第一章 亡国の王女と義手の傭兵02
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 イフェリカの曇った表情を見て、触れてはいけないことだったのだと、ハルダーは気がついた。
「あー、まあ、十分な報酬を払ってくれるんだし、ちゃんと王女様の望みを叶えるよ」
 横目でキシルを見ると、さっきまで威勢のいい表情だった彼女も、どこか暗い顔になっている。キシルのそういう表情は初めて見た。
「ただ、王女様の協力も必要だ」
 引き受けた以上、もちろんハルダーは最大限の努力はする。しかし、彼一人だけが頑張ってもどうにもならないこともあるのだ。
「私にできることでしたら、何なりと」
 イフェリカが曇らせていた表情を引き締めた。
「手配書が出回っているのは、王女様も知っているだろう。なかなか出来がいいから、それと同じ見た目というのはまずい。どうにかできないか?」
 手配書に描いてあるのは、肖像画でも写し取ったものなのか、ドレス姿だ。今はもちろん違う。街中でよく見かける娘と似たような格好だ。動きやすいようになのか、スカートではなくズボンをはいている。
「そうですね……」
 イフェリカはしばし思案したあと、何かを思いついたようだった。鞄の中をあさって短剣を取り出し、鞘を払う。ハルダーが何をするつもりなのか尋ねる前に、下ろしていた長い髪をうなじの辺りで手でまとめて、短剣をそこにあてがった。ハルダーは彼女の意図を察して目を丸くする。
「これで、どうですか?」
 ためらいもせずに髪を切り落としたイフェリカは、ハルダーに小さく微笑んでみせる。
 どうにかしろと言ったのは自分だが、イフェリカの潔さに、感心するよりも驚いた。まるで金糸のような髪の一部が、ハルダーの足下にも落ちていた。
 子供のうちから、女は髪を長くするのが普通である。キシルは長い黒髪をゆるい三つ編みにして前に垂らしている。手配書の中のイフェリカも、髪の毛を編み込んでいた。それが今は、耳が隠れるほどの長さしかない。ぱっと見ただけでは、イフェリカとわからないだろう。
「髪の色も、変えた方がいいですね」
 黄金色は珍しい色ではないが、できるだけ手配書と違う姿にした方がいい。
「毛染めの薬があるよ、イフェリカ。ついでに男装をしたら?」
「それはいいですね。男の格好の方が旅をするにしてもいいし――その方がいいですよね?」
「あ、ああ」
 イフェリカだけでなく、キシルも淡々としていて、ハルダーだけが驚いている。
 キシルは背後の棚から毛染めの薬をいくつか取り出して机の上に並べ、どれがどんな色かイフェリカに説明する。イフェリカは、キシルの髪と同じ黒を選んだ。
「奥に男物の服があるから、それでいい?」
「ええ。ありがとうございます、キシル」
「ハルダーはそこで待ってて」
 独身で一人暮らしのキシルの家にどうして男物の服があるのか、という素朴な疑問を抱くが、それを尋ねる間もなく、女たちは扉の奥へ消えていった。店は住宅も兼ねていて、扉の向こうはキシルの自宅だ。入ったことはないから、どうなっているのかは知らない。
 取り残されたハルダーは、さっきまでイフェリカが座っていた椅子に腰を下ろした。切り落とした髪のほとんどはイフェリカが持ったままだったが、落ちた分はそのままだった。踏んでしまうのは悪い気がして、拾い集めた。近くで見ても金糸のようだ。ハルダーの焦げ茶色の髪とは全然違う。
 しかし集めたはいいがこれをどうしたものか、と思っていたら、キシルだけが戻ってきた。ハルダーが持っているものを見て、何してるの、と首を傾げる彼女にあとを任せた。
「イフェリカの準備は、まだかかるよ」
「じゃあその間に、こっちもいろいろそろえとくか」
 何の危険も伴わない旅であれば、着替えとか非常食とか、必要なものはさほど多くはない。しかし、今回は普通の旅とは違う。手配書が出回っている亡国の王女の安全を確保しながらの旅だ。賞金目当ての傭兵や、リューアティンの兵士と戦闘になる可能性は十分にあった。
 ハルダーは常に帯剣し、短剣、日常用として使うナイフなどを持っているが、ほかにも武器は用意しておきたい。
 キシルは、魔術のかかった品々――魔術具と呼ばれるものを商っている。彼女自身が魔術をかけたもの、ほかの術者がかけたもの、魔術具にするための材料が主な商品で、最も多いのはキシルが作った魔術具だ。
 火打ち石なしで火をおこせたり、瞬時にお湯を沸かせられるような日常生活にちょっと便利な道具がほとんどだが、盗賊除けの殺傷能力のある魔術具もある。ただし、そういった武器となる魔術具は一見の客には売らないため、店の壁を埋め尽くす棚には並んでいない。
 キシルは、背後にある鍵付きの戸棚から、一抱えある黒い箱を取り出した。
「好きなのを持って行くといいよ」
「気前がいいな」
「報酬から払ってもらうから、しっかり頑張ってよ」
 期待していたわけではないが、やはりただというわけではないらしい。
 キシルが作る攻撃能力のある魔術具は、多くが札の形をしている。紙であったり木であったりするが、魔術との相性で材質を変えるそうだ。
 箱の中には、効果ごとに札がまとめて入っていた。魔術具の便利なところは、魔術師ではない人間でも扱える点である。魔術師と同じように呪文を唱えれば、魔術具はその効果を発揮する。ものによっては、呪文ではなく別の条件で発動する場合もある。そのあたりは魔術具を制作する魔術師次第であり、用途によっても変わってくる。
 もっとも、誰にでも扱える魔術具ではあるが、火をおこすだけとか簡単なものはともかく、高い攻撃能力のあるものとなると、魔術を使えない人間であっても、魔術具との相性が出てくる。キシルによると、相性によって魔術具の性能をどれだけ引き出せるか変わってくるから、できるだけ自分に合った魔術具を使うのがいいそうだ。
 ハルダーはキシル以外の魔術師が作った魔術具も武器として使ったことがある。それらの中で一番扱いやすいと思ったのは、キシルが作ったものだった。
 箱の中に入っている魔術具の札は、木や紙といった材質の違いはあるが、ほとんどが同じ大きさだ。ハルダーの掌と同じくらいである。
「王女様も魔術師なんだよな」
 どれがいいか見繕いつつ、そういえば、と思い出す。魔術具は、魔術師でも使える。
「――そうだけど、あの子は今、魔術を使えない」
 キシルの予想外の答えと硬い声に、ハルダーは顔を上げた。キシルは声と同じ、硬い表情だった。
「魔術師なのに?」
「あの子にはあの子の事情があるの。ハルダーは、イフェリカの魔術に頼るつもりだったの?」
「いや、そういうつもりで訊いたわけじゃないが……」
 イフェリカが、自分自身を守らなければいけない状況になったときのことを考えたのだ。魔術具がなくても、魔術師であれば最低限自分自身は守れるだろう、と。
 もっとも、イフェリカが魔術師ならば、途中で彼女に魔術具を作ってもらうこともできるのではないだろうか、と思ったのも事実だ。相性という問題もあるし、期待していたわけではないが。
 それにしても、魔術師がどういう事情で魔術を使えなくなるのかだろうか。キシルの表情と『イフェリカなりの事情』があると言われると、訊くに訊けない。門外漢のハルダーには想像もできないようなことかもしれず、訊いたところでわからないかもしれなかったが。
「ハルダー」
「なんだよ」
 魔術具選びを再開してすぐ、キシルが神妙な声で言った。
「イフェリカを、最後まで守ってあげてね」
「……だったら、ほかの奴に頼んだ方がよかったんじゃないのか」
 ハルダーは再び手を止めて顔を上げた。
 四年前、ある魔術師に護衛を依頼されたことがある。しかし、ハルダーはその魔術師を守り切れず、利き腕を失った。依頼は、今回と同じようにキシルが仲介したものだった。
「ハルダーなら、イフェリカの願いをきっと叶えてくれると思ったから、頼むんだよ」
 キシルにとってイフェリカは大事な友人らしいというのはわかる。その友人を託すに値する、と信頼していることをキシルが言葉にするのは珍しく、妙に居心地がよくなかった。四年前のあの依頼のことを久しぶりに思い出してしまったせいでもあった。
「お待たせしました」
 扉が開き、イフェリカが姿を現した。
「これで大丈夫ですか?」
「――ああ」
 髪は黒くなり、服は男物。整った顔立ちは隠しようがないが、女顔の少年、と言えば通じなくもない。だが、大きく印象が変わっているから、ぱっと見ただけでは手配されている亡国の王女とはわからなくなっていた。
「男装はしても、外を歩くときは頭巾をかぶった方がいいよ」
 キシルが、イフェリカが手に持っている外套を指さす。
「そうですね」
 さっきまでの神妙な顔が嘘のように、イフェリカになんやかんや助言するキシルの様子は明るかった。
 攻撃に使う魔術具以外に、治療に使える魔術具もいくつか見繕った。あとは、地図屋に寄ってヴェンレイディール――旧ヴェンレイディールと言うべきかもしれない――までの地図と、ヴェンレイディール内の地図があればそれを入手する。それから、着替えが少々いるが、途中で自宅に立ち寄ればいいか。
「王女様はこのまますぐに出発できるか?」
「はい、できます」
 もとよりイフェリカはそのつもりでここにいたから、旅支度はしてあるようだった。
「よし、じゃあ出発しよう」
「ハルダー」
「なんだよ」
「イフェリカのことを外で『王女様』なんて呼んだら、この子がこんな格好してる意味がないでしょ」
 うっかりしていたが、キシルの言う通りである。
「イフェリカ、でいいか?」
 一応本人にも確認を、と顔を向けると、王女は頷いた。
「はい、ハルダーさん」
「俺のことも呼び捨てでいいよ」
「でも、年上ですし……」
 イフェリカは、手配書によると十七歳。ハルダーは二十六歳だから、彼女からすれば結構な年上である。が、丁寧にも「さん」付けで呼ばれた経験はあまりなく、呼び捨てされない方が居心地が悪い。ハルダーさんなんて別人みたい、とキシルが笑いハルダーが少しむっとした顔をしていたら、イフェリカは、
「では、申し訳ないですけれど、呼び捨てにします」
 と、頭を下げた。
 キシルのことは呼び捨てにしているし、王女なんだから下々の者を呼び捨てにするのくらい、気にしなくてもいいだろうに。それとも、育ちがよいせいで、そんなことができないのか。いずれにせよ、なんだか調子が狂うな、とハルダーは思った。


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