挑戦状の理由 第一話04

 ひょいひょいと人垣をかき分けて前へ進むハールズの、すぐうしろをついて行った。不意に彼が立ち止まり、その背中にあやうく顔面をぶつけそうになって、慌ててエナマーリエも足を止めた。ハールズの背中から前をのぞき込む。
 人垣の中心にいたのは、三人の男だった。二人が睨み合い、残る一人の男が二人の間に立っている。睨み合う二人の横顔は見えるが、間に立つ男はこちらに背を向けているので、顔は見えない。だが、仲裁に行ったというのだから、背を向けている男が《白刃のガラン》なのだろう。彼の左に立つ男は、いまにも前に飛び出していきたいところを、ガランに首根っこをつかまれて阻まれている。
 ガランの身長は、高くもなく低くもない。しかし、後ろ姿だけを見ても、彼が屈強な体付きをしているのはよくわかった。半袖のシャツから伸びる腕は逞しく、くすんだ黒い小手と指先のない革手袋をはめている。
「ここで退いた方が、お互いと、お互いの雇い主のためだと思うんだが」
 低い声は、相手を従えようとする強い口調ではなく、あくまで説得をしようという冷静さがあった。
「あんたには関係ねえだろ。手を離せよ」
「ああ、そうだ。自分の雇い主のところへ帰りな、おっさん」
 睨み合う二人は、二十歳そこそこの若者同士だ。彼らの間になにがあったのかはわからないが、ガランは正論を云っているのに、それを聞き入れるつもりは毛頭ないらしい。頭に血が上って冷静さを欠いているのだろう。
 ガランはたしかエナマーリエより十六歳年上の、三十二。いがみ合う二人から見ても、じゅうぶん年上である。だが、ガランはおっさん呼ばわりされても怒った様子は見せなかった。
「おっさんねぇ……。俺を年上だと認めるなら、年長者の云うことには耳を傾けてみないか」
「うるせえな。あんたには関係ねえって、さっきから云ってるだろう!」
 首根っこをつかまれている男が、ガランの手を振り払う。周囲に集まった野次馬から、小さな喚声が上がる。
「おっと。威勢がいいな」
 手を振り払われたガランの注意が左側の男に移る。左に立つ男は、また襟をつかまれてはたまらないとばかりに、ガランの動きに注意を向けていた。その隙を狙ってか、右側の男が、彼から見たら向かいにいる、左側の男に殴りかかった。
 右側の男から、ガランは確かに視線を外していた。少なくともエナマーリエにはそう見えた。だから、右側の男の先制攻撃に気付くのが、一瞬とはいえ遅れたはずである。
 だが、ガランの動きに焦りや慌てたところはなかった。
 拳を繰り出してきた男の腕を右手で絡めるようにして取り、素早く左手で男の胸ぐらをつかんだ。そして、男の足を払い、取った腕と胸ぐらをしっかりとつかんで勢いよく前に巻き込む。
 男の両足が地面から離れ、弧を描く。ひときわ大きな喚声が上がった。
 跳ね上がった男の体は、そのままガランの左側に立っていた男めがけて落ちていく。左側の男は逃げようとしたが、その判断は一瞬遅かった。そして遅れを取り戻せるほど、男の動きは俊敏ではなかった。
 逃げようと体を反転させた男の背中に、投げ飛ばされた男の背がまともにぶつかった。二人がもつれ合うようにして地面に転がり、薄く土ぼこりが舞う。
「――だから、耳を傾けるもんだと云ったろう」
 体中をしたたかに打って呻き声を漏らす二人に、ガランはこともなげに云った。

    ◇

「喧嘩の仲裁に行った、と聞いたけど」
 地面に転がっている二人に背を向け、ガランが踵を返す。振り返ってすぐの場所にハールズの姿を見つけたガランが、器用に片眉だけを上げた。
「仲裁しただろう。喧嘩両成敗だ」
 ガランは肩越しにちらりと見る。倒れた二人の仲間らしき人たちが、それぞれを助け起こしているところだった。
 確かに、当事者だった二人が殴り合ったりはしていない。しかし、エナマーリエの思っていた仲裁とは、だいぶ違っていた。ガランの豪快な仲裁は、勝手に首を突っ込んで二人を叩きのめしたようにも見える。
「その子は?」
 ガランが、ハールズのうしろから顔をのぞかせているエナマーリエに気が付いた。一瞬だが、目が合う。肥沃な大地を思わせる色の瞳だった。
「昨夜、話しただろう。新しく護衛に加わった、エナマーリエだよ」
「……本当に、若いな」
 ガランがわずかに眉をひそめるのを、エナマーリエはしっかりと見ていた。喧嘩をしかかっていた二人より、エナマーリエの方がもっと若いはずだ。ガランの半分しか生きていないから、彼から見れば相当若くも見えるだろう。
「俺は若い子が加わって嬉しい。だがそれはおいといて、エナ。この暴れん坊おじさんが、ガランだよ」
 ハールズの言葉にいくつかひっかかるものを感じなくはないが、エナマーリエは彼のうしろから出て、ガランに頭を下げた。
「初めまして。エナマーリエです。《白刃のガラン》の噂はかねがね聞いています。若輩者ですけど、よろしくお願いします」
「ああ。こちらこそよろしく頼む」
 ガランは今度は眉をひそめることもなく、かといって何を考えているのかは読めない表情で、エナマーリエを見た。
「《白刃のガラン》の噂って、どんなのがあるんだい、エナ」
「ハールズ。どうでもいいだろう、そんなことは。それよりテギたちのところへ戻るぞ。お前らが戻ってきたら昼飯にするんだと、テギが云っていた」
 呆れたような表情を浮かべたガランは、エナマーリエとハールズの横をさっさと通り過ぎ、テギたちのいる方へ戻っていく。エナマーリエは、横を通り過ぎるガランを見上げるようにして目で追った。
「でもガランが喧嘩をしに行くから、遅くなったんじゃないか」
 ハールズがきびすを返し、ガランを追いかけてその隣に並んだ。エナマーリエも慌てて二人を追いかける。今日は人を追いかけてばかりだ。
「喧嘩をしに行ったんじゃない、仲裁に行ったんだ」
「お節介というか、余計なお世話だよな。好きだね、ガランは。そういうことするの」
「うるさいな」
「護衛頭の俺としては困るね、そういうことをしょっちゅうやってくれちゃ。負けたらテギに迷惑がかかるだろう」
「それならあの小僧を投げる前に、止めに入ればいいだろう。野次馬しに来ただけのくせに、なにを云っている」
「それはそれとして、一応注意はしておかないと。新入りのエナに示しがつかない」
「……ハールズ。お前がそんな調子で、示しがつくと思っているのか?」
 確かに、ハールズは「見に行こう」とは云っても「止めよう」とは云わなかったし、喧嘩の場に行っても止めに入る素振りを見せなかった。エナマーリエは彼のうしろにいたから表情は見えなかったが、会話を聞いている限りでは、面白がっていた可能性が高そうだ。
 エナマーリエはそんなハールズに呆れながらも、ガランの広い背中ばかりを見つめていた。

〈第一話05に続く〉

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