07.朗読

ほとんどの子供が、〈青滝〉の外――地上に出るのが初めてだった。
 地球は塵に覆われていて、灰色の空が広がっている。それは、小さな子供でもいつの間にか常識として知っている。
 だが、知っているだけでは、実感はわかない。
 ただでさえ泣きながら親と別れて地上へ逃げ出してきたのに、そこはどこまでも灰色で何もない世界で、希望などあるようには見えなかった。幼い子供たちは〈青滝〉から離れるのを嫌がり、子供たちを連れて逃げなければならない和樹と同年代の少年少女たちも、初めて見る荒廃した地上の光景に怯んでいた。
 この中で、地上に何度も出たことがあるのは和樹だけだった。和樹より年上の人は数人いたが、和樹ほど地上の経験がある者はいなかった。
「行こう。〈一京〉に助けを求めるんだ。みんなで行けば大丈夫だよ」
 和樹が父の仕事の手伝いで地上に出ていたのは、皆も知るところだった。そのおかげで、一行はなんとか歩み出すことができた。
〈一京〉までは、歩いて三日ほど。身を守るためのちゃんとした防護服は全員分はなく、年長者の和樹たちは簡易的なものを着ているが、マスクは人数分あって、予備の吸収缶も食料も十分に持ってきている。全員で行動すればはぐれる心配もない。
 大丈夫だ。大丈夫。方角もちゃんとこまめに確認しながら進んでいるから、必ずたどり着けるはずだ。
 不安を口にするのはもちろん、そんな表情も見せてはいけない。和樹が不安をのぞかせたら、皆も不安になるだろう。
 だけど――。
 地上で夜を迎えるのは初めてだった。恐ろしいくらいに真っ暗で、ライトの明かりが届く範囲はほんの少ししかない。そのすぐ外は、墨で塗り潰したような闇しかなかった。遙か昔、塵に覆われる前は月と星が見えていたはずで、それがあれば少しは慰めになっただろう。今は、ライトの明かりと仲間の寝息や息遣いだけが、慰めであり拠り所だった。
 年長者が交代で寝ずの番をすることになり、今は和樹ともう一人が担当なのだが、その一人は船を漕いでいる。起こすのも忍びなくて、和樹は一人黙って膝を抱えていた。
「和樹おにいちゃん……」
 傍らから、か細い声が聞こえた。和樹のそばで丸くなって眠っていたヒロだ。眠れないのか、目が覚めてしまったのか。もぞもぞと動いて、和樹にすり寄る。
 彼は、和樹の近所に住んでいる少年だ。和樹と同じく一人っ子で、小さな頃から遊び相手をしていた。兄のように和樹を慕ってくれていて、地上に出てからもそばを離れない。
「ヒロ、眠れないのか?」
「うん……和樹おにいちゃん、ねえ、何かお話しして」
 ヒロは、外で遊ぶのも好きだが、家の中で絵本を読む方がもっと好きな子供だ。ヒロに請われて、和樹はしょっちゅう読み聞かせをしていた。
 同じ絵本を何度も何度も繰り返し読まされるので、いくつかはすっかり内容を覚えてしまっている。
 和樹はヒロを抱きかかえると、他のみんなを起こさないように、ヒロにだけ聞こえる声で、そのうちの一つを話し始めた。
 主人公のウサギが、塵に覆われる前の世界を旅して回り、最後は月に住む仲間に会いに行く、という話だ。
 終わりが近くなる頃、ヒロはうつらうつらしていた。いつもの癖で顔をこすろうとするが、マスクをしているのでそれができず、不機嫌そうな声を漏らす。
「ヒロ。そろそろ寝れそうか?」
「和樹おにいちゃん、〈一京〉って大きいんだよね。絵本、たくさんあるかな」
「〈青滝〉よりずっと大きい都市だからな。あるよ、きっと。でも、たくさん歩かないと着かないから、もう寝ないと」
「うん。おやすみ……」
 最後の方は、ほとんど聞こえなかった。代わりに、寝息がかすかに聞こえる。
 起こさないように気を付けながら、和樹はヒロをそっとおろした。防護服のフードに覆われている頭を、そっと撫でる。
〈一京〉にはきっとたくさんの絵本がある。それに目を輝かせ、読んでとせがむヒロの姿を想像すると、寒々とした闇が、少しましになる気がした。

〈了〉

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