第一章 05
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 奇妙な罪悪感を抱いたまま詰め所に戻ったギーディスと仲間たちを出迎えたのは、ひどく重苦しい空気だった。待機室には、帰宅させられたはずのルフトと、第五、六小隊の小隊長、詰め所で勤務中の団員五人の、計八人がいた。そこに、ギーディスたち四人が加わると、広々としている待機室も窮屈に感じる。
 ルフトたちは一様に硬い表情で、何かよくないことがあったのだとわかる。
「ジェフテスが死んだ」
 ギーディスたちの顔を見回すルフトの声は、乾いていた。
「昨日の夜か、今日の未明に、ガエリアの結界のすぐ外で魔物に襲われたようだ」
 先にその知らせを聞いていたらしい仲間たちは、また改めて告げられた事実に、ある者は肩を落とし、ある者は悔しげな顔になる。しかしいま聞いたばかりのギーディスたちは、すぐにはルフトの言葉の意味を理解できなかった。
「そんなの……うそ、ですよね」
 ナサシアが、恐る恐る尋ねる。だが、ルフトや他の小隊長たちは無念そうな顔で首を横に振る。ナサシアはそれでも、うそよ、と繰り返し呟いた。
 ジェフテスのことをナサシアと話したのはおとといの夜だ。そして、彼の手紙をギーディスが読んだのは今朝。その時にはもう、ジェフテスは死んでいたことになる。信じられない、とギーディスも思った。手紙には予想通り子供ののろけばかり書いてあって呆れたが、それだけに彼の喜びが伝わってきた。
「回収された遺品の中に剣があって、わたしが確認に行った。あれは間違いなく、ジェフテスの剣だった」
 押し殺した声で話しているが、ルフトの表情や口調の端々から、悔しさと行き場のない怒りがにじみ出ていた。ジェフテスの無理な願いを聞き入れて、休暇を許可したのはルフトだ。許可するのではなかったと思っているに違いない。
 第一発見者は、隊商だった。朝の開門に間に合うよう夜明け前に野営地を出発した一行は、ガエリアの北の城門に通じる道で、血だまりとそこに沈む剣を見つけ、震え上がった。開門と当時にガエリアに飛び込み、門番にそれを話した。
 門番はすぐさま第四分団に報告に走り、第四分団が現場に向かった。報告通り、血だまりと剣、それから少しの荷物を見つけ、持ち帰ったのである。剣はあれど鞘はなく、しかし円環になっている柄頭に結び付けられた小さな護符に、第四分団の一人が見覚えがあると言った。ジェフテスと同じ小隊にいたことがあるという団員で、今度は第二分団に伝令が走った。帰宅したばかりのルフトは呼び戻され、急いで第四分団へ確認に向かい、先程戻ってきたという。
「状況から魔物の仕業と断定して、第四分団が探している。明日――早ければ今夜、他の分団でも捜索をするよう通達が来るはずだ」
 ガエリア周辺で、魔物による死者が出たのは久しぶりだ。日頃から厳重に警戒しているから、魔物に襲われてけがをする人もそれほど多くない。また、けが人の大部分は警備団員で、討伐の際に負傷することがほとんどだ。
 第二分団がおととい討伐した魔物以外に、最近は目撃情報さえなかった。つまり、ジェフテスを襲った魔物は前触れもなく現れたということだ。魔物の目撃例がなくても人が襲われることはあるが、ガエリアのようにいつも目を光らせている場所で、しかも結界のすぐ外で、目撃情報もないまま襲われた例は久しくない。
「魔物の正体は一切わかっていない。巡回の際は、十分に気をつけてくれ」
 ルフトの言葉に全員が頷いた。うそだと言い続けていたナサシアも、今にも泣き出しそうな目で、頷いた。

    ●

 翌日には、第二分団に所属する全員がジェフテスの死を知ることとなり、詰め所は悲しみと共に、常にはない暗い活気が広がっていた。ジェフテスのいた第四小隊は特にそれが顕著だ。子供が産まれたばかりという幸せの絶頂にいた彼の仇を討とうと、示し合わせたわけでもないのに誰もが思っている。ギーディスはそう感じた。ギーディスの中にも、仇を討ちたい、討たなければならないという使命感が生まれていた。
 同じ小隊の同僚と、午後の巡回に出る。今日の持ち場は市街地で、城壁の外は第五小隊が警戒にあたっている。
 昨日の今日なので、まだ魔物の正体はわかっていない。いまのところ手がかりも見つかっていない。
 ジェフテスが襲われたのは結界の外で、最近大々的に結界の点検が行われたから、中には侵入していないはずだ。だけど油断はできないと、ギーディスたちはいつもよりも鋭い目つきになっていた。
 ギーディスがルフトに呼ばれたのは、詰め所に戻った直後だった。裏口から詰め所の敷地に入り、井戸から汲み上げた水で喉を潤していたら、ルフトが呼んでいる、と同僚がやってきたのである。
 待機室隣の小部屋へ、ギーディスだけ行くように言われた。何やら話があるらしい。
「小隊長。話って――」
 どうして自分だけと首を傾げながら部屋へ入り、目を丸くした。
 小さなその部屋は、三人の小隊長たちが会議や休憩に使っている。通り側にあって待機室と扉一枚でつながっているので、来客があった時には応接室になる。
 今は応接室になっていた。部屋には、ルフトと、机を挟んで向かいに二人の若い男女が座っている。女の方には見覚えがあった。
 扉を開けた時から、ギーディスをじっと見る瞳の色は銀色――昨日、そこの広場でギーディスに抱きついてきた女だった。
「ギーディス。座ってくれ」
 ルフトの隣の椅子を勧められ、ギーディスは曖昧に頷いた。銀色の視線をずっと感じる。昨日会った女に間違いがないことを確かめたかったが、一度彼女を見るとその銀色から目が離せなくなりそうで、ギーディスは卓上に視線を落としたまま椅子に座った。
「こちらはカシュラル・サリザとエムクド・ジルトダイン。ノリストラルから来た魔術師だ」
 ルフトに紹介され、二人が会釈する。
 カシュラル、と銀色の瞳を持つ女の名前を口の中で呟き、それからはっと気がついて目を瞠る。
「ノリストラルから?」
 ガエリアがここシュルトバクト国の西の端なら、ノリストラルは東の端だ。歩いてだと十日以上かかる。国中にその名が知られているガエリアの温泉に、国の端からわざわざつかりにくる者もいるが、そんな旅人が警備団にまで足を運ぶわけがない。
 怪訝な顔をするギーディスを見て、カシュラルが苦笑いする。が、すぐに神妙な表情に変わった。
「わたしたちは、ある魔物を追ってこの街へ来たんです」
 昨日、広場でギーディスに抱きついたことなどなかったかのように、カシュラルはガエリアへ来た経緯を語った。
 
 今から数百年前、《獣》と呼ばれる魔物が猛威をふるっていた。とてもどん欲な魔物は人や家畜を食べ、己に飛んでくる矢や剣も食べた。《獣》は魔術さえも喰らい、それを倒すのは不可能ではないかと誰もが思い、絶望が広がっていったという。
 しかし、二人の若い魔術師が、恐怖と絶望に沈んでいた世を終わらせた。
 子供の頃より天才と謳われた二人は、《獣》を倒すことが己が使命と故郷を旅立ち、仲間と共に《獣》を追い、仲間を失いながらも、とうとう《獣》を核の状態にまで追い込んだのである。
 だが《獣》の力は強大すぎて、核を二つに割るのが精一杯だった。それだけでは魔物は消滅しない。だから二人の魔術師は、二つに割った核を、それぞれ自分の中に封印することにしたのである。
 世の中から《獣》の脅威は取り払われ人々は平穏な日常を取り戻したが、《獣》は完全に滅びたわけではない。
 核が消滅しない限り、何度でも甦るのが魔物。《獣》は核の状態で封印されているだけ。
「今も、その魔術師の中に」
 カシュラルの銀色のまなざしは話している間中、ギーディスに向けられていた。何故そんなにも自分を見つめるのか、自分が覚えていないだけで、彼女と会ったことがあるのだろうか。
 頭の片隅でそんなことを考えながら、一方で耳はちゃんと彼女の話を聞いていた。聞いていたから、その内容がこの状況とどうつながるのかがわからない。
「《獣》の核を自分の中に封印したことで、魔術師はその影響を受けるようになってしまいました。何度も生まれ変わって、やがて魔術師だった時の記憶を取り戻すんです」
 カシュラルはルフトを見て、言った。
 強大な力を持つ魔術師は、生まれ変わることがあるという。だけど、それが本当なのかどうかは誰にもわからない。生まれ変わりだと言われても、確認のしようがないのだから。
「その言い方からすると、君が、その魔術師の生まれ変わり……ということか?」
 半信半疑、というより信じられないという気持ちの方が断然大きかった。魔術さえ喰らう魔物というのも、誇張しすぎていると思ってしまうのに、生まれ変わりなど、それに輪をかけている。普通なら、こんな話をまともに取り合う人などいない。ルフトは何故この二人に自分を引き合わせたのだろう。そして、何故、ばかばかしい、とギーディスの口は言わないのだろう。
「ええ。信じられないでしょうけど」
 カシュラルがギーディスの金色の目を見つめて、言う。
「そして、もう一人の魔術師の生まれ変わりが、あなたなの」
 ああ、そうなのか。だから、彼女はここにいて、自分は引き合わされたのか。にわかには信じられない話を聞かされているのに、ギーディスは妙に納得した。
「わたしたちの中に封印された《獣》の核は、長い時をかけて消滅しつつありました。あと少しで完全に消えるであろうところまで。だけど……」
 カシュラルが言いよどみ、その表情が曇る。
「だけど、早く消滅させたいと焦ったわたしは封印を解き、《獣》を退治しようとして、失敗した。核が半分でも《獣》の体は復活して、わたしはそれを取り逃がしてしまったんです。逃げた《獣》は、完全な復活をもくろんでいて――」
 申し訳なさそうな、しかし何かの決意を秘めた顔だった。
「核の半分を持つあなたを狙っています」
 魔物が、特定の人物を狙うことなどあり得ない。魔物を相手に戦っている警備団員なら誰でも知っていることだ。
「……そうか。わかった」
 しかしギーディスは不思議と、カシュラルが世迷い言を言っているとは思わなかった。自分でも奇妙だと思うくらい、ギーディスが大昔の魔術師の生まれ変わりという話も、狙われているという話もあっさり受け入れていた。
「ギーディス。信じるのか?」
 腕組みして神妙な顔で聞いていたルフトが瞠目し、ギーディスを見る。そんなルフトに、ギーディスは逆に聞き返した。
「小隊長も信じてるんじゃないんですか?」
 ルフトはこの話を一度は聞いているはずだ。信じたからこそ、カシュラルとエムクドをここで待たせていたのではないのか。
「ああ、まあ」
 ルフトは小さく咳払いする。
「まあ、そういうことで、異例ではあるんだか……二人には、その《獣》という魔物を討伐するため、協力してもらうことになった。ギーディス、おまえと組んでもらう」
 警備団が部外者に協力を仰ぐことはある。それは魔術師である場合が多い。だがたいがいは結界の維持補修のためで、魔物討伐のためという例はほとんどなかった。
「異論は?」
「ありません」
 カシュラルとエムクドを協力者として、一時的に警備団に入れるのはルフトの独断なのか、それとも第二分団の小隊長三人で決めたことなのか、本隊で許可を得たことなのか、この場ではわからなかったし、わからなくてもギーディスはかまわなかった。
 自分を狙っている魔物がいる。その事実だけで十分だ。
「くれぐれも気をつけろ、ギーディス。ジェフテスを襲った魔物が《獣》らしい」
「え?」
 苦い表情のルフトを見返し、それからカシュラルを見た。
 彼女が、初めてギーディスから視線を逸らす。苦しげな表情をしていた。
「……たぶん、間違いないわ……わたしのせいで……」
 最後の方はほとんど聞き取れないくらいの声だった。
 ギーディスの胸が痛む。
 カシュラルは《獣》の封印を解いて復活させた責任と、ジェフテスという被害者がいるのを知り、責任を感じているのだ。
 だが、責任の半分はギーディスのものでもある。ギーディスは、《獣》を完全には消滅させられなかった魔術師の生まれ変わりなのだ。そして、いまだ消滅できていない《獣》の核の半分を持つ者でもある。きっと自分を探している途中で、《獣》はジェフテスを襲ったのだ。
「――君のせいじゃない」
 ギーディスのせいだ。ギーディスがガエリアにいたから、ジェフテスは襲われたのだ。
 カシュラルが弾かれたように顔を上げる。
「君のせいじゃない」
 もう一度、さっきよりも語気を強くして言った。
 もうこれ以上の犠牲は出さない。絶対に。


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