第四話 魔王の手下はストーカー 02
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「それじゃあ、気を付けて行ってきなさいね」
 家の前まで見送りに出た母さんは、それこそおつかいに行く息子を見送るような声を俺の背中に投げ掛けた。その母さんの隣りに立ってやっぱり見送りをするルーインさんは、小さく手を振っている。そのおかげで、ブンブンと大きく手を振る母さんの動きが、余計に大きく見える。
「ちゃんとユマちゃんと一緒に帰ってきなさいよー」
 そこは特に大声で言わないでくれ、母さん。ご近所さんがあらぬ誤解をしてしまうじゃないか。それにしても、十七にもなって、出掛けるところを母親に見送られて手まで振られている俺って……。
「エルくん。ユマのことよろしくねー」
 二人そろって仲良くそう言うのは、ユマの両親だった。おばさんの方にも本当のことは話してあるらしいけど、二人とも、やっぱり母さんと同じでおつかいに行く隣家の息子を見送っているようにしか見えない。いや、だから俺の歳を考えてくれよというか、二人ともさすがにのんきすぎないかと思わないでもない。
 総勢四人に見送られて、通行人たちはいったい何事かと振り返るし、通りかかった小さな子供は物珍しげに俺とヒエラを見ていた。こんな好奇な視線にさらされるくらいなら、夜逃げするくらいの勢いでさっさと出発しておけば良かったと後悔せずにはいられない。
 俺としては、もっと人目の少ない早朝に発ちたかったのだが、朝ご飯の後片づけを母さんがしている間に出ていこうとしたら、どうしても見送りをしたいらしい母さんが引き留めるし、そのうえユマのおじさんとおばさんにも声をかけてくるわと言い出すし、ルーインさんもヒエラも見送ってもらえばいいのにと、まるで親不孝者を見るような目で俺を見るので、なかなか日も高くなってからの出発となってしまった。
 出鼻を身内にくじかれた俺は、旅立ちにはふさわしくないトボトボとした足取りで歩いていた。昨日からそんな歩き方をしていることが多いような気がするのは、気のせいなんかではないだろう。ポリナーさんの誤解が発覚し、ルーインさんには勇者だと断定され、そのうえ母親の誤解も解けないまま、なにはどうあれ俺はユマを迎えに行かなくちゃならないからだ。
 果たして無事戻って来られた時、勇者というのはともかく、母さんとポリナーさんの誤解を解くことができるんだろうか。母さんまであんな妙な誤解というか思い込みをしているんだったら、いっそのこと、ユマがどういうわけか魔王になってしかも俺に呪いをかけていた、と本当のことを言えば良かった。
 今さら後悔したって仕方のないことだけど、母さんたちと一緒に見送りをしているルーインさんが本当のことを話してくれないかと、淡い期待を寄せるがそれは無理な話だろう。気を遣ってごまかしにごまかした話を母さんにしようと提案したのはルーインさんだし、多分おじさんとおばさんには口裏を合わせるように言い含めるくらいのことはしているだろう。つまりは、母さんが事の真相を知る機会は、俺が無事に帰ってくるまでないわけだ。
「はあ……」
 出発して間もないというのに、俺の口から漏れるのはため息ばかりだ。そんな俺を、同行するヒエラが心配そうに見る。
 そういえばヒエラは、俺の補佐として一緒にユマを迎えに行くこと――名目上は魔王討伐らしいが――を上司から命じられたらしい。最初にユマの紙人形と遭遇したのがヒエラだったからというのが、その理由だ。紙人形にかなり恐怖心を抱いていたヒエラにしてみれば、その紙人形の生みの親の元へ行くのは踏んだり蹴ったりじゃないんだろうか。最初に遭遇してしまったのがヒエラの運の尽きだが、そんなヒエラに俺は同情する。ヒエラもユマのせいでこんな目に遭っているのだ。物心ついてからユマに散々な目に遭わされている俺は、おまえに全力で同情するぞ、ヒエラ。
「エルトックどの……お気持ちは察します」
「へ?」
 それは俺の台詞じゃないか? 全力でヒエラに同情していたのに、何故逆にヒエラが俺に同情しているんだ。
「恋人が魔王となってしまっただけでなく、エルトックどのがその魔王を倒さなければならない勇者だったというなんともむごい状況。それにもかかわらず大役を引き受けたエルトックどのは、立派です。そんなエルトックどのに比べたら、自分は紙人形にさえ怯えてしまう小心者ですが、全力でエルトックどのの加勢をします!」
 なんだかめまいというか立ちくらみがする。
 昨日から、俺を取り巻く世界はいったいどうなってしまったのだろうか。世界は自分を中心に回っている、と思う人間は少なからずいるだろうが、俺は世界を中心にして振り回されている気がする。次から次に、俺の望まぬ方向へ話が転がっていないか。なんだかもう、いっそ倒れてしまいたいくらいだ。
「あのさ、ヒエラ。昨日から俺はずっと言ってたと思うけど、俺とユマは単なる幼馴染みの隣人同士でしかないんだぞ」
「僕が魔王――いえ、ユマどのを倒すために派遣された兵士とはいえ、遠慮することはないんですよ、エルトックどの。僕はエルトックどのの味方ですから、できる限りのことはします」
 ヒエラの目は、使命感に燃えて輝いている。ヒエラの誤解は、どうやら昨日から続いていたらしい。本当に倒れてしまいたいが、ここでぶっ倒れたりしたらそれこそヒエラの誤解はいっそう深まってしまいそうで、俺はなんとか踏み止まる。こうなったら、母さんやポリナーさんの誤解を解くためにも、俺とユマが決して誤解をされているような間柄ではないことをヒエラに正しく理解させ、俺の味方とするしかない。幸いヒエラと話をする時間はたっぷりあるのだ。
 俺の目は、ヒエラとは違う使命感に燃えていた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ティエラを出て南へ下る道を歩き始めて既に二日。俺の努力が実を結び、ヒエラの誤解はだいぶ解けてきたのだが、それ以外にこれといって変わったことは起きもしない。
 昔話や寝物語で語られる、大昔の勇者の話や冒険者たちの冒険譚では、道を行けば必ずや倒すべき魔物とか獣とかに出くわすものだが、平和な今の世の中ではそんなことが起きようはずもない。ユマが紙人形を放っているのだって、王都のヴィトラルとはいえ、そこ一カ所だけだ。噂にはなるだろうが、ティエラのように、遠くに離れた町へ行けば行くほど、それは信憑性が薄くなっていく。だいたい、噂を裏付けるようなものが現れないのだから。
 田舎道とはいえ、治安の良さでは周辺諸国に勝る国内で、追い剥ぎや盗賊が現れることもない。仮にいたとしても、見るからに兵士の装束をしているヒエラの前に現れるかどうか。
 出発する前は、怒濤の勢いでへこむような出来事が次々と俺に襲いかかってきたけど、それが嘘のように平和で穏やかな道中だ。このまま順調にいけば、夕方にはティエラの南にあるカタルタに辿り着く。
 ティエラを出発して二日。何事も起きない旅は順風満帆のように思えるが、ルーインさんは南を目指せと言っただけで、具体的な地名や距離への言及はなかった。ユマがいると思しき方角しか分からないのでは、ほとんど何も分かっていないのと大差がないような気がしてくる。いや、方角が分かっているだけでも十分ありがたくはある。これで北を目指していたら、ユマとは遠ざかるばかりなのだし。それでもしかし。おおよその地名や距離さえ分からないのでは、あてもなく歩き続けることに変わりはない。ひたすら南を目指してとうとうユマの手掛かりもつかめなかったら、隣の国に着いてしまう。果たしてその前にユマを見つけ出すことはできるんだろうか。
 俺やヒエラには、ルーインさんのような占いをする能力はない。ルーインさんも同行してくれたら良かったんだけど、ルーインさんは高齢でティエラまで来るのが限界らしいし、なにより本来は国王の側に控えているべき人だ。ユマが魔王だと言い切ったのはルーインさんだけど、その実害はなんとも軽微と言うしかない程度だから、さすがにユマ捜しに付き合うこともできないだろう。ルーインさんがいてくれれば、もっと早くユマを見つけられると思うけど、無理をさせるわけにもいかないし、どのみち呪いのせいで俺も捜しに行くことに変わりはなさそうだし、あきらめるしかない。


 予想通り夕暮れ時にカタルタに辿り着いた俺とヒエラは、まず今夜の宿探しをした。ティエラを出発してから二日は町がなかったので、俺は子供の頃家族でキャンプをした時以来の野宿をした。いや、キャンプは野宿とは微妙に違うから、生まれて初めて野宿をした、と言った方がいいか。ヒエラが軍で支給されたいろいろ便利な代物を携帯しているので、野宿といっても露天で寝ることはなかったから、キャンプのような感覚ではあったが。
 けれど、訓練をしているヒエラとは違って、寝る時はたいていがベッドの上の俺にとって、薄い布一枚敷いただけの土の上での寝起きというのは、想像以上にきつかった。熟睡できないから疲れもなかなかとれないし、なにより起きた時に体のあちこちが痛い。
 キャンプはごくたまにするから楽しいモンなんだなと改めて思い知った俺は、早くも柔らかいベッドが恋しくなっていた。高い宿屋は予算の関係であきらめるしかないが、それでもあんまり安すぎるのもベッドの質が悪そうだから却下だ。かなり真剣に今夜の宿を吟味した結果、値段も部屋も納得のいく宿屋を見つけることができた。
「ああ、洗い立ての匂いがするって、幸せ……」
 部屋へ入った俺は、荷物はそのへんに適当に放り出して一目散にベッドを目指し、倒れ込んだ。柔らかく懐かしい感触に全身を受け止められ、一気に意識がまどろんでいく。
「エルトックどの。夕食は――」
 後から入ってきたヒエラが甲冑を脱ぎながら尋ねてきたのだが、その時には俺は片足を夢の世界へ突っ込んでいて、ろくな返事もしなかった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 俺を気遣って昼寝を許してくれたヒエラに夢の世界から引き戻されたのは、すっかり日も暮れた頃だった。鍛えているだけあって、ヒエラにとってこれくらいの旅はなんてことないらしく、俺が寝ている間に宿を出ておいしそうな食堂を探していたらしい。
 その成果である食堂は、宿から少し歩いたにぎやかな通りにあった。ちょうど夕食時なので、店内は混み合っていたけど待たずに席に着くことができた。
 俺はコブツノウオのパイ包み焼き定食、ヒエラはチョトツのソテーセット、それから飲み物に春色草のお茶を二人分注文する。ここ二日は主にヒエラが用意していた缶詰や乾パンを食べていたから、久々にできたての料理にありつけるとあって、二人ともこの食堂の中では高い部類に入る料理を選んだ。これくらいの贅沢なら、許されるだろう。
 旅の費用は、なんと軍から支給されている。一応、王都ヴィトラルを困らせる魔王(ユマだけど)を退治するための旅だからだ。いつでも今夜みたいな贅沢はできないけれど、路銀に困ることはない。底を尽きそうになったら、ヒエラと共に軍の地方司令部へ行けば、その旨を書いた指令書をヒエラが持っているので、支給されるようになっているのだ。
 国王付きの占術師であるルーインさんがわざわざ田舎町まで出向いてきて、お供に(一人だけど)兵士まで付き、そのうえ(おおよそだけど)行き先まで教えてもらい、旅費も支給してくれる。なんとも至れり尽くせりな、ユマ捜しの旅だ。いや、一応は魔王退治の旅か。
 食事の前にお茶が運ばれてきた。二人でそれを飲みながら、この先どこへ向かうか――ではなく、まったく関係のないとりとめのない話をした。初対面の頃こそ、思いもよらない理由で知り合うことになったせいもあってお互いぎこちなくしていたけど、数日も一緒に過ごせば打ち解ける。俺とヒエラは歳が近いから、話題に困ることはない。
 それぞれの親の話や仕事の話をしているうちに、料理が運ばれてきたので食事を開始する。食べる間は、二人してそっちに集中しているせいで会話が途切れがちになる。
「モボール通りに出たらしいぞ」
「俺はコンラック通りの方に出たって聞いたけど」
 そのおかげで、近くの席に陣取るほかのお客の会話が耳に飛び込んできた。
「それなんだけど、うちのばあさんが見たらしいんだ」
「本当かよ?」
「ああ。噂通り、紙切れみたいな人形が歩き回ってたらしい」
 俺とヒエラの食事をする手が同時に止まる。聞くともなしに聞いていた会話の中に、なにやら不審な部分がなかっただろうか。
「ばあさんの家の中に出たらしいんだが、どこからともなく現れて歩き回るだけ歩き回ってどこへともなく消えたそうだ。ばあさんはその晩は、もうおっかなくて眠れなくってよ」
 男は彼の祖母の怖さを自ら表現するためか、いかにも恐ろしげな声で仲間に言って聞かせる。それを聞いた仲間たちは、やっぱりなとか実は俺もそれっぽいものを見たんだがなどと口々に言い合っていた。
 しかしその段階で、俺はもう彼らの会話は聞いていなかった。いまだ薄く湯気を上げる包み焼きから顔を上げ、ヒエラを見た。ヒエラも俺を見ている。
「エルトックどの。いまの話――」
 ヒエラの顔が、心なしか青い。
「ああ」
 俺は低い声で答えた。
 紙切れみたいな人形。今のところヴィトラルにしか現れていないはずなのに、いきなりそこから遠く離れたところに現れるなんて、案外どこにでもいるんじゃないのかと言いたいところだが、そんなモノがそうそうどこにでもいてたまるか。
 ユマの仕業に決まっている。あいつ以外の誰が、紙切れでできた人形を集団で深夜徘徊させるというんだ。
 いまの会話からすると、紙人形が徘徊し始めたのは昨日今日のことではないだろう。だけど耳ざといポリナーさんにまでその話が届いていなかったということは、時期的にはヴィトラルより遅いのだろう。ヴィトラルに出た集団と同じかどうかは分からないが、紙でできた人形だ。多分ヴィトラルとはまた違う紙人形だろうが、違っていても同じでもそこは大した問題じゃない。紙人形が徘徊するせいで、眠れない人がいるというのが問題だ。
 ヴィトラルだけじゃなく、カタルタでも眠れない人たちが現れてしまったら、俺にかけられた呪いがどんどん進んで――と言っていいのかどうかは分からないが――しまって、ユマを見つけてやめさせる前に俺がバッタリ倒れてしまう可能性がいやでも高くなるじゃないか!
 でも俺に世界を救う意志がある限りは死なないとか、ルーインさんが言っていたっけ。いやしかし、俺としては今でも安眠妨害が世界の危機なのか怪しいところだ。世界の危機を怪しみつつ、とりあえずそれをやめさせるべくティエラを出発したのだが、それでも世界を救う意志があると見なしていいんだろうか。
 はっきり言って、俺には世界を救うという大それた意志があるという自覚はない。あるのはユマを見つけ出して馬鹿なことをやめさせて、ティエラに連れて帰り、ついでに俺の呪いも解いてもらうという目的だけだ。世界を救うとかいうことに比べたら、俺の呪いを解いてもらうことはなんだかやたら個人的なことにも思えるが、俺にしてみたら最重要課題なのだ。
 これでも世界を救う意志があると見なせるならば、とりあえず俺の命は安泰だけど、もしもそうでなかった時がとにかくまずい。その見極めができない俺としては、紙人形がヴィトラル以外でも出て、しかも眠れない人もいるかもしれないとすれば、放っておくわけにはいかなかった。

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(C) Nagasaka Danpi 2006-2009