第三章 王女と運び屋04
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 西の空が赤く色づく前に、ストボーンに到着した。道中、盗賊が現れることはなく、街にも難なく入れた。ストボーンの衛兵とも、ディサドは顔見知りだった。
「いつも使っている宿がある。そこでいいかい」
「ああ」
 ディサドが使う宿は、馬を預けられるところだった。広い部屋で、見知らぬ者たちと雑魚寝しなければならない安宿ではない。部屋の割り振りのときにハルダーとイフェリカは同室で、と頼むと、ディサドは「そういう関係だったのかい」と目を丸くしたので、きっちりと否定をしておいた。では何故同室なのかとディサドは不思議そうにしていたが、追及はしてこなかった。
「うまい店があるんだ。少し休憩したら案内するよ」
「気持ちはありがたいが、外で食べるのは控えているんだ」
「二人とも? じゃあ夕食はどうするんだい。食べないわけにはいかないだろう」
「悪いが、俺たちの分を買ってきてくれないか。手間賃も払うから」
 今までは、イフェリカを宿に残してハルダーが買い出しに行っていた。しかし、彼女を一人で置いてきて大丈夫だろうかと無性に心配だった。頼める者がいるなら、お使いを頼みたい。
「別に手間賃はいらないよ。割増料金をもらってるしね。持ち帰りでもうまい店がある。そこのを買ってくるよ」
 ディサドが買ってきた総菜は、パンと鶏肉のパテ、香草と一緒に焼いた豚肉の串焼き、そして新鮮な野菜の盛り合わせだった。串焼きは焼きたてで、彼の言う通り、どれもおいしかった。ディサドは、頼んでいなかった飲み物も買ってきてくれた。その分を支払おうとしたら、「おごるよ」と言って受け取らなかった。
「親切な人ですね」
「そうだな」
 ディサドは、今頃外で食べているだろう。お使いを終えた彼は、そのまま宿を出て行った。
 ストボーンを出るときも、ディサドが衛兵と二言三言の雑談を交わしただけで、あっさりと出られた。次の街では、顔見知りの衛兵はいなかったようだが、呼び止められることはなかった。
 夕食の買い出しは、ハルダーが頼む前に、何か食べたいものがあれば買ってくるよ、とディサドに言われた。その日の昼、イフェリカが甘いものが好きだという話をしていた。ディサドはそれを覚えていて、飴細工を土産と言って買ってきた。跳ねるウサギの形をかたどった飴で、イフェリカは食べるのがもったいないと言って、しばらくいろいろな角度から眺めていた。意を決して食べたときは、やはりもったいないかわいそうと言いながらも、飴の甘さに顔を綻ばせていた。
 ディサドのおかげで、街を通過するのに何ら問題は起きなかった。幸い、盗賊とも遭遇せずに、リューアティン国境の街にたどり着いた。
 ここでも、ディサドは頼む前に夕食に食べたいものは何かを訊き、おいしいものを買ってくるよと請け合った。何度も訪れているだけあって彼は街に詳しく、買ってくるものはいずれも外れがない。外で伸び伸びと、とはいかないものの、ディサドのおかげで食事に関しては十分に満足していた。
 ただ、気になることはある。
 その夜、明日はいよいよ国境越えだから早く寝ろ、とイフェリカを急かした。素直に言うことを聞いた彼女が眠ったのを確かめ、そっと部屋を出る。ディサドは二つ隣の部屋だ。イフェリカを一人にするのは少々気がかりだったが、同じ宿の中だ。それに、手短に済ませるつもりでいる。
「ディサド。起きてるか」
 寝ていたとしても叩き起こすつもりで、強めに扉を叩いた。すぐに返事があり、扉が開く。
「珍しいな。どうしたんだい」
「話があってな。時間は取らせない。少しいいか」
「いいよ」
 ディサドの客室に入り、しっかりと扉を閉める。一人用の部屋だから狭い。寝台と荷物を置くための台しかなかった。ディサドは寝台に腰掛ける。ハルダーは立ったまま、彼を見下ろした。
「どんな話だい」
「あんたはどうして、何かと世話を焼いてくれるんだ。運び屋の仕事の領分を越えているように感じる」
「夕食の買い出しのことを言っているなら、手間賃は毎回もらってるじゃないか」
「だが頼んだもの以外のものも土産と言って買ってくる。ありがたいが、単なる客にそこまでしてくれる理由がわからない」
「俺はちょっとだけお節介で世話焼きなんだよ。イフェリカみたいにかわいい子には特に。気にしなくていいよ。俺が好きでやっていることだから」
 ディサドは微笑を浮かべていた。ただ、客を相手にしている愛想笑いとは違う。他愛のない笑みとも違う。何か裏があると感じさせる。
 ヴェンレイディールは目の前だ。今までは順調に来ていたが、明日もそうとは限らない。イフェリカの安全な移動をディサドに頼るしかない今、彼が何を考えているの確かめなければならなかった。
「嘘をついているのなら、あんたをここで縛り上げて、荷馬車を奪っていってもいいんだ。イフェリカを隠す場所さえ確保できれば、あんたがいなくても問題はない」
「ハルダーは時々物騒なこと言うね」
「傭兵だからな」
 しばらく睨み合いになった。ディサドには世話になっているから手荒なことはしたくないが、このまま埒が明かなければ力で脅すことも考えていた。
「――そんな怖い顔で睨まないでくれよ」
 ディサドは苦い顔で笑い、降参とばかりに軽く両手を挙げた。
「黙っておいた方がいいと思ったから、俺も何も言わなかったんだ。別に、隠し立てしたかったんじゃない。それはわかってくれよ」
「わかった。で、どういうつもりで親切にしてくれたんだ」
「俺はヴェンレイディール人だ。自分の祖国がなくなって、何も感じていないわけじゃない。戦を仕掛けた王太子殿下だけじゃなく、国王陛下やまだ幼い第二王子まで斬首され晒されたと聞いては、黙ってもいられない。王太子殿下はともかく、国王陛下はいいお方だった。あの方の治世で、ヴェンレイディール人は特に不満なんてなかったんだ」
 ディサドの表情がゆがむ。
「王族の首を晒して、ヴェンレイディールが滅びたことを知らしめたかったんだろう。だけど、リューアティンがしたことは逆効果だ。ヴェンレイディール人の中には、その扱いに怒りを抱いた者も多い」
「……ディサドも、その一人なんだな」
「そうだよ。だけど俺はしがない運び屋だ。ヴェンレイディールとリューアティンを行き来するだけで精一杯だ。同胞のために、ヴェンレイディールの情報を少しでも持ち帰る。俺にできるのはそれくらいしかなかった」
 両膝の上に置いていた手は、いつの間にか固く握られていた。気のいい運び屋の全身から、憤りがにじみ出ていた。
「ハルダーたちの話を聞いたとき、いつもの仕事だと思ったよ。でも、そうじゃないとすぐにわかった。あの子――いや、あのお方は、イフェリカ王女殿下なんだろう?」
 訊いてはいるが、ハルダーを見上げるディサドの目は確信に満ちていた。彼は、最初にイフェリカを見たときに気づいていたのだ。だが、ディサドの思いを聞かされても、そうだと答えるわけにはいかなかった。
「髪の長さや色は違うけど、手配書と同じ顔をしておられる」
 ハルダーは何も言わなかったが、沈黙を肯定と受け取ったらしい。
「行方不明と噂されているイフェリカ王女殿下が俺の目の前に現れて、ヴェンレイディールに行きたいという。俺は、是非ともそのお力になりたいと思ったんだ。危険を承知で行かれるんだから、きっと何かお考えがあってのことなんだろう? ヴェンレイディール再興を目指されているんじゃないのか?」
 期待に満ちた目だった。イフェリカがヴェンレイディールに行きたい理由を知っているハルダーは、真正面でその眼差しを受け止めるのは心苦しかった。ハルダーでさえこうなのだ。同じ眼差しを向けられたら、イフェリカは耐えられないのではないだろうか。
「イフェリカは王女じゃない。彼女がヴェンレイディールへ行きたい理由を、俺は知らない」
「俺は、リューアティン兵に通報したりはしない。絶対に。だから安心してくれ。ハルダーは、それを確かめたかったんだろう?」
「……そろそろ退散するよ。明日もよろしく頼む」
「ああ、任せてくれ」
 部屋に戻ると、ハルダーは自分の寝台に倒れ込んだ。イフェリカは静かに寝ている。
 ディサドのように考えているヴェンレイディール人は多いのだろう。彼らが期待を寄せる王女が、ただ墓参りをしたいがために帰国しただけと知ったら、どうなるのだろうか。失望し、なじるのか。無理矢理担ぎ上げるのか。いずれにせよ、正体が発覚したら、イフェリカの意志は顧みられなくなるのだろう。
 ハルダーは額に手を当て、ため息をついた。リューアティン兵の目から隠すだけでなく、これからはヴェンレイディールの民の目からも隠さないといけないわけだ。

   ●

 リューアティン最後の街も、無事に出られた。街が見えなくなり、人気のない寂れた場所まで来ると荷馬車を止め、イフェリカが樽から出てくる。入るのも出るのも、ずいぶんと手慣れたものだ。一国の王女が樽の中に出たり入ったりするのを、ディサドはいたわしいと思いながら見守っているのだろうか。横顔を盗み見るが、彼の表情はいつもと変わりなかった。
「あと半日も行けば国境だ。そこからヴェンレイディール最初の街まですぐだよ」
「国境には関所があるよな」
「あるよ。街の門よりも警備は厳しい」
「荷物を調べられることは?」
「怪しいと思われたら。戦のあと、四度通ってる。調べられたのは二回。二回とも、リューアティンを出るときだった。調べられなかった二回は、荷物が少なかったからだと思う」
 ハルダーは荷台を見た。満載である。調べられるのは確実だ。荷物を調べられたらおしまいである。樽の中に隠れていれば、それだけで怪しまれる。
「どうすればいい。このままでは見つかる」
「ちゃんと考えてある。国境を越えるときは、樽じゃなくて袋に入ってもらうんだ」
 ディサドは御者台から荷台に移動した。縛ってあった麻袋の口をほどく。
「中身は麦藁だよ。イフェリカにはまず別の袋に入ってもらって、これと同じくらいの大きさの麻袋に入る。そして、上から麦藁で隠すんだ。樽の中よりだいぶ窮屈な思いをしてもらうけど」
「構いません。大丈夫です」
 麻袋は大きかった。イフェリカは小柄だから、袋の底でうずくまって麦藁をかぶせれば、上からのぞいても人がいるとは思わないだろう。
 街を出たときは、道は川沿いだった。進むうち、川とだんだんと離れていき、上り坂になる。やがて、左右に森が広がる山道となった。国境の山だ。下った辺りが関所だろう。荷台のイフェリカは、前からやって来て後ろへ去っていく景色を見ていた。変わり映えのない木々の連なりだが、イフェリカはじっと眺めていた。
 ここまで晴天が続いていたが、今日は雲が広がっている。薄い雲ではなく、厚く重たそうな雲だ。しかし色はまだらの薄い灰色で、湿気はまだ多くない。雨の心配はなさそうだ。日差しがない分、山道を歩くのにちょうどいい。
 だが、のんびりと進みたい道ではなかった。左右は見通しのきかない森。どこから盗賊が飛び出してきてもおかしくない。
 出てきてもおかしくないのは、グラファトも同じだ。もうすぐヴェンレイディール。グラファトも向かっているはずだ。いや、つけてきているだろうか。前回襲撃されたときと似た地形というのもよくない。苦い記憶が甦る。
 ハルダーは右腕を見た。グラファトにやられた傷はすっかりふさがっている。義手の自己修復する力は、無尽蔵のものではない。キシルが義手に注ぎ込んだ魔力が尽きてしまえば傷は治らない。それどころか指一本動かせなくなる。
 持ってきた魔術具の中には、義手に魔力を補給するための札もある。指の動きが鈍くなってきたと思ったら、それを貼ればいい。ただし、補給が終わるまでに一晩ほどかかる。野宿した夜、指の動きにはまったく問題なかったが、魔力を補給した。傷の修復でいつもより魔力の消耗が激しく、昼間に札を貼りつけたままにしなければいけなかったかもしれないからだ。何があるかわからない日中、利き腕の動きが鈍くなるのは避けたかった。
 日差しはないが、やはり歩いているうちに汗はにじむ。左右が森なので、吹き抜ける風はほとんどない。峠を越え、道は下りになっていた。国境の関所はまだ見えない。
「ディサド。関所まであとどれくらいだ」
「あと一時間ほどかな。もう少し進んだら、休憩がてらイフェリカには隠れてもらおう」
「はい」
 ふと前を見ると、人影があった。道のすぐそばに生えている大木に、誰かがもたれかかっている。休憩する旅人だと思って気に留めていなかったが、顔の判別がつく距離になって、ハルダーは険しい表情になった。
「ディサド、馬を止めろ」
「どうしたんだ、急に」
「いいから止めろ。早く」
 有無を言わさぬ声にディサドは困惑しながらも、馬を止めた。
 荷馬車が止まったら、人影がゆらりと動いた。ゆったりとした足取りでこちらに向かってくる。ハルダーはそれを見据えていた。ただならぬ気配にディサドが息を呑む。イフェリカも人影が誰か気づき、脅えた表情を浮かべていた。


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