第三話 勇者は酒屋の息子さま 02
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 家から役場まで、それほど遠くはない。しかしその間に、俺に会いたいと言っている人たちが誰なのかをおじさんから聞く時間はあった。
「ヴィトラルからお見えになった人たちなんだよ」
「ヴィトラル!?」
 おじさんはのほほんとした口調でさらりと言ったが、ヴィトラルといえばこの国ヴィーオスの王都。国王陛下がおわす都。ティエラからは、山を二つも三つも、いやそれ以上越えた先にある。ヴィトラルに行ったこともないが、歩いて十日はかかると聞いている。そんな遠方に知り合いなどいない。
「うん。エルくんに頼みたいことがあるんだとか」
「頼みたいこと? どんな?」
 わざわざヴィトラルから出向いて、ティエラのような田舎町に住む俺みたいなごくごく平凡な庶民に、いったい何を頼むようなことがあるっていうんだ。
 もしかして、うちの酒を買いたいというのか? もしそうだったらありがたい話だけど、うちは単なる小売店だから、ヴィトラルからわざわざ酒を買いに来る必要なんかない。王都の方が、よほど品数も量も豊富に揃っているだろう。それでも、俺には想像もつかない理由で、どうしてもうちの店で酒を買いたいというなら、断る理由はない。母さんも売り上げが少しでも上がれば、喜ぶだろうし。いや、しかしうちの商品を買いたいというなら、俺よりは母さんに頼んだ方がいいんじゃないか。店を仕切ってるのは母さんだし。
「どうもねぇ。うちの子に関係しているみたいなんだよ」
 おじさんに子供は一人しかいない。ユマだ。
「だから、エルくんを知っているということもあって、ぼくがエルくんを迎えに行くことになったんだよ」
「はあ、そうなんですか」
 どうやら、うちで酒を買いたいというわけではないらしい。そんなことがあるはずないとは分かっていたものの、ほんの少しだけ期待してしまったので、その分だけがっかりする。が、これでいよいよ俺にどんな用があるのか分からなくなってしまった。俺に用があると言いながら、どうしてそれがユマにも関係しているのだろう。まったく分からない。
 どういう用件であればユマも関係してくるのか考えている間に、役場に到着していたので、俺はそれ以上考えるのをやめた。これはもう、直接会って聞く方が早い。
 おじさんの案内で、俺は役場の入り口からほど近い、扉の横に応接室と書かれた札のある部屋へ入った。
 俺の膝にも届かないくらい背の低い机を挟むように、両側に一人がけのソファが三つずつ並んでいた。入り口から見て机の左側に、二人の先客がいた。つまりは、彼らが遠路はるばるヴィトラルから俺を訪ねてきたという、謎の――思い当たる節がないのだから、謎以外なんでもない気がする――お客だ。そして、その二人の組み合わせに、謎はいっそう深まる。
 一番手前に座っているのは、年は俺と同じくらい、あるいは一つか二つ下の、若い兵士だ。動きやすさを重視した鎧を着込んでいる。その左隣、真ん中のソファに座っているのは、齢六十は超えているだろう、老婆だった。若い兵士の祖母なんだろうか。しかし、兵士に見覚えはない。そんな兵士と祖母が二人して俺を訪ねてくるなんて、ますます謎だ。
「すみません。お待たせいたしました」
 俺を先に部屋に入れ、あとから入ったおじさんが扉を閉める。人の好い笑顔でおじさんがそう言っている間に、若い兵士は勢いよく立ち上がって、俺たちの方を向いてビシッと敬礼した。
「恐れ入ります、インリングさん」
 狭い室内に、鍛えられて身に付いたのであろう、明朗な声が響く。配達を終えた気怠さをそのまま声にして、いつも母さんから小言を言われる俺とは大違いにハキハキとした喋り方だ。母さんがこれを聞いたら、「おまえも軍に入ったらどうだい」なんて言い出しそうだ。
「いいんですよ。仕事ですから」
 おじさんの仕事は、確か今は会計課のはず。市民を迎えに来ることは、多分業務のうちじゃないと思う。しかし、俺を訪ねてきた相手は国軍の兵士。おじさんが迎えに来るわけだ。ようやく疑問がひとつ解決したが、兵士が祖母と一緒に訪ねてくる理由までは分からない。
 兵士はそれから、敬礼したまま俺の方に視線を移す。
「わたしはヴィーオス国軍第一大隊ヴィトラル本部第一小隊は第三分隊所属の一等兵、ヒエラ・ソーニックです」
 型どおりの敬礼に、たぶん型どおりの自己紹介。ティエラに兵士は常駐はしていないから、彼らを見慣れていない俺からすれば、やたらと堅苦しい。そして、肩書きが長い。一が多かったような気はするが、一度聞いただけで一字一句間違えずに憶えるのは、俺の頭では無理だ。とりあえず、国軍兵で名前はヒエラ・ソーニックだということだけしか覚えられない。いや、兵士なのは格好から一目瞭然だから、結局名前だけか。
「エルトック・ウィラライカさんにお頼みしたいことがあり、ヴィトラルから参りました。前触れのないご訪問を、お許しください」
 ハキハキした声で、俺が未だかつて経験したことのないような堅苦しいが丁寧な自己紹介をされた上に、深々と頭まで下げられてしまう。なんだってこんな丁重な扱い方をされるんだ。俺に頼みたいということも分からないから、混乱するばかりだ。
「ど、どぉもはじめまして……俺が、エルトック・ウィラライカです、けど」
 ヒエラに比べれば、彼の声と態度に気圧されてしまっている、なんとも情けない自己紹介である。
「わたしは、ルーイン・ヴァーロ。ヴィーオス国王陛下付きの、占術師です。以後、お見知りおきを」
 すっと立ち上がり、ヒエラに比べたらずいぶんと控えめな、しかしやはり丁寧な口調で名乗り、腰を折る老婆を見て俺は絶句した。
 誰付きの、なんだって? 
 俺はあわあわと口だけ動かし、おじさんを見る。もう自分の置かれた状況について行けないというか、混乱の絶頂に達しそうだ。俺の聞き間違いでなければ、ルーイン・ヴァーロと名乗ったこの老婆――いやいや、お婆さんは、国王陛下の側に侍っているはずの人なのだから。こんな田舎町にいていいはずがない人だ。
 そのうえ、占術師。昔ユマから聞いたことがあるが、占術師も立派な魔女だという。未来を見通したりする能力に長けた魔女を特に占術師と呼ぶのだと、ユマが話していたことがある。
 ユマ以外の魔女を見たのは、ルーインさんが初めてだった。陛下のお側に仕えている人だけあって、雰囲気からしてユマと違う。ルーインさんなら、隣人の息子に魔法や呪いなんてかけたりしないだろうな。
 魔女でもいいから、せめてユマもルーインさんみたいに控えめだったらな、なんて儚すぎて夢見ることさえ叶わないような希望と失望を、俺は同時に抱えてしまったが、おじさんはルーインさんの正体を既に知っているから驚かないのか、それとも生来のおおらかな気質のせいなのか、じゃあ自己紹介も終わったから座ってお話ししましょうか、なんていつも通りの口調で、俺にソファを勧める。おじさんに勧められるまま、右側の真ん中、つまりルーインさんと向かう位置に座らされた。
「インリングさんから先程うかがったのですが、ウィラライカさんはユマ・インリング嬢と親しいとか」
 ルーインさんの身上を考えれば、ヒエラは彼女の護衛――たった一人しか付いていとは、ずいぶん少ないと思うが――だろうに、話を切り出したのは意外にもヒエラだった。
「はあ」
 お隣同士の幼馴染みで歳が一緒ということもあり、小さい頃は毎日のように遊んだものだ。今では、時折ユマが一方的に訪ねてきて、失踪直前の時のように、俺にろくでもない魔法だか呪いだかをかけるという関係になっていて、親しいといえるかどうか微妙になってきているような気もするが、おじさんの前でまさか正直に言うわけにもいくまい。
「では、この字に見覚えはおありですか?」
 ヒエラは、大して歳の変わらない俺にとにかく丁寧な口調で話す。普段そんなことに慣れていないから、居心地が悪くて仕方がないし、恐縮してしまうのだが、とりあえずそれは顔には出さず、ヒエラが机の上にすっと差し出した、白い紙切れを見た。
 手に取って見ていいものかどうか迷い、ヒエラを見る。ヒエラが俺の意図を察し、どうぞと言ってくれたので、俺は机の上の紙を手に取った。おじさんが、隣から俺の手元をのぞき込む。
 紙は、俺の掌より一回りくらい大きいくらい。直線的ではあるが、四角い頭があって、四角い胴体があって、細長い手足がついている。そんな形だ。どうも人に似せてあるか、見立てているらしい。が、紙は厚紙ですらない。陽に透かせば影となってその向こうのものが見えるくらいの薄さだ。握りつぶして付いたようなシワがあり、なんだかくたびれている感じがする。だが、問題は胴体部分に書かれた文字である。
 ヒエラは見覚えはあるかと訊いたのだが――あいにく、俺はその字に見覚えがあった。おじさんも。
「これ……ユマの字だね」
 ユマの字に違いない。俺もそう思ったし、おじさんもそれを認めた。ユマの字が書かれ、人の形をした紙を、どうして王都にいる兵士が持っているのかという素朴な疑問もあるが、それ以上にそこに書かれている内容について、俺は誰でもいいから訊きたかった。

〈ティエラの酒屋の息子、エルトック・ウィラライカに伝えよ。わたしは待っていると。〉

 ユマの、少しだけ乱雑な文字。ユマの字だから、それだけの短い文章からでも、ユマの声が聞こえてくるような気がした。無表情に、無感情に俺に向けて。
「……なんです、これ?」
 文面をそのまま受け取るならば、ユマが俺を待っているということなのだろうが、おじさんやおばさんにも行き先を告げずにどこへともなく飛び出していったのは、ユマじゃないか。待っているということは、迎えに来いか探しに来いかのどちらかだろう。自分から出ていったくせに、いったいどういう了見をしているんだ、あいつは。
「その白い紙人形が、実は最近王都のあちこちに出没していまして」
 それまではハキハキとしていたヒエラの声に、ふとかげりが見える。心なしか、表情も曇っている。この紙人形のことで、なにかイヤなことでもあったんだろうか。
「出没、というのはどういうことですか?」
 ヒエラの正面に座っているおじさんが、俺と同じようにヒエラの様子が変わったことを訝しむ。
「言葉の通りです。その紙人形は、夜な夜な、群をなして王都中を徘徊しているんです」
 ヒエラはその光景を見たことでもあるのか、もはや顔面は蒼白である。しかし、明らかに怯えているヒエラには悪いが、この紙が大量にあったところで、俺はそれほど怖いとは思わないし、思えない。だって紙だぞ。
 それにしても、その話、なんだかごく最近にどこかで聞いたような気がするな。
「この紙人形は、もしかして動くんですか?」
 ヒエラの恐怖は、おじさんにもイマイチ伝わっていないらしい。おじさんは、俺がいまだに持っている紙を見た。俺もつられて見る。なんの変哲もない紙切れにしか見えない。これが、自分で動いて歩き回るというのか。ああ、でも。ユマがこの紙人形を魔法で動かしているということはあり得る。
 子供の頃、ままごとをする時に人形やぬいぐるみに、ユマが魔法をかけて動かしていたことがあったっけ。お父さん役はたいてい俺だったのだが、『反抗期まっただ中の娘』という役割を振られた熊のぬいぐるみに追いかけ回されたことがある。
「動くんです。恐ろしいことに!」
 イヤなことを思い出してしまったが、その時の俺が体験した恐怖に比べれば、紙人形が動いたところで恐るるに足りるとは思えない。ヒエラは心底恐ろしいと思っているらしく、口調は強いが声がわずかに震えている。一方、おじさんの方を見ると、やはりおじさんも恐ろしいとは思っていないらしく、なんと相づちを打てばいいのか困っているようだった。
 俺もおじさんも、ユマのおかげで、動く無生物は見慣れている。しかし、普通に考えればやはり動くはずのないものが動けば、不気味だろうな。おじさんの家のドアは、人が来たら勝手に開いて勝手に閉まるから、ユマのしたことにしては、あれは結構便利だと思うんだが。
 いやいや、今はそんなことじゃなくて、なんでユマが紙人形を、しかもわざわざ夜の王都に放っているかということだ。この紙人形に書いてあることもそうだが、魔女の考えることはいちいち俺の理解を超えているから、さっぱり目的が分からない。
「最初は、ヴィトラス城内の中を徘徊しているだけだったのが、いつの間にか城下にも出るようになっていて。徘徊するだけで悪さはしないけれど、やはり紙人形が、それも集団で徘徊しているということで、不気味に思う民が多いのですよ」
 補足するように、ルーインさんが言った。ルーインさんは、なんとも穏やかな口調でヒエラのように怖がる素振りも見せない。この場で紙人形が動く、という事実を怖がっているのはヒエラだけだから、なんだかヒエラの方が異常に見えそうだが、実際はルーインさんの言う通り、不気味に思う人の方が多いのだろう。しかし、まずい。それじゃあ俺の感性は普通じゃないってことか?
「紙ですから、隙間を通ってどこにでも現れるようでしてね。つい先日、とうとう陛下のご寝所にも現れて。それを親衛隊の者が捕獲したので事なきを得ましたが。まあ、元から悪さをするものではありませんでしたが、そのうちの一体に、文字が書いてあったのです」
 俺は内心、飛び上がりそうになった。ユ、ユマ。紙人形を恐れ多くも陛下のご寝所にけしかけるなんて、なに考えてるんだ、あいつは!
「それが、この紙人形というわけですね」
 おじさんは相変わらずののほほんとした口調である。おじさん、あなたの娘が陛下に無礼を働いたかもしれないっていうか、ほぼ確実に間違いないっていうのに、どうしてそんなにのほほんとしていられるんですか。
「うちの娘がとんだご無礼をいたしまして、大変申し訳ありません」
 おじさんは、今までの人の好い笑顔を消して、座ったままではあるが深々と頭を下げた。そんなおじさんを見るのは初めてだから、俺は面食らってしまう。しかしいつものほほんとしたおじさんが、こんな顔をするんだ。やっぱりユマはとんでもないことをしでかしたんじゃないか。
「陛下はお気になさっていらっしゃいませんから、大丈夫ですよ」
 なんて心の広いお方なんだろう。俺はおじさん以上にホッとして、胸をなでおろす。おじさんはもう一度、謝っていた。いや、これは感謝の意を伝えているのか。
 ユマのせいでおじさんまでしょっ引かれるんじゃないかと頭によぎったけど、幸いなことにおじさんもユマもお咎めはなさそうだ。
「けれど、城下の民が不安を感じているのはやはり心苦しいということで、陛下は事態の解決を望んでおられます」
 ルーインさんが少しだけ眉をひそめた。
 嫌な予感がする、とはこういう時のことを言うんだろうか。悪いことがすぐそこまで迫っているのに逃げられないような、もやもやとしたものにがっちりと身体を捕まえられたような奇妙な感覚が、突然俺を襲う。
「そして、この事態を解決できるのは、エルトックどの。あなたしかいないのです」
 ああ、やはり王都からのお客さんたちは、うちの店のお客さんだったんだ。つまり、王都中の人たちを酒に酔わせて、紙人形なんか蹴散らせてしまえと……。
「エルくん?」
 王都まで酒を運ぶ手間賃を差し引いた儲けはいくらだろう、なんて計算を始めようとしていた俺を、現実にやんわりと引き戻してくれるおじさんの声。想像もつかない理由とはこれだったのかと納得しかけていた俺は、仕方なく現実に戻ってきた。大丈夫だとおじさんには目で伝え、改めてルーインさんを見る。
「あの、どうして俺しかいないんですか」
 事態の解決と言ったところで、要は紙人形の徘徊を止めればいいだけのことだろう。兵士たちが紙人形を捕まえれば、それで終わりだ。俺じゃなくても、誰でもできる。
「その紙の軍勢……」
 と、ルーインさんはいまだに俺が持っている紙人形を指さす。その場にいた全身の視線が、俺の手元に集中する。この紙が大量にあったところで、紙の束と言った方が軍勢よりしっくりするな、なんてどうでもいいことを考えながら、ルーインさんの言葉を待つ。
「それは、歴史から忘れられて久しい『魔王』が送り込んできたものです。『魔王』を倒さない限り、紙の軍勢の徘徊は続き、ヴィトラルの民が安眠できる日は訪れません。その『魔王』を倒せるのは『勇者』だけです。そして――」
 ルーインさんは一旦言葉を切り、俺を見た。俺以外の三人の視線が、俺の顔あたりに集中する。
「エルトックどの。あなたこそが、その『勇者』なのです」
 俺はどこを見ればいいのか分からず、俺を見る三人の顔を代わる代わる見返していたのだが、耳を疑うような言葉を聞いた瞬間、俺の視線はルーインさんの真剣な顔に固定されていた。

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(C) Nagasaka Danpi 2006-2009