第一章 06
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 カシュラルたちと共に待機室へ移動し、詰め所にいた団員を全員集めてから、二人がノリストラルから来た警備団の一員で、ギーディスと一緒に魔物退治にあたると紹介した。第二分団の全員がその場にいたわけではなかったが、皆、当然ながら驚いた顔をした。とりわけナサシアが、険しいと言っていいくらいの表情で、カシュラルを見ていた。
 ルフトが事前に話を通していたようで、ほかの小隊長二人は何も言わなかった。それで、その場にいた団員たちは小隊長全員が了承済みであることを理解したようで、驚きはしたものの、異議を唱える者はいなかった。カシュラルたちが、ジェフテスをおそらく襲ったであろう魔物を追ってきた、と聞かされたことも、大きかったかもしれない。その魔物がギーディスを狙っているという話は伏せられた。ルフトが、よけいな混乱を招きたくないと言ったからである。
 二人の紹介を終えたあと、第二分団側が一通り自己紹介をして、通常業務に戻った。その頃には黄昏時をすぎていて外は暗く、カシュラルたちとは明日から本格的に行動を共にすることで話がついた。
 宿へ帰るという二人を詰め所の外までではあるが、ギーディスは見送りに出た。
「それじゃあ、また明日」
「カシュラル。訊いてもいいか」
 帰ろうとする背中に、ギーディスは声を投げた。
 足を止め、カシュラルが振り返る。彼女より一歩進んだところで、エムクドも立ち止まった。
「ヴァンドール、というのが生まれ変わる前の、俺の名前なのか?」
 カシュラルがギーディスに抱きついた時、口にしていた。生まれ変わる前は、きっとギーディスとは違う名前があったのだろう。
「……ええ」
 だが、やはりギーディスにはぴんとこなかった。生まれ変わっても記憶を取り戻すと彼女は言っていて、カシュラルはどうやらもう取り戻しているらしいのに、どうしてギーディスは違うのだろう。
 それにしても何故、カシュラルは昨日、ギーディスに抱きついたのか。その理由を訊こうかどうしようか迷っていたら、
「昨日はいきなり、ごめんなさい。ちょっと、気が動転していただけなの」
 本当にそうなのか。彼女は驚いたのではなく、何か確信めいた表情をしていたように見えた。
 それを言おうとしたが、カシュラルの表情を見て、言葉が喉につかえる。その一瞬の間に、カシュラルは今度こそ背を向けて行ってしまった。
 カシュラルの、去り際に見せた表情の理由をはかりかね、ギーディスは半ば呆然とその背中を見つめた。
 あんな寂しげな微笑を、彼は見たことがない。昨日見た、今にも泣き出しそうな顔とは違う。泣くのを我慢し、寂しさをこらえているような顔だった。見ている方の胸が痛むような顔だった。
「カシュラルも――」
 急に聞こえた低い声にはっと顔を向けると、エムクドだった。彼がしゃべるのは、顔を合わせてからこれが初めてだった。ギーディスよりいくつか年下のようで、目元にはかすかにあどけなさが残る。それを何故か険しくし、こちらを刺すように見ていた。
「ぼくも、ガエリアに来るのは今回が初めてだ。カシュラルが君と会ったのも、昨日が初めてだ」
 声にも棘がある。彼の気を悪くするようなことをギーディスが言ったのか、してしまったのかと思ったが、あいにく心当たりが全然ない。
「生まれ変わりだろうとなんだろうと、カシュラルはカシュラル、君は君だ。そうだろう?」
「あ、ああ……」
「それを、絶対に忘れるな」
 絶対にだ、と念押しをする。何故そんなことを念入りに言われるのかわからないまま、エムクドの気迫に押され、頷いていた。
 それを見て納得したのか、エムクドがようやくきびすを返す。彼がついてきていないのに気がついたらしいカシュラルが、先で立ち止まっていた。その姿は小さく、瞳の色は見えなかった。

    ●

 苛立ちの行き場がなく、胸の中が荒れる。
 前を向いて歩いているが、ナサシアの意識は、うしろを数歩遅れてついてきているカシュラルに向けられていた。
 結界修繕の帰り道、往来のど真ん中でギーディスに抱きついたのにも愕然としたけれど、昨日、待機室でカシュラルを見た時には目を疑い、あまつさえギーディスと一緒に魔物退治をすると聞かされ耳を疑った。
 外部の魔術師に協力を仰ぐことはあるけど、それはあくまで結界関連の時だけ。魔物退治に部外者を加えることなど、ナサシアが入団してから一度もない。でも小隊長三人が了解しているようだったので、部外者を入れていいのかとナサシアが反対しても無駄だろう。まして、カシュラルたちが、ジェフテスを殺したかもしれない魔物を追ってきたとなれば。
 ジェフテスを丸ごと喰らった魔物の手がかりさえつかめず焦りが募っているから、その魔物を追ってきたという二人に協力を仰ぐことにしたのだろう。
 そこまでは、まあ一応、納得できる。
 警備団では最低でも二人一組みで行動するのが原則で、今回は早期解決を図るため、ナサシアもギーディスと組むようにと言われたのは不幸中の幸いというか、不納得の中の納得というか。
 しかし、それでもはっきりしていないことが多すぎるから、二人が帰ったあとにナサシアはルフトに尋ねたのだ。何故ギーディスなのか。それがいちばん、謎だったし納得がいかなかった。
 おととい、カシュラルは人目もはばからずにギーディスに抱きついたのだ。それが今回のことに関係があるのではないか、と疑った。
 ギーディスはカシュラルを初めて見たと言っていたが、カシュラルの方は明らかにそうではなかった。好意を持っている。間違いない。ギーディスとの距離を縮めるために詰め所に来たのではないか、とさえ考えた。
「おまえには、知らせておいた方がいいな」
 ルフトはしばらく考え込んだあと、待機室の隣の部屋へ場所を移し、他言無用だと言って教えてくれた。
 カシュラルたちが追っているのは《獣》と呼ばれ、魔術さえ飲み込む魔物であること。そして、その魔物がギーディスを狙っている、ということ。何故なら、ギーディスははるか昔に《獣》を封印した魔術師の生まれ変わりで、ギーディスは《獣》の核の半分を持っているから云々――。
 にわかには、いや、とうてい信じられない内容に、ナサシアはあからさまに怪訝な表情になった。
「小隊長は、その話を信じるんですか?」
「すべてを信じた訳じゃない。だが、カシュラルがうそを言っているとも思えなかった。うそだと彼らを追い返しててギーディスや他の誰かに危害が及ぶくらいなら、うそでも信じて、警戒する方がいいと判断した」
 《獣》とやらがジェフテスを殺した魔物であるなら、ルフトはなおさらもう被害を広げたくない、と思ったのだろう。それはナサシアにも理解できたし、彼の気持ちがわかるだけに、反対もできなかった。
「これで納得してくれるか、ナサシア」
「はい……」
 納得するしかない。ルフトの言うことももっともだ。ギーディスが危険にさらされているというのなら、力になりたい。ただ――。
「気になることは、あります」
「なんだ?」
「カシュラルの話を全面的に信用するなら、彼女も、《獣》を封印した魔術師の生まれ変わりということになるんですよね」
「ああ、そうらしい」
「彼女が封印を解いたから《獣》が復活してジェフテスを殺した――ジェフテスが死んだのは、カシュラルのせい、ということですか」
 いつの間にか、拳を強く握りしめていた。
 休暇を取る前、急で悪いなと謝ったジェフテスの、申し訳なさそうな顔をよく覚えている。のろけだらけの手紙の内容も。
 今頃、ジェフテスの妻は夫の訃報を受け取っただろう。彼女の悲しみはいかばかりか、考えるだけで胸が詰まる。
「……彼女のせいではない」
 ルフトの声は静かで、表情も同じだった。
「ジェフテスの休暇を許可した、わたしのせいだ」
 その言葉に、ナサシアははっとし、そして訊いてしまったことを後悔したのだった。
「ここが境界になる」
 ギーディスの声で、ナサシアの意識は昨日の夕方から今に引き戻された。
 振り返れば遠くに北の城門と、そこに吸い込まれる人影が見える。
「城壁から結構距離を取っているんだね」
 エムクドが自分が立っている位置と城壁の距離を測るように、何度か視線を行ったり来たりさせる。
 四人が立っているのは、ちょうど結界の境界にあたる地点だった。
「結界の綻びができて万が一魔物が侵入した場合を想定して、距離を取ってあるんだ」
「林があると、魔物の隠れ場所になりそうだけど」
 ギーディスの説明を受けて、エムクドがあたりを見回す。
「ガエリアの北西側は昔からの雑木林が広がってるのよ。資材調達用に。でも、ここ以外の場所は見晴らしがいいから、隠れる空間はないわ」
 木材は燃料や建築、その他様々な場面で必要不可欠だ。総量としては近隣の村から運び込まれるものの方が多いけれど、城壁のすぐ外で結界の内側という安全で手近な調達場所をそう簡単になくすこともできない。魔物が侵入した場合のことを考えると、周辺に身を隠す場所はない方がいいのだが、このあたりはガエリア領主の保有林であるため伐採して更地にできない、という理由もある。
「……ずいぶん手が込んでいて、頑丈そうな結界ね」
 カシュラルが、普通の人が見れば何もない中空をじっと見つめる。でもこの場にいる全員の目には、ガエリアを守る結界の構造が見えていた。
「ずっと昔から、ガエリアの魔術師たちが守り補強し続けた結界だからね。ちょっと綻びができても、全体の構造に影響は出ないわ」
 ここにある構造だけで結界の強度や複雑さまで読み解いたらしいカシュラルに、ナサシアは内心舌を巻いた。結界の要である石柱に刻まれた構造を見れば、魔術師は一目でその複雑さがわかるけれど、このあたりの構造では一見するとわからないのだ。じっくり時間をかけて見れば複雑で、どのあたりから違う魔術師の手によるものかもわかるのだが。
「複数人で構成しているからこそできることだね。すごいな、このあたりの構造は、三人掛かりか」
「そうみたいね」
 エムクドとカシュラルには、それが簡単にわかるらしい。
 この二人、皆にはノリストラルの警備団員だと紹介されたが、実際はノリストラルの領主でもあるノリストラル侯爵の元で学ぶ、宮廷魔術師候補らしい。つまり、二人ともずば抜けた才能を持つ魔術師ということで、それはいま実証された。
 訓練所に通っていた頃、実はナサシアも宮廷魔術師を目指した時があったけれど、二人にはとてもではないが及びもしない。
 ナサシアは、今頃になってぞっとした。
 そんな魔術師が取り逃がしてしまった魔物が、《獣》だ。核は半分になっていると言うけれど、それでもカシュラルたちは退治できなかった。四人で――しかもギーディスの魔術はほとんど戦闘には役に立たないのに――退治できるだろうか。そんな不安が脳裏をかすめた。
「結界の要には何を?」
「石……石柱が、十八本。ほぼ等間隔に設置されてるわ」
 いきなりカシュラルに訊かれ、ナサシアは多少うわずった声になってしまった。
「それも見てみたいわ」
「いちばん近いのは――こっちだな」
 行こう、とギーディスが先頭に立ち、ナサシアは足早にその隣に追いついた。
 道を外れて林の中に入ってしばらく進むと、等身大の石柱がぽつんと見えた。ここは第四分団の担当区域だけど、石柱の場所は警備団の者ならば魔術師に関係なくほとんど全員が把握している。
 石柱の一部には苔が生えていたけれど、結界の機能に影響はない。
「硬そうな石だね」
 エムクドが石柱をなでる。その言葉を確かめるように、カシュラルも石柱に手を添えた。
「このあたりでは採れないから、どこだったかな……まあとにかく、遠くの石切場から何日もかけて運んできたと聞いてる」
「石柱は全部同じ石なの?」
「ああ」
 ギーディスの答えを聞いて、エムクドがカシュラルを見る。
「ノリストラルのとは違うみたいだね」
「そうね……」
 カシュラルは石柱をなで、刻み込まれた魔術の構成を、指先で読み取るようにたどる。
「この前結界の一斉点検をしたばかりだから、綻びはないわ」
 ジェフテスがもっと早く結界の内側になるところにたどり着いていたら、襲われなかったかもしれない。
「でも、《獣》は結界も喰らうわ。ここのはとても頑丈だけど……あいつには、意味がないかもしれない」
 そんなことはない、とナサシアは言い返したかった。でも、自分より明らかに優れた術師であるカシュラルに言われると、反論は喉から出ようとはしなかった。
「そうか」
 ギーディスは、素っ気ないとも言える返事だった。狙われているのは彼なのに、危機感や不安はなく、泰然と構えているようにナサシアには見えた。ただ、それを頼もしいと思えなかったのは、ギーディスの返事を聞いたカシュラルの表情が曇っていたからだった。


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