第三話 勇者は酒屋の息子さま 03
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「勇者どの。どうか魔王を倒し、ヴィトラルに平和な夜を取り戻してください」
 ルーインさんは真面目で、真剣な目で俺を見ている。俺はそんなルーインさんの顔を、凝視するように見返していたのだが、彼女の言葉をすんなり耳に入れることができなかった。いや、入れたとしても俺の頭は受け付けない。
 誰が魔王で、誰が勇者だって? 
 まるで、ポリナーさんたち主婦の噂話と同じくらい、突拍子もないし信憑性もかなり薄い話じゃないか。そういえばヴィトラルに出る紙の軍団の噂は、奇しくも今日ポリナーさんに――その時は謎の軍団だったけど――聞いたのだったということを、俺はなぜだかいま思い出した。ヒエラを見る限りでは、確かに住民は恐怖におののいているのかもしれないから、珍しくわりと本当らしい噂だったわけだ――じゃなくて。 
 今はもうそんなことはどうだっていい。ルーインさんの言っていることは、俺からしてみれば、いつものポリナーさんの噂話と大差ないのだ。ルーインさんが陛下付きの占術師とはいえ、いきなり勇者とか魔王とか言い出したのでは、嘘くさい。嘘くさいのだが、仮にもユマが魔女で、ヴィトラルの住民を困らせていることに間違いはなさそうだから、そこはかとなく真実味がありそうな気がしないこともない。
「あの、エルくんが『勇者』というなら、もしかして『魔王』はうちの娘なんでしょうか」
 頭の中はいつになく活発に働いているのだが、端から見れば固まっているようにしか見えない俺に代わり、おじさんがルーインさんに尋ねた。のんき者のおじさんの顔にも、さすがに驚愕の色が浮かんでいる。
「そうです」
 ルーインさんの答えに、ユマは魔女じゃなくて魔王だったんですね、なんて馬鹿なことを言い出しそうになったのを慌てて抑え、俺はなぜだか立ち上がっていた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
 空からトカゲが降ってくるくらい俺は驚いていたもんだから、どもってしまう。おじさんも俺と同じくらい驚いていたはずなのになんとも格好悪いが、今はそんなことに構っていられない。
「どうして俺が勇者なんですか」
 ユマは元から魔女なんだから、魔王になることだってあるのかもしれない。いや、魔女と魔王の違いがなんなのかはよく分からないんだが。でも魔女よりは、『王』の付く魔王の方が偉そうだし凄そうな気はする。ユマなら、それくらいの者にそのうちなったっておかしくないと思わなくもない。おとぎ話に出てくる魔王は悪逆の限りを尽くしたりしているから、そのへんはあのユマにはそぐわないけど。でも、俺が勇者だというよりはずっともっともらしい。
 そうだよ。どうして俺が勇者なんだ。俺は単なる酒屋の息子で、魔王どころか何かと戦えるわけもない。剣だって握ったこともない。おとぎ話に出てくる勇者は、ヒエラが着ているのよりもずっと重そうで頑丈そうで高価そうな鎧で身を固め、伝説の剣だかなんだかうさんくさくも凄そうな剣を振り回して魔王と戦っている。同じことをしろと言われたって、無理だし、やりたくない。そんな俺が、どうして勇者。
「エルトックどの。あなたはそういう運命の元に生まれたのですよ」
 ルーインさんは、まるでおとぎ話に出てくるような常套句(じょうとうく)を、さらりと言ってのけた。ルーインさんは未来を見通す力を持つという占術師とはいえ、運命なんて実在するんだかしないんだかすら怪しいモノのせいにしないでほしい。ルーインさんの言ったことが、本当か嘘かも確かめようがないじゃないか。
「いや、何かの間違いですよ」
 そのうえ、反論のしようがない。間違いと言うのが精一杯だ。力が強いからとか、足が速いからとか、髪が赤いからとか言ってくれた方が、まだ反論のしようがある。俺よりもっと凄い奴がいるからそいつに頼んで、と言えるのに。
「いいえ、間違いではありません。魔王もあなたを勇者と認めているのですから」
「は?」
 勇者ってのは、魔王に認められないと名乗れないものなのか――じゃなくて、魔王は自分を倒す奴をわざわざ認めてやるのか――でもなくて!
 もしかして、俺はユマのせいで勇者とやらをやらなければいけないのか?
 俺はまだ手に持っている、いつの間にか握りしめていたせいでクタクタになっている紙人形を見た。ユマが魔王で、そのユマが俺を待っているとこの紙人形に書いたことが、つまりは魔王が認めているということの証なのだとすれば。
 勇者は魔王のせいで登場したってわけじゃないか。矛盾してないか、ユマ。いや、魔王? いやいや、この際どっちだっていい。ユマが本当に魔王だというなら、同じことだ。とにかく、どうして魔王の天敵であるだろう勇者の存在を、わざわざ認めているんだ。本当に、魔女の考えることは分からない。それとも魔王になってしまったから、ますます俺には意味不明なことをし始めたんだろうか。どっちにしても分からないのは同じだが。
「お願いです、エルトックどの。いえ、勇者どの。ヴィトラルの民のために、魔王を倒してください」
「いや、あの、勇者って……ユマがこんな紙人形を作ったから、俺が単に勇者として認められたように見えるだけで、実際に勇者ってわけじゃないでしょう?」
 運命云々よりは、魔王に認知されているか否かの方が、反論しようがある。そうだ。この紙人形を隠滅すれば、俺が認められたという証拠もなくなるじゃないか。あとでこっそり処分しようと、俺は密かに決意する。
「いいえ、勇者どの。それすらも運命として定められたこと。あなたは勇者として生を受け、そして魔王もそれを認めたのです」
 ルーインさんはひたすら真剣な面持ちだ。嘘や冗談を言っているようには見えないのだが、さり気なく俺を勇者と呼ぶのはやめてほしい。なんでも運命で片付けてしまうのもやめてほしい。ルーインさん、もっと落ち着いて考えてくれよ。これは絶対、ユマのせいだ。運命のせいじゃない。
 そうだよ、ユマのせいじゃないか。あいつは行方不明になってまで、俺に何かをすることを忘れないのか。しかも俺以外の人も巻き込む新手のやり方だ。たちの悪さがいつもの比じゃない。
「あの、ルーインさん。別に勇者とか魔王とかいう言葉、使わなくてもいいんじゃないんですか?」
 ユマがいつものように、何かの魔法の効果を試すためにやっていることだとしたら、いつになくはた迷惑であるが、勇者と魔王なんて言葉を持ち出す必要はない。ヴィトラルの住民に迷惑をかけてはいるものの、ユマに紙人形を操ることをやめさせれば問題は解決だ。
 ところがルーインさんは首を横に振り、やっぱり俺の言葉を否定する。
「勇者どの。あなたは魔王を倒し世界を救わなければ、死んでしまうのですよ」
「え」
 それはもしかして。
 もしかして、この間、具体的には行方不明になる直前に、ユマが俺にかけてしまった――しまった、じゃないような気もするが――という、『世界を救わなければ死んでしまう』呪いのことだろうか。どうしてルーインさんは、そんなことを知っているんだ。というか、ヴィトラルの住民が眠れないだけで、その呪いは発動しちゃっているのか、もしかしなくて。
「それはいったいどういうことですか?」
 おじさんはユマが俺に呪いをかけたことを知らないのか、はたまたその内容は知らないのか、怪訝そうな顔をしている。それは、俺の身の上に起きたことなどまるで知らないヒエラも同じだった。
「勇者どのは、そのような呪いをかけられているのです」
「ええ! 勇者どのは呪われていたんですか」
 ヒエラまで、さり気なく俺を勇者呼ばわりしている。頼むからやめてくれないか。なんか恥ずかしい。まだウィラライカどのとか、エルトックさんとか言われている方がいい。
「エルくん、そうなの?」
 おじさんが少し心配そうな顔で、俺を見上げる。
「う……いや、その、なんというか」
 その呪いをかけたのは、おじさんの娘で魔王になりつつあるらしいユマなんですよ、なんて面と向かっては言いにくい。
「その呪いは、魔王を倒さない限り決して解けることはなく、確実にあなたを蝕(むしば)みます」
 まるで脅すように、ルーインさんが今までの穏やかな表情を消して言う。俺を蝕むってことは、このままじゃ俺は本当に死んでしまうってことなのか?
「あの、呪いって……このままだと、いつ、その」
 呪いのせいで、俺はいつ死ぬのだろうか。あと何十年後か、十分に生きたと思う頃ならともかく、まだ二十年も生きていないうちから自分の死期を尋ねるなんて不吉なことを、よもやすることがあるとは思わなかった。不吉だけど、とても気になる。
 だいたい、救わなければってことは、救われていない状態だったら、そのままぽっくり死んでしまう可能性もなきにしもあらずなんじゃないのか。その呪いが完全に働いて俺が死んでしまうタイミングって、いったいどこだ。いやそれ以前に、安眠妨害が世界の危機になるのかが問題だ。確かに眠れないのは問題だけど、それが世界の危機かと言えば違うだろう、普通。
 けど、安眠妨害も世界の危機だとしたら、このまま放っておいたらユマのせいで、俺はいずれ死ぬってことか? もし母さんやおじさんたちが、それを知ったらいったいどうなってしまうんだ。ユマもどうなるんだ。死ぬに死ねないじゃないか。いや、そもそもまだ死にたくもないんだが。
「魔王を倒すために旅立ちなさい、勇者どの。あなたに、魔王を倒し世界を救う意志がある限りは、死ぬことはないでしょう」
 やっぱりヴィトラルの住民の安眠を取り戻すことが、世界を救うことにつながるんですか、ルーインさん。
 しかし魔王を倒せと言われたって、正直困る。いきなりそんなことを言われて困らない方がおかしいだろう。勇者だ魔王だと言われている時点で、俺はそれをまず拒否したいが。
 それに、俺がユマに倒されるところなら想像できるし、実際にやられたことは数え切れないほどあるが、俺がユマを倒すところは想像できない。どうやればいいかも分からない。分かっていたら、たぶんとっくの昔にやっていた。それよりやっぱり、安眠できないのはそりゃ大変だろうが、それが本当に世界の危機なのか、怪しいところだ。むしろ、ヴィトラルの住民が安眠できない代わりに俺が永眠することの方が、よっぽど危機じゃないのか。他人には危機じゃなくても、俺にとってはまさに人生の危機だ。
 いやいや、待てよ。そういえば、出て行く直前のユマが、「世界を救えよ」とか言っていたような気がする――もしかして、あいつは俺にかけた呪いを解くために、紙人形を操って徘徊させているのか? ユマはやると言ったことは必ずやるが、ユマが考える世界の危機って、その程度なのか? いや、人死にとか出たらしゃれにならないから、むしろこの程度のことが『世界の危機』になる方がいいのかもしれないが……結局、俺のためというか俺のせいというか、もとをたどればユマのせいではあるのだが、さすがに俺が無関係を通すわけにもいかないじゃないか。
 だから、別に何もしなくていいんじゃないのかって言ったのに。あいつめ。
 俺は証拠隠滅しようと、掌の中に握りつぶしていた紙人形を見た。待っているという、ユマの言葉。迎えに行かない限り、ユマはこんな馬鹿なことをやめるつもりはないらしい。まったく、仕方がない。
「……分かりました」
 いい歳して、迎えが来ないと帰れないなんて。おじさんもおばさんも、のんきに構えてはいるけれど、ユマが何か妙なことをしていると知れば、さすがに今まで通りにのんびりユマの帰りを待つことはできないだろう。おじさんたちのためにも、ヴィトラルのためにも、俺が迎えに行くしかないらしい。そして、本当に発動しているのかどうか疑わしいが、呪いを解くためにも――。

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