挑戦状の理由 最終話02

 振り下ろされた剣を受け止める。予想していた通り、その衝撃は軽いものだった。
 エナマーリエの体格、腕力、彼女の剣そのものの重さを足し合わせれば、まあこれくらいが妥当なところだろう、とガランは冷静に分析しながら、エナマーリエの剣を弾き返した。もちろん、十分に手加減をして。これで手加減なしだったら、恐らく小柄な少女の体勢は崩れ、一気に勝負が決するだろう。
 構え直したエナマーリエが、今度は刺突を繰り出す。
 ガランは体を捻ってそれを避けた。彼から見れば、ガランの間合いの中に飛び込んできた彼女は隙だらけなのだが、「手加減する」と云ってもあれだけ目を輝かせていたのだ。あっさりと決着をつけて恨めしげな目で見られるのは、いたたまれなくなるので避けたい。
 その後も、ガランはエナマーリエの攻撃を難なくかわしていった。
 彼は攻撃を避け、時々剣で受け止めるだけだが、全力で立ち向かってきているエナマーリエの方はかなりの運動量だ。彼女が肩で息をし始めているのが、傍目でもよく分かった。
 疲れが足にもやって来たのか、踏み込んだエナマーリエは自らの勢いを止められず、立ち止まるのに三歩要した。明らかに疲れを見せている彼女と戦うのも、もうすぐいたたまれなくなるかもしれない、とガランは思った。そろそろテギたちが戻ってくるだろうし、このあたりで切り上げても彼女は文句を云うまい。
 そう考えてエナマーリエを見ると、彼女は口を大きく開けて呼吸をしながらも、ガランをきっと見据えていた。それは挑戦者の目だった。
 手加減していてもてんで勝負にならないというのに、失われることも低下することもない闘志には、素直に賞賛を送りたい。
「本当は――」
 少し落ち着いてきたエナマーリエが、呼吸の合間を縫って云った。
「剣だけで、勝負したかったんです。対等って――あなたは手加減すると云ったけど――とにかく対等ってそういうことだと思ったから」
 すぐには、彼女がなにを云おうとしているのかわからなかった。
「でも、わたしもガランさんも『流れの剣士』なんだから、立場っていう意味では対等ですよね」
「まあ、そうだろうが……」
 まだなにが云いたいのかわからないガランは、歯切れの悪い返事をする。流れの剣士、コンスキン商会の護衛。言葉の上だけなら、ガランもエナマーリエも立場は同じだ。違うのは、経験値の差くらいだろう。
「そう云ってくれるなら、迷いも吹っ切れます」
 疲れているだろうに、彼女はふっと笑った。余裕を見せているわけではなく、単に安堵した。そう見えたのだが、いったい何に対して安心したというのだろうか。彼女に挑戦状を叩きつけられたそのあとのやりとりと同じくらい、わけがわからない。彼女の言動を理解するには、まだまだ時間が必要そうだ、とのんきに考えているガランの目に、突然閃光が飛び込んできた。
 まったく予想していなかったことだったが、ガランはとっさに目を閉じていた。それでも、閃光に焼かれた視界は瞼の裏であっても白く塗り潰される。その直後、あるいはほとんど同時に、腹に響く大きな音と猛烈な風が、彼の全身を叩いた。
 体勢を崩したガランは、うしろへ吹き飛ぶ。飛ばされながら、エナマーリエの魔術で吹き飛ばされたことを察し、受け身をとって地面に叩きつけられることを回避した。素早く身を起こし、次に備えて剣を構える。
 閃光のおかげで、視力はまだ完全に戻りきっていない。それでも、自分に突進してくる人の気配ははっきりと感じた。真正面である。
 魔術を使ったのなら、さらなる不意打ちを狙っても良さそうなものなのに、それをしない真っ直ぐさ。裏をかくためにあえて真正面を選んだとは思えない。それくらいには、彼女のことを知ったつもりだった。
 突き出された剣先を弾き返す。ガランは一歩、大きく前に踏み出した。エナマーリエが構え直すよりも早く彼女の懐に踏み込と、小柄な体にぴたりと刃を沿わせた。ガランの剣の切っ先には、挑戦者の横顔が映り込んでいた。
「俺の勝ちだな」
 エナマーリエは間近にあるガランを、驚いたような顔で見上げている。彼はその表情を眺めながら、一歩うしろへさがって剣も退いた。
「不意打ち……狙った、つもりでした」
 再び乱れている呼吸の合間に声を絞り出しているような喋り方だった。
「魔術は、確かにな」
 ガランは彼女を軽く見過ぎていた。
 立場は同じだ。ただし、ガランとエナマーリエの間には経験値以外にも決定的な違いがあった。彼は不覚にもそれを失念していたのだ。
「だがそのあと、距離があるのにわざわざ正面から突っ込んでどうする」
 彼は単なる剣士だが、エナマーリエは魔術師でもある。彼女がもっと経験を積んでいる魔術師であれば、負けていたのはガランの方だったかもしれない。
「当たって砕けろ、です」
「有言実行するつもりだったのかよ」
 少女の真っ直ぐさに、ガランは思わず声を出して笑った。すると、彼女も笑みを浮かべる。果敢な挑戦者の顔ではなくなっていた。
 ガランは彼女と初めて顔を合わせたそのあとの、ハールズとの会話を思い出していた。
 若い仲間を心底心配するガランに、彼は「失礼じゃないか」と云った。あれからダッロに来るまでの間に、エナマーリエに対する認識を改めたつもりでいたが、まだまだ十分ではなかったらしい。いや、それ以上に改めるべきは、ガランの己自身に対する認識の方かもしれない。
 彼とエナマーリエとの決定的な違いを失念していなくても、魔物たちのように自分がまともに彼女の魔術を食らうわけがないとたかをくくって、やはり吹き飛ばされていたことだろう。
 《白刃のガラン》などともてはやされ、知らぬ間に驕っていた自分に気が付かされた。
 ハールズが冗談まじりにとはいえ、ガランを年寄り扱いするのも無理はない。少しは素直に受け入れる、まずはそこからはじめていこう。
 勝敗が決したことで、キルテアがエナマーリエの隣にやって来て健闘をたたえていた。
「負けちゃったけど、ガランを吹き飛ばしたんだもの。大健闘よ。えらい。すごい。よくやったわ」
「なんで『よくやった』なんだ。恨みを晴らすわけでもあるまいし」
「ガランが吹き飛ぶところなんて、そうそうお目にかかれないでしょ」
 面白がるように云いながら、キルテアはエナマーリエの頭をなでている。なでられている方のエナマーリエは、戸惑ったようにオロオロしていた。
 その様子を見ながら、もうしばらくの間、彼女と行動を共にするのもいいかもしれない、という考えが頭をよぎった。自分でも思いがけないその考えにガランは驚き、どうかしてしまったのかと自嘲しようとして、しかしそれをやめた。
 少しは素直になる。さっき決めたばかりのことだ。
 戸惑いを浮かべたエナマーリエの顔には、まだ十分すぎるほどのあどけなさが残っている。自分で云うのもなんだが、ガランはおっさんであり、エナマーリエは少女だ。いまさらながら、十六も年上の男に好意を抱いているらしいことが不思議に思えてくる。
 果たして彼女は、当初の目的を果たすことができたのだろうか。まさかガランからそれを尋ねるわけにもいかない。だが、行動を共にすれば、また少女の口から聞かされる日が来るのだろう。
 その日が来たら、今度は何と答えるべきか。
 ガランは空を見上げた。空には雲一つ浮かんでいないが、答えもすぐには浮かばなかった。
 ――まあ、いい。ゆっくりと考えればいい。

〈了〉

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