットみたいな穴の底では、電波はどこにも届かないかもしれない。
 そもそも、電波が届く距離に自分がいるのかどうか。――いや、いないだろう。電波が届く場所にいたなら、夜になる前に同僚たちが見つけてくれたはずだ。
 なにせ、自分は全身にライトを取り付けて、それを光らせていたのだから。
 無人兵器を引きつけるのには成功した。その間に、同僚が応援を呼びに行くのも確認している。応援が駆けつけるまでのわずかな間、持ちこたえればいい。
 そう思って一人応戦していたが、目の前に気を取られ、背後から他の無人兵器が近付いているのに気付くのが遅れてしまった。そいつの足に捕まり、引きずり回されたのは覚えている。
 引きずられているうちに穴に落ちたのか、落とされたのかは分からない。その前に意識を失ってしまった。
 不幸中の幸いというべきは、その無人兵器の気配がないことだろう。引きずられている間になくしたらしく、武器は何一つ残っていない。しかし、この傷では、敵がいなくても長く保ちそうになかった。
 左腕をゆっくりと持ち上げる。端末は暗いままだが、腕に取り付けたライトの一部がついている。白い明かりに、防護服の赤が鮮やかだ。
 目立つため、無人兵器の目を引きつけるための赤だが、別に、我が身を犠牲にするつもりはなかった。同僚たちが応援を呼びに行く隙を作るためではあったが、それ以上のつもりはない。いつだって、応援に駆けつけた仲間と共に帰るつもりでいたのだ。
 今はなおさら、帰らなければならなかった。帰らなければ、きっと彼女は泣くだろう。
 それとも、もう泣いているだろうか。意識をなくしてから気が付くまでそれほど長くはなかっただろうが、心配しているに違いない。
 心配させまいと思ったのに。もう泣かせたくないと思ったのに。
 病院のベッドに横たわったまま、おそるおそる伸ばされた手。初めて地上に出たときの驚いた顔。誕生日のプレゼントを受け取ったときの嬉しそうな表情。下の名前で呼んでくれと言っても、恥ずかしいといつも断られた――出会ってからの思い出が、取り留めもなく溢れてくる。
 帰りたい。帰らなければならない。思い出の数はまだまだ少ないのだ。それに、どうせ泣かせるのなら嬉し泣きをさせたい。そして、そのどさくさに紛れて頼むのだ。下の名前で呼んでくれ、と。
 はにかむところを想像して口元が緩む。
 だが、他のところを動かす力はもう残っていない。

 ――やがて、限界を迎えてライトも消え、穴の底に暗闇と静寂が満ちた。

〈了〉

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