第六話 勇者の憂鬱 魔女の呪い
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 自分で言うのもなんだが、俺はいたって平凡だ。幼馴染みが魔女というその一点をのぞけば、何に誓っても実に平凡だ。育ち然り、容姿然り、才能然り……って、自分で言っててなんだか悲しくなってくるが、とにかく平凡で凡庸でこの先も人畜無害に、真っ当で穏当で、けれどきっとありふれた幸せな人生を歩むに違いないはずだったのに、そのごく普通の道からややずれたところを歩いている気がする。
 いつからかと言えば、そう、ユマが俺に呪いをかけたときからだ。あいつが余計なことをするから、俺は勝手に『勇者』に仕立て上げられ、『魔王』となったユマを倒しにいかなければならなくなった。このご時世、魔女そのものが珍獣並みに珍しいのに、魔王なんてなおさらだ。珍獣以上の珍しさだ。いや、魔王を珍しいイキモノとしていいのか分からないが、とにかくその稀さ加減は魔女以上。そんな魔王を倒す勇者だって、魔王と同等に稀なイキモノだ。心ならずもそんな珍獣と同列の存在にされてしまった自分が、時々悲しくなる。
 だが、俺が勇者だと知っている人はごくごく限られている。しかも俺自身が自分を勇者だと認めているわけじゃないから、俺を勇者と認定している人間なんて、きっと片手で足りるくらいしかいないはずだ。これほど認知度の低い勇者はそうそういるまい。そもそも勇者になりたくもなかったしなろうと思ったこともないし今でも認めたくないのだが、ともかくその認知度と俺の凡庸な外見が幸いして、今までは兵士のヒエラと一緒とはいえ、特に目立つこともなく旅を続けてこられた。
 それなのに、今はどうだ。
 俺は恨めしい気分で、押し掛け同行者のシルヴァナと飼い犬(使い魔らしいのだがしゃべる飼い犬にしか見えない)のティトーを見た。
 淡くまっすぐに伸びた金色の髪は眩しいほどに陽光を弾き、その髪にまったく見劣りしない端整な顔立ちをしたシルヴァナの姿に、すれ違う人のほとんどが一瞬視線を奪われている。美醜にまだそれほど敏感でない子供の視線をさらうことはさすがにできないようだが、そんな子供たちは、彼女のあとをちょこまかとした動きでついていく変わった姿のティトーを物珍しげに見ていた。
 ユマが(黙って大人しくしていれば)おっとりとした美少女であるのに対し、シルヴァナは華やかな雰囲気を(本人が意識しているのかはともかく)これでもかとあたりに振りまく美女だ。ユマと違い、自分に見とれる男に妖艶に微笑んでみせるという愛嬌まである。
 そんなシルヴァナが、ごく普通の容姿である俺と、これまた(ヒエラには失礼だが)ありふれた素朴な顔つきのヒエラと一緒に歩いているのだから、シルヴァナだけでなく俺たちまで目立ってしまっている。シルヴァナがその雰囲気に似合った気品溢れる動物でも従えていればまだマシなのだが、彼女が連れているのは世にも珍しい、黒く細長く足の短い犬だ。シルヴァナの雰囲気との落差が激しく、ティトーが加わることで、俺たちは目立つというより浮いている存在になっていた。
 アルキマ山まではあと少し。この状況もあと少し我慢すればいいだけなのだが、好奇な視線に晒されるのに慣れていないから、ユマ捜しの旅を始めてからかつてないほど、一刻も早くユマを見つけてティエラに連れ戻したいというやる気に満ちていた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 アルキマ山まであと数日という位置にある町シクタクで、おれは市場の一角にある喫茶店にいた。喫茶店といっても、ちゃんとした建物の中にあるのではなく、布製の天幕で日光を遮っているだけの店だ。市場を訪れた買い物客を目当てにした店で、天幕の下に雑然と並ぶ六つばかりの丸テーブルと椅子は、簡素というより質素なものだ。そんな椅子に腰掛け、俺は見るともなしに市場を行き交う人たちを見ていた。
 いま俺は珍しく、一人だ。いや、正確には一人と一匹か。ティトーが足下にいる。
 路銀が少なくなったので、ヒエラはシクタクにある軍の司令部に出向いている。ティトーの飼い主であり、ちょっとした規模とはいえ片田舎の町では立っているだけでも十分目立つシルヴァナは、なにやら日用雑貨を買うと言って一人でどこかへ行ってしまっている。民間人である俺は軍の敷地内には入れないし、シルヴァナの買い物に付き合う気もないし(もっとも一人で行きたかったようだが)で、喫茶店で留守番することになったのだ。いや、自分の家でもないし留守番と言っていいのかどうか微妙だが、ともかく二人が用事を済ませるのを待っている。
 暇つぶしに市場を見物してもいいけど、買い物をするほど懐に余裕はないし、シルヴァナたちが加わってからの新たな気疲れでなんだかだるいから、こうしてぼんやりと待つことにしたのだ。別に、無気力になっているわけではない。いい若人が昼間からぼけーっと市場を眺めている様は、いささか哀愁が漂うというか寂しいというか、なんとも前向きな姿には見えない気もするが、休んだっていいじゃないか。俺は誰に何を言われたわけでもないが、心の中でそう言い訳した。
「エルトック。あの子を見てみろ」
 春色草のお茶のおかわりを注文したところで、ティトーが器用に俺の隣の椅子に上ってから小声で言った。
 犬は普通は人語を話さないものだという常識はあるらしく、ティトーも人前では、珍犬とはいえ犬らしくワンワン言っている。だが、時々こうやって小声で話しかけてくることはあった。気が合うと一方的に認識されて以来、ティトーは俺に絡んでくることが多い。ヒエラに絡もうとしても、ヒエラはまだしゃべる犬の存在に慣れないらしく不気味がるというせいもあるが。
「あの子だ、あの子。ほら、見てみろってば」
 ティトーがやたら熱心に俺の袖を引っ張るので、面倒くさいが俺はティトーが言う方向を見てみた。商店の建ち並んでいる繁華街である。行き交う人は多く、ティトーの言う『あの子』がどの子かよく分からないが、とりあえず犬はいないようだった。ティトーの視線をたどるかぎりでは、行き着く先には一人しかいない。
 露店で野菜を売っているおばちゃんだ。恰幅のいい体格に、美人ではないが愛嬌のある明るい笑顔で、客の呼び込みをしている。ああいうおばちゃんを見ると、母さんを思い出すな。しかしティトー、なんというか、なかなか変わった趣味というか、ずいぶん好みが変わっているというか。そもそも犬じゃなくていいのか。それとも雌犬にふられ続けたせいで、犬には見切りをつけたのか。雌犬不信になったにしても、それはいくらなんでも無謀だろう。
「……そうだな、愛嬌はあるな」
 俺はティトーの意外な嗜好に内心驚きつつ、とりあえず率直な意見を、やっぱり小声で言った。普通の声で返事をしたのでは、俺は犬相手にお喋りをする悲しい(あるいは危ない)若者になってしまうから、そこは細心の注意を払っている。
 しかし小声で話す俺たちとは対照的に、おばちゃんの声は大きい。ここまで、おばちゃんのものと思しき声が届いている。
「そうだろう? あの姿、まるで春の野に花開くユリセアのようだ」
 ティトーは目を閉じてうっとりとした声で言う。
 ユリセアといえば春の花の代表格の一つだが、薄紅色のほっそりとした六枚の花弁を持つ可憐な姿は、あのおばちゃんとはあまり結び付かない。だが、ティトーが見ている先にはあのおばちゃん以外、女性はいない。ティトー、あのおばちゃんのことがよほど気に入ったのか。あのおばちゃんには、きっと家庭があるぞ。俺くらいの年頃の子供がいるだろう。それでもおまえはいいって言うのか。前途多難な恋路だな、という以前に、種族の違いをどうやって乗り越えるつもりなんだ、ティトー。普通のおばちゃんは、犬がしゃべった時点で悲鳴をあげると思うんだが。
「ああ、あの可憐なユリセアは、その美しさと香りに誘われてやって来るミツバチに、どんな声をかけてくださるのだろう」
 野菜の匂いに誘われているのか、ティトー。犬のくせに、野菜が好きなのかおまえは。
「いやぁ……普通に近づいて愛嬌を振りまけば、もしかしたら何かくれるんじゃないのか?」
 ティトーはこの世に二匹といなさそうな胴長短足犬だが、変わった姿をしているからといって可愛くないこともない。おばちゃんが犬派だったら、「あら、変わったワンちゃんね」と言って売れ残りの野菜をあげなくもないだろう。
「そうか? やはり思い切って声をかけてみるのがいいと思うか、エルトック」
 俺の一言にやる気を出したらしいティトーが、椅子の上から身を乗り出して、真っ黒でつぶらな瞳で俺を見上げる。こうして見ると、ティトーもなかなか可愛く見えるじゃないか。まあ、ユマにしろシルヴァナにしろティトーにしろ、みんな黙っていればの話だが。
「うん、まあ、なんだ。何事も当たって砕けろ、かなぁ」
 ただし、俺がユマに立ち向かう場合は、当たる前から砕けている。
「うう、その物言いはちょっとひどいじゃないかエルトック。心の友のために、もっと激励するようなことは言えないのか」
 俺はいつから犬の心の友になったんだ。だいたい、犬がおばちゃんに恋をしても成就するわけがないんだから、俺の言い方はまだ優しい方じゃないか。
「高望みというか、そもそも相手がおばちゃんじゃあなぁ……。いくらなんでも無謀だろう」
 ティトーが人間に化けられるというのなら話は変わってくるかもしれないが、それでもきっと家庭持ちであろうおばちゃんが相手では、やはり無謀な恋に違いはない。
「高嶺の花に憧れるのが男というものだ、エルトック。それに、そんな花を摘み取ることができたならば――って、誰のことを言っている?」
「あの野菜売りのおばちゃんだろう、おまえが恋した相手は」
 俺はおばちゃんを指さした。主婦らしいお客さんに、自慢の野菜を売り込んでいる真っ最中だ。
「違う! 自分はもっと細身で華奢でなんだか守ってあげたくなるような儚げな子が好みだ! そもそも、あのおばちゃんは人間じゃないか」
「違うのかよ。じゃあ、誰のことを言ってるんだ」
 なんだ、まだ犬を相手にすることを諦めてはいなかったのか。しかしティトーの好みは、胴長短足な容姿を棚に上げてもずいぶんと理想が高いような気がしなくもないが、俺の見える範囲にそんな儚げな犬はいない。
「いるではないか。あの露店のすぐ横に!」
「んん? あ、あの犬のことか」
 俺が見た時にはどこかに隠れていたか、あるいはおばちゃんが相手だと決め付けてから犬の存在が目に入らなかったのか、ともかくおばちゃんの隣の露店に、その犬は繋がれていた。
「犬ではない! 我が『可憐なるユリセアの君』だ!」
 飼い主が付けた名前は絶対にそんなんじゃないと思うが、ティトー曰く『可憐なるユリセアの君』なる犬は、小型犬で毛は淡い茶色だ。目がくりくりとして毛もクルクルと丸まっている。なるほど、なかなか可愛らしい犬だが、ユリセアを連想させるかといえば、微妙だ。そこは、俺とティトーの美的感覚の差か。いや、種族の差か? それにしても、やはり同じ犬同士だとこの距離からでも雄か雌か分かるもんなんだなと、俺は妙なところで感心した。
「で、どうするんだ?」
 ティトーと話しているうちに、乗り気になってきたというわけでもないが、これからティトーがどうするつもりか興味が湧いてきた。おばちゃん相手に玉砕するところも見てみたかった気もするが。
「この広い世界で運命的に、あの『ユリセアの君』と巡り会えたこの幸運、みすみす手放すのは男のすることではない。そうだろう、エルトック」
 雄だけどな。それはともかく、声をかけるつもりはあるようだけど、俺に後押しの一言を言ってもらいたいようなその言い方はなんだ。実は自信がないのか、ティトー。
「ああ、そうだな。ほら、早くしないとヒエラもシルヴァナも戻ってきて、次の町へ向かうぞ」
「うむ、そうか、そうだな。よし、行ってくるぞ!」
 ティトーは俺の後押しを受けて、武者震いをしてから軽快に椅子から降りて、短い足を一生懸命素早く動かして『可憐なるユリセアの君』の元へ駆けていった。そのちょこまかとした後ろ姿を見送りながら、俺はふと成就した時のことを考えた。シクタクに長居するつもりは、もちろんない。俺とヒエラが次の町へ行くと言えば、当然シルヴァナもついてくることになる。その時ティトーはどうするつもりだ。まさか、シクタクに残ると言い出すのか。シルヴァナがそれを許すとは思えないから、それならいっそ玉砕する方がティトーのためのような気がした。


 ヒエラもシルヴァナも、まだ戻ってこない。
 俺は相変わらず、天幕の下でお茶を飲んで市場を行き交う人を眺めている。『可憐なるユリセアの君』は、やって来たお客さんに頭を撫でられて嬉しそうに尻尾を振っている。その横に、ティトーはいない。
「ひどい……ひどすぎる。あ、あんな可憐な容姿でありながら、もう五匹も子犬がいたなんて……」
 黒い胴長短足犬は、俺の膝の上にいた。そして、めそめそと泣いている。
 俺は長い胴体を撫でてやりながら、ティトーが名前すら聞き出すことのできなかった『可憐なるユリセアの君』を見ていた。犬の歳は全然分からないが、『ユリセアの君』にはすでに旦那犬がいて、子犬も五匹いるらしい。
 隣の野菜売りのおばちゃんと同じ家庭持ち(いや、おばちゃんの方は推定か)だったとは、さすがに俺もそこまで予想していなかった。だけど、もうすぐシクタクを離れるのだと思えば、あっという間に玉砕したティトーには気の毒だが、これで良かったのだろう。
「ずいぶん仲良しになったわね、あんたたち」
 先に戻ってきたのは、シルヴァナだった。彼女は俺の向かいの席に腰を下ろし、買ってきた荷物はその右隣の椅子に置いた。
「別に仲が良いというわけじゃないんだけど……」
 玉砕したティトーはトボトボとした足取りで戻ってくると、何も言わずに俺の膝に駆け上って、それからずっとこの調子なのだ。あんまり泣いているから邪険にすることもできず、たいして重くもないから膝の上にいさせているだけである。はたから見れば、犬を可愛がっているようにしか見えないだろうが。
「それで、ティトーはなんで泣いてるの」
 シルヴァナはティトーに訊くが、ティトーは自分からふられたと言いたくないようで、ぐりぐりと鼻先を俺の膝に押し付けてわっと泣いた。鼻水とよだれは付けるなよ、ティトー。
「あの犬にふられたんだと」
 と、俺は『ユリセアの君』を指さした。シルヴァナも振り返ってその犬を見る。そして、またティトーを見ると呆れたように言った。
「まったく、どうしてこんなに気の多い子になったのかしら。失恋することの方が圧倒的に多いくせして、少しも懲りないし。いい加減に諦めたら?」
 飼い主だけあって、シルヴァナはバッサリと切り捨てる。ティトーはなんだかかわいそうになるくらいおんおんと泣くので、俺はさっきよりも優しく背中を撫でていた。
「それに、わざわざ外に出てほかの犬引っ掛けなくったって、家に帰ればちゃんとした相手がいるじゃない」
「え、そうなのか?」
 その瞬間ティトーの体がびくりと一度、大きく震えたような気がしたが、俺はそれを大したことと思わず身を乗り出していた。家と言うからには、シルヴァナの実家のことだろう。ユマのところみたいに両親はごく普通の人なんだろうかとか、俺みたいな幼馴染みとかいるんだろうかとか、そもそもシルヴァナの子供の頃って想像つかないなとか色々な考えが一気に頭の中を駆け巡ったけど、一番気になったのは、相手がいるという、その一言だ。ティトー、おまえって奴は、自分も家庭持ちのくせに浮気しようとしていたのか。いや、不倫になるのか? それはともかく、どうして自分の純粋な想いが欠けらほども伝わらないのだとか嘆いておきながら、なんて奴だ。いや、犬だ。
「そうよ。あの犬より、もっとずっと可愛いわよ。わたしが大切に育てた子なんだから」
「……」
 シルヴァナのティトーの扱い方を見ている限りでは、シルヴァナが大切に犬を育てているという姿は想像できない。いや、俺の想像力を越えている。
「エルトック。何か失礼なこと考えてない?」
「あ、いや、そんなことは全然まったくちっとも。それより、シルヴァナは犬が好きなのか。二匹も飼ってるなんて」
 図星を指されて俺は慌てて話題を変える。
「ティトーは犬だけど使い魔でもあるのよ。愛玩するために飼っているわけじゃないわ。だから、わたしが飼っている犬は、家にいる一匹だけ」
「へえ」
 と相づちを打ったものの、俺は実のところシルヴァナの言う微妙な違いが分からない。愛玩していようがいまいが、犬を二匹飼っていることになるんじゃないのか。
「それにその子は、ティトーがお嫁さんが欲しいと言うから飼い始めたのよ」
 俺はシルヴァナの意外な一面を見た気がした。ティトーを魔法の実験台にしたり真夜中の紙人形退治を押し付けたりしながら、それでも可愛がっているんじゃないか。
 良かったな、ティトー。と思ってティトーを見下ろすと、いつの間にか泣きやんで小刻みに震えている。なんだ、どうしたティトー。泣きすぎて体の調子でも悪いのか。それとも家に置いてきているという犬に対しての罪悪感で震えているのか。
「……彼女は、主さまが大切に育てただけあって、性格が主さまにそっくりなのだ……」
 ティトーは小さい声で、ぽつりと言った。なるほど、だからほかの犬に懸想するのか。俺は心の中でよしよしと慰めながら、ティトーの背中を撫でていた。
「そういえば、その犬は連れてこなくて大丈夫なのか?」
 ティトーは飼い主であるシルヴァナと一緒にいるから、餌の心配もなく過ごせるだろうが、ティトーの嫁さん(確定なのか『未来の』なのかは分からないが)であるもう一匹は、誰かに世話を頼んでいるんだろうかと疑問になって、俺は何気なく訊いただけだったけど、ティトーはどうやら「何故嫁である犬を連れてきていないのか」という意味にとったらしく、震えるのをぴたりとやめて、全身を硬く強ばらせている。聞き方が悪かったかな。
「大丈夫、というと?」
「家に置いてきているんだろう。誰が面倒を見るのかなと思ったんだよ」
「ああ、そういうこと。それなら心配はないわよ。わたしの両親が、ちゃんと世話をしてくれているから」
 ティトーの嫁はどうやら不自由ない暮らしを送っているようだということが判明したのと同時に、俺が真っ先に思い付いたのは、シルヴァナの両親も、ユマのとこのおじさんおばさんと同じように普通の人なんだろうかという、新たな疑問だった。
「……なあ、シルヴァナは、家を出るのをちゃんと両親に言ったのか?」
 これも、一緒に思い付いた疑問だ。アルキマ山までもうすぐだけど、それでもあと何日で終わるとはっきり決まっている旅じゃない。シルヴァナは俺よりいくつか年上で、子供みたいにいちいち行き先を告げる歳じゃないだろうけど、それでも一言もなく何日も家に帰らなければ、いくらなんでも心配されるだろう。ユマのおじさんたちはのんきだから、それほど心配はしていなかったけど。まさか、シルヴァナの両親も同じなのか。
「もちろん言ってあるわよ。何日かかるか分からないから、当たり前でしょ。何も言わずに行方をくらませるなんてユマみたいなこと、わたしはしないわよ」
 シルヴァナが何故か冷ややかに言ったので、訊いた俺が悪かったような気がしてくる。シルヴァナは「当たり前」だと言ったけど、その「当たり前」をしなかったユマの立場はどうなるんだ。いや、あいつに「当たり前」という常識を求めること自体、ちょっと無謀かもしれないからむしろ「当たり前」をしない方が「当たり前」なのかもしれない。でも俺としては、せめて幼馴染みに対する「当たり前」に「いきなり呪いをかけたりしない」ということを含んでいてほしいと、この場では関係ない上に今更なことをつい考えてしまった。
「そういえば、どうしてユマが何も言わずに家を出たことを、知ってるんだ?」
「さあ、どうしてだと思う?」
 まともな答えを返してくれなさそうだと思わせる笑みを、魔女は浮かべた。
 ルーインさんは、ユマが俺にかけた『呪い』を見抜いていた。ルーインさんは国王付きの占術師だから、それくらいできるのかもしれないと、俺はなんとなく思っていた。
 シルヴァナにも『呪い』を見抜かれていることが分かった時、もしかして魔法に関することは魔女には分かるものなのかと、俺は考え直した。だが、ユマがいなくなったことに関しては、同じティエラに住むポリナーさんでも、「家出」ではなく「行方不明」と誤解しているくらいに、知られていないことのはずだ。まして、何も言わずに出て行ったなんて、俺だって母さんから話を聞かされるまで知らなかった事実で、どこに住んでいるのか知らないが、少なくとも魔女がいるという噂が届かないくらい遠くに住んでいるに違いないシルヴァナが知っているのは、普通ならばあり得ないはずだ。だが、あり得ないはずのことも、考えようによってはあっさりあり得ることになる。
「あんた、ユマのいる場所を知ってるって言ってたよな。もしかして、ユマから直接聞いているのか?」
 夢の中じゃなく現実で初めて会った時、シルヴァナは確かにそう言って、俺の関心を得ようとした。その時更に、ユマがどういうつもりで俺に『呪い』をかけたのか、なにやら思わせぶりなことも言っていた。
 シルヴァナはユマと知り合いのようだから、どういうつもりで――ほんと、どういうつもりなのか俺もぜひ知りたいところだが――ユマが俺に『呪い』をかけたのか、その真意を聞いているからこそ、あんなことを言えたんじゃないのか。もし事前にユマから全て聞いていれば、シルヴァナがユマの家出に関して詳細を知っていることにも説明がつく。
「ユマが、一人で考えて一人で突っ走る性格だっていうことをいちばんよく知っているのは、エルトックじゃないの?」
 シルヴァナは、やっぱり直球では返してこなかった。つまり、ユマはやっぱり誰にも何も言わずに家を出たということなのか。でもそれじゃあ、どうやってシルヴァナはそれを知ったんだ。
 俺はティトーを撫でるのをやめて腕を組み、頭もひねって色々とその理由を考えてみた。
 ユマは、自分で直接手を下すことが、案外多くない。俺に直接魔法をかけることももちろん少なくはなかったけど、魔法をかけた何かを俺にけしかけることも珍しくはなかった。それが、クマのぬいぐるみだったり枕だったり、ごく最近ではシマリウス一号とか――。
「あ! もしかして、シルヴァナも紙人形を使ってるのか!?」
 俺は思いもかけず大きい声になっていた。自分で言うのもなんだけど、冴えている。シマリウス一号も、俺たちを観察してユマに報告すると(わざわざ自分から)言っていたから、シルヴァナも同じような方法で、ユマを観察していたに違いない!
「……あんなセンスの欠けらもない代物、わたしは絶対に使わないわよ」
 しかしシルヴァナは、ユマと同じようなものを使っていると思われたのが不本意なのか不愉快なのか、渋い顔をして俺を睨み付けてきた。なんか、睨まれただけで呪われそうなほど怨念がこもっているような気がしなくもないけど、それはつまり似たような代物は使っているということだ。やっぱり、冴えているじゃないか、俺。
 だけどシルヴァナは、どうしてユマを観察したりする必要があるんだ。冴えているおかげなのか、あるいはそれが自然な流れなのか、俺はそんな疑問に行き当たる。観察と言えば聞こえはいい(?)が、シマリウス一号やシルヴァナがユマにしていたことは、悪く言えばのぞきだ。しかし、シマリウス一号はともかく、シルヴァナがそんなことをする目的が分からない。
「シルヴァナは、どうしてユマののぞき……いや、観察なんてしてたんだ」
 うっかり『のぞき』と言ってしまったのを慌てて言い直す。
「エルトックって、質問ばかりね」
 『のぞき』という単語をはっきりと聞いて気を悪くしたからなのか、シルヴァナは少し冷ややかに返してきた。
「それは……仕方ないだろ。俺は魔女じゃないんだから、あんたらの考えることなんて分からない」
 分かっていたら、ユマに呪いをかけられることもなく、シルヴァナが押し掛け同行者になることもなかったんだろうか。でも、魔法なんてこれっぽっちも使えない俺に対し、魔女たちは魔法を使えるのだから、分かったところで魔法の力で無理矢理ユマたちに押し切られてしまいそうな気がするが。
「まあ、そうよねぇ。今はもう、魔女も魔王もたくさんいた時代じゃないんだし」
 シルヴァナはひとりごちるように言ったが、聞き流せないようなことを言わなかったか。魔女はともかく、魔王も、昔はたくさんいたのか?
 俺の疑問は表情に表れていたのか、シルヴァナがいつか夢の中で見せたような妖艶な笑みを浮かべる。
「昔は、魔女がいれば魔王もいて、そしてもちろん魔王を倒す勇者もいたわよ。本当に大昔の話だけどね」
「勇者も……」
 言われてみれば、勇者もいて当然か。魔王がわんさかいた時代なら、きっと勇者も同じくらいいたんだろうな。どうして今の時代に、魔王はともかく勇者がわんさかいてくれなかったんだろう。
「ユマがエルトックにかけた呪いは、そんな時代に編み出されたものなのよ」
「へ?」
 ユマは独学で魔法を身に付けていったみたいだけど、あいつは一体どこからそんな古い時代の呪いを見つけてきたんだ。それに、そんな呪いを作った奴も作った奴なら、記録に残した奴も残した奴だ。おかげで、俺がろくでもない目に遭っているじゃないか――じゃなくて、どうして『世界を救わなければ死んでしまう』呪いなんてものが、魔王がわんさかいた時代にわざわざ編み出されたんだ。しかも、一体誰にそんな呪いをかけていたんだ。魔王に呪いをかけるのならともかく。いやもしかして、元々は世界を困らせている魔王にかけるための呪いだったのか?
「ある魔王が現れた時、ある若者が勇者に選ばれたんだけど、彼は気が弱くて魔王退治に行くのを嫌がったのよ。それに困ったある魔女が、若者になんとしても勇者として魔王を倒してもらうために『世界を救わなければ死んでしまう』という呪いを編み出して、若者にかけたのよ」
「……」
 勇者って、やっぱり今の俺みたいに立候補じゃなくて指名制だったのかな――じゃなくて、それって、はっきり脅しているよな。俺と同じ呪いをかけられたというその若者に、俺は激しく同情するぞ。気の毒に。
「でも、どうしてそこまでする必要があったんだよ。魔王がいてみんなが困っていたんなら、ほかに適任者は何人もいたんじゃないのか」
「国王に一人しかなれないように、勇者も一人しかなれないものなのよ。そして、勇者になれる者はあらかじめ決まってる。宿命、運命、あるいは天命――言い方は色々あるけど、そういうものよ」
 初めてルーインさんたちと対面した時に、ルーインさんが俺は勇者になる運命なんだとか言っていたことを思い出す。俺にとって『勇者』になることはちっともいいこととは思えないし、運命だとかそういうものだとかいう一言であっさり済ませてほしくもないと、改めて思った。思ったところで、ふと気づく。
「ところで、結局シルヴァナはなんのためにユマを観察してたんだ」
 大昔の話を持ち出してはぐらかされそうになるところだった。
「いま話した中に、少なくとも手掛かりはあるわよ」
 シルヴァナは、やはりまっすぐには答えを返してくれなかった。だけど、大昔は魔女も魔王も勇者もたくさんいたという話のどこに、ユマを観察した理由に繋がる手掛かりがあるっていうんだ。やはり、魔女の考えていることはさっぱり分からない。
「ユマがエルトックに呪いをかけた理由についてもね」
「え?」
 俺は、ユマが俺に呪いをかけたのは、どうせいつもの悪ふざけだと思っていたけど、シルヴァナがどうもそうではないらしいということを匂わせた。ユマの真意はなんなのか、今の話の中にその手掛かりがあるというのか。
「どうも、お待たせしましたー」
 だけどユマの真意を考える前にヒエラが戻ってきて、俺たちは次の街に向けて出発することになるのだった。

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(C) Nagasaka Danpi 2006-2009