第二章 01
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 二ヶ月に一度の大市とあって、街中はいつも以上のにぎわいを見せている。
 遠い地から届いた商品の並ぶ露店が軒を連ね、異国のものも少なくない。威勢の良い掛け声に足を止め、架台に所狭しと並ぶ様々な品物をのぞき込んでいる者は、周辺の村から駆けつけた農民や職人たちも多い。
 シュルトバクト国で五指に入る都市の一つノリストラルの大市とあれば、足を運ばずにはいられないのだ。
 ここの住人であるカシュラルたちにとっても、大市が楽しみであるのは言うまでもない。ほしいものすべてを買えるお金はないけれど、冷やかすだけでも飽きることはない。
「今日はお祝いなんだから、ぱーっといかないとね」
 六人の集団で歩いているのだが、一人が景気づけるように言うと、ほかの仲間が次々と賛同の声を上げる。カシュラルは苦笑した。
「気が早いわよ。推薦されただけなのに」
「そんなことないって。カシュラルとエムクドが宮廷魔術師に推薦されたんだよ? めでたいじゃないか!」
 そう、カシュラルはお祝いされる側なのだ。
 カシュラルたちの後見人を務め、魔術師として学ぶ場所と生活の場を与えてくれたのは、この街の領主でもあるノリストラル侯爵だ。その侯爵が、カシュラルとエムクドの二人を、宮廷魔術師候補として魔術師団に推薦したのである。もっとも、カシュラルたちが侯爵と顔を合わせたのは数えるほどしかない。カシュラルとエムクドを侯爵に推挙したのは魔術の師匠である。
 それに、推薦されたからと言って必ず宮廷魔術師になれるわけではない。同じように推薦された候補は何人もいて、その中から試験や面接を経て選出されるのだ。
 宮廷における宮廷魔術師の存在感や発言権は、それが強力な魔術師であればあるほど大きい。そんな優秀な魔術師を見出して推薦した者もまた影響力を発揮する。市井の魔術師の中からこれはという者を見つける貴族もいれば、そんな貴族に自らを売り込む魔術師もいる。また、ノリストラル侯爵のように、見込みのある子供を集めて師をつけ、宮廷魔術師の候補として育てることもある。
 ノリストラル侯爵が推薦した魔術師のほとんどは宮廷魔術師になっている。宮廷の中で重要な地位を占めている者も少なからずいて、侯爵の影響力は推薦した人数分だけ、あるいはそれ以上に大きくなっている。
 ノリストラル侯爵は、ほぼ確実に宮廷魔術師になれるであろう者しか推薦しない。だから、侯爵の庇護下で育った仲間たちは、もう決まったも同然だからそのお祝いと称して、大市に繰り出したのである。
 もっとも、口実にされただけのようにも思える。現に、お祝いすると言ったはずの仲間たちは、あれも見たいこれも見たいと、お祝い対象そっちのけでずんずん進んでいく。
「まあいいんじゃない? みんなで出掛けるのは久しぶりだし、本当に宮廷魔術師になったら、ぼくらは王城に行くからこうして出掛けることはなくなるし」
「エムクドまで、気が早いわね」
 侯爵の元にやって来たのは同じような時期だったけど、歳はエムクドが二つ下。昔はカシュラルの方が背が高かったのに、今は彼女が見上げないといけない。
「ぼくは、カシュラルなら宮廷魔術師になれると思うよ」
「……わたしは、エムクドなら宮廷魔術師になれると思ってるわ。自分はともかくね」
 お世辞ではなく、そう思う。
 カシュラルとエムクドは、いま侯爵の元にいる宮廷魔術師の卵の中で一、二を争う実力だと周りにはよく言われる。しかし、彼の方がやる気がある。それに引き替えカシュラルは――。
「お、旅芸人だ」
 広場にさしかかると、芸人の一座が興行をしている最中だった。
 中央の噴水を背景に役者たちが大立ち回りを演じている。剣を持った数人の戦士が、真っ黒な布で全身を覆い隠し、獰猛な動物を模した仮面を付けた役者を取り囲んでいる。
 仮面の役者はうなり声をあげ、斬りつけようとする戦士たちの刃を踊るようにかわしていく。その合間に、軽やかな身のこなしで観客たちにぐっと近づき、脅かす仕草をする。小さな子供は本気で怖がっていた。
 仮面を付けている役者が魔物らしい。
 噴水の縁に立つ語り部役が、これは遠い昔、本当にあった話なのですと朗々と語る。
 魔物が、襲いかかってくる戦士たちを次々と倒していく。倒れた戦士役は一度舞台から退場し、新たな戦士として再登場するが、やはり倒されてしまう。
 語り部が謡う。その魔物に刃などきかず、人も家畜も次々に食べられてしまう。
 剣を持たない戦士が現れた。剣を持った戦士の動きやすそうな衣装と違い、ゆったりとした衣装だ。呪文らしき大仰なセリフと共に、魔物に向かって両手をかざす。魔術師役だ。実際に魔術を使う時は、必ずしも呪文を唱えたり手をかざしたりするわけではないのだが、これが一般的な魔術師の印象なのだろう。だけど、その魔物には魔術もさほど効果がないらしい。
「昔話だからって、話を盛りすぎだろう」
 仲間の誰かが小さな声で言い、数人が同意している。
 魔物は闇に潜み、闇から出てきて人を襲う。宮廷魔術師が魔物討伐をすることはあまりないと言うが、修行の一環で、カシュラルたちも魔物討伐をしたことがあった。だから、武器も魔術も通じない魔物が存在するわけがないと知っている。
「でも、大げさな方がおもしろいよね」
 エムクドも小声で言う。カシュラルはそうねと応えたものの、声はほとんど音にはなっていなかった。
 ――そんなことはない。
 魔術師役が、杖を振りかざしてなにやら大きな魔術を使う様子を演じている。しかし、魔物はそれをせせら笑い、魔術と魔術師を食べてしまう。
 魔術もきかない魔物を誰が倒せるだろう。語り部が天を降り仰ぎ、嘆き悲しむ。
 がんばれーと子供たちが声援を送る。その声に応えるように、二人の若い男女が現れた。男は輝くような金色の髪。女はしっとりと煌めく銀色の髪。二人とも魔術師らしく、暗い色の長衣を着ている。
 誰も敵わない、倒すことができないと思っていた恐ろしい魔物。それを倒そうと立ち上がったのは、若き二人の天才魔術師なのですと、語り部が二人のなれそめを語り始める。同時に、魔術師以外の役者が退場した。
 魔物の手から逃れていた小さな街で二人は生まれ育ったという。幼い頃から天才と誉めそやされ、切磋琢磨する内に若い二人が惹かれ合うのは至極当然であったと、先程の活劇から打って変わって淡い恋物語が展開される。子供や男性陣には少々退屈なようだが、少女や女たちは興味津々という顔で見入っている。カシュラルだけはちがうと無意識に呟いたが、誰の耳にもその声は届かない。
 若い二人は結婚しようと誓い合うが、その前に魔物を倒さなければ自分たちは幸せになれないと魔物討伐の旅に出る。そこからはまた、活劇の再開だ。二人に協力しようとする仲間や、恋敵まで登場する。
 いくつもの山を越え、いくつもの谷を越え、災厄のような魔物を追う二人とその仲間たち。仲間は一人、また一人と減っていき、とうとう魔術師二人だけに。その二人も満身創痍。だけど魔物も深い傷を負っていた。
 魔物との最後の決戦を迎える前夜、証人も立会人もいない二人だけの結婚式を挙げる。
 ――ちがう。ちがう、そんなことはなかった。
 刺し違える覚悟の二人は、手負いの魔物と対峙する。軽やかに動いていた魔物が、今は危うげな足取りだ。それでも勝負はなかなか決着がつかなかった。男が女をかばって深い傷を負う。魔術で治せるが、男を治せば女の魔力は尽きる。俺に構うなという言葉に押され、女が渾身の魔術を使う。果たして魔物は倒され、消滅した。でも男の命は風前の灯、女もまた、魔物の最後の一撃を避けられずに負傷し長くない。手を握り合い、二人は折り重なって息を引き取った。
 その命と引き替えに魔物を倒した魔術師をしのび、人々は二人を一つの墓に埋葬し、世を救った英雄として末永く語り継いでいくのです、と語り部が締めくくる。
 観客たちが拍手をし、語り部が、投げ銭はいくらでも結構ですが多いほどよいですよと笑いを誘う。
「なかなかおもしろかったけど、最後に相打ちで魔術師が死んじゃうのはちょっとなあ」
 と仲間たちは言いながらも、役者の掲げる袋にめいめい小銭を投げている。
 あの魔物は確かに恐ろしい相手だった。でも相打ちではなかったし、あれが消滅したわけでも――。
「カシュラル?」
 気がつくと、エムクドがカシュラルの顔をのぞき込んでいた。真っ青な瞳が、カシュラルの銀色の瞳を見つめている。
「どうしたのさ、ぼうっとして。そんなに劇に引き込まれたの?」
「え……あ、そういうわけじゃなくて……」
 観客の作っていた人垣は形をなくしていた。広場をあとにする人々に、またのお越しをと語り部が呼び掛けている。明日は違う演目をやるらしい。
「おもしろかったけど、魔術もきかない魔物なんて、いくらなんでも大げさよね」
「昔は剣士程度じゃ歯が立たない魔物も多くいたって言うけど」
「それにしたって、魔術師ごと魔術を食べるとかやりすぎだよ」
 カシュラルたち一行も広場を後にしながら、口々に感想を言い合う。なんだかんだ言いながらも楽しんでいたようだ。
 劇としてはおもしろかったかもしれない。だけど、カシュラルは心の中にもやが生まれたみたいにすっきりしなかった。魔術もきかない魔物など大げさとみんなは言うけど、そんなことはなかったし、二人の若い魔術師は、劇中のような幼なじみではなかった。結婚を誓い合ってもいなかった。少なくとも魔物を倒す前は恋人ですら――。
「あ! 次はあそこ見よう!」
 仲間の歓声で、カシュラルは我に返った。
 自分はいったい何を考えていたんだろう。あの劇は単なる昔話。大衆受けするように脚色されているものだ。そもそも、どれほど本当のことが含まれていたのか。
 きっと、ほとんど入ってなどいない。またそんな考えがよぎったけど、カシュラルはそれを振り払い、仲間の背中を追いかけた。


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