16. 三人で
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「バークンデーゲンだと?」
 セドとライが、示し合わせたかのように、同時に聞き返していた。
「はい。カーナンでも有名な交易商です。魔石も扱っていて、姉に取引を持ちかけて来たことがあるんです。姉は断ったんですが、バークンデーゲンさんはなかなか諦めなくて……」
「あの野郎、一発ぶん殴ってやる!」
 勢いよく立ち上がったせいで、椅子がひっくり返って倒れる。その音にかぶさるように、ライの怒声が上がった。サリミナたちが驚いた顔をしている。
 一方、セドは大きく溜息をついた。世間は広いようで狭いと言うが、今ほどその通りだと思った事はない。
「落ち着け、ライ。まだ決まったわけじゃないんだ。ともかく、屋敷へ行ってみるしかないだろう」
 セドはライが倒した椅子を起こし、そこにライを座らせる。
「でも、門前払いにされるんじゃ……」
 サリミナが心配そうに言う。サリミナにとって、姉を連れ去ったとおぼしき相手は容易に会える相手とは思えないのだろう。セドたちとて、あの男からの依頼がなければ、それこそ門前払いをされるような相手である。だが、今はあの男の趣味のための依頼を受けている最中だ。それを口実に屋敷を訪ねれば、少なくとも穏便に入ることくらいはできるだろう。
「バークンデーゲンとはちょっとした縁があるから、それはないだろう」
「セド。今すぐ行くぞ」
 座らせたばかりのライは、話もそこそこに立ち上がろうとする。
「ライ、とりあえず落ち着け。今すぐ乗り込んでいっても、向こうには少なくとも二十人は護衛がいるんだぞ。それなりの用意がいる」
 セドは、今過ぎにも飛び出していきそうなライの肩を掴んで、イスに座らせた。
「それならこの店のものを好きに使うと良い。遠慮はいらんぞ」
「太っ腹だな、じいさん。ん? もしかして、サリミナはじいさんの孫なのか?」
 と、ライはサリミナと店主の顔を交互に見る。
「血縁関係はないが、孫のような子たちじゃよ。なんとしても、レインちゃんを助けてやってくれ」
「じゃあ、遠慮なく使わせてもらうか」
 セドが店内をぐるりと見回したところで、椅子から誰かが立ち上がる音がしたので振り返った。見ると、オズワルズが両手の拳を握りしめ、立ちすくんでいる。
「俺も……一緒に行く」
 思い詰めた口調と目で、セドをまっすぐに見た。
「助けに行くって事か?」
「そうだ」
「……人手は多ければ多いほどいい、ってわけじゃあないんだ」
 セドは肩をすくめた。
 オズワルズは、おそらく自分の手でレインシナートを助けたいのだろう。
 警備隊も軍も動かないと言った時のオズワルズの様子を見れば、それができなかったことへのいらだちは、容易に想像がつく。友人以上の感情を、少なくともオズワルズはレインシナートに持っているようだ。
 そんなオズワルズが、レインシナートを救出したいという気持ちは分かる。だが、気持ちが行動に直結するわけではない。セドたちはオズワルズがどういう人間で、どんな技術を持っているのかも、腕が立つのかどうかも知らない。オズワルズも、セドたちについて同じことが言えるのだ。ついさっき出会ったばかりの人間が協力して、人ひとりを救出するのはそう容易いことではない。むしろ、意思疎通がスムーズにできないことや、協力すべき相手の行動が読めないだけに、困難さが増すだろう。
「邪魔になるようなことは、絶対にしない。頼む」
 歳は、オズワルズの方がいくつか上だろう。その上、オズワルズは軍人だ。軍人というのは、たいてい傭兵に対して良い印象を持っていない。それなのに、オズワルズはこうして頭を下げて頼んでいる。真剣に、レインシナートを助けたいと思っているのだ。
 金も名誉も絡んでいない、純粋な思いだけを秘めた双眸が、セドを捉えて放さない。
「いいじゃないか、セド。連れて行ってもさ」
 セドが真剣に考えているというのに、ライが軽い、というよりはむしろ軽薄な声で言った。さっきまで睨み合っていたくせに、今はオズワルズの肩に手を置いてさえいる。
「あのなぁ、ライ。おまえ、もう少し考えろよ」
「セド。そんな言い方をすると、俺が考えなしのバカみたいに聞こえるじゃないか」
 そう言っても差し支えないんだが、と胸中で答えつつ、セドは黙ってライの言い分を聞いた。
「オズワルズの気持ちが、俺にはよく分かる。困ってる女性がいれば、助けたいのが男ってもんだろう。なあ」
 とうとう肩を組んだオズワルズに、ライが同意を求める。オズワルズは、戸惑った表情で「あ、ああ」と曖昧に頷いていた。正直、頭が痛くなってくる。セドは頭を抑えたくなる衝動に駆られるが、とりあえずそれを押し止め、代わりに腰に手を当てた。
 オズワルズが、剣も握ったことのないずぶの素人であれば、どんなにレインシナートを助けに行きたいと願っていても、即答で断っていた。しかし、オズワルズは仮にも兵士。基礎訓練は積んであるはずだ。そこに期待して、邪魔にならないだろうと考えるしかない。
 ここで断っても、オズワルズは連れて行けと言って聞かないだろうし、それでも断って、オズワルズが後を付けてきたりして結果的に邪魔になるくらいであれば、最初から一緒に行動する方がいいだろう。
「……邪魔だけはするなよ」
「恩に着る」
 セドが溜息混じりに言うと、オズワルズは小さく頭を下げた。

  *  *  *  *  *

 カーナンは東西と南北、それぞれに二十五本の通りがあるが、もちろんそれ以外の小さな路地も数多くある。建物と建物の間の、路地と言うよりは隙間と言った方が適当そうな路地も多い。そんな路地の一つに、彼はいた。
 四十四番通りの端に近い、小さな魔法道具屋の入り口を見渡せる路地である。路地と通り近くの物陰に、彼は数日前から潜んでいた。『イルクセン魔法道具屋』に出入りする客を見張るためである。ライバル店の店員が偵察をしている――わけではない。あの道具屋に、怪しい人物の出入りがないか見張るためである。
 一日中路地に潜み、店先をじっと見張っている彼こそ怪しいが、彼が警戒するのは、あくまで彼にとっての『怪しい』人物である。そして今まさに、『怪しい』人物があの道具屋にいるのだ。
 しばらく前、いかにもな感じの傭兵二人組が道具屋へ入っていった。魔物退治でも依頼された傭兵が、装備を調えるために訪れたのだろうとはじめこそ思っていたが、その二人、なかなか店から出てこない。かれこれ一時間は軽く超えているだろう。装備を調達するためにしては、時間がかかりすぎている。あの道具屋は本当にこぢんまりとした店で、よほどの優柔不断でもない限り、商品選びに一時間も二時間もかかることはないはずだ。もしもそんな優柔不断だとすれば、そんなことで傭兵としてとっさの状況判断が出来ないのではないかと余計な心配をしてしまう。だが、店を訪れた二人組は、見るからに傭兵然とした精悍で屈強な男たちで腕もそこそこ立ちそうであり、優柔不断には見えない。
 怪しい。
 店から離れた路地から、こっそりと店に出入りする人物を見張っている自分も怪しいが、あの傭兵二人組も怪しい。
 研磨師の妹が、頼りにもならなさそうな門番に連れてこられたのが、この店だった。彼女はここ数日、ずっとあの店を出入りしている。今日もあの門番と共に朝から店にやってきて、そのままだ。もしや、客ではなく彼女が雇った傭兵ではないだろうか。
 男はそう思い、共に見張りをする仲間にそっと尋ねてみた。仲間は、なるほど確かにと言い、傭兵たちが店から出たら尾行するように言いつけた。男は二つ返事で了承したが、よくよく考えると面倒くさい。一人で二人を付けないといけないからだ。しかも傭兵は普段から周囲を警戒するくせのある者も多いから、尾行するにも細心の注意が必要である。単なる客かもしれないんだしそれを確認するだけだ、と仲間が慰めのようなことを言う。それなら自分が行ってくれ、と言い返そうとしたところで、例の男たちが店を出てきた。
 彼は胸中で舌打ちした。傭兵二人組に加え、あの頼りなさそうな門番も一緒である。研磨師の妹が最初に頼った人物があの門番で、彼と共に出てきたということは、やはり傭兵たちは研磨師の妹に雇われたのだろう。
 仲間もそれに気が付いたらしく、あの三人の動向を見張れと言ってきたので、彼は仕方なく、なるべく気付かれないように三人の尾行を始めた。
 このまままっすぐ、研磨師の救出に向かうわけではないだろう。どこか拠点となるような場所で、救出作戦でも練るかも知れない。彼らが拠点としている場所を押さえて、そちらにも見張りのための人員を割いてもらわなければならないだろう。
 三人の後を付けていた彼は、わずかにまゆをしかめた。
 傭兵たちは、路地に入ったのだ。あの路地に入ったところで、何があるわけでもない。しかも、路地に入った後は頻繁に角を曲がるのだ。おかしい、変だと怪しんでいるうちに、もしや尾行に気づいているのではないかという疑念が浮かんだ。彼はそこで尾行をやめ、引き返すことにした。
 しかしその場できびすを返すのではなく、路地を曲がり元いた通りを目指す。いくつか角を曲がり、もうすぐ通りに出られる角を曲がったところで、彼は立ち止まった。傭兵が、いつの間にか先回りしていたのだ。しかし、道を塞ぐようにして立っているのは一人。あとの二人はどこだ、と振り返ると、いた。眼帯をした男が、無表情にこちらを睨んでいる。その後ろにはあの門番が立っていて、怒気をはらんだ目で睨んでいた。
「俺たちに用事なんだろう?」
 そう言ったのは、男の行く手を塞ぐ傭兵だった。意地悪い笑みを見せ、腕組みをしている。
「俺たちもおまえに用事があるんだ」
 行く手を阻む傭兵がにこやかにそう言うと、眼帯の傭兵が、男の腕をがっしりと掴み、有無をいわせず奥の路地へ連れて行った。


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