見慣れたはずの街並みが、今日ばかりはいつもと違って見えた。初めて訪れた街を見るように、顔と共に視線があちこちにせわしなく動く。そんな彼女に、隣を歩くハールズが、穏やかな笑みを向けた。
「緊張してるみたいだね」
落ち着きのないエナマーリエの様子を見て、緊張をほぐそうとしてくれているのが声の調子からも分かる。
「少しだけ……。初めての護衛の仕事ですから」
はたから見てばれているのなら見栄を張って隠しても仕方ないと思ったものの、エナマーリエはそれでも本当はかなり緊張しているところを「少しだけ」だと見栄を張っていた。
「大丈夫よ。わたしたちもいるし、エナも立派な流れの剣士なんだから」
明るい声で励ましてくれたのは、やはりエナマーリエの隣にいるキルテアだった。彼女もまた、ハールズと同じくエナマーリエの緊張や不安を感じ取っていたのだろう。表情も明るい。
魔物退治や護衛、人捜しに財宝探し、果てはおつかいに子守りまで、様々な頼み事を引き受けて身を立てている人々を流れの剣士という。かつては住処を定めないで各地を放浪している者が多かったので剣士の前に“流れ”がつくのだが、最近は拠点となる場所を決めそこを中心に依頼をこなす流れの剣士も少なくない。
ハールズとキルテアは別の街からやって来た中堅だが、エナマーリエはここ、マスゾートが地元の新米だった。
◇
エナマーリエは、家族がみな流れの剣士、という家に育った。
父親は云うに及ばず。エナマーリエを産んだときには既に引退していたが、母親もかつては流れの剣士。二人いる兄も流れの剣士として生計を立て、一人だけいる弟も、遠からず兄たちの仲間入りを果たすだろう、そんな一家である。
母が流れの剣士だったこともあって、兄弟の中で唯一の女の子であるエナマーリエが例外となることはなく、物心ついたときには、兄のおさがりの木剣を振り回していた。母が寝物語に語るのは、自分や父親の武勇伝であり、有名な流れの剣士の冒険譚。近所の男の子たちと決闘のまねごとや喧嘩はしても、女の子たちとままごとの類で遊んだ覚えはほとんどない。そして、そんな境遇に不満や不思議を感じることもなく、父や兄が剣技を教えてやるぞと云えば、飛び上がって喜ぶ子どもだった。
そんなエナマーリエに魔術の才があると分かったときには、彼女自身はもちろん家族もみな、驚いた。一家の中で魔力を持つ者はなく、両親の祖父母たちを揺さぶって古い記憶を引っ張り出してもらい、それでようやく、父方の祖父の叔父か伯母かその父あたりに魔術師がいたという事実を突き止めた。エナマーリエは、一族の中に久しぶりに生まれた魔術師だったのである。
流れの剣士で『流れ』る者は減ったが、その大多数が『剣士』であることに昔から変わりはない。
瞬発力に乏しいという特徴を持つ魔術は、瞬発力が必要となる戦闘に向いているとはいえない。しかし、魔術師の中には瞬発力の秀でた、武闘派の者も少ないながら存在する。術師の能力に左右される側面も大きいが、最前線で戦える魔術師は重宝される。よほど下手なことをしないかぎり、魔術師兼流れの剣士が食うに困らないことは確実だった。
それで、ごく当たり前のように、エナマーリエは魔術の扱い方も習うこととなった。十一歳のときに近くの街に住む魔術師に弟子入りし、四年の間、その人の元で魔術について学んだ。
師匠の元から実家に戻ったのが一年前。彼女が魔術も使える流れの剣士として、初めて仕事をしたのは、それから半年後だった。
これまで彼女が経験した仕事は、マスゾート周辺にたびたび出没する小物の魔物退治と、足の悪い魔術師の代わりに行った薬草探しくらいである。流れの剣士として主要な仕事のひとつともいえる護衛は、今回が初めてだ。
自分自身を守ることはもちろん、他人の命も預かる。幼い頃には想像さえしていなかった責任を伴うのである。いやでも緊張して体は硬くなりそうだったが、そんな自分を奮い立たせるようにエナマーリエは力強く云った。
「足手まといにならないように、頑張ります」
「いいね。それじゃあ早速、お店の案内を頼むよ」
ハールズがからからと笑った。初めての護衛仕事であるが、最初に任されたのは『おつかい』だった。
◇
コンスキン商会が護衛を捜している、と聞いたのは一昨日だった。
話を持ってきたのは、エナマーリエの両親と付き合いの長い仲介屋。すぐに動ける流れの剣士で、できれば魔術師がいいというので、彼女に声をかけてくれたのである。
仲介屋を介して、今回の雇い主となるテギ・コンスキン、護衛頭のハールズ、そして魔術師のキルテアに引き合わされたのが昨日のこと。簡単な面接を経て、エナマーリエはコンスキン商会の護衛として採用された。
そして、今日。ハールズ、キルテアの両名と、マスゾートの商店街で落ち合った。
ダッロという山間の町へ商品を届けるのがコンスキン商会の目的であるが、マスゾートからダッロまでは、片道およそ五日かかる。その間に必要となる食糧、またこれまでの移動で消耗してしまった雑多なものを買い揃えなければならなかった。
「落ち合うついでに、買い出しもよろしく頼むよ」
昨日、雇い主であるテギが云ったので、初めての護衛仕事ではあるがエナマーリエが最初にすることは、おつかいとなったのである。
「このあたりは、雑貨屋さんが多いですよ」
まずなにを買いに行きましょうか、とハールズにたずねて返ってきたのが、縄なども扱っている雑貨屋、という答えだった。小さな紙に買うものを書き付けてきたのだろう。ハールズはそれを見ている。
商店が店を開けてからまだそれほどの時間は経っていないのに、すでに通りには人が多い。
適当な店を選び、そこへ入った。
おつかい兼道案内役に任命されたエナマーリエであるが、買い揃えなければならないものがなんであるかは、まったく知らない。そもそも、彼女はまだ今回同行することになる全員とは、顔を合わせてもいなかった。おつかいを済ませて、ようやくコンスキン商会の隊商を見るという有様なのである。
キルテアが棚に並んでいる縄を真剣な顔で選んでいる。梱包に使う縄を探しているのだろうか。彼女を見習い、エナマーリエもその隣で太めの縄を手に取って、梱包用ならこれはどうだろうかと見ていた。
「エナ。ちょっと」
一人だけ店内の別の場所にいたハールズに、棚の向こうから呼ばれた。エナマーリエは素早く返事をすると、小走りに声のした方へ彼を探しに行く。とはいえ、狭い店内なので、すぐにハールズは見つかった。彼は、木製の食器類が積み上げられている一角にいた。
「なんでしょう」
「人数分の食器を、今回新調するんだ。せっかくだから、エナの好きなものを選ぶといいよ」
新米の護衛仲間にというよりは、妹に接する兄のような口調でにっこりと笑う。見たところ、ハールズはエナマーリエの兄よりいくらか上の、二十代後半。そのせいもあってか、彼女もつい兄から云われているような気分になってしまう。ハールズもキルテアも、人当たりが良く親しみやすそうな人柄である。いい人たちが仲間で良かった、と思いながらエナマーリエは食器を手に取った。
「どうして今回新調し直すんですか」
「マスゾートに着いて見てみたら、食器が壊れてたんだよ。元々古かったんだけど、置いた場所も悪くてね。ほかの荷物に押し潰されてしまったんだ」
ハールズがひょいと肩をすくめる。ひょっとして、彼が置いた位置が悪くて、買い直すことになったのだろうか。気まずい雰囲気になるのはいやだったのでその点は追究しないことにして、その代わりに買い揃える数を確認した。
「六人分ですよね?」
「いや、予備も必要だから七人分選んでくれ」
同行者は、面接のときに顔を合わせた雇い主のテギに、いま一緒にいるハールズとキルテアのほか、あと二人いるそうだ。エナマーリエを含めて総勢六名。小規模な隊商である。
好きなものを選んでいいと云われたが、ここは高級品が並ぶ店ではない。どれもこれも、木を削って作った似たり寄ったりの食器しかない。しかしそれでも、エナマーリエはどの食器がよさそうかあれこれ見比べ、予備も含めてちゃんと人数分揃っているものを探した。たかが食器選びとはいえ、コンスキン商会の新人護衛に課せられた、大げさにいえば使命なのである。あとで思い返せばばかみたいに真剣に、食器を選び抜いていた。
雑貨屋で縄と食器を買ったあとは、幌や天幕を修繕するための糸だの布だのを買い、市場へ行って主に長持ちする食料を買い求めた。
すべての買い出しを終えたときには、三人とも両手を使わなければならないほどの荷物を抱えていた。
〈第一話03に続く〉
挑戦状の理由 第一話02

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