挑戦状の理由 第三話02

 魔物の群は、まだ周回を続けている。包囲網を狭めてきているのは目に見えて明らかだった。さっきまでエナマーリエの間合いの二倍以上は離れていたのが、ガランたちの間合いギリギリのところまで近付いてきている。
 荷馬車の後部に移動したままのエナマーリエは、ちらりと背後を見やった。まだ効果の持続している結界の中にいるセフリトには荷馬車の下から出てきてもらっている。彼は、小脇に麻袋を抱えていた。
 そのそば、結界の外でキルテアが縄を握り締めていた。きつく目を閉じて眉間にしわを寄せ、必死に形相で切り出した縄に魔術をまとわせている。さらにその隣では、ハールズと入れ違いに移動してきたガランが待ち構えていた。
「いいわ。始めて――」
 キルテアがうっすら目を開いた。
 いま彼女が練り上げていた魔術の構成は、普段使い慣れている結界のそれではない。慣れない構成を練り上げるのは大変だろうに、キルテアはエナマーリエが予想していたよりもずっと短い時間で練り上げた。しかし、額にはうっすらと汗がにじんでいるから、やはり簡単なことではなかったらしい。
 エナマーリエはセフリトを見た。彼は小さく頷くと、小脇に抱えていた麻袋を、魔物の包囲網の外側めがけて、高く放り投げる。放物線を描いた麻袋は魔物の群を飛び越え、その向こう側へ落下していく。
 外部からの侵入や攻撃を防ぐのが結界であるが、結界の内側から外側に対しては、まったくその効果はない。結界の内から外へ出るのは自由なのだが、出たが最後、戻っては来られないものなのだ。
 麻袋が、どさりと地面に落ちた。落ちた衝撃で、袋の口を縛っていた紐がゆるみ、中に詰まっていた白い粉がこぼれ出る。だがそれよりも早く、魔物たちは麻袋の中身がなにかに気付いていた。
 魔物の群の形が崩れる。吸い込まれるように、群全体が麻袋に向かっていく。
「ガランさん!」
 エナマーリエの合図とほぼ同時に、ガランはキルテアがさっきまで握り締めていた縄をひっつかんで駆け出していた。ほとんどの魔物が、狂ったように麻袋にたかっている。ガランは、まるで小さな山のようになっている魔物の周囲に縄を巡らせていった。縄を左手に、剣を右手に持つガランは、途中で数体の魔物を叩き伏せながら、ぐるりと魔物の周囲を一周する。
 エナマーリエは、ガランが一周して縄を巡らせる瞬間を狙っていた。彼女の眼前に突如小さな炎が生まれたかと思うと、それは放たれた矢のように魔物めがけてまっすぐに飛んでいった。
 赤い軌跡を残して飛ぶ炎が魔物の山にぶつかる。その瞬間を逃さず、ガランが巡らせた縄の端と端を結び上げる。
 魔物の山にぶつかった炎は、一拍おいて、大きく膨れ上がった。膨張すると共に、群がっていた魔物を一気に飲み込んでいく。焼き尽くされる前に魔物たちは逃げ出そうとするが、見えない壁が、炎の外側にできあがっていた。
 結界である。
「うまく……いった」
 炎は縄の内側から外へ広がることなく、赤々と燃え続けていた。魔物たちがのたうち回る姿が炎の中で見え隠れしているが、宙で暴れ回る魔物の影は、力尽きて次々と地面へ落ちていく。
 荷馬車を取り囲んでいる結界は外からの攻撃に耐えうるように練り上げられた構成になっているが、キルテアにはそれとまったく逆になる結界を、新しい縄を使って作ってもらったのだ。その縄を、ガランが魔物の周りに張り巡らせたのである。縄の端と端を結びつけ、結界は完成する。その直前に、エナマーリエが魔物に魔術をぶつける。そうすることで、結界の中に閉じ込めた魔物を一度に燃やし尽くそうという作戦だった。
 魔物の注意を引くために、麻袋に入れた塩をセフリトに投げてもらった。塩は貴重な商品だったが、魔物を退治するためならと、テギが使ってもいいと云ってくれたのである。
「安心するのはまだ早いぞ」
 一か八かの作戦がうまくいき、緊張と安堵感で高鳴っていたエナマーリエの心臓が、ハールズの大声に再び跳ね上がる。
 見れば、ハールズはわずかに残った魔物の相手をしていた。遠くにいた魔物は、取りこぼしていたらしい。
 ガランも、手近にいた魔物を次々退治していく。大きな魔術を使ったあとだったが、エナマーリエは慌てて剣を取り、彼らの加勢に加わった。

    ◇

 エナマーリエの放った魔術の炎は、魔物だけでなく結界の縄も焼き尽くした。炎が収まる頃には結界の内側にいた魔物はすべて黒こげになっていたが、炎が収まるよりも早く結界としての効果をなくしていた縄も、燃えて黒くなっていた。触ると、ボロボロと形を崩していく。
「あぁ、一時はどうなるかと思った」
 魔物の生き残りもすべて倒した頃には、荷馬車の結界も消えていた。ずっと下に隠れていたテギが這い出してきて、大きく息をついていた。魔物を退治するために奮闘していたガランたちよりも憔悴しているようにも見える。
「エナの機転のおかげで助かったよ」
 露を払い、ハールズは剣を鞘に収める。剣を傍らの地面に突き立て、両膝に手をついて肩で息をしているエナマーリエが顔を上げた。汗がいくつも筋をつくり、顔を伝っている。
「とんでも、ないです」
 まだ呼吸の落ち着かないエナマーリエは、背筋を伸ばすと手の甲で顔の汗をぬぐった。
 彼女の顔にはまだあどけなさが残っている。だが、ガランが初めて彼女を見たときに抱いたお節介な心配は、やはりいらぬものだったようだ。エナマーリエがいたからこそ、塩を狙う魔物を退治することができたのである。
 深呼吸を数回繰り返し、ようやく呼吸が落ち着いたところでエナマーリエは剣を鞘に収めた。キルテアが荷馬車の結界に使った縄の後片付けをし、セフリトとテギは、幌をあらためている。魔物が突っ込んできたおかげで、幌は何カ所も破れて無惨なことになっている。ハールズは、馬車の進行に邪魔になりそうな魔物の死骸を、足で蹴り飛ばして除けていた。
 目的地のダッロは、峠を少し下ったその先にある。残った道のりはあと少しで、先程までの喧騒が嘘のように静かだった。なんとか無事ダッロにたどり着くかと思ったとき、ガランは林の中で一瞬なにかが光るのを見た。
 反射的に剣を抜く。それと同時に、足は地を蹴っていた。先日の鳥形の魔物のことがなければ、これほど早くは動けていなかっただろう。
 林の中からはガランの身の丈よりも大きな魚型の魔物が、体を大きくくねらせながら飛び出してきた。魔物は荷馬車ではなく、その傍らで人心地着いていたエナマーリエをまっしぐらに目指していた。
「エナ、伏せろ!」
 魔物が、小柄な少女を飲み込もうとするように大きく口を開いた。ガランは、魚でいえばエラの部分に渾身の力で剣を突き立てた。痛みに魔物が暴れて、翼のように大きな胸ビレがガランの体を叩く。だが彼はそれに構わず、素早く剣を抜くと、頭を切り落とすように剣を振り下ろした。骨を断ち肉を斬る手応えを感じる。魔物の頭と体が二つに分かれていた。
 頭と胴体、それぞれが地面に落ちて小さく砂埃が舞った。
「……無事か?」
 エナマーリエは、頭を抱えて地面に伏せようとする体勢のまま、呆気にとられた顔でガランを見上げていた。驚いているばかりの表情は、まだまだいっぱしの流れの剣士とはいえない。
 ガランは口の端を少し持ち上げた。これからいくらでも経験は積める。いまはただ、無事で良かったと、そう思った。

〈第三話03に続く〉

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