レインシナートとサリミナは、疲れ切った顔でカーナンの通りを歩いていた。さすがに、十七日で一級魔石を三個研磨するという仕事は堪えた。疲労は、サリミナよりもレインシナートの方がより濃いようである。足取りが重い。
役所へ行って、報奨金を貰ってきた帰りである。日没間もないが、イルクセンの店まで行く気力はなかった。ないが、今日が期限の日なので、行くしかない。
「サリミナ……先に帰ってていいわよ」
「うん。でも、おじいちゃんのお店まで、もうすぐだし、一緒に行くよ」
レインシナートはそう言う妹がいじらしく、愛おしいと思った。慣れない長期の仕事で、疲れているだろうに。
「じゃあ、手早く済ませて、今日はどこかに食べに行こうか。イルクセンのじいさんから、たっぷりとお金も貰えることだし」
「やった。なに食べようか、お姉ちゃん」
「ごちそうよ、ごちそう。十番通りあたりに繰り出すわよ」
高級住宅にが林立するその通りには、高級レストランが何軒か並んでいる。レインシナートたちには殆ど縁のない通りであるが、イルクセンからこれから貰う報酬があれば、今日一晩くらい、そこへちょっとした贅沢を楽しんでも問題はない。
「なんなら、お好きなだけお連れいたしますよ」
唐突に、男の声が割り込んできた。
「は?」
それが自分たちに向けられたものであると分かったのは、目の前に見慣れぬ男たちがぞろりと集まったからである。
ついさっきまで、この通りを歩いているのはレインシナートとサリミナだけだったはずだ。となると、横道にでも潜んでいたのを、タイミングを見計らって出てきたということになるが、何のためにそんなことをするのかは、さっぱり分からない。
「レインシナート・デューセス嬢ですね?」
十人近くの、似たような出で立ちをした男たちの中ではリーダー格らしいその男が、レインシナートを見て確認するように尋ねた。
「あんたたち、いったい何なのよ?」
見覚えのないことはもちろんのこと、こんな男たちと関わり合いになるようなこともしていない。恨みを買うとすれば、それは魔物からだけであるはずだ。しかも、こちらには見覚えがないというのに、向こうはこっちが誰なのかはっきりと知っている様子であることに、よけい不審感を覚える。
「さるお方から、あなた様をお連れするよう命じられた者です。ご同行願えますでしょうか」
何も答えていないも同然である。どこの誰が、何のためにレインシナートを呼ぶのか見当もつかない。
「お断りよ。わたしに用があるなら、本人が呼びに来なさいよ」
道を塞ぐように男たちが立ちふさがっているので、先に進むことは出来ない。引き返そうと、不安げな表情を浮かべるサリミナの手を取り、きびすを返して息をのんだ。
後ろの道も、仲間らしい男たちによって塞がれていたのだ。
「……こんなに人手を割いてまでわたしを呼ぶなんて、いったい何の用なの?」
これだけの人数を動かせるのだから、そんじょそこらの人物ではないだろう。そんな人物が自分にどんな用件があるのか分からないが、どうもただことではなさそうである。レインシナートは不安を悟られないよう、不適な表情をリーダー格の男に向けるが、動揺を果たして隠し切れているかどうか自信はなかった。
「お会いになれば分かります」
「断る……と言ったら?」
「かわいい妹君を、巻き込みたくはないでしょう?」
男に言われ、レインシナートははっとしてサリミナを見た。手をつないでいるからすぐ傍にはいるが、サリミナの背後にはいつの間に近づいてきたのか、一人の男が立っていた。その男が、サリミナの首に白い刃を当てている。
「お姉ちゃん……ごめんなさい」
サリミナが目にうっすらと涙を浮かべている。サリミナが謝るようなことは何一つないのに。
「脅迫よ……こんな犯罪まがいのことをしていいと思ってるの?」
レインシナートは怒りのこもった視線を投げつけた。何故こうも唐突に、姉妹でこんな目に遭わなければならないのだ。
「目的はあなたをお連れすることですから」
男は悪びれもせずに言ってのける。こういうことに慣れているのだろう。
男たちは武装しているようには見えないが、武器を隠し持っているのだろう。いざとなれば、サリミナを傷付け、武力をもってレインシナートを連れて行くくらいのことはするだろう。男の話しぶりから容易に想像はつく。
「……わたしが行くと言えば、妹は巻き込まれないのね?」
「もちろんです」
男は穏やかに笑って言うが、その言葉を信用していいのか迷う。レインシナートを連れて行く目的が分からないから、本当にレインシナートが行けばサリミナは巻き込まれないのかどうかすらも分からない。
誰かが通りかかって、この状況を見て衛兵でも何でも連れてきてくれればいいが、そんなに都合良く人が頻繁に通るような道でもなかった。この状況を打開するためには、レインシナートが頷くしかない。サリミナがそれで一時的でも解放されるなら……あとは、本当に巻き込まれないことを祈るしかない。
「……サリミナ。ちょっと行ってくるわ」
「お姉ちゃん!」
サリミナが悲鳴のような声を上げる。妹を安心させるよう、レインシナートは微笑んでみせる。
「物わかりの良いお方で助かります」
男はそう言って、手を打ち鳴らした。何かの合図かと訝っていると、近くの横道から二頭立ての馬車が現れた。小さい馬車だが、決して粗末ではなく、むしろ上等な部類に入る造りだった。
「どうぞ、こちらへ」
男に案内され、レインシナートは馬車に乗り込む。それを確認して、ようやくサリミナは解放された。
「本当に、妹は巻き込まないんでしょうね?」
「もちろんですよ」
レインシナートと共に馬車に乗り込んだのは、リーダー格の男一人だった。あとの男たちは、散り散りにどこかへと消えていく。馬車が動き出し、通りにはサリミナだけが取り残された。今にも泣き出しそうな顔の妹が遠くなっていくのを、レインシナートは唇を噛んで見ているしかなかった。
「お姉ちゃん……」
解放されたサリミナは、呆然と去っていく馬車を見送っていた。
突然現れた男たちが自分を人質に姉を脅迫し、連れ去った。どうしてそんなことが起こるのかが分からなかった。姉が連れ去られた不安と、人質にされた恐怖で、サリミナは泣いてしまいたかった。だが、泣いても何も解決しない。
男たちがいったいどういう目的でレインシナートを連れて行ったのかは分からないが、サリミナに今できることをしなければならなかった。その義務感が、サリミナの涙をすんでの所で止めていた。
レインシナートは連れ去られたのだ。となると、行くべきところは一つ。自警団だ。自警団は、街の治安維持と犯罪の取締を主とした、公的な組織である。自警団に駆け込めば、きっと姉を助けてくれるに違いない。
サリミナは急いで、ここから一番近い自警団の詰め所に向かった。
* * * * *
「どうしたんだ、サリミナ。こんな時間に、しかも一人で。珍しいじゃないか」
オズワルズは、いつも出迎えてくれる笑顔を見せる。あの笑顔を見ていつも感じる平穏は、今はなかった。いつもそばにいる姉がいないのだ。
「サリミナ?」
オズワルズは、サリミナの横にいつもはいるはずのレインシナートがいないことが、珍しいことではなく異常な事態であると気が付いたらしい。それはそうだろう。サリミナは、息も切れ切れ、目には涙を浮かべているのだ。
「オズワルズさん……お姉ちゃんを助けて」
サリミナは顔を上げ、オズワルズを見上げた。もうどうすればいいのか、サリミナには分からない。自分にできることには限りがあり、早くも限界に達しそうになっている。
自警団は、動いてくれなかった。サリミナが駆け込んで、状況を話しても取り合ってくれなかったのだ。
そんなことはない、君の勘違いだよ。
自警団の職員はそう繰り返すばかりだった。目の前で連れ去られたというのに、何が勘違いなものか。サリミナは半ば怒鳴るように訴えたが、結果は同じだった。最後には、とうとういい加減にしろと追い出されてしまった。
自警団がまったく取り合ってくれないとなると、サリミナにできることはほとんどなかった。思い付く中で、いちばん頼りになりそうだと最初に思い浮かんだのが、オズワルズだったのだ。
オズワルズは、フィルレランド正規軍の兵士である。門番をしているから、それほど軍内での地位は高くないだろうが、それでも、街単位の自警団よりは頼りになるのではないかと思い、サリミナの足は北門へ向かったのだ。
「レインがどうかしたのか」
オズワルズの表情が険しくなる。オズワルズと共に門番をしているもう一人の兵士も、サリミナの様子がいつもと違うことに気が付き、やって来る。
サリミナは、彼らに一部始終を話した。見た通りに、だが半分取り乱して話していたから、きっと分かりづらかっただろう。だが、肝心なところはしっかりと伝わっていた。
「レインがさらわれただと?」
オズワルズが、これまでサリミナが一度も見たことがないような険しい顔を見せた。もう一人の門番も、眉をひそめる。
「でも、自警団は取り合ってくれなかったんです。だから、ここに――」
「サリミナ。話は分かった。とりあえず、落ち着くんだ」
オズワルズは、ゆっくりと安心させるような柔らかい声音で言った。肩に載せられた大きな手は温かく、サリミナの心を少しだけ落ち着かせる。
サリミナは首を縦に振って頷いた。
「大丈夫だ。レインはきっと助ける」
サリミナには、オズワルズに助けを乞うことしかできない。そのオズワルズは、サリミナが期待していた以上に頼もしく見えた。
姉のいない家に一人で帰る気にもなれず、一人で待つのも不安でたまらなかったので、サリミナはイルクセンの店で朗報を待つことにした。店までは、仕事を切り上げたオズワルズに送ってもらった。
いつもレインシナート共に歩く道を、姉ではなくオズワルズと共に歩く。
姉がいないという違和感と、その事実がサリミナに否応なく押しつけてくる不安感。今はいない姉を助け出す希望であるオズワルズの存在と、そこから来る安堵感。様々な感情が入り交じり、サリミナはなんとも奇妙な気分だった。
すっかり日の暮れたカーナンの街は、中心部から外壁に向かって暗くなっていく。街灯が、周辺部ほど少なくなるからだ。イルクセンの道具屋は、どちらかといえば周辺部に位置する通りにあるので、道は暗い。足下がようやく見えるほどの街灯しかない。
イルクセンの道具屋の窓からこぼれる灯りは、そんな暗い通りにあっては煌々と輝いて見えた。サリミナにとっては、あの店も安心できる場所の一つであるから、余計にそう見えたのかも知れない。