15. 対面
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 馬車の小さな窓には特に目隠しもされず、外が見えている。いくつかの角を曲がるうちに、だんだんと通りに並ぶ建物が立派になっていく。レインシナートたちとは、それこそ住む世界の違う人々の空間である。黄昏時だというのに、街灯が煌々と輝き、道を行くきらびやかな人々の姿が目に入る。
「あなた達の雇い主は、ずいぶんなご身分じゃないの」
 レインシナートは嫌みっぽく、同乗する男に言った。
「お金があれば、平気で人をさらうような連中が雇えるのね」
「人聞きの悪い事をおっしゃらないでください。我々は、あくまであなたにご同行を願ったまでです」
 レインシナートがわざと大袈裟に皮肉を込めて言ったのに対し、男は平然と答える。レインシナートの皮肉を分かっていて、薄く笑っている。不愉快な男である。
「あれでお願いしたわけ。たいしたお願いの仕方ね。どうせあなた達の雇い主も、ろくな奴じゃないんでしょう」
「主は我々と違ってご立派な方です。ご安心ください」
「人を寄越して連れ去るような奴のどこに、安心すればいいのか教えて欲しいわ」
「お招きしようと、主が直接あなたにお声をかけた事がありますが、それを断ったのはあなたの方ですよ、レインシナート嬢」
「わたしのせいだと言いたいの? 悪いけど、記憶にないわ」
 レインシナートは隣に座る男を睨み付けた。
「お会いになれば思い出すでしょう」
「こんなやり方をするような奴なんか記憶にすら残ってないから、会ったって思い出したりするもんですか」
 レインシナートがそういうと、男はやれやれというように軽く肩をすくめた。
「もう間もなく、到着いたしますよ」
 あいにく、車窓から屋敷の全景を見る事はできなかったが、家の外壁は見えている。街の一区画丸ごとが、彼らの言う主のものらしい。ここまで大きいと、無駄に広いようにも思える。レインシナートがその無駄に広い屋敷に呆れた溜息をついているうちに、馬車は裏門を通って、中へ入っていった。
「こちらお待ちください。主を呼んでまいります」
 待遇が良いわけあるはずないだろうというレインシナートの予想ははずれた。馬車を降りて案内された先は、怪しげな地下室や薄暗い密室などではなく、屋敷内でごく日常的に使われているらしい客間だった。悔しいけれど座り心地の良いソファーに座るとすぐに、執事らしい男がお茶とお茶請けを持ってきた。疲れていたレインシナートにとっては、非常に魅力的だったが、手を付ける気にはならなかった。
 代わりに、客間のドアを見る。見張り役の男が二人、仁王立ちにドアの両脇を固めている。その男たちが、レインシナートを連れ去るときに居合わせていたのかどうかは、なにせ顔を覚えていないので、分からなかった。
「やあ。わざわざお越しいただいて申し訳ありませんでしたね」
 まもなく現れた主とおぼしき男は、申し訳なさそうな困った笑顔で客間に入ってきた。
「久しぶりだね、レイン」
 レインシナートの真向かいのソファーに座った男は、三十歳前後のこれといった特徴のない外見である。挨拶の仕方といい、『レイン』と愛称で呼ぶ事といい、やけに馴れ馴れしい。
 だが、レインシナートは、特徴のない中で際立つ男の装飾品の悪趣味さに、忘れ去っていた記憶を呼び起こされた。
「バークンデーゲン……あんただったの……」
 レインシナートは不愉快そうに顔をしかめ、真正面の男を見た。
 バークンデーゲンは、フィルレランド国内はもとより、ティクルカランへの輸出入でも莫大な利益を上げている交易商である。カーナンで細々と生活している一介の研磨師とは、何の縁もないような人物であるはずだった。
 ところが三ヶ月ほど前、突然、バークンデーゲンはレインシナートの元を訪れた。レインシナートが研磨した魔石を、言い値で買い取りたいと言ってきたのだ。
「今更何の用なのよ。取引の話なら、きっぱり断ったじゃない」
 しかし、レインシナートはその申し出をその場で断った。悪い話ではなかったが、バークンデーゲンのような交易商に売るつもりはなかった。
「用件はまさにその事だよ」
 バークンデーゲンは背もたれに体重を預け、ややふんぞり返るような姿勢になる。
「わたしは未だに、君が断った理由が分からない」
 バークンデーゲンが溜息をついて頭を振る。レインシナートが彼の申し出を拒絶した理由が、まだ理解出来ていないのだ。今度は、レインシナートが溜息をつく番だった。
「魔石を、ティクルカランに輸出しようとしているあんたには、いつまでたっても分からないわよ。――三ヶ月も前の愚痴を、今更聞かせるために誘拐したんなら、おいとまさせてもらうわよ」
 レインシナートはそう言って立ち上がった。どこの誰が、自分に何の用があるのかと思えば、三ヶ月も前の話を蒸し返されただけである。馬鹿馬鹿しくて、これ以上――最初からであるが――付き合う気にもならない。
「ティクルカランにおける魔石の需要は、今までにないほど高まっている。魔石で儲けるまたとない機会なんだよ」
 そこで少し間をおき、バークンデーゲンは続ける。
「レイン、君の研磨する魔石の質は良い。同じ等級の、ほかの魔石より高く売れる。それなのに何故、いつも断るんだ。言い値で買い取ると言ってさえいるのに」
 大袈裟な仕草で、バークンデーゲンは困ったように頭を振った。
 バークンデーゲンの理解力のなさには呆れるばかりである。レインシナートは、彼から取引を持ちかけられるたびに、同じ理由で断ってきたのに。
「わたしの研磨した魔石が、戦争に使われるのが嫌だと言っているでしょう」
 レインシナートが、魔石をバークンデーゲンには売らず、イルクセンには売る理由は、それだけだ。
「戦争に使われるとは限らないよ」
「戦争に使わないのなら、どうしてティクルカランで魔石の需要が高いのよ。あの国でどれだけ魔石が研磨されても足りないから、フィルレランドから買っているんじゃない」
「だが、戦争以外に使う魔石も不足しているんだ。君の魔石が、必ず戦争に使われるわけじゃない」
「そういう問題じゃないわ」
 レインシナートは憤った声を上げた。どうしてこの男は、何度言っても分からないのだろうか。その可能性がある限り、レインシナートはバークンデーゲンに魔石を売るつもりはないのだ。イルクセンのように、魔物退治用の道具を作るために使われる事もあるだろう。だが、戦争の――人殺しの道具として使われる事もあるのだ。魔石には、それだけの力がある。それが、嫌だった。
「レイン。君が魔石を売らなくても、魔石は戦争に使われている。君一人が拒んだところで、それは変わらない」
「わたしだって、綺麗事を言うつもりはないわ。確かにあなたの言う通りよ。――だけど、わたしは嫌なものは嫌なの」
 自分は狭量な人間なのだ。自分の作ったもので誰かが死んでしまうのが嫌だから、断っているだけである。戦争に荷担したくないからではない。レインシナートはその事をはっきりと自覚していた。
「理由はともかく、君がどうしてもぼくの頼みを聞いてくれないという事は分かった」
「何を言ってるのよ。そもそも、わたしにものが頼めるような立場だと思っているの? 人さらいのくせに」
「頼んでいたのは三ヶ月前の話だよ。君こそ、いつまでも断れると思っているのかい?」
 それまでは、レインシナートの言う事に苦笑したりしていたバークンデーゲンであるが、その笑みがいつの間にか、冷ややかなものに変わっていた。
「どういう事よ……」
 バークンデーゲンの見た事のない笑みに、レインシナートはにわかに警戒した。
「ぼくはもう、頼んでいるわけじゃない。命令しているんだよ。レイン、ぼくのために魔石を研磨してくれ。――君の大事な妹の身を案じるのなら」
「サリミナは巻き込まないと言ったじゃない!」
 それを実際に言ったのは、レインシナートをここまで連れてきた男であるが、それはバークンデーゲンが言ったも同然とレインシナートは思っていた。具体的に、レインシナートが断り続けてサリミナの身の上にどのような事が起きるかは分からない。だが、果たして彼らが真実それを守ると、どれ程期待出来ただろうか。そう分かっていても、言わずにはいられなかった。
「君が断るからだよ、レインシナート」
 バークンデーゲンの声はあくまで冷ややかである。
「わたしのせいだと言うの」
 レインシナートは吐き捨てるように言った。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。誰が元凶だと思っているのだろうか。だが、この男の下には、レインシナートを連れ去ったときにいたような男たちがいる。おそらく、この屋敷の護衛だろう。あれだけの人数がいれば、サリミナの動向を監視し続けている者がいてもおかしくはないのだ。


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