13. 交差
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「ああ、この金がもうすぐ俺のものじゃなくなるなんて」
 ライが手の平に載った、ずっしりと重い袋を悲しげに見た。中には、金貨が三十枚入っている。セドとライが、二十日で稼いだものだ。
「最初からおまえのものというわけでもないだろう」
 セドは呆れ顔でライを見る。
 アーリーヴィンガに襲われて装備の一部がダメになったが、まだ買い直してはいない。アーリーヴィンガの報奨金と、その羽毛は高く売れたが、おつりが来るほどではなかったのだ。しかしそのおかげで、目標金額に予想よりも早く達成し、この二日ほどは、宿屋でのんびりと休むことができた。大怪我というほどの怪我を負ったわけではないが、その二日でセドの体調はほぼ元通りになった。この程度なら、仕事をするのに差し障りはない。
「それにしても、あれだけ苦労してこの金を稼いだというのに、まだ仕事が終わらないってのは、なんだか悲しいな」
「俺は心底そう思う」
 アーリーヴィンガに一度はさらわれたのだ。セドの言葉は真実心の声だった。セドがそういうことを言うのは珍しい。
「まあ、アーリーヴィンガの住処は分かったから、探す手間は省けるな」
「さっさと仕事を終わらせられて、いいことだ」
 金貨三十枚を持って、二人はアーリーヴィンガ捕獲の道具作りを頼んでいた店に向かった。
「よお、じいさん。道具はできたかい?」
 店のドアを開けるなり、ライが威勢良く訊いた。
「おお、おぬしら……」
 店の奥にいた店主が、腰を上げる。だがその表情は、何故か暗い。まさかあれだけ高い金を提示しておきながら、道具が作れなかったというのだろうか。
「じいさん。まさか作れなかったのか?」
「うむ。そのことで話があるんじゃ。まあ、座ってくれ」
 店主が手招きするので、二人は仕方なく言葉に従い、店主のいる奥へ向かった。
「ん?」
 商品棚の陰に隠れて、入り口からは気が付かなかったが、カウンターの近くにイスが四脚あり、左の二脚に若い男と少女が座っていた。少女の方は不安そうな表情を浮かべ、やって来る二人を見ていた。
「まず紹介しよう」
 二人がイスに座ったところで、店主が見慣れない二人に促した。
「初めまして。サリミナ・デューセスといいます」
 少女がイスから立ち上がり、会釈する。
「オズワルズ・サリクトスだ」
 男の方は、険しい顔つきで椅子に座ったままである。
「実はのう。このサリミナちゃんの姉が研磨師で、その子に一級魔石三個を頼んだのじゃ。ところが、その子が魔石ごとさらわれてしまってのう。おぬしらが注文した物を作ることができなかったのじゃ」
「ええ、本当かよ?」
「本当なんです」
 ライの問いに答えたのは、サリミナと名乗った少女だった。泣くのを堪えるかのように、唇を堅く引き締めている。
「いやいやいや。疑ったわけじゃないんだぜ?」
 自分の言葉で少女に泣かれてはたまらないライが、慌てて自分の言ったことを否定する。だが、効果はあまりないらしい。体の前で合わせたサリミナの手が、小刻みに震えている。
「わたしのせいで、姉は連れ去られてしまって……」
 サリミナはうつむき、尻すぼみに声が小さくなっていく。それを、オズワルズとかいう男が慰めているのだが、そんな二人の関係が分からない。家名が違うからサリミナの兄というわけでもないだろうが、オズワルズの親しげな様子からすると、赤の他人というわけでもなさそうである。
「サリミナのせいじゃないだろう」
 オズワルズはなだめるようにそう言って、険しい顔をライに向ける。ライの失言を無言でとがめているのが、嫌というほどよく分かる。それにしても、何故無関係そうなオズワルズに、親の敵とばかりに睨まれるのだろうか。
「あー、その、何だ。じいさん。つまり」
 サリミナを泣かせた上にオズワルズに睨まれてしまったライは、決まり悪そうに店主の方に顔を向けた。
「魔石がないから、この子の姉ごと取り返してこいということだな?」
「話が早いのう」
 老人の言葉に、セドは嘆息する。
 連れ去られたという研磨師の妹をわざわざこの場に同席させているのは、セドたちの同情を引いて、救出に向かわせるための作戦なのだろう。なんともしたたかな老人であるが、作戦は功を奏してしまっている。だが、オズワルズを同席させている目的は、さっぱりつかめない。
「よし、サリミナ。お姉さんのことは俺たちに任せな。必ず助ける」
 老人のしたたかな作戦に気付いたかどうかは定かではないが、ライが胸を叩き、実に頼もしい口調でサリミナに言った。
 俺たち、ということは、当然セドも含まれているわけである。魔石が必要であることには違いなく、今更ほかの研磨師に用意させては期日に間に合わないだろうから、取り返しに行くのは当然のことだ。魔石さえあれば、セドたちの仕事に支障はなくなる。しかし、困っている女性――ただし、年齢と容姿という条件が付くが――がいることを知ったライが、それを捨て置いて良しとするはずもない。サリミナの年齢と容姿は、どうやらライの中の基準を満たしていたらしい。
 厄介事に首を突っ込むことは間違いない。しかし、相棒がそうと決めてしまったのだから、セドもついていくしかない。セドが嫌だと言ったところで、ライは一人でも救出に行ってしまうだろう。それでライが窮地に陥っては目も当てられないから、セドも一緒に行くしかなかった。
「本当に、姉を助けてくれるんですか?」
 それまでずっとうつむいていたサリミナが、顔を上げてライを見る。オズワルズが、むっとした顔を一瞬見せたような気がするが、どうしてそんな表情を見せたのか、やはり分からない。
「もちろん。君のような可愛い子が困っているというのに、放っておけるわけないじゃないか」
 サリミナの容姿が、ライの基準以下だったら助けに行くことをきっと渋っただろう。そういう基準を作るから、厄介事にたびたび巻き込まれるということをライは自覚しているのだろうか。薄情者と言われても、人助けはしない、ときっぱり断れば余計なことはしなくてもすむのだが。
「自警団に任せた方が、いいんじゃないか?」
 助けに行きたくないから、そう言ったわけではない。人さらいなどの犯罪を取り締まるのが、自警団の仕事だ。どちらかといえば自警団に追いかけられる側に近いセドたちに任せるより、正当な権利を持っている自警団に任せた方が、穏便かつ速やかに解決すると考えるのが普通だろう。
「セド……水を差すようなことを言うなよ」
 ライが不満そうな目を向ける。だが、セドが言っているのは正論だ。
「俺たちよりは、自警団の方が向いてると考えるのが、普通だろう」
 しかし、ライが考えなかった可能性はある。人助けをする基準があって、動機が不純だからだ。
「自警団は動かない」
 睨み付けるばかりで、サリミナを慰める以外は黙っていたオズワルズが、突然話に入ってきた。どこか、怒りを含む声である。
「動かない……ってのは、どういうことだ」
 睨まれ続けているのが不愉快だったのだろう。ライも、オズワルズを軽く睨め付けた。張り合ってどうするんだ、とセドは突っ込みたくなる。
「サリミナちゃんの姉を連れ去った連中は、どうもカーナンの大物みたいでの。自警団は動かんのじゃ」
 疑問に答えたのは、店主だった。ライとオズワルズが睨み合う中間地点にいるので、居心地が悪そうである。それはともかく、その街の政治や経済に影響力を持つ人物の権力に、自警団が屈してしまうのはよくある話だ。これまでにも何度か似たような経験をしているが、どこでも起こりうることらしい。
「国軍は?」
 フィルレランドは軍隊を持っている。ただ、彼らの役目は街の治安維持ではなく国防なので、国中を巻き込むような犯罪ならともかく、地方都市で起きた人攫い解決のために動いてくれるとは思えない。だが、可能性はなきにしもあらずなので、駆け込むくらいはしても問題はない。
「軍も動かない」
 オズワルズが、先程よりも怒気のこもった声を上げた。
「この件に関しては、どの組織も動こうとしない」
 オズワルズは吐き捨てるように言った。
「あんた……誰だ?」
 その様子を見たライは睨み付けるのをやめ、素朴な疑問をようやく投げかけた。
「オズワルズ・サリクトスだ」
「名前はさっき聞いた。あんたがどうしてここにいるのかを訊きたいんだよ」
 オズワルズの存在をそれほど重要視していなかったし、話にも積極的に加わる素振りを見せなかったので、セドもライも――ライは張り合って睨んでいたが――オズワルズのことは基本的に無視していた。だが、サリミナが憤っているべき場面で、オズワルズが彼女よりも憤っていたのだから、無視し続けることもできなくなった。
「俺は――」
 オズワルズは、憤った顔のまま口を開くが、途中で言葉を飲み込み、そのままむっつりと黙り込んでしまった。
「あ。オズワルズさんは、姉の友人なんです。国軍にお務めで、自警団が動いてくれないと分かった後、何とかしようと尽力なさってくれたんですけど……」
 途中で黙り込んでしまったオズワルズに変わり、サリミナが説明をしてくれた。
 オズワルズの階級は、それほど高くないのだろう。サリミナに助けを求められたものの、自力ではどうしようもなく、自分の無力さに怒っていると言ったところか。それならば、セドやライを睨んでいたのは、大人げない単なる八つ当たりのようだ。
「ふーん」
 ライはオズワルズの正体が分かって関心をなくしたのか、それとも八つ当たりされていただけだと分かったからなのか、それ以上オズワルズを睨むことはなかった。
「連れ去った奴の見当はついてるのか?」
 犯人はカーナンの有力者と絞られているし、この街の住人であるサリミナたちなら、多少の見当はついているかも知れない。
「いいえ、それが……」
 サリミナが申し訳なさそうに首を横に振る。
「それじゃあ、連れ去られた時の状況を教えてほしいんだが」
 そこから、何か手掛かりを得られる可能性はある。サリミナにとっては、姉が連れ去られたときのことなど思い出したくもないだろうが、彼女の姉を助けるためには必要な情報だった。


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