第四話 魔王の手下はストーカー 03
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「退治するしかありません、エルトックどの」
 そうなってしまったからには、やるべきことはひとつと、顔はまだ青ざめてはいたが、揺るぎない決意をたたえた目でヒエラは俺に同意を求めた。
 紙人形がカタルタにもいると知った俺とヒエラは、それを話題に上らせた男たちが驚いた顔を見せるのに恐縮しつつ、詳しい話を聞いたのだ。それで分かったのは、紙人形が現れるようになったのはつい最近ということと、しかし見たという者の数がかなりいるということだった。
 ヴィトラルで最初に紙人形に出会したのはヒエラだが、話を聞くと遭遇したのはユマが失踪した直後であるらしい。その後紙人形を見たという話はちらほら聞くようになったが、それでもヴィトラルに住む人々の中には、そんなものがいるわけがないと笑い飛ばす人も多かったという。
 けれどカタルタでは、かなりの信憑性がある話として、人々の間に急速に紙人形出没の噂が広まっているようだった。ヴィトラルに比べたらカタルタは小さく住む人間の数もかなり少ないせいもあるだろうが、それでもたった数日の間に目撃情報が相次いでいるとなると、相当数の紙人形が徘徊していることになる。
 話を詳しく聞く前は、ヴィトラルと同じような頻度で徘徊しているんじゃないかとなんとなく思っていたのだが、カタルタの状況では、もう既に怯えて眠れないという人もいることだろう。
 呪いでバッタリ倒れる可能性は、いやでも高くなっていたらしい。ヴィトラルは遠すぎるから今のところユマを止める以外に解決策はないが、カタルタは違う。なにせ現場に飛び込んできたのだ。
 ヒエラが言うとおり、退治するしかないだろう。いや、相手は紙人形だから退治というのは微妙に違和感がある気もするし、ユマにやめさせない限りは根本的解決にはならない気もするが、ともかく退治するしかない。
「じゃ、早速警ら隊のところへ行こう」
 紙人形についてあれこれ教えてくれた男たちに丁寧に礼を言い、食事も終えて部屋へ戻っていたのだが、そう言う俺をヒエラが意外そうな顔で見返す。よほど意外だったのか、青かった顔の色が戻っている。
「へ? どうして警ら隊へ行くんですか?」
 何が意外だったのかと思えば、そこか。俺はむしろ、ここで意外そうな顔をするヒエラの方が意外だ。
「さっきの話からすると、紙人形は結構な数が徘徊してるみたいじゃないか。いくら紙とはいえ、俺たち二人でその集団全部を退治できるわけないんだし、ここは警ら隊に任せるのがいちばんだろう」
 警ら隊は軍の下部組織だ。町や村など、比較的狭い範囲の治安を預かっている。軍の司令部は大きな町にしかないけど、警ら隊はだいたいの町に配備されている。カタルタの警ら隊が詰めている場所は、宿の従業員にでも訊けばすぐに分かるだろう。夕食を終えた後だけど、カタルタは小さい町だし、今から行ってもそんなに遅い時間になることはないはずだ。
「何を言っているんですか、エルトックどの」
 俺がそう説明すると、しかしヒエラは猛烈な勢いで言い返してきた。俺はそのあまりの勢いに気圧される。
「紙人形は、魔王の手下なんですよ。勇者であるエルトックどのの敵です。勇者自らが退治せずにどうするんですか」
 力説するあまり、ヒエラは大声になっている。俺は慌てて静かにしろとヒエラに言った。こんなところで大声で騒いだりしたら、廊下や隣の部屋にまで聞こえかねない。今時勇者だ魔王だと、子供でもあるまいし大声で言いながら騒いでいたら、他の人に変な目で見られるじゃないか、ヒエラ!
「落ち着け、ヒエラ。とりあえず落ち着け」
 俺がなだめるように言い、ヒエラをベッドに座らせる。ついでに俺も、向かい合うようにもうひとつのベッドに腰掛ける。
「しかしですよ、エルトックどの。勇者たるもの、魔王の敵がいると知れば自ら討って出なければ」
「いや、俺はいまだに自分が勇者だとは思ってないし、武器だってないし。それに町の治安は警ら隊に任せるのがいちばんいいと思うんだけど」
 まあ相手は紙人形だ。しかも薄っぺらな。武器がなくても退治はできると思うけど、数が多いのであればそれなりの労力が必要となる。相手が多勢なら、こっちも人海戦術であたるのがごく当たり前の考えだと思うんだが、ヒエラはそうは思っていないらしい。
「しかし、ルーインさまは『魔王の敵は勇者が討ち滅ぼさなければならない』と」
「なんだって?」
 ヒエラがやたらと俺に退治させることを力説した理由はそれか。なるほどとそこは納得するが、俺はそんなことは初耳だ。寝耳に水だ。いったいいつそんなことを、肝心な俺ではなくヒエラにだけ言っていたんだ、ルーインさん。
「呪いを解くためにも、勇者が戦い続けることは必要なのだとも」
 つまり、いまいち世界を救うという自覚のない俺が魔王の手下であると思われる――というかほぼ確定しているが――紙人形を退治すれば、その意志があると見なされるというわけか? なるほど。それなら俺が退治しないわけにはいかないだろうけど。
「どうしてそれを俺には言ってくれなかったんだ?」
「え? だって勇者のエルトックどのは、そんなことを言われずとも魔王の敵には立ち向かうものなんじゃないんですか? むしろ紙人形に怯える僕に向けての、ルーインさまのお言葉であったと思ったんですが」
 確かに、ヒエラは気の毒なくらい紙人形を怖がっていた。噂話を聞いただけで顔を青くするのだから、相当なものだろう。だからルーインさんは、ヒエラがいざというとき逃げ出したりしないようにあらかじめ言い含めておいたわけか。そして、何も言わなくても俺が紙人形退治をすると、ルーインさんは決めつけていたというわけだ。
 俺を勇者と断定した時といい、ちょっと決めつけすぎじゃないか、ルーインさん。
 今はここにいないルーインさんに、俺はちょっとだけ恨み言を言いたくなった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 草木も眠りに落ちる、真夜中も真夜中。
 いつもならば夢の世界で遊んでいるはずの時刻に、俺はベッドの中ではなく物陰で息をひそめていた。ほとんどの人たちが家路についた頃に俺とヒエラは宿を抜け出し、紙人形が頻繁に目撃されているという通りのひとつ、コンラック通りで待ち伏せを始めたのだ。
 コンラック通りに通じる細い路地があったので、そこで待ち伏せをすることにした。打ち捨てられたと思しき木箱が転がっていて、それが座るのにちょうどよさそうだったからという理由で、その路地を選んだのだが。
 それにしても眠い。とにかく眠い。眠っていいと言われたら、その直後には寝息をたてている自信があるほど眠い。今夜は野宿じゃなく屋根の下のベッドでゆっくりぐっすり眠れると思っていただけに、俺の体は夜更かしを頑なに拒もうとしている。俺はそれに素直に従って、今すぐにでもまぶたを閉じてしまいたいところなのを、かろうじて意志の力でとどめている。
 人通りが少なくなっているとはいえ、誰も通らないわけじゃない。ごくたまに通りかかり、路地に潜んでいる俺とヒエラの姿に気が付いた人は、誰もが声を上げて驚き走って逃げていった。多分、強盗かなにかだと思われている。ヒエラは紙人形が相手とはいえ油断はできないと、甲冑を着込んで張り込んでいるのだけど、夜の闇の中では一目で兵士と分かるはずもない。俺に至っては、ごくありふれた格好だ。
 勇者の自覚も認めるつもりもないけど、明らかに不審人物と思われる勇者っていったい……。
 そう考え始めるとあっという間に夢の世界へ落ちてしまいそうになるので、俺は頭を激しく振って考えを追い出す。ついでに眠気も追い出す。ヒエラはやる気にみなぎっているせいなのか、それとも紙人形を恐れているせいなのか、まったく眠そうな様子はない。ただ、極度に緊張しているらしいことは、その横顔を見れば分かる。
 まあ、ヒエラはかなり紙人形を怖がっているみたいだから、無理もない。ヒエラが紙人形に遭遇した時の話は本人から聞かされたけど、確かに誰もいない真夜中の舞踏場で動き回る紙人形と遭遇したら、気絶もしたくなるだろう。その時の恐怖を今でも忘れられないのもうなずける。
 そう考えたら、ヒエラがなんだかとても気の毒に思えてくる。ついでに、俺の中に罪悪感も芽生えてくる。方法にかなり問題があるとはいえ、ユマが俺にかけた呪いを解くためにやったことなのだ。ユマが俺に謝りに来た時――そういえば、謝ったんだっけ。なんだか遠い昔のこと、むしろ幻にも思えるが――に、ユマをしっかりと引き留めておけばこんなことにならなかったかもしれない。
「……悪いな、ヒエラ」
 その思いが、つい言葉となって口から零れた。それはヒエラの耳にも届いていて、ヒエラはキョトンとした顔で俺を見返す。
「何がですか?」
「あ。いや、なんかいろいろと」
 声にするつもりはなかった俺は、慌ててなんとか取り繕う。
 一緒にいて分かったのだが、ヒエラは真面目だ。恐怖の対象である紙人形に、上司からの命令とはいえ文句ひとつ言わず、むしろ俺よりもずっとやる気を持って立ち向かうのだから。
「エルトックどののお手伝いをすることが僕の役目ですから。気にしなくていいんですよ」
 ヒエラは本当に気にしなくていいのだという顔でそう言った。その顔を見て、俺の中の罪悪感は大きくなる。俺はヒエラに比べたらずいぶんとやる気がないし、ユマを止めなければいけないとは思っているけど、それはいつものことかその延長上のことだから、使命感に燃えているわけじゃない。そんな情けない俺がヒエラに軽々しく謝ることは、それ自体がヒエラに対して失礼であるように思えた。
 俺の中で頭をもたげた罪悪感のおかげで、眠気はどこかへ行ってしまった。ヒエラを見習い、真面目にしなければならない。これは俺の問題であって、ヒエラを始め、ヴィトラルやカタルタの人たちはそれに巻き込まれているだけなのだ。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 気持ちを入れ替え真面目に待ち伏せをし始めてからどのくらい経った頃か。
 待ち伏せる俺たちに驚いて逃げる人を見かけなくなった。
 今頃になって俺は、毎晩必ず、しかも待ち伏せているこの場所に紙人形が現れるとは限らないということに思い至っていて、今夜はもう出ないんじゃないかと思い始めてさえいた。ヒエラは相変わらず、使命感に燃えた目で闇夜を見続けているから、俺と同じことに気が付いているのかいないのか分からない。けどヒエラの場合は、気付いていたとしても真面目に待ち続けるのだろう。
 俺は改めてヒエラを見習い、闇夜に目を凝らす。
 かすかな、ともすれば空耳かと思うほどの音を聞いたのは、その時だった。俺は慌てて左右を見回し、音の出所を探した。ヒエラの耳にも届いていたのだろう。途端に強ばった表情に変わっているが、それでもおそるおそるといった感じで、やはり音の出所を探るように頭を巡らせている。
 カサカサと、紙くずが風で転がっていく時のような音が、今度ははっきりと聞こえた。紙人形に違いない。現れたのだ。
 木箱に座っていた俺は立ち上がり、コンラック通りに躍り出た。どこだ。どこを奴らは行軍しているんだ。通りに出て三百六十度見回して探すが、どこにも見当たらない。物音はすぐそこで聞こえていたというのに、おかしい。いや待てよ。紙人形は単なる薄っぺらい紙でできているから、もしかしたらどこかの隙間に入り込んで隠れている可能性だってある。けどどこの隙間だろうか。
 辺りを見回し、隠れやすそうな隙間はないかと探し始める。ヒエラが俺に遅れて通りへ出ようとして、何を思ったのか――あるいは感じたのか――後ろを振り返っていた。
「で……!」
 それに続く、ヒエラの悲鳴。相当驚いたのか恐ろしかったのか、悲鳴は最初の方しか声になっていなかった。俺は慌ててヒエラの元へ駆け付ける。ヒエラのその様子からすると、見つけたに違いない。
「いたんだな!?」
 それほど大声を出したつもりはなかったけど、真夜中の夜は不気味なほど静かだ。俺の声は夜のしじまを破るには十分だった。
 立ち上がりかけて腰を抜かしたのか、ヒエラは木箱からずり落ちた格好で、通りとは反対の、路地の奥を指さしていた。震える指先が示す方向に目を凝らすと、白っぽい塊がいた。
 想像以上に数が多い、というのが第一印象だった。紙人形は、ティエラの役所でヒエラが見せてくれたのと大差ない大きさと形だったのだが、その数が半端ではない。
 いったい今までどこに隠れていたんだと思わずにはいられない、紙人形の集団。いや、軍勢。路地を埋め尽くすほどの紙人形がそこにはいた。カタルタを徘徊する紙人形が全部ここに集結しているんじゃないかと思うくらいの数だ。
 ヒエラの顔はすっかり青ざめ、使命感に燃えた目もどこへやら、恐怖しか浮かんでいない。まあ確かに、これだけの数が集まっているのを見ると、さすがに俺でも不気味に思う。
 しかし、こうしてようやく紙人形と遭遇できたわけだ。しかもカタルタを徘徊している紙人形すべてが集まっていると思しきこの状況は、一掃するには絶好の機会だ。
 退治する道具はどうしようかとヒエラは言ったのだが、俺は用意するまでもないだろうと返し、本当に用意していない。ヒエラは兵士だから剣を持っているが、俺は丸腰だ。というか、一般人が無許可で剣を携帯していたらしょっぴかれてしまう。申請して許可が下りるまでには時間がかかるし、第一相手がユマであれ誰であれ、剣を向けるというのにはかなり抵抗がある。ヒエラの剣を持ってみたことはあるが、とにかく重く、両手で構えるのがやっとだった。そんなものを振り回して戦うなんて、とてもではないが俺にはできない。三、四回振るのがせいぜいだろう。
 けれど、相手はたかが紙。燃やすのが一番手っ取り早い退治法ではあるだろうが、これだけの数をこんな場所で燃やしたら火事になってしまう。そんなことになったら、紙人形以上に迷惑なのは、仮にも勇者とされた俺の方になり、目も当てられない。
 しかしそれでも紙は紙。そのうえ、踏みつぶすのも手で握りつぶすのもお思いのままの大きさだ。路地いっぱいにいるから、そこをずんずん歩いていくだけで相当数は靴底の餌食になる。
 こいつらを一掃すればようやく眠りにつけると思えば、やる気はいやでもみなぎってくる。俺はヒエラの横を通り抜けて紙人形の群と向かい合う。路地を埋め尽くすほどに集まっている紙人形たちの目の前に、いざ彼らを踏みつぶさんと勢いよく一歩を踏み出した。
「へ?」
 その途端、紙人形たちがパタパタと倒れていった。まるで、俺が地面に足を降ろした時の風圧で倒れていくように――いや、いくら勢いよく踏み出したところで、ヒラヒラしているくせにしっかり立って動き回っている紙人形が倒れるのはおかしくないか? 
 ぽかんと見ている間に、路地を埋め尽くすほどに集まっていた紙人形はすべて倒れてしまった。倒れまいと踏み止まるものもいなければ、起きあがろうとあがくものもない。
「もしかして……もう動かないんですか?」
 後ろで腰を抜かしたままのヒエラが、期待半分といった声でおそるおそる言った。だが俺は、すぐには答えられなかった。
 ユマが動かす無生物は、たいてい俺を追いかけ回すために動き回っていたけど、それはもうしつこいくらいに動き回って追いかけてきていた。体力の続く限り逃げ回ったが、それでも追い付かれてひどい目に遭ったことは一度や二度ではすまない。そして、遭遇した途端動くことをやめてしまったことなんて一度もない。だから、なにもしていないうちから勝手に倒れて動かなくなったところで、俺は安心できなかった。
 踏み出してそのまま動かさなかった足を、ズリズリと前に進め、つま先で先頭の紙人形にそっと触れる。反応はない。触れたところが少し汚れただけだ。今度は思い切って、しゃがんで手を伸ばすことにした。紙だし、動いたとしてもいきなり噛みついてくることはないだろう。
 指先で、やっぱり先頭の紙人形をつついてみるがやはり動かない。試しに違う紙人形をつついてみるが、結果は同じだった。そこで今度は、思い切ってつまみ上げてみた。それでも紙人形は動かず、ただ俺の手の動きに合わせてヒラヒラとまさに紙切れのごとく揺れるだけだった。
「触れもせずに倒すなんてさすが勇者ですね、エルトックどの!」
「ええ!?」
 ようやく動けるようになって俺の肩越しに紙人形を見ていたヒエラが、嬉しそうに声を上げた。そんなヒエラを、俺は目を丸くして振り返る。
 そうなのか? 俺が倒したことになってしまうのか? それで果たしていいのか? まったく何もしないうちに勝手にこいつらが倒れただけにも見えるんだけど。むしろその見方の方が正しい気がするんだが。
 なんだか納得はいかなかったけど、いくらつつこうが紙人形は一向に動く気配すら見せない。なので一応退治できたということにして、俺たちは宿へ帰ることになった。もちろん、紙人形をそのまま放置しておくわけにはいかない。集めてまとめて燃えるゴミの日に出してしまってもいいんだけど、あいにく行きずりの身の上ではカタルタ指定のゴミ袋を持っていない。それに、本当にもう二度と動き出さないのか確かめたかったし、ちょうど座るのに使った木箱があることだから、それに詰め込んで持ち帰ることにした。

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(C) Nagasaka Danpi 2006-2009