地上を往く 後編

「東郷。スピードを上げろ」
「渡辺さん! 引き返すべきですよ」
「事故ったのかもしれない。それに襲撃を受けたとしても、地上を移動する者として見殺しにはできない」
 地上が危険なのは、人体に有害な大気のせいだけではない。人間を襲う無人兵器の存在が、大気以上に危険だった。
 地下都市建設の前後、建設地や都市への移住を巡り、諍いや争いが起きたそうだ。今では混乱期と呼ばれている時代のことである。
 様々な兵器が作り出され、地上に放たれた。壊れたり破壊されたりして稼働しなくなったものも多いが、製造されて二百年以上たった今でも、設定された命令に忠実に従っている兵器が存在し、地上を跋扈している。
 混乱期の兵器は、人間を感知すれば無差別に襲ってくる。都市間連絡員のなり手が少ないのは、こういった兵器が存在するせいだった。
 ただでさえ人が滅多にいない地上で、煙と炎を上げる理由は限られている。いや、あんな大量の煙と炎では、ほぼ一つといっていいだろう。車が横転したくらいでは、あんなことにはならない。
 輸送車がスピードを上げた。
「葉、嶋田。マスクを着けろ。東郷、ある程度近付いたところで停車しろ。救助に向かう」
 言いながら、渡辺はダッシュボードからマスクを取り出した。
 葉が一度深清を見て、それから諦めたように、マスクを装着する。防護服は、元々着込んでいた。
「……すみません」
 マスクをして、深清は葉に言った。顔をすっぽりと覆う全面形の防毒マスクなので、葉の表情もよく見える。
「まだ〈広咲〉の方が近いから、彼らを助けて引き返せばいいのよ」
 脇に置いていた銃を手に取り、弾倉を確かめる葉は、深清を見て小さく笑った。覚悟を決めたのだろう。
 兵器の襲撃に備え、都市間連絡員は地上では銃を携行している。もちろん、訓練も受けてきた。襲撃現場に遭遇するのは今回が初めてではない。
 それでも、現場を前にすると緊張する。まして、襲われているかもしれないのが恋人では。
 防護服の下を、嫌な汗が伝う。
「兵器らしきものは見えません……けど、なんだ、あれ……」
 東郷が独り言のようにこぼす。東郷以外の三人も、同じことを思った。
 五十メートルほど先で、道路を塞ぐように大型の輸送車が止まっていた。側面には、オサカベ運送という大きなロゴが入っている。
 やはりオサカベ運送だったのだ。ただ、襲撃や事故に遭った様子がない。
 無傷な輸送車の数メートル手前にタイヤが積み上げられ、炎と煙を噴き出していた。
 輸送車のタイヤではない。それはちゃんと付いている。積み上げられたタイヤは大きさがまちまちだった。
 周辺に、人の姿も兵器らしきものも見当たらない。
「何かの合図なの?」
 葉が眉根を寄せて深清を見る。
「分かりません」
 恭介からは何も聞いていない。
 しかし、無人兵器が、どこかからタイヤをかき集めて火をつけたとは考えにくい。こんなことをする理由が分からないし、今時、地上に転がっているタイヤをあれだけ集めるのはかなり労力と時間が必要となるだろう。
「襲われている、と誰かに教えたいんですかね」
 オサカベ運送の社員がやったことだと考える方が自然だ。しかし、では彼らは、どこからあのタイヤを持ってきたのだろうか。
「東郷。止めてくれ」
 装甲輸送車がゆっくりと止まる。東郷はその間にマスクを装着した。
「早く助けに行きましょう」
 兵器の影はなく、人の姿も見えない。オサカベ運送の輸送車は無事に見えるが、深清は居ても立ってもいられなかった。
 何が起きたか分からないが、あの輸送車に恭介が乗っているはずなのだ。
「降りますか」
 葉の問いに、渡辺は首を横に振る。
「何か妙だ」
 その時、深清たちの乗る輸送車の上に、重いものが落ちてきたような、鈍く大きな音がした。
「貨物室の方です!」
 東郷が叫ぶ。葉が、狭い後部座席で体をひねり、貨物室に銃口を向けた。
「貨物室内への外気流入を確認。さっきの衝撃で、どこかに穴が開いたんだ!」
 運転席の計器を見て、東郷が声を上げる。
「ここはまだ無事だな?」
「はい」
 貨物室の屋根を突き破ろうとしているのか、金属音や鈍い音が断続的に続く。なにがしかの兵器が襲撃してきたのは間違いなかった。
「撃ちますか?」
 銃口を貨物室に向けたまま、葉が渡辺に指示を仰ぐ。壁があっても、貫通する威力はある銃だ。ただ、撃てば、ここも外気に汚染される。
「許可する。葉、撃て」
 渡辺が言い終わるや、葉が引き金を引いた。立て続けに三度、葉は発砲した。
 貨物室から聞こえていた鈍い音が止まる。当たったのだろうか。
「俺が外に出て様子を見て――」
 渡辺の声を遮って、フロントガラスが割れる音と銃声が響いた。
 東郷が後頭部をヘッドレストにぶつけ、そのままうなだれてぴくりとも動かなくなる。マスクの内側は真っ赤になっていた。
「伏せろ!」
 前方から銃撃されたのだ。深清と葉はすぐさまシートの間に体を押し込んだ。銃声が再び聞こえ、渡辺のくぐもった悲鳴が上がる。助手席に沈み込むのが、深清の位置から見えた。
「渡辺さん!」
 彼の目が深清に向く。生きている。しかし、渡辺のマスクを弾がかすめたのか大きくひび割れ、胸に当てた手は真っ赤になっていた。
「逃げ……」
 弱々しい声は銃声にかき消された。こめかみから血を噴き出して、渡辺の目から光が消える。
「嘘……嘘でしょ……これが最後の運送なのに……」
 葉の声は震えていた。覚悟を決めて気丈にしていたはずなのに、今は目に涙をためている。
 深清も泣きたい気分だった。だけど、泣いていられる状況ではない。
「葉さん、反撃しましょう。わたしが撃つから、援護をお願いします」
 恭介の無事どころか、その姿さえまだ確かめていない。こんな灰色の世界の真ん中で死ぬつもりなど、深清にはない。〈一京〉でも〈広咲〉でもどこでもいいから、恭介と無事を確かめて抱き合うのだ。
「――わたしの方が射撃はうまい。嶋田さんが援護して」
 マスクをしているから、涙を拭うことはできない。しかし、葉の目には、闘志と気力が戻っていた。
 貨物室からは、時々、何かが動く音が聞こえてくる。こちらに向かってくる様子はないようだった。
 前方からの銃撃は止んでいる。今も敵が前方で待ち構えているかは分からない。しかし、こちらの様子をうかがってはいるだろう。
 突然、深清側の後部座席のドアを叩く音がした。激しくはない。しかし、弱くもない。
 葉を見ると、彼女は首を横に振った。葉から、外にいる何者かの姿は見えなかったらしい。深清から見える範囲にも、何もいない。
 再びドアを叩く音がした。まるで、人が手で叩いているような音だ。そう思った時、両側の窓ガラスが割られ、破片が深清たちに降り注いだ。
 思わず声を上げる深清の目に飛び込んできたものは、人の腕だった。
 防護服と手袋に包まれた腕が、割れた窓から伸びてきて、ドアのロックを解除する。
 ドアが開け放たれ、悲鳴を上げる葉が外へ引きずり出された。
「葉さん!」
 体を起こし、葉に手を伸ばした。しかし、襟首を掴まれ、伸ばした手は葉に届かなかった。
 開け放たれたドアの向こうから数発の銃声が聞こえる。ドアの向こうには、銃を手にした人の姿があった。
 無人兵器ではない。緑を基調とした防護服には見覚えがあった。
 オサカベ運送が採用している防護服だ。全面形のマスクをしている、人間だ。
 どうして。まさか――。
 頭をよぎるものがあったが、じっくり考える状況ではなかった。
 自分でも何と言っているのかよく分からない大声を上げ、深清は襟を掴む手を振り払った。立ち上がり、天井に頭を打ちながらも、振り返って、襟を掴んできた人物に銃を向ける。
「なんで……」
 一瞬だけ抱いた最悪の予想が的中し、深清は呟いた。
「せめて今日は休め、と言ったのに」
 乾いた音が耳を突き抜ける。
 深清が最後に見たのは、悲しげな表情の恭介だった。

    ●

 燃やしていたタイヤに、同僚の一人が消火剤を振りかける。
 恭介は、輸送車の襲撃を担当した同僚と共に、乗組員全員の死亡を確認した。
 後部座席で仰向けに倒れた深清は、うつろな目で天井を見つめていた。至近距離から撃たれたせいで、マスクの面体はほとんど割れていた。
 恭介は手を伸ばして、深清の瞼を閉じさせた。
「こんなことになる前に、さっさと別れておけばよかったのに」
 深清の同僚を後部座席から引きずり出した同僚が、恭介に呆れたような目を向ける。
「何度も辞めるように言いました。でも、彼女は辞めなかった」
 恭介と一緒に最下層へ移住したいから、そう夢を語って。
 別れを告げていれば、都市間連絡員になった動機がなくなり、深清は仕事を辞めただろうか。
「中村(なかむら)、感傷にひたるのは後にしてよ。さっさと目的のものを回収して、〈広咲〉に戻らないと。のんびりしてたら夜になるよ」
「……はい」
 装甲輸送車の貨物室はずたずたになっていた。アメンボに似た形のロボットが、足を振り回して貨物室の屋根や壁を切り裂き、違う足で、積まれた荷物をかき回している。
「はいはい、ご苦労さん」
 同僚が、防護服に装着してあるパネルを操作する。ロボットが動きを止め、貨物室から離れた。
 ロボットに代わって、恭介たちが貨物室に乗り込む。データの入っているボックスや、企業や個人宛ての小包が山積みだ。宛名と差出人を確認しながら、目的のものを探していく。
 タイヤの消火を終えた同僚も加わって、二十分ほどで見つけ出した。
「あった。これだ」
 一抱えほどの、他の荷物と変わり映えしない箱である。宛名と差出人を確認すると、確かに、恭介たちが探していたものだった。
 中身が何かは知らない。恭介たちには知らされていない。
 興味はなかった。恭介たちは、上から――〈広咲〉の都市管理部門から指示された荷物を、こうして回収するだけである。
 オサカベ運送というのは、民間業者を装った〈広咲〉の極秘組織だ。〈広咲〉から流出すべきではないと判断されたデータや物資の回収が、その役割である。
〈広咲〉から密かに持ち出されようとしている、あるいはその重要性を知らないまま持ち出そうとしているものを回収するため、今回のように、都市間連絡員を襲撃することもあった。運んでいるのが民間業者なら、それも襲撃した。
 今も地上に跋扈する無人兵器の襲撃に見せかけて。
 ある意味では、無人兵器の襲撃は嘘ではない。貨物室を切り裂いていたアメンボのロボットは、混乱期末期に製造された本物の兵器なのだ。〈広咲〉の技術で、恭介たちが操作できるようになった。
 待機していたロボットを呼び寄せ、貨物室だけでなく、座席の方も襲わせる。ロボットの足が車載電池を切り裂いたらしく、ショートして火花が飛び散った。
 アメンボが暴れたので、連絡員たちの遺体も切り裂かれただろう。
 他の都市間連絡員か民間業者が、この惨劇の跡を発見する。
 変わり果てた家族の姿に遺族は泣き崩れるだろう。恭介の元にも、深清の訃報がいずれ届くはずだ。
 ロボットの足が後部座席に突き刺さる。恭介は目を逸らした。
「中村、行くぞ」
 同僚はさっさときびすを返し、オサカベ運送と書かれた輸送車に向かう。
 こんなことを口にする資格はない。だけど、言わずにはいられなかった。
「……また、〈広咲〉で」
 その場から逃げ出すように、背中を向けた。

〈了〉

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