第一章 07
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 道の両側は、雑木林よりもまばらな林が広がっている。遠くにはガエリアの城壁が見え、そこへ向かう人影がいくつか見えた。
 ギーディスたちは、ジェフテスが襲われた現場に来ていた。第四分団がすでに調べているが、自分たちの目でも確認するためだ。
 林から鳥の鳴く声が聞こえ、風の吹き抜ける音がする。他に聞こえる音はなく、静かだった。
 血だまりがあったという話だが、土を除くか埋めるかしたのだろう。惨劇の名残はどこにも見当たらない。
 あたりを見回しながら、ギーディスはカシュラルを盗み見た。
 公衆の面前でギーディスに抱きついた大胆さはあの時の一度きりだったのか、カシュラルは口数の少ない、物静かな女性に見える。足元やその周囲の地面をじっと見つめ、ふと気がついたように顔を上げて林や空に視線を移していく。神妙で、憂いを含んだ表情だ。ジェフテスが襲われたことの責任を、現場に来て改めて感じているのだろうか。だが、彼が襲われたのはカシュラルのせいではない。
 エムクドが彼女に声をかけ、一言二言かわす。何を言っているのかはわからなかった。
 この二人は、どういう関係なのだろう。
 同じ師匠の元で学ぶ宮廷魔術師の候補ということだが、昨日、ルフトに小部屋に呼ばれた時、エムクドはほとんどしゃべらなかった。説明はカシュラルがして、それは彼女が当事者だからだとわかったが、ではエムクドは、同窓の仲間という以外にどういう関係があるのだろう。《獣》を封印した魔術師の生まれ変わりだというギーディスや、ガエリアの警備団員であるナサシア以上の関係があるようには、思えない。
 同窓の仲間以上の感情が、少なくともエムクドにはあるらしい。ギーディスはその手の機微にはうとい方だが、昨日の去り際の彼の態度から、その程度の察しはついた。
 カシュラルはどうなのだろうか。まじめで責任感の強そうな彼女が、関係のないエムクドを積極的に巻き込んでいるとは思えない。もしやカシュラルも、エムクドに対して友情以上の何かを持っているのだろうか。初めて会った時、抱きついてきたのはいったいなんだったのだろう。気が動転していた、と言っていたが、それにしては大胆すぎる行動で、あの時の彼女の表情といい、本当の理由とは思えない。《獣》を封印した魔術師の生まれ変わりという仲間意識が、カシュラルにあんな行動を取らせたのだろうか。
「ギーディス」
 カシュラルに呼ばれ、ギーディスは思索を中断した。もう『ヴァンドール』とは呼ばないのか。
「何か――魔物の気配とか、感じない?」
 周囲は静かで、危険な気配はない。カシュラルは何かを感じ取ったのだろうか。
 意識を研ぎ澄ましてみるが、ギーディスの感覚には何も引っかかってこない。魔物はほとんどの場合、夜に出没する。気の早いものは黄昏時に姿を現すが、昼に出る例はあまりない。日光が苦手で、日中は木のうろや洞窟の奥深くなどの暗がりに身を潜めている。
「魔物って、《獣》のことを言っているの?」
 ナサシアが訊くと、カシュラルは頷いた。
「魔物は普通、昼間は出ないでしょう」
「《獣》は、普通には当てはまらないわ」
 カシュラルのその言葉に、ナサシアが疑惑と不安の入り交じった複雑な顔をする。
 ジェフテスが襲われたのは、状況から判断して夜。それからすると、《獣》は他の魔物と同じく夜に出ることになるが、昼間には出ない、という保証もない。
 このあたりには魔物が身を潜められる洞窟や大きな岩影などはない。林の中には日が射し込んでいる。この林に、隠れられるくらい大きなうろのある木はあっただろうか。
 林を見やったギーディスは、何かが近づいてくるのを感じた。音やにおいがあったわけではない。ただ急に、地面から水が染み出してきたように、何かが近づいてくる、と感じたのだ。
 魔物の気配とは違う、初めて感じるものだ。しかし、既視感があった。前にもこんなことがあった、と思った。最後にこれを感じたのがいつなのかは覚えていない。ずっと昔、いつだったか思い出せないほど遠い昔にも感じたことがある。
 だが、欠けているものがある。この禍々しい感覚を引き連れてくる、ひどく懐かしい、不穏な雰囲気がない。そんな危うい空気が懐かしいと感じるのはどうかと思うが、今まではずっと、禍々しいそれと不穏な雰囲気は同時に訪れた。
 ――今までは?
 これ単なる既視感で、今までに一度だってあったはずがない。それなのに「今までは」と思うなんておかしい。
 何故だ。いやそれより、何かが近づいてきているのを皆に知らせないと――。
「ギーディス?」
 ナサシアが首を傾げるのが、視界の端に見えた。ギーディスは食い入るように林の奥を見つめていた。目をそらしたらいけないと思った。
 近くにいるカシュラルが魔術を組み立てているのを感じる。
「《獣》が近くにいるわ」
「え?」
 カシュラルが鋭い声で言った。ナサシアは、突然の緊迫感に戸惑った声を上げる。エムクドは、カシュラルにならって魔術を組み立てていく。
「――来る」
 直後、林の木陰から黒い塊が飛び出した。
 犬くらいの大きさのそれは、ギーディスめがけてまっしぐらに、飛ぶように駆けてくる。一目でわかった。
 《獣》だ。
「ギーディス!」
 カシュラルが叫ぶと同時に、ギーディスの目の前に火柱が立つ。《獣》はすんでのところで右に避けた。そこを狙い、エムクドが人の頭大の石礫を飛ばす。だが《獣》は、今度は上に飛び上がってそれを避ける。その時にはナサシアも遅ればせながら攻撃態勢に入っていて、氷の矢が《獣》を襲う。飛び上がった《獣》はまだ地面に降り立つ前で、今度こそ避けようがない。
「うそ……!」
 ナサシアが驚いた声を上げる。ギーディスも目を見張った。
 《獣》は、大きく口を開けて、飛んできた氷の矢を受け止めた。いや、飲み込んだのだ。氷の矢は《獣》のどこも傷つけることもなく、口の中に吸い込まれた。
 しかし、それを見てもカシュラルとエムクドは驚きもせずに、地面に降り立った《獣》に次の攻撃をたたき込む。
 よく見れば、二人の攻撃は《獣》の口を狙っていない。足や胴体など、頭以外の部分を狙っている。頭を狙うと《獣》に飲まれてしまうとわかっているのだ。
 《獣》は、食べたものすべてを己の力に変える。有機物でも無機物でも、奴はなんでも喰らう。しかし、いちばんの滋養となるのは魔術だ。
 どうしてギーディスはそれを知っているのか。生まれ変わる前の記憶なのか。
 だが今はそんなことはどうでもよかった。《獣》が目の前にいる。赤い目は、攻撃を避ける時はそちらを向くが、すぐにギーディスを射抜く。それを見るたび、体の奥が不快にざわめいた。何かが――きっとギーディスの中に封印されている《獣》の核の片割れが、外に出たがっている。片割れと一つに戻りたがっているのだ。
 ――そんなことはさせるか。
 弩を左手で構え《獣》に狙いを定める。魔術よりぜんぜん滋養にならない矢を放つ。すぐさま次を装填して二本目、三本目。矢を装填する間、援護するようにエムクドの魔術が《獣》を襲う。風の刃だ。それが右から左から、《獣》の胴体をなごうとする。エムクドの魔術構成を見ながら、四本目を発射した。同時に右手で剣を抜き、前に踏み込む。
「だめよ、あなたは下がって!」
 二歩目を踏み出そうとして、カシュラルの叫ぶ声に動きを止めた。
 《獣》は飛んできた矢を斜め後ろに飛んで避けた。林を背後にし、こちらを睥睨する。微妙な距離が空いてにらみ合う形になった。
 魔物は日光が苦手と言われているが、《獣》は日差しを浴びていてもなんともない風に見える。昼間にあっても、光を拒む青黒い毛並みに包まれた《獣》の姿は、小さな闇がそこに存在しているようだった。
 毛並みと目の色こそ違うが、見た目は狼に似ている。ぴんと立った三角の耳をわずかに動かし、ゆったりと尾を振る。
「ようやく会えたのに、ゆっくり再会を喜ぶ暇もない」
 《獣》の口が開いて、声が漏れた。人であれば、肩をすくめてやれやれと言っているような口調だった。
 しゃべった、というナサシアの呆然とした声が耳に届く。ギーディスの背後にいるのか、《獣》の視線が一度ギーディスから離れた。が、すぐに興味をなくしたのかギーディスに戻る。
「久しいなあ、ヴァンドール」
 剣と弩を握る手に、にわかに力がこもる。
 ナサシアのように声にこそ出さなかったが、《獣》がしゃべったことにギーディスも驚いていたのだ。魔物が人の言葉を話すなど、魔術を喰らう以上に聞いたことがない。
 ヴァンドール。自分で呟いてみるが、《獣》が近づいてきた時に感じた、そして今も体の奥でうずく不快感のような、懐かしくさえあるような既視感がない。
「おまえがまだ生きていてよかったよ」
 《獣》は嗤うような声だった。核の片割れを見つけられてうれしいのか。だが、生きていてよかったとはどういうことだ。
 《獣》の赤い目が、カシュラルに向く。
「今度はすぐにヴァンドールを殺さなかったのか。今までは会えばすぐに殺してきたくせに、気が変わったか」
 そう言って、今度こそ《獣》は嗤った。
 すぐ近くで、魔術構成が勢いよく膨れ上がる。カシュラルのかと思った時には一条の光が《獣》を貫いた。が、狙いがまずく、《獣》はその光を易々と飲み込んでしまった。飲み下すように喉を鳴らし、それからまた《獣》が嗤う。
「昼間は動きが鈍っていかん。一度退くが、のんびりしていたらおまえに先を越されるかもなあ」
 嗤いながら、《獣》はカシュラルを見据える。カシュラルは苦虫を噛み潰したような表情で《獣》をにらんでいた。
 今度はエムクドが素早く構成を組み立てる。《獣》の立つ場所の地面が揺れたかと思うと、大地が槍のように鋭く盛り上がった。
「ひひ、自分が先にやられたら意味がない」
 《獣》は体を貫かれる前に後ろへ飛んでいた。そこはすでに林の中だ。軽やかに身を翻すと、《獣》はあっという間に林の奥へ消えてしまった。
 不快なざわめきが小さくなる。近くにあれがいた、という感覚が消える。どうやら本当に撤退したらしい。
 周囲に静けさが戻る。だが見回せば、鋭く盛り上がった土や、地面にめり込む石のつぶて、焦げた下草、幹に刺さった弩の矢など、戦闘の痕跡がはっきりとある。幸い通りかかる者はないから、今のうちに元に戻せば人目に触れることはない。ガエリアの近く、しかも街道上で戦闘があったと悟られてはまずい。ましてここはガエリアの北、第四分団の管轄になるから、痕跡を片付けずにいたら、よその縄張りで何をしてくれたとどやされるのは間違いない。
「とりあえ――」
「あの魔物が言ったことは、どういう意味なの!」
 ギーディスの声に、ナサシアの大声が重なる。ナサシアは、ギーディスが口を開きかけたことにも気づいた様子はなく、カシュラルに詰め寄った。
「あいつはギーディスを『ヴァンドール』と呼んで、あなたを見て『ヴァンドールを殺さなかったのか』と言ったわ。どういうことなの! おととい、あなたもギーディスのことをヴァンドールと呼んだわ。ほんとうはギーディスを殺すつもりなの!?」
 ナサシアは魔物がしゃべったことにも驚いていたはずだが、今は二の次のようだ。噛みつきそうな目でカシュラルを見ている。
「そんなわけない。わたしは、ギーディスを守るために来たのよ」
 激昂するナサシアと比べるまでもなく、カシュラルは落ち着きはらっていた。それがよけいにナサシアの怒りをあおり、不信感を募らせているのははた目にも明らかだ。
「先を越されるかもしれない、とも言っていたじゃない!」
「ナサシア、魔物の言うことを真に受けないで」
「でも、あなたの信じられないような話は真に受けろと?」
「ナサシア。ちょっと落ち着け」
「ギーディス、あなたのことなのにどうしてそんなに落ち着いてるのよ!」
 今にもカシュラルのつかみかかりそうなナサシアの肩をつかみ、引き下がらせようとした。ナサシアはその手をうるさげに振り払い、ギーディスに矛先を向ける。
「カシュラルと《獣》が、ギーディスを殺そうとしてるかもしれないのに!」
「ナサシア、言い過ぎだ」
 さすがにギーディスも顔をしかめた。その表情を見て、ナサシアが我に返り多少冷静さを取り戻したらしい。
「あ……」
 気まずい顔をカシュラルに恐る恐る向ける。カシュラルは変わらず冷静だった。怒った様子もなく、それどころか感情の抜け落ちた表情をしていた。
「わたしの話を信じなくてもいいわ。でも、《獣》は必ず倒す。ギーディスは絶対に守る。それだけは信じて」
 信じて、と言いながらも懇願する口調ではなかった。それさえ信じてもらえなくても、彼女は自分で言ったことをやり通す、その覚悟がにじみ出ていた。
「――《獣》が退いたとはいえ、いつまでも結界の外にいるのはよくない。戻ろう」
 少し離れて一部始終を見つめていたエムクドが、いちばん建設的なことを言った。
 痕跡は消さなければならないので、カシュラルとエムクドにそれを説明する。後始末の間中、作業を優先していたせいもあるが、誰も口をきかず気まずい雰囲気に包まれていて、それはガエリアへの帰路についてからも続いた。
 会話もなく黙々と歩く間、ギーディスはここまでの出来事を反芻し、次々と浮かび上がる疑問の答えを探していた。
 ギーディスは大昔に《獣》を封印したヴァンドールという魔術師の生まれ変わりだというが、その記憶はまったくない。しかし、やはり封印した魔術師の生まれ変わりであるというカシュラルは、記憶を持っているらしい。何故ギーディスは何も思い出さず、カシュラルは思い出しているのか。
 そのカシュラルは、《獣》の言うことを真に受けるなと言った。もちろん、ギーディスは真に受けるつもりはない。しかし、まったく気にもしていないと言えば嘘になる。
「今度はすぐにヴァンドールを殺さなかったのか。今までは会えばすぐに殺してきたくせに、気が変わったか」
 その、《獣》の言葉が引っかかる。
 何度も生まれ変わり、そのたびにカシュラルはギーディスを――ヴァンドールを手にかけてきたのだろうか。しかし、何のためにそんなことをするのか、見当がつかない。
 生まれ変わる前は知っていたのかもしれない。思い出せないだけで、今も覚えているのかもしれない。《獣》の言葉を聞いても、ギーディスはカシュラルを恐ろしいとは思わなかった。彼女が自分を殺すかもしれないとナサシアが言った時も、危機感はなかった。それは、思い出せないけれど理由があるからなのではないだろうか。
 ギーディスはふと、真に受けていないつもりだった《獣》の言葉を、まるっきり信じている自分に気がついた。
 いや、信じているのではない。生まれ変わる前のことはまったく思い出せないが、恐らくギーディスは知っているのだ。カシュラルがヴァンドールを手にかけた理由を。
 何かがあったのだ、何かが。
 知っているはずなのにそれを思い出せないのがひどくもどかしい。夢を見たのは覚えているのに、夢の内容はどうしても思い出せない。それと似ていた。
 門番と挨拶を交わし、城門をくぐる。城壁で遮られていた街のにぎやかさが一気に押し寄せ、思索の海を漂っていたギーディスは現実に打ちあげられる。
 カシュラルはギーディスを殺すわけがないと言った。その言葉を、もちろん信じている。そして、彼のするべきことは、何も思い出せなくても変わらない。
 《獣》を倒す。それだけだ。


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(C) Nagasaka Danpi 2018