第三話 勇者は酒屋の息子さま 01
/ / 目次 / HOME /

 敵うはずがない。
 ルーイン・ヴァーロは机の上の白い紙切れを見下ろして、呆然としていた。
 こんなものを生み出せる者に、たかだか占術師の自分が敵うはずもない。いったい何故、こんなことになってしまったというのか――。
 彼女はしわだらけの顔に、更にしわを作り苦悩の表情を浮かべた。なんとか最善策を考えようとするが、白い紙切れの存在を見れば、それらはどれもこれもまるで役立たずなものに思えてくる。
 ほとほと困り果てた彼女の前に、白い影がぼんやりと姿を現したのはそのときだった――。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「それでね、ヴィトラルはもの凄い騒ぎらしいのよぉ」
 井戸端会議をする主婦特有の、興奮した口調そのものでしゃべり続けているのは、ポリナーさんだ。
 ポリナーさんは夫婦で居酒屋を経営していて、店で提供する酒の大部分をうちで購入してくれている大事な常連客だ。そして、配達に出向いた俺に、毎回必ずこうして長々と噂話をする話し好きな人でもある。俺としては、早く次の配達先へ行きたいのだが、常連客の機嫌を損ねるわけにもいかず、毎回律儀に彼女の噂話を聞いている。しかしそのせいで、ポリナーさんは俺が噂話を聞きたいのだと勘違いし、あれこれと別に聞きたくない話をしてくれるという悪循環に陥っている。ポリナーさんは悪い人ではない。愛想も気前もいい居酒屋さんだ。ただ、噂話が好きで、話すことも好きなだけだ。店の客にもこうして噂話をしているらしい。彼女は話すのが好きなのであって、話を――真剣に聞いているかはさておき――聞いてくれる相手がいれば、それでいいのである。相手の返事をそもそも求めていないのだから、自分の話したいことを話し終えれば、それで満足なのである。
 俺は時折、「はあ」とか「そうですね」と、果てしなく適当な相づちを打ちながら、最近ティエラの上空を鳥よりもずっと大きな謎の黒い物体が飛んでいるという噂から始まった、土砂降りの雨のように降り注ぐポリナーさんの話を適当に聞いていた。彼女は一方的に話すのが好きだが、相づちを打つことを忘れてはいけない。相づちを打つことなく彼女の話を聞いていたら、聞いていないのだと勘違いされ、同じ話を繰り返し聞かされる羽目になる。一方的に話すのが好きなわりに、適度な相づちも欠かせないのが困ったところである。
「なんていうの? 阿鼻叫喚(あびきょうかん)のさながら恐ろしい冥府のような、といえばいいのかしら?」
 そりゃすごいですね、と俺はやはり適当な相づちを打つ。王都ヴィトラルでそんなおどろおどろしいことが起きているところを想像してみようとするが、してみたところで現実味がないのが今の世の中である。
「とにかくもう、ヴィトラルに住む老若男女はみんな震え上がって、夜はおちおち眠ることができないそうなのよ。怖いわねぇ」
 と言うわりに、ポリナーさんが怖がっている様子はない。むしろ、普段とは毛色の違う噂話に喜んでいるように見える。
「ホントですねぇ」
 俺の適当な相づちに、ポリナーさんが本当にそうなのよ、とあたかもその眼で見てきたかのようにしゃべり続けた。
 なんでも最近の王都ヴィトラルではすごいことが起きているらしい。夜な夜な、謎の軍隊が王都中を徘徊しているらしい。この平和な国にも軍隊はあるが、それとは違う軍隊らしい。かといって、どこかよその国の軍隊というわけでもない謎の軍隊で、彼らに遭遇したが最後、無理矢理仲間に引き込まれて夜な夜な王都を徘徊する羽目になるのだとか。
 そのおかげで、ヴィトラルでは日没後は誰一人として外を出歩くことがないという。新たな仲間を取り込むことのできないその謎の軍隊は、最近ではとうとう民家の中に現れて仲間を増やそうとしており、夜は誰もが怯えて眠ることができないそうだ。
 仲間にされたかどうかなんてどうやって分かるんだとか、軍隊なんていかにも目立ちそうな連中が昼間はどこに隠れているんだとか、なんで徘徊してるだけなんだとか、なんだかつっこみどころの多い噂ではあるが、もしその噂通りだとすれば、王都ではとんでもないことが起きているわけだ。
 しかし、長いこと平和な時代を過ごしているこの国で、そんなことが本当に起きているのかという疑問の方が、先に立つ。ティエラとヴィトラルは、その間にいくつもの町を挟んでいるから、噂にはずいぶん尾ヒレも背ビレもがついているのだろう。もしかしたら、ポリナーさんが独自の解釈を加えているかもしれない。ポリナーさんならやりかねないし、そうだとすれば、更に尾ヒレのついた噂を聞かされているわけで、俺としてはますます噂の信憑性に疑問を持たずにはいられなかった。敢えてそれを口に出そうとは思わないが。ますます話が長くなるし。
「エルトック……なんだか、適当な相づちというか、上の空ねぇ?」
 噂話はそこでひとまず終わりのようだが、俺の相づちが気に食わなかったのか、ポリナーさんが眉間に少ししわを寄せる。やばい。適当なのはいつものことなのだが、今日の話はあんまり嘘くさかったから、いつもよりもっと適当な相づちになっていたのかもしれない。こんなことで大口の常連客の不興を買うわけにはいかない俺は、慌てて取り繕った。
「そんなことないですよ。ティエラでもそんなことが起きたら怖いなぁと思ってですね。夜、出歩けなくなったら俺やポリナーさんの商売あがったりだし、寝不足になるのはイヤだし」
 あたふた言い訳を始めた俺を見て、ポリナーさんは表情を一変させる。何故か、にんまりと笑っていた。ポリナーさん、ここって笑う場面? 呆れた、というような顔でもないので、ポリナーさんがそんな表情を浮かべるのは不可解だった。
「ははぁ、そうよねぇ。寝不足になったら困るものねぇ。今でも寝不足なんだものね、エルトックは」
 ニヤニヤ笑いながら俺を見るポリナーさん。そのポリナーさんを、わけの分からない顔で見返す俺。どうして、俺は今寝不足なんだ。そんなに眠そうな顔をしていただろうか。
 自慢じゃないが、配達し終えた後はほとんど毎日昼寝をする上、夜も早々に寝ることの多い俺が、寝不足になることはほとんどない。
「聞いたわよ。ユマちゃんが行方不明なんですってね」
 さすが噂好きなポリナーさん。知っていたのか。ユマのとこのおじさんとおばさんは、ユマが行方をくらまして半月近く経つ今でも、捜索願を出していないのに。
 ユマのことが心配じゃないのかと逆に俺が心配になっておばさんに聞いてみたら、「あの子ならどこへ行っても大丈夫よ。あの子に誰かがひどい目に遭わそうとしても、三倍返しをくらうしね」とにこにこしながら言っていた。三倍どころじゃすまない気もするが、確かに、ユマは昨今では珍獣以上に珍しい魔女だから、そのユマに不埒な真似をしようとしても返り討ちに遭うのが関の山。俺はそれを身をもって知っているから、納得してしまった。それに、魔法が使えるからどこへ行ってもどうにかなるだろうと言うことらしい。
 なんともユマの両親はおおらかだ。おおらかすぎるから、ユマがあんな風に育ったんじゃないかと思わなくもないが、隣人と言うだけで赤の他人の俺に良くしてくれるおじさんとおばさんに悪いから、ユマのことで二人に文句を言ったことはない。しかしそれが、ますますユマをつけあがらせることになっているんじゃないかという悪循環が……。
 いやいや、悪循環はもういい。今はユマの話をしているところだった。
 しかし、どうしてここで、ユマの話が出てくるのか分からない。
「知ってたんですか」
「知ってるわよ、もちろん。いつもお世話になってるエルトックのことじゃない」
 後半の台詞はありがとうございますなのだが、どうしてそれとユマの行方不明が繋がるのだろうか。
「ユマちゃんのことが心配で、夜も眠れないんでしょう」
 わたしはなんでも知っているのよ、という顔でポリマーさんがしみじみと同情する声で言うが、俺の頭はポリナーさんの言った言葉の意味を理解するのに、しばらく時間がかかった。そして、時間をかけても理解できなかった。
「はあ?」
 結果、なんとも間抜けな声をポリナーさんに返すこととなってしまう。しかし、ポリナーさんは、それを肯定と受け取ってしまったらしい。
「大丈夫よ。ユマちゃんは強い子だもの。きっとどこかで元気にしているわよ。ただ、何か深い理由があって帰ってこれないだけなのよ。だからね、エルトック。元気を出して」
 ポリナーさんは俺の肩をバンバン叩き、励ましてくれる。
「あのぉ……」
 ちょっと強く叩きすぎですよ――じゃなくて、もしかしてポリナーさんは、俺が行方不明のユマを心配するあまり、夜も眠れず寝不足になっていると言いたいのだろうか。いや、そう言っていったな。俺はようやくポリナーさんの言った意味を理解した……じゃなくて!
「ポリナーさん。あの」
 激しく誤解されている。
「ユマちゃんはとっても綺麗な子だものね。そんな自慢の彼女が行方不明になったら、そりゃあ心配で心配で、夜も眠れず寝不足になるでしょうけど」
 ものすごく激しく誤解されている。俺とユマは、幼馴染みであるという以上の関係はない。断じてない。何に誓っても本当だ。そんな関係すら、解消したいと思っているくらいだ。いくらユマが美人だといっても、俺は魔女を彼女にしたいとは絶対に思わない。
「信じることが大切よ、エルトック。ユマちゃんはきっとあなたの元に帰ってくるわよ」
 とんでもない方向に誤解したままのポリナーさんは、力強く俺を励ましてくれた。
 俺の元より、ユマは両親の元へさっさと帰った方がいいと思うんですけど、などという俺の心の声がポリナーさんに聞こえるはずもなく――そもそも声に出しても聞いているかどうか――ポリナーさんは、それじゃあ今日はご苦労様と、財布から酒代を取り出して俺に渡した。
「エルトック。落ち込んじゃダメよー!」
 金を受け取り、のろのろと次の配達先へ向かう俺の背中に向けられた、ポリナーさんの温かい声。ポリナーさんのおかげで落ち込んだ俺は、どうやったらこの誤解が解けるのか考えながら、とぼとぼと居酒屋を後にした。そんな態度が、ますますポリナーさんの誤解を煽るということに気付きもせず。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 それから、いくつかの店やお宅を回って配達を済ませた俺は、重い足取りで家路についた。俺に噂話や世間話をしてくるのは、なにもポリナーさんだけではないから話を聞くだけでも結構疲れるのだが、今日は誤解したポリナーさんの温かい励ましのおかげで、いつも以上に疲れていた。疲れていたが、俺の頭は今も全力で動いていた。
 まずい。このままでは、ポリナーさんの誤解がさも事実であるかのように、ご近所の主婦の間に広がってしまう。主婦の情報伝達能力は恐ろしい。伝わるのが早いうえに、その過程でどんどんどんどん、これでもかと尾ヒレがついていく。はやいとこポリナーさんの誤解を解いておかないと、半月後には俺とユマは婚約した、なんて噂が出回りかねない。いや、今はユマがいないから、結婚を反対されたユマが家出したとかいう、俺にとっては悪夢のような噂になるかもしれない。
 それを想像し、俺はぞっとする。しかし、誤解を解こうと話せば話すほど、なんだかますます誤解をされかねない気もする。主婦の思い込みはものすごい。ポリナーさんの中で、誤解とはいえ既に植え付けられた話は、きっと確固たる事実になってしまっている。俺にとってはとんでもない誤解でも、ポリナーさんにとっては事実に違いない。それを覆すとなると、相当な労力がいるんじゃないんだろうか。一方的にしゃべるのが好きなポリナーさんの間隙(かんげき)をついて、どうやって誤解を解くための反論をすればいいんだ。
 どう説得すればいいのか考えるのも一苦労だが、実際にそれをポリナーさんに話さなければならないことを考えると、話す前から気が滅入る。
「ただいまぁ」
 俺は重いため息と共に、店のドアを開けた。
「エルトック。おまえって子は、もっとしゃんとしないかい」
 開けた途端、母さんの小言が俺を出迎える。母さんの声はいつでも威勢がいいから、疲れている今の俺なんか、吹き飛ばされそうだ。本当に吹き飛ばされたとしても、多分母さんから更に威勢のよい小言を浴びせかけられるだけだろう。
「あれ。おじさん」
 おざなりな返事をしてドアを閉めたところで、俺はおじさん――ユマの父親のフィーズさん――がいることに気が付いた。お客さんがカウンターの中の母さんと長話をする時に使う椅子が、いつも置いてある。そこに、おじさんが座っていた。
「ご苦労様。エルくん」
 おじさんは人の好い笑顔を浮かべ、母さんとは違って優しい言葉をかけてくれた。
「あ。どうも」
 いつも買い物にやって来るのはおばさんの方だから、おじさんがうちの店に来ること自体が珍しい。そもそも、ティエラの役場に勤めているおじさんは、この時間帯はまだ役場で仕事をしているはずだ。抜け出して、知人宅とはいえあろうことか酒屋に来るなんて、職場の人にばれたらまずいんじゃないだろうか。それとも、おじさんはユマと違っておっとりしているから、そこらへんは案外ずぼらなのか。ああでも、おじさんは真面目なんだから、仕事を抜け出してさぼったりするような人じゃないはずだ。しかしそれじゃあ、おじさんがここにいる理由がさっぱり分からない。
「珍しいですね。おじさんが来るなんて」
 そうだ。もしかしたら今日は仕事は休みで、母さんの話し相手をさせられているのかもしれない。母さんもポリナーさんほどじゃないけど、話すのが好きだからな。ポリナーさんと違って相づちを打たなくてもしゃべっているから、聞いているふりをすればいいだけで楽といえば楽だが、ばれたら怒られる。その点おじさんは人は好いし真面目だから、母さんの話にも逐一相づちを打って、最初から最後まで聞いてくれる。それで相手させているのかもしれない。もしそうだったら、おじさんに悪いじゃないか、母さん。休みの日なのに休ませないなんて。
「うん。実は、エルくんに用があってね。ここで待たせてもらっていたんだ」
 おじさんは人の好い笑顔のまま言った。
 俺に用事? それはますます珍しい。いや、もしかしたらユマのことかもしれない。おじさんもおばさんもおっとりしていていまだに捜索願を出していないとはいえ、魔女なんてへんてこりんな生き物だけど、おじさんたちにとってユマは掛け替えのない一人娘。いよいよ心配になったのかもしれない。でも、俺に協力できることなんて、そのへんにいないか配達ついでに見て回ることくらいだ。
 なんて俺が一人で先走っていると、おじさんはちょっと困った顔をして言った。
「エルくんに会いたいという人たちが来ていてね。それで、ぼくが迎えに来たんだよ」
 ユマのことではなかったのか。おばさんは大丈夫と言ってはいたが、魔女だけどユマは黙っておとなしくしていれば絶世の美少女。妙なことに巻き込まれないとも限らない。それでも大丈夫と言ってのけるのだから、おじさんたちの娘に対する信頼というか、おじさんたちのおおらかさは、ある意味すごい。
「迎え、ですか」
 そんなおじさんたちに感心しつつ、俺は首をかしげた。いったいどこから俺に会いたいという人が来るんだ。まったく心当たりがない。ただ、来客が来ているという場所は、うちやおじさんの家ではなさそうだ。おじさんが迎えに来たというのだから、役場で待っているのかもしれない。だけど、わざわざおじさんに迎えに来させるくらいなら、向こうがここに来ればいいのに。俺に会いたいというのなら、それが普通ってもんじゃないか。
「そうなんだよ。エルくん、お待たせしいているから、一緒に来てくれるかい?」
「エルトック。そういうことだから、行ってきなさい」
 俺には決定権がないらしい。俺が返事をするより早く、母さんに言われてしまった。おじさんも、それじゃあ行こうかと、椅子から立ち上がっている。まあ、わざわざおじさんが迎えに来たのだから、断る理由もなかったけど。
 俺は集金したお金を母さんに預けると、そのままおじさんと共に店を出た。

/ / 目次 / HOME /
(C) Nagasaka Danpi 2006-2009