第三章 王女と運び屋03
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翌朝、ディサドの家を訪れると、家の前に荷馬車が出してあった。馬が一頭繋がれている。荷台には大きな樽が二つ、何かが詰まっている麻袋が一つ、その他大小の袋がいくつか積んである。それらで荷台は三分の二ほど埋まっていた。荷馬車の周囲にディサドの姿はない。家の中にいるのだろうか。呼びに行こうと思ったら、扉が開いてディサドが出てきた。大きく頑丈そうな布を抱えている。
「やあ、おはよう」
「ああ」
「おはようございます」
 ハルダーは軽く手を挙げて挨拶しただけなのに対して、イフェリカはしっかりと頭を下げる。相手が誰であろうと、礼儀正しい王女様だ。
「ずいぶんたくさん用意したんだな」
 ハルダーが荷台を見やると、ディサドは中身はほとんど空だよ、と笑った。
「あとは、上からこの布で覆えば完成だ。ハルダーたちのその荷物も一緒に積むよ。好きに置いてくれ」
 最小限にしてあるものの、着替えなどでどうしても手荷物はある。ハルダーたちは、荷台の後方にそれぞれの荷物を置いた。
「すぐ出発するかい?」
 朝食を終え、人々が仕事を始める頃合いだ。門はとっくに開いている。
「もちろん。ただ、イフェリカを……」
 荷台に隠さなければならない。
 隣の家とは距離があり、向かいの家とも道を挟んでいるとはいえ、人目がある。これから仕事場へ行くのだろう。街の中心部へ向かう姿がちらほらあって、通りがかりにディサドに挨拶をする者もあった。
「少し遠回りになるけど、一度外れに行って、そこで乗ってもらおう。大丈夫、そこならほとんど人がいないよ」
 ディサドは御者台に座り、ハルダーとイフェリカは荷馬車の後ろをついて行った。街壁が近づくにつれ、家はまばらになって人の姿もなくなる。
「人がいないって……墓場かよ」
「墓場に似合う顔するなよ、ハルダー。ここなら朝でも人はほとんどいないよ」
 確かに、見回しても彼らのほかに生きている者の姿はない。朝の爽やかな光でも、うら寂しい墓場の雰囲気を払拭するのは難しいようだ。
「窮屈だろうけど、イフェリカにはこの樽に入ってもらうよ」
 ディサドが樽の蓋を開けた。樽は大きいが、小柄なイフェリカでも膝を抱えて体を縮こまらせなければならないだろう。イフェリカはハルダーに手伝ってもらって荷台に上がり、ディサドが縁を押さえている樽の中へ入った。
「あなたにはご迷惑をおかけしますけれど、よろしくお願いします」
「気にするなよ。これも仕事なんだから」
 イフェリカの姿が樽の中に消える。ディサドは慎重に蓋をした。それから、ハルダーと二人で荷台を覆い隠すように布をかぶせて、端を固定する。
「イフェリカ。街が見えなくなるまで我慢してくれ」
「はい」
 ハルダーが言うと、くぐもった声が返ってきた。

 イフェリカは樽の中で、荷台には布をかぶせてある。そこに人がいるようにはまったく見えないが、衛兵の姿が目に入るとやはり緊張した。荷物に紛れているのが見つかれば、たとえイフェリカの正体がその時点で露見しなくても、怪しすぎることは間違いない。イフェリカと知られるのも時間の問題だ。
 ディサドはイフェリカの正体を知らないからか、平気そうな顔である。過去にも訳ありの客をこうやって運んだことがあるのだろうか。人当たりのよさそうな顔をしているが、案外肝の据わった男なのかもしれない。
「今回は大荷物だな」
 門にさしかかると、衛兵の一人が明らかにハルダーたちを見て言った。ハルダーの心臓はにわかに跳ねるが、ディサドがにこやかな声を返す。
「やあ、ロルゴン。お勤めご苦労様。おかげさまで商売繁盛だよ」
 ディサドが馬を止めたので、ハルダーも仕方なく立ち止まった。
「今回はどこまで行くんだ」
「ストボーンまでだ」
「盗賊の残党が出るかもしれないから気をつけろよ。荷物が多いと狙われやすい」
「だから今回は護衛を雇ったんだ」
 衛兵のロルゴンは、ハルダーを見て納得したような表情になる。
「じゃあ、先を急ぐから」
「ああ、気をつけてな」
 ディサドは振り返ってロルゴンに手を振っていた。ロルゴンも小さく手を振り、本来の仕事に戻る。
「しょっちゅう出入りするから、衛兵には顔見知りが多いんだ」
「先に言ってくれ。あんなところで大立ち回りをしなきゃいけなくなるかと思った」
 ハルダーは大きく息を吐いた。緊張がほぐれる。イフェリカも息が詰まる思いだっただろう。
「物騒なことを言うなあ」
 半分は冗談だが、半分は本気だった。ハルダー一人でも、相手が門を守る衛兵なら数人くらいはさばける自信はあった。
「物騒なことにならないように、あんたに頼んでるんだろうが」
「わかってるって。ちゃんと、行き先も本当のとこは言わなかっただろ」
「……まあな」
 ストボーンは隣の街である。ディサドのその機転には助かった。怪しまれる要素は一つでも減らしたい。
「小一時間も進めば森に入る。そこで一度休憩しよう」
 街を出てすぐのところは、耕作地が広がっている。農民たちが仕事に精を出す姿が見えた。イフェリカにはもうしばらく樽の中で我慢してもらわねばならない。
 やがて森に入り、前にも後ろにも人がいないことを確かめてから、荷台の布を取って樽の蓋を開ける。眩しそうに目を細めるイフェリカと目が合った。ひとまずは無事に街を出られた。イフェリカの顔を見て、ようやくハルダーは安堵の表情になる。そんなハルダーを見て、イフェリカも微笑んだ。
「長時間悪かったな。窮屈だっただろう」
 地面に降り立ったイフェリカは、こわばった体をほぐすように大きく延びをする。
「少し狭かったですけど――」
「正直な子だね」
 ディサドが笑う。
「も、申し訳ありません。でも、狭かったですけど、仕方のないことですから我慢できます」
 慌てた口調でイフェリカは取り繕うが、いまいち繕えていない。しかし、悪意がないのは言葉と態度から明白で、ディサドは気にしたふうもなくなおも笑っていた。
「私も歩きます」
「いいよ、荷台に乗ってて。イフェリカを運ぶのが俺の仕事なんだから」
「でも、ハルダーは歩いているのに……」
「俺の分の運賃は払ってないからな。いいから乗ってろ。先は長いんだ」
 降りようとするイフェリカを荷台に押し戻し、一行は再び出発した。
 日に日に夏の気配は濃くなっている。ひなたを歩いていると、じわりと汗ばんでくる。
「順調にいけば、ヴェンレイディールまで五日とかからないよ」
「ディサドは頻繁にヴェンレイディールへ行っているのか?」
「リューアティン人よりは行ってるね」
 御者台からハルダーを見下ろし、ディサドはにっと笑った。
「俺はヴェンレイディール人なんだ。リューアティンに併呑されたから、元、かもしれないけど、俺の故郷はヴェンレイディールだ」
「……戦のあとも、行き来しているのか」
「その前から行ったり来たりしてるからね。戦があってもなくても、仕事に変わりはないよ。むしろ増えたかな。ヴェンレイディールへ行くのは、大手以外じゃ俺だけだから」
 ハルダーはリューアティン人でもヴェンレイディール人でもない。リューアティンの属国の一つである小さな国で生まれ育ち、傭兵家業をしているうち、リューアティンに居着いていた。ハルダーの故国は宗主国に逆らおうという気概はないから、そのままであり続けるか、ゆるゆると飲み込まれるかのどちらかだろう。そしてそのどちらに転んでも、小さな国ゆえ仕方ない、と諦観するに違いない。
 ディサドが、なくなってしまった故国を懐かしみ、今も忘れられずにいるのがわかる。ヴェンレイディールがそれなりに権勢を振るっていた国だからなのか、あるいは単純に故郷への愛着があるからなのかは、わかりかねた。
「道中盗賊に襲われるかもしれないし、戻っても混乱しているかもしれないしで、帰りたくても帰れないヴェンレイディール人が、リューアティンには結構いるんだ。荷物を運ぶついでだし、彼らの代わりに様子を見てくるのも兼ねてるんだよ」
「家族は、今もヴェンレイディールにいるのか?」
 ディサドは一人で暮らしているように見えた。
「そうだよ。国境からそう遠くない村に両親がいるから、行ったついでにいつも寄っていくんだ」
「あの……今、ヴェンレイディールはどうなっているのですか?」
「戦は短期間で終わったし、そんなに荒れてないよ。戦場にされた村は壊滅状態らしいけどね。王都は無傷だ。俺もシャロザートまでは行ってないけど、リューアティン兵がたくさんうろついているだけで、今までとそれほど変わりないとか」
「そうですか」
 もっとひどい状況を想像していたのか、イフェリカは安心したように息を吐いた。
「ただ、王族がみんな処刑されてしまったからね。城壁には王や王太子の首が晒されたらしい。見た目は一見平穏でも、水面下ではいろいろ不満がたまっているという話もあるよ」
「首が、城壁に……」
 イフェリカの声はかすかに震えていた。敗北した王族の末路がどうなるか知らないわけではないだろうが、人から聞くと違っているのだろう。顔色も心なしか悪い。御者台にいるディサドは気づいていないようだった。
「墓は……処刑された王族の墓はどこにあるか、知りませんか」
「シャロザート近郊の森の中だとか、墓を作ることも許されなかったとか、いろいろ噂はあるけど、それ以上は俺も知らないんだ。悪いね」
「いえ、ありがとうございます」
 肩を落とし、暗く落ち込んでいるイフェリカを見るのは初めてだった。慰めてやれたらと思ったが、父や兄は首になって晒され、墓もどこにあるのかわからないとあっては、慰めようもない。
「でも、王女様は生きているらしいよ。リューアティン留学中に戦が起きて捕らわれそうになったけど、逃げおおせて無事だとか」
 イフェリカの顔を間近で見ているが、ディサドはその正体に気づいていないようだ。イフェリカは黙ったままだった。ハルダーも相槌すら打てない。
「ヴェンレイディール人の中には、その王女が祖国復興のために立ち上がるに違いない、と思っている人も多い」
 イフェリカはうつむいていた。その表情はひどく苦しげで、今にも泣き出しそうだった。
「まあでも、リューアティンがひどい統治をしているわけでもないから、受け入れてる人も多いみたいだけどね」
 それが王女の慰めになったのか、ハルダーにはわからなかった。


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