11. 美声の怪鳥
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 迫り来る怪鳥は大きい。広げられた両翼は、ライたちの身長を凌駕している。大きなくちばしは鋭く太い。
「来るぞ」
 目前に迫ったアーリーヴィンガが大きく羽ばたき、速度を上げた。それまで折り畳まれていた足が現れる。かぎ爪のついた足で、獲物を捕らえるつもりなのだろう。
 そのアーリーヴィンガに宣戦布告するかのように、ライはびしっと指を突きつける。
「言っておくが、俺は不味いぞ」
「酒浸りだからな」
 セドが茶々を入れるがそれは無視して、ライはベルトに括り付けていたナイフを一本取り外すと、アーリーヴィンガめがけ投擲した。一本目はかわされるが、続けて放った二本目が左の翼の付け根に命中する。アーリーヴィンガが悲鳴をあげ、バランスを崩した。しかし、墜落はしない。
「毒を塗っておけと言ってるだろう」
 墜落しないのを知ったセドが、溜息混じりに言う。
「そんな危ないモンを腰にぶら下げとくのは嫌でね」
 格好つけるように言い返すが、実は単に、いつもうっかり忘れているだけである。しかも今更そんな習慣、身に付けるのが面倒になってしまっている。それにナイフは、料理をするときにも使っているのだ。自分で塗った毒に自分で当たるような、情けない真似は避けたいところである。
 今度はセドが、自分のナイフを放った。足に近い位置に命中し、再びアーリーヴィンガが悲鳴をあげた。それでも墜落せずに、ヨロヨロとした飛び方をしていたが、大気を捉える翼の動きが弱くなってきたかと思うと、口の端から泡を吹いてとうとう失速した。セドのナイフには、毒が塗ってあるのだ。
「アーリーヴィンガにも効くようだな」
 音を立てて怪鳥が墜落し、土煙が舞い上がる。
「あれだけでかい鳥を仕留めるなんて、どんな毒を塗ってるんだ、セド」
 ライは耳栓を取った。煩わしかったし、アーリーヴィンガが毒に冒された今、もう必要ないだろう。セドも耳栓を取っていた。
「《虎殺し》だ。しかし、死んではいないようだな」
 墜落し、地面と激突したアーリーヴィンガだが、まだ羽をばたつかせ、苦しげな声を上げていた。その声でさえ、どこか美しさを残している。
「毒の量が足りなかったのか」
「ナイフに少量塗ってあるだけだからな。さすがに巨体だから、量が足りないらしい」
 抜き身の剣を携え、二人は墜落したアーリーヴィンガに慎重に近づいた。最後の力を振り絞って暴れるかもしれないし、一時的に毒が回っているだけかもしれない。《虎殺し》はその名の通り、耳かき一杯分で虎をも瞬殺すると言われる強力な毒だが、魔物にはどの毒がどれだけ効くのか、はっきりとしたことは分かっていないのだ。それに、毒の効かない魔物もいる。
 アーリーヴィンガとの距離があと十歩くらいになったとき、突然アーリーヴィンガが起きあがり、甲高い鳴き声を上げた。耳をつんざくような音である。鼓膜が激しく刺激され、わずかに痛む。
 ライは耳栓を取ったことに舌打ちをした。セドも同じ気持ちだろう。と、セドをちらりと横目で見ると、そこに相棒の姿はなかった。代わりに、七色の羽毛を持つ鳥が、超低空で飛び抜けていく。近くで翼の羽ばたく音がしたかと思うと、アーリーヴィンガが飛翔していた。その足元を見てライは愕然とする。あろうことか、相棒が胴体をわしづかみにされていたのだ。
「セド!」
 アーリーヴィンガが大きいとはいえ、その爪の先は、大人の胴体を一周するほどは大きくないようである。爪が、セドの体に食い込んでいるように見えた。
「セド!」
 ライは飛び去るアーリーヴィンガを追いかけるが、鍛えているライの足でもとても追いつけそうにない。まだ高く飛び上がっていないのは、毒が効いているからだろうが、それもいつまで続くか分からない。今は二階建ての家くらいの高さを飛んでいるが、それ以上高く飛んだら、こちらからはどうしようもないし、セドがその時点で解放されたとしても、無傷では済まされない。
「セド! この馬鹿野郎! そのまま鳥の餌になるつもりかよ!」
 捕まったセドは殆ど動かない。まさか、気を失っているのだろうか。だとしたら最悪である。この状況で、ナイフを投げることは出来ない。腕に自信がないからとは言わないが、それでも、ふらつきながら飛び、その上セドを捕まえているアーリーヴィンガめがけてナイフを投げることは出来なかった。
「……ふん。俺だって、美味いことはない」
 不意にセドが身じろぎした。苦しげな声が返ってくる。
「こんな鳥捕まえて、バークンデーゲンは何をするつもりなんだ……」
 仰向けにわしづかみされたセドは、アーリーヴィンガの足にナイフを突き立てた。悲鳴が上がり、セドを掴む足の力がゆるむ。だが、獲物を逃がすほどには弛めない。
「セド! 早くしろ。本当に餌にされるぞ!」
「分かってるよ」
 セドは幸いにも取り落とすことのなかった剣で、白い羽毛に覆われた腹を切り裂いた。今まででいちばんの悲鳴が上がり、赤い血がセドに降りかかる。アーリーヴィンガは再び失速し、その途中でセドは放り出されるように解放された。
「セド!」
 落下するセドに駆け寄る。だが、受け止める前にセドは地面に落ちていた。離れたところに、アーリーヴィンガも墜落するが、ライはセドに駆け寄った。
「無事か、セド!」
「……まあ、なんとかな」
 一応受け身は取ったようだが、やはり衝撃を殺しきることは出来なかったらしい。それでも、大怪我はしていなさそうである。血まみれなのは、さっきアーリーヴィンガの返り血を浴びたからだ。
「防具が一つ、ダメになった」
 セドは仰向けに転がり、血で塗れた顔を手の平でぬぐう。
 アーリーヴィンガに鷲づかみされていた腹の辺りの鎧が、大きくへこんでいた。薄手で軽いが、衝撃には強いという特殊な金属で作られた高価な鎧は、無惨な姿に変わっている。
「まいったな。ここまでへこむと、直しようもない」
 セドは鎧のへこんだ部分を指で確かめている。目で見て分かるくらいにへこんでいるから、多少はセドの体も傷を負っているだろう。衝撃に強いがゆえに、加工も難しい品であるが、それをここまでへこませるアーリーヴィンガの力には正直ぞっとしない。もしもセドがこの鎧をつけていなかったら、体に穴が開いていただろう。
「自分よりも防具の心配かよ」
 相棒が鎧のおかげで助かったことにほっとしているというのに、当人の心配事は自身ではなく鎧の方らしい。呆れた男だ。
「当たり前だ。俺は怪我しても治るからな。――それより、アーリーヴィンガはどうなった?」
「俺が見てくるから、おまえは寝てろ」
「さらわれるなよ」
「そんな間抜けは一人でいいだろ」
「……まったくだ」
 動くのも億劫なのだろう。セドは顔も起こさずライを見送った。
 腹を切り裂かれて墜落したアーリーヴィンガは、もはや翼を動かす力もないらしく、弱々しく鳴いていた。
 さっきのことがあるから、ライは耳栓をして、より慎重に近づいた。だが、アーリーヴィンガの命は風前の灯火のようだ。
 近づいてきたライの姿を見たアーリーヴィンガが、威嚇の声をあげるが、力はなく効果は全くない。今気が付いたが、雌だ。
 アーリーヴィンガに動く力が残っていないと分かったライは、傍らに立つと首を切り落とした。心臓の位置を探すより、こうした方が早い。
「しかし、こいつを持って帰れば一気に金が手に入るな」
 羽毛は血で汚れている部分もあるが、洗えば落ちる。不幸中の幸いで、なんとか金の工面は間に合いそうである。
「運ぶだけで一苦労だな」
 全身がアーリーヴィンガの血と土埃で汚れ、なんとも凄惨な姿の相棒が、体を起こす。
「羽は剥がして運んだ方が楽だけどなぁ。それだけで一仕事だ。今日は、ここで野宿だな」
「血が流れすぎてる。この場所から離れたところにしないと、夜になって魔物がわんさか集まってくるぞ」
 魔物は血の臭いに敏感なものが多く、遠く離れた所からでもその臭いを嗅ぎつけ集まってくる。臭いのある所に餌があると思いやって来る魔物や、屍肉を漁ろうと集まる魔物。さらにはそういう魔物を狙う魔物まで、とにかく集まってくる。まだ陽はあるから、今のうちに野宿できる場所を探す方がいいだろう
「水の近くがいちばんいいんだが」
 セドが疲れたように言う。どうやら、早めに水場を探した方が良さそうである。魔物の血をセドは浴びすぎている。
 魔物の血肉というものは、魔力を持たない人間にとっては毒と同じなのだ。血を浴びれば、肌から魔力が染み込み、身体に異常をきたす。生命の危機に晒されるかは、浴びた血の量や、魔物が持つ魔力の強さに左右されるが、魔物の血を浴びたら、できるだけ早く洗い流すのが良いとされる。
 だが、ここは水の少ない場所である。川は遙か遠く、草原には水たまりのような池がまばらにあるだけだ。
「セド。まだ持つだろうな」
 ここしばらく草原を歩き回っている間、小さな池をいくつか見つけていた。記憶にある限りでは、ここから一番近いと思われる池までなら、日没前にたどり着けるはずだ。だが、距離があることに違いはないし、かさばる荷物も多い。心配なのは、セドの体調だ。
「手が痺れ始めたが、まあ、大丈夫だろう」
 セドは右手を握ったり開いたりして、動きを確かめている。浴びた血は、とりあえず布でぬぐっているが、それでも洗い流すまでは安心できない。それに、既にセドの体は魔物の魔力に冒され始めている。
「道中、魔物に遭遇しないといいが」
「魔物退治に来たはずなのに、皮肉なモンだな」
 今回は、前回の隊商の警護のようにすんなりとはいかない。それは依頼内容のせいだろうが、どうやら厄介な依頼を引き受けてしまったと、ライは今更ながらに思った。


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