挑戦状の理由 第三話03

 日没の少し前に辿り着いたコンスキン商会を、ダッロの人々は驚きつつも歓迎してくれた。塩を運んできたと知った彼らは、ますます驚き、それ以上に喜んでいた。涙を流す人もいたほどである。それほど、ダッロは塩に飢えていたのだ。誰かが呼んできたのか、ダッロの長という人が現れて、テギに是非歓待をしたいと申し出た。しかし、ハナハ峠の魔物のせいで塩もそれ以外の様々な物資も不足しているダッロの人々を気遣って、テギはその申し出を丁重に断った。
「せっかくなんだから、もてなしてもらえば良かったのに」
 一行は、村の片隅を借りていつも通り野営をすることになったのである。たき火に薪をくべながら、ハールズが残念そうにぼやいた。ハールズの向かいでは、セフリトが黙々と火にかけた鍋で料理をしている。
「そういうわけにもいかないよ、色々とあるからね」
 幌の向こうから、自らの手で破れた部分を繕っているであろうテギの声が聞こえた。雇い主の返答を聞いたハールズが、残念そうなため息をついている。
 その様子をつい横目で見ていたら、針先が指に突き刺さって痛い目に遭ったので、エナマーリエはこれ以上余所見をしてはいけないと、手元に視線を戻す。裁縫はあまり得意ではないが、テギとは反対の側を、キルテアと共に修繕していた。幌の布は分厚くて頑丈で、とても縫いづらい。明日、明るくなってから自分が縫ったところを見るのが怖い。怖いのだが、どうしても気になっていることがあって修繕作業に集中しきれなかった。
「……どうして、宿に泊まらなかったんですか?」
 隣のキルテアに、エナマーリエはささやくような声で尋ねた。テギが野宿すると決めた以上、異論を唱えるつもりはないのだが、ダッロの長のせっかくの申し出を断ったことはもったいない、と彼女も思っていたのだ。
「簡単な理由よ」
 キルテアが小さく笑い、ささやき声で教えてくれた。
「ダッロはいま、塩不足でしょう? ということは、料理に使える塩もかなり少なくて、おもてなし料理もきっと薄味。――テギはね、薄味は好みじゃないのよ」
 そう云われて思い返してみれば、セフリトの作る料理は薄味ではなく、濃い味とまではいかないまでもしっかりとした味付けだった。
「でも、運んできた塩がありますよ。それを使ってもらったらいいんじゃないんですか?」
「塩は商品だからね。値も決めないうちにお客に渡したくないのよ」
「そうなんですか? わたしはてっきり、ダッロの人たちのことを気遣って断ったと……」
 なんだか聞かなければ良かったことを聞いてしまったようである。そこに、キルテアが追い打ちをかける。
「そうじゃないのよね、これが。下手に接待を受けて懐柔されて、売値を叩かれるような羽目になるのがいやなのよ、テギは」
「……」
 柔和な雰囲気で人当たりがいい人だな、と思っていた。魔物の襲撃があったときには真っ先に悲鳴をあげていたから、ちょっと恐がりな人でもあるんだな、とも思った。初めて会ったときからいままでの間に、エナマーリエの中で出来上がっていたテギの人物像が、ボロボロと形を変えていくようだった。人当たりが良かろうと悲鳴をあげていようと、テギ・コンスキンは商人なのだ。余計なことを聞いてしまったと、エナマーリエは心底思った。
 思わずこぼれそうになったため息を、慌てて飲み込む。テギの意外な一面にガッカリしたのは確かだが、それをあからさまに顔にするわけにはいかない。彼は商人なのだから、したたかなのは当たり前だ。
 そんなことよりも。気を取り直してエナマーリエは、見えるはずもない幌の向こう側を見据えた。反対側では、テギと一緒にガランが、同じように幌の修繕をしているはずである。時折「魔物にやられたあとよりひどいよ、それ」と云うテギの声が聞こえる。落ち着き払った顔で魔物と渡り合う姿を間近で見ただけに、小さな針と糸を手に幌の裂け目と悪戦苦闘しているガランの姿は、想像するだけでもおかしかった。
 巨大化した魚型の魔物がエナマーリエをまっしぐらに目指しているとわかったとき、エナマーリエはとっさに動けなかった。エナマーリエの片手剣で立ち向かえるような大きさではなかった。魔術を使おうにも、その前に使った大きな魔術で消耗していた。駄目だと思ったときに、ガランの声と姿が飛び込んできたのである。
 あのとき、ガランは初めてエナマーリエの名を叫んだ。言葉を交わした数が少ないのだから名前を呼ばれる機会も少なかったのだが、それまでガランは一度もエナマーリエの名を口にしなかったのである。たまたまそうなったのだとは思う。だが、初めて彼に名前を呼ばれたことが嬉しかった。
 もちろん、あの瞬間はそんなことを思う余裕はなかった。伏せろと云われたエナマーリエが伏せようとする前に、ガランの剣が魔物を捉えていた。エナマーリエの目の前であっという間に巨体を倒したガランには、驚くしかなかった。鳥形の魔物のときもガランの強さを目の当たりにしたと思ったが、《白刃のガラン》の実力はまだまだそんなものではなかったらしい。
 そしてさらに驚いたことに、魔物を倒した後のガランは、ほんのわずかであるが、エナマーリエを見て笑みを浮かべた。彼の笑ったところを見るのは二度目である。やはり口の端が少し持ち上がっただけの微かな笑みだったが、一度目よりもずっと温かみがあると思った。
 そのときのことを思い出すと不思議な気分になってくる。ガランが駆けつけるのがもう少し遅ければ、エナマーリエはこうしてのんきに幌の修繕なんてできなかっただろう。ガランのおかげで、のんびりとした夕食前の時間を過ごせているのである。
 なにもかもガランのおかげだと思うと、胸が高鳴ってくるようだった。あの瞬間の緊張や恐怖を思い出したのではない。いやな感じではなかった。
 自分でもどうしてそうなるのかさっぱりわからないが、ともかくいやではないので悪い気はしない。むしろ、ガランがエナマーリエの名を呼んだこと、助けてくれたこと、笑みを見せてくれたこと等々、エナマーリエがここ数日で目にした彼の一挙手一投足を思い出すと、なぜか顔の筋肉が弛んでくる。
 自分でも形の見えないモヤモヤとした感情はつかみ所がないが、決して気持ち悪いものでもない。だが、この感情がなんなのかはっきりとしないのは、落ち着かない――。

〈最終話に続く〉

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