第二章 02
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 エムクドの方が、カシュラルよりも宮廷魔術師にふさわしい。
 いや、ノリストラル侯爵の庇護下で学ぶ仲間たちの誰よりも、カシュラルは宮廷魔術師にふさわしくない。
 侯爵に恩を仇で返すも同然で誰にも言ったことはないし、そんなことを思ってはいけないとわかっている。けれど、カシュラルは宮廷魔術師というものに、魅力も憧れも感じていなかった。
 魔術の才を持ち、それが優れていれば、身分に関係なく宮廷に仕官できる。貧しい農村や裕福ではない家に生まれた仲間たちは、その可能性にかけ日夜励んでいる。家族の期待を背負っているから、と言う者もいる。
 だけどカシュラルには、期待をかけてくれる家族がいなかった。
 カシュラルは小さな街の衣服修繕屋に生まれた。毎日朝から夕方まで繕いものをして、やっと食べていける家だった。だけど、宮廷魔術師になれるかもしれないと期待され、送り出されたのではない。
 魔術師は血筋によらず、突然変異的に生まれる。しかも家族や親戚の誰にも似ていない銀色の瞳を持って生まれたものだから、両親でさえカシュラルを不気味に思っていた。
 旅の途中で修繕屋をたまたま訪れた魔術の師匠が、カシュラルはうまくすれば宮廷魔術師候補になると見抜いて、両親を説き伏せたのである。もっとも、両親は紹介料がかかるのではと渋っていただけで、金はいらないとわかるや二つ返事でカシュラルを引き渡した。
 家族は見送りはしてくれたものの、後ろ髪引かれる思いで振り返ったカシュラルが目にしたのは、厄介払いできたと安堵の表情を浮かべる両親だった。もう故郷へは帰れないと、その時に思った。
 宮廷魔術師への憧れがなく魅力も感じていないのは、しかし期待をかけてくれる家族がいないからだけではない。
 自分のすべきことは宮廷魔術師ではない。そんな意識が、カシュラルの中でずっとくすぶっていた。いつからなのかわからない。だけど気がついたら、何かを探し求めるように遠くを――日の昇る方角を見ていることがあった。でも、それが何故なのかもわからない。
 今こうして、書庫で古い文献を漁っているのも、『自分でも何故なのかわからない』感情に突き動かされてのことだ。
 大市に繰り出した翌日、カシュラルは朝から書庫にこもっていた。
 カシュラルたちは、ノリストラル侯爵の居城と同じ敷地内の、専用の館で暮らしている。衣食住が保証され、個室まで与えられている。食堂があり専属の料理人もいる。皆で集まって勉強する広間もあるし、規模の大きい魔術の練習をするための広い中庭もある。
 カシュラルがいる書庫も、館の一角にあった。天井まで届く書架が立ち並び、新旧様々な本で埋められている。侯爵家や、過去にここで学んだ先輩魔術師たちが少しずつ増やしていった、知識の塊だ。
 これだけの数の本を自由に閲覧するのは、普通に街で暮らしているだけでは無理だろう。
 魔術の才と銀色の瞳を不気味に思っていた両親を恨んではいない。家族の誰にも似ていない、それどころか自分以外では見たことのない銀色の瞳も、嫌いにはならなかった。貧しい衣服修繕屋ではとうてい考えられないような暮らしができ、魔術師としての教育を受けられるのだから。
 ノリストラル侯爵には一生かけても返せないほどの恩を受けている。だから、侯爵のメンツを潰さないために必ず宮廷魔術師にならなくてはいけないし、その後も侯爵の期待に応えるような活躍をしなければならない。
 そのために今すべきことは、約三ヶ月後に控えている宮廷魔術師の選考会の対策とさらなる精進なのだが、カシュラルはそれとはおよそ関係のない調べ物に没頭していた。
 広場で劇を見て以来、あれは事実とはちがうという違和感がこびりついて離れない。
 ただそう感じるものの、では肝心の事実はどんなものだったのかがわからない。あの劇が史実を元にした話であるなら、どこかにその記録があるのではないか。本当はどんな魔物で、どんな魔術師たちだったのか、それを知りたかった。
 書庫には過去の魔術師たちに関する歴史書もたくさんあるし、魔物についての覚え書きや専門書もある。これだけあれば、なにかしら手がかりが得られるのではないかとずっと探していた。
 今日は一日書庫にこもると仲間たちには言ってあった。選考会対策の調べ物をしていると思っているだろうから、誰にも邪魔されることなく、心置きなく調べられる。
「ずいぶん熱心だなあ」
 エムクドが感心したような声で言った。誰も来ないと思っていたけれどカシュラルと同じ状況の彼だけは別だった、とその姿を見て思い出した。
 カシュラルがいるのは窓際の書見台だ。その上には書架から見繕ってきた本が何冊も積み上げられている。エムクドに題名を見られないように隠したかったが、それがとっさにできる数ではなかった。
「『シェロテスト周辺地帯の魔物の特徴と行動範囲についての考察』……?」
 いちばん上にあった本の題名を、エムクドが読み上げる。これだけ積まれていたら目につかないわけがない。
「選考会では、訊かれそうにないことだと思うけど」
 訊かれるのは魔術の基礎や応用に関する理論だという。魔物に関しては宮廷魔術師の仕事の範疇外でほとんど訊かれることはない。知識として持っている必要はあるけれど。
「それとも論文の主題にするの? 師匠はやめた方がいいと言うと思うけどな」
 言いながら、エムクドは隣の書見台に座った。筆記具を持っているし、彼は真面目に勉強をするつもりのようだ。宮廷魔術師の推薦を受けた者は、事前に論文を提出しなければならない。カシュラルは早速論文を書いている、と思っていたのだろう。
「これは……好奇心よ。論文と関係ないわ」
「好奇心? カシュラルは、そんなに魔物に興味あったっけ」
 エムクドは怪訝な顔をする。
「それに、何も今調べなくていいだろう。論文の締め切りは二ヶ月後。あっという間だよ」
 もっともである。優先すべきは宮廷魔術師の選考会。劇を見て得た違和感の解消など後回しすべきだ。でもカシュラルにとって選考会よりも違和感を消す方が優先事項だった。解消されなければきっと専念できない。
「――わたしには、思い出せない、でも大切な記憶があるの」
「……思い出せないのに、大切だってわかるの?」
 更に怪訝な顔をするエムクドに頷いてみせる。
 眠っていて目が覚めたとき、夢を見た覚えはあるけどその内容は覚えていない、それと似たようなものだ。
 いったいどんな記憶なのかは、少しも思い出せない。でも、それが自分にとってはとても大切なだと感じている。
「いつからかわからないけど、ずっと昔から、それを思い出したいと思ってる」
「小さい時の記憶ってこと? カシュラルは、記憶喪失になったことがあるの?」
「ないわ。小さい時の記憶なんかじゃないのよ、それは」
 思い出せないのに、何故かそう断言できた。物心つく前の記憶などではない。それよりももっとずっと前、遠い遠い昔の記憶なのだ。
「それじゃあまるで、生まれる前の記憶みたいだね」
「……そう、なのかもしれない」
 カシュラルの小さな声に、頬杖をついていたエムクドが目をしばたたかせる。
「まさか本当に、生まれる前の記憶だと思ってるのか?」
「生まれ変わりはある、と言われてるわ」
「聞いたことはあるけど、眉唾な話ばかりだろ」
 まれに、別の人間として生きていた時の記憶を持ったまま生まれてくる者がいるという。物心ついた時から思い出せない大切な記憶は、もしかしたらカシュラルとして生まれる前の記憶ではないか、と考えることもあった。そうでなければ、十八年という彼女の人生よりもっと遠い昔からあるのではないか、とさえ思うその記憶の説明がつかない。
 だけど、そんなはずはない、とも思う。
 歴史書に名を残すような魔術師は生まれ変わりを繰り返す、という話もある。強大な魔力がそうさせるという。
 だけど、カシュラルは歴史に名を刻めるほどの魔力を有しているわけではなく、飛び抜けて優れた術を使えるわけでもない。転生を繰り返せるような魔力がないのだから、生まれ変わる前の記憶など持っているはずもないと思うのだが、喉に引っかかった魚の骨のように、思い出せない大切なはずの記憶は彼女の中でくすぶりつづけている。
 エムクドは、カシュラルの話を聞いても半信半疑という表情だ。カシュラル自身、本当に生まれる前の記憶なのかもわからないから無理もない。きっと誰かに話せばそういう顔をされるだろうと思っていた。逆の立場なら、カシュラルもどこまで話を信じるかわからない。
「……仮に、カシュラルのその記憶が生まれ変わる前のものだとして」
 疑いの残る表情ではあったものの、エムクドは神妙な顔だった。
 彼ならばありえないと一笑に付さないと思っていた。
 同じ環境で育った仲間の中で、カシュラルにとってはエムクドがいちばん近しい存在だった。歳は二つ違うものの、同じ頃にここへ連れて来られ、魔術の実力はどちらが勝るとも劣らず、同じ年に宮廷魔術師に推薦された。カシュラルにとって、エムクドは弟みたいな存在なのだ。
「それがその調べ物と関係あるの?」
 書架から引っ張り出してきた本の山を見て、カシュラルは息を吐く。魔術師と魔物に関するもの、昔話や伝説を集めた説話集等々。この中に、思い出せない記憶に関する手がかりがあるのかどうか、カシュラルにもわからなかった。だけど、わからないからこそ、題名を見て気になったこれらを調べてみる価値はある、とも思うのだ。
「昨日、広場で劇を見たでしょう。あの内容が、わたしにはどうしても引っかかってしょうがないの。何かが違うという気がして……」
「あれは劇だろ。魔物が強すぎるとか、おもしろくするための演出じゃないか」
「わかってるわよ。でも、昔本当にあった話だって言ってたでしょう」
「それも、盛り上げるためだろ」
「わたしはそうは思わなかった。だから気になるのよ。本当にあったことかもしれないけど、劇の内容は本当のこととは違っていたんじゃないかって。そう思えて仕方がないの」
 いざ口にしてみるとばかげたことにしか聞こえない。だけど、ずっと抱きつづけてきた思い出せない記憶と、劇を見て得た違和感が密接に関係しているように思えてならず、焦燥感が生まれていた。
 でも、焦るのは何故だろう。この気持ちをすっきりさせなければ、宮廷魔術師の選考会に臨めないからだろうか。それとも、別の理由があるのだろうか。
「今、調べるだけ調べないと、気が済まないのよ」
 他人から見ればばかなことにしか見えないだろう。でもそれでも構わなかった。何と言われようとも、カシュラルが今やりたいのは選考会の対策などではない。
 エムクドがすっと立ち上がった。
「――手伝うよ」
 さすがに呆れて書庫を出ていくのかと思ったら、カシュラルの前に積み上げられた本の山を一つ持ち上げて、自分の書見台に置く。
「一人より、二人で調べる方が早いだろ」
「でも、エムクドもまだ論文書けてないでしょ。それに、ほかにも選考会対策しないといけないじゃない」
 今こんなことをしなくていいだろうと言ったのはエムクド自身だ。それに、これはカシュラルの問題だった。選考会にはもちろん、エムクドとも関係はない。彼には期待をかけている家族がいる。こんなことに構っている場合ではない。
「ぼくは優秀だから大丈夫」
 でもエムクドは、おどけた調子で言う。
「そうかもしれないけど、これはわたしの問題だから、エムクドを巻き込むわけにはいかないわよ」
「つれないこと言わないでよ、カシュラル。ぼくたちの仲だろう」
「そりゃ幼なじみだけど……」
 いちばん気安い仲間だから打ち明けたけど、手伝ってほしいと思って話したわけではない。そんなつもりは全然なかった。
「……幼なじみかよ……」
「え?」
「なんでもない。それより早く調べよう。時間が惜しいだろう?」
 エムクドは手伝うのをやめるつもりはないようだ。これ上は押し問答になるだけである。カシュラルの違和感が晴れることはないし、お互いに何も進まない。
「――わかった、お願いするわ。そっちはまだ全然調べてないの」
 エムクドが持って行った山を指す。魔物に関する本を集めたものだった。
「魔術を食うような魔物がいるか、探せばいいんだね?」
「ええ」
 エムクドは早速いちばん上の一冊を開いていた。
 誰かに手伝ってもらうことすら考えていなかったけれど、いざ手伝ってもらえるとなると、正直助かる。調べるとは言っても、魔術を食べるような魔物とか、強大な魔術師とか、大雑把な手がかりしかないのだ。調べる対象が広すぎて、カシュラル一人では一日、二日では終わらないだろう。
 魔物に関してはエムクドに任せて、カシュラルは魔術師の記録調べを再開した。 
 それからは、ほとんど会話をすることもなく、二人して調べることに没頭した。しゃべるのは、エムクドが何か気になる記述を見つけたときくらい。カシュラルが、もっと詳しくとか、それは違うとか応え、お互いにまた本を読む作業に戻っていく。
 歴史を紐解けば強大な魔術師や魔物は枚挙に暇がない。それを一つ一つ調べるのだから、とにかく時間がかかる。
 夕食を終えると、二人してすぐにまた書庫へ戻り、調べ物を再開したのだった。


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