第五話 巻き込まれ型勇者と魔女たちの思惑 03
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 魔女とは身勝手なものだ。
 ユマにもずいぶん振り回されてきたし、今も現在進行形で振り回されているけれど、今まで知っている魔女といえばユマしかいなかったから、魔女というくくりではなくて、ユマが身勝手だというふうに認識していた。
 シルヴァナというもう一人の魔女の存在で、俺は確信する。魔女は身勝手だ。
「自分は夜行性ではないから、夜更かしは苦手なのに……。主ときたら、自分も夜更かししたくないからって、押し付けるなんて……」
 月明かりしかない真夜中の路地裏では、黒い胴長短足犬は暗闇とほぼ一体化していて、目を凝らさないと見えづらい。おまけに人の腕よりちょっと短く太い胴体だから、うっかりしていると足下にいるのに気付かず、踏んづけてしまいそうだ。
 ティトーは俺とヒエラの間に座り、さっきから主人であるシルヴァナへの不満を口にしていた。
 強引にシルヴァナを仲間にさせられたあとたどり着いた町でも、やっぱり紙人形が徘徊しているという噂が出回っていたから、いつものごとく真夜中に待ち伏せをすることになった。そこまでは、シルヴァナたちがいてもいつもと同じだったけど、そこから先が違っていた。
「あら、今から行くの? 頑張ってね」
 夜も更けてきた頃、シルヴァナを呼びに彼女が泊まる部屋を訪れ、彼女からもらった言葉がこれである。
「頑張ってって……あんたも行くんだろ」
「ユマの紙人形が現れるのは真夜中なんでしょ? そんな時間まで起きていたら、お肌に大打撃よ」
 シルヴァナは、何をバカなことを言っているの当たり前じゃないのと、態度で言っていた。兵士だけじゃ格好が付かないとか自分を連れて行く方が有利だと言って売り込んできたのだから、紙人形退治をシルヴァナも一緒にやることが、俺にとっての当たり前だった。退治と言っても何もしないうちに紙人形は倒れていくから、夜更かしをするという以外の苦労は何もない。だからこそ、シルヴァナも同行すると思っていた。いや、あれだけ言っておいて同行しない方がおかしいだろう。
 俺とシルヴァナの考えている当たり前が正反対だったことにも驚かされたが、シルヴァナの理由にはそれ以上に驚かされた。いや、女性として張り艶のある肌を保つことは大事なんだろうが、仮にも自分から連れて行けと言ったのだから、肌も大事だろうが自分の言ったことを守るのも大事じゃないのか。
「不満そうね」
 シルヴァナは、悪気のない顔で言う。当たり前だと言い返そうと思ったが、相手は魔女なので思い止まった。下手なこと言ったら、あとで何をされるか分からない。そんなことをするのはユマだけなのかもしれないが、シルヴァナだってユマと似たようなことをしそうな雰囲気を持っている。いや、きっとするに違いない。だから、こんな自分勝手なことを言っているんだ。そうに違いない。そう思わないと、いやいや魔女を引き連れて魔女のもとを訪ねる気力が萎えてしまう。
「大丈夫よ。そんな時のために、ティトーがいるんだから」
 シルヴァナはにっこりと微笑んで見せた。ヒエラだってシルヴァナの勝手な一言に不満を抱かなかったはずはないだろうが、その笑みに見とれてしまっているようだ。だけど俺は、そんな笑顔に騙されたりはしないからな。
「散歩に行くんじゃないんだぞ」
 黒い胴長短足犬は、俺が今まで一度も見たり聞いたりしたことのない、まさに珍獣と言っていい小動物だ。やはり世にも珍しい存在である魔女が連れる動物としては珍獣の方がいいのかもしれないが、真夜中に路地に潜んでいるだけでも十分に怪しいのに、ティトーみたいな珍犬を連れて潜んでいたら怪しさ倍増じゃないだろうか。誰かに見つかって通報されそうになっても、犬の散歩をしてるだけなんですと言って誤魔化せる状況じゃないだろう。
「失敬な。自分をそんじょそこらの愛玩動物と一緒にするな。愛くるしさにおいては劣ることなど決してないが、愛くるしいだけではないのだぞ」
 喋るしな。しかも飼い主と同じで、自信過剰だ。確かにそのへんの愛玩動物と一緒にはできないが、今からやらなければならないことを思うと、一緒であった方がいくらかマシだと思うんだが。
「そういうわけで、エルトックたちの役にも立つわよ」
 シルヴァナは笑みを崩さないまま、それがさも決定事項のように言った。
「え? 主、あの。今から自分も行くのですか?」
 困ったように――というよりは嫌そうに言ったのは、ほかならぬティトーだった。犬の驚いた顔は、きっと今のティトーの表情を指すのだろう。
「当たり前でしょ。なんのための使い魔だと思ってるのよ」
 場は完全にシルヴァナにしきられていた。
 こうして俺とヒエラは、黒い胴長短足犬を連れて真夜中の散歩――もとい待ち伏せをすることになったのである。
 飼い主の命令であるから不承不承、俺とヒエラと共に宿を出たティトーだったが――そういえば、宿を取るとき宿屋の主人に「動物の持ち込みは困るよ、お客さん」と言われたが、ヒエラが「国家の重大な機密に関わることなので」と言って無理矢理承諾させた――、宿を出て周りに人がいなくなってからは、愚痴ばかり言っている。
 やれ、シルヴァナは横暴だ(そこは同意するが、飼い犬がそんなこと言っていいのか)、自分は夜は寝ることにしているのだ(それは俺たちだってそうだ)、自分のような愛くるしい犬に何を期待しているのだ(そんじょそこらの犬とは違うと言ったのはどの口だ)とか、そんなことばかりだ。
 俺はそんなティトーの愚痴に、心の中でいちいち突っ込みを入れてしまっているのだが、ヒエラはと言えば、いつもどおり至って真剣な面持ちで、ティトーの言うことなど気にしていないか、聞こえていなさそうだ。
 つまり、聞こえていていちいち突っ込みを入れている俺は、ヒエラほど真面目に待ち伏せをしていないということになる。いや、ティトーがうるさくて集中できないんだということにしておこう。
「確かに主はお肌のお手入れに関しては、一般的な女性より気を遣っているけど、今でも十分美しいのだから、たまには夜更かしくらいしてもいいと思わないか、エルトック」
 ずっと独り言の愚痴だと思っていたが、俺に言っていたのか、ティトー。いきなり話を振るなよ。いや、心の中で突っ込みは入れていたけどさ。
「まあ、自分で連れて行けって言ったんだから、期待というかなんというか、ともかく、張り込みにも付き合うと思ってたのは確かだな」
 さり気なく犬に呼び捨てにされたことを不服に思いながらも、犬相手にそんなことで怒ってもなと自分をなだめる。
「自分もそう思っていたのだ。気が合うな、エルトック」
「……」
 犬と気が合ったからといって、喜んでいいのだろうか。だがティトーは、俺と気が合ったことを喜んでいるらしく、言うことはやはり愚痴なのだが、その中身がさっきと微妙に変わっていた。
「だいたい主は、新しい魔法を覚えるたびに自分で試すのだ。それだけはご勘弁を、といつも目に涙を浮かべて許しを請うのに、主ときたら『それが使い魔の役目でしょう』とおっしゃって――」
 その気持ちは、残念なことにとてもよく分かった。俺だって、ユマにさんざん実験台にされてきたもんな。しかし、本来(?)は使い魔の役目である実験台を、幼馴染みである俺が務めさせられているあたり、俺の方が状況としてはひどくないだろうか。そんなことを競い合って勝ったとしても、これまたちっとも嬉しくないからやめておくが。
 ともかく、ティトーの愚痴は、紙人形が現れるその時まで延々と続くのだった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 寝る支度をしていたシルヴァナは、部屋の中に突然現れた『それ』の存在にすぐに気が付いた。
 振り向いて狭い客室を見回すが、『それ』の姿はどこにもない。だが、いるあたりは分かっている。ベッドの下だ。
「出てきたらどうなの?」
 すると、ベッドの下からひらりと、等身大の紙人形が出てきた。
 胴体部分には、デカデカと『シマリウス一号』と書いてある。線だけで表現された目と鼻。直線的な作りの全身。シマリウス一号を操る魔法の技術は、認めたくはないが大したものなのに、造形に関しては致命的なほどセンスがない。
「エルトックについて来るなんて……。何を考えているんだ、シルヴァナ」
 シマリウス一号が全身を小刻みに振るわせる。だが、その声はユマのそれそのものだった。どうやら、シマリウス一号を通してシルヴァナと直接話をするつもりのようだ。
「何を? 決まっているでしょう。『魔王』を退治するつもり」
 シルヴァナは口元に笑みを浮かべ、シマリウス一号を見た。シマリウス一号を通して、声だけではなく、シルヴァナの姿だってユマには見えているはずだ。
「それで、シルヴァナは何を得られると言うんだ」
 訊いてはきているものの、ユマはシルヴァナが何を考えているのか、本当の目的がなんであるのかは、勘付いているはずだ。そうでなければ、こうしてシマリウス一号を通してシルヴァナと話をしようなどと思うはずがない。
「無駄なことだよ、シルヴァナ。エルトックに――『勇者』について行ったとしても、意味がないことだよ」
「あんたにはわたしの気持ちなんて分からないわよ!」
 意味がない。その一言にかっとなって、シルヴァナは声を荒げていた。ユマにそう言われたことが悔しくてたまらない。彼女には、絶対に分かるはずがないのだ。シルヴァナの気持ちのかけらさえ、きっとユマという魔女には分からない。
「あんたたちみんな、分かるはずない……」
 ユマだけではない。ほかの、ユマ以外の魔女にも、シルヴァナがずっと抱きつづけてきたこの気持ちが、分かるはずはない。
「……シルヴァナだって、わたしや、ほかのみんなの気持ちが分かっていないよ」
 シマリウス一号の線だけの顔では、表情を作ることはできない。声だけが頼りだが、その声は少し静かな調子だった。憐れんでいるようにも聞こえて、シルヴァナの気持ちを逆なでにする。
「ええ、そうね。そうよね。だってわたしは、あんたたちと同じじゃないもの。だから、分からない」
「シルヴァナ、そういうことじゃない」
「そういうことよ。あんたたちには、絶対にわたしの気持ちなんて分からない」
 やけのように、大きな声を出していた。
「そうじゃない、シルヴァナ。わたしたちはシルヴァナのことを、ちゃんと――」
「ちゃんと、どうだって言うの。いつだって、誰も言ってくれたことなんてなかったじゃない」
「それはだって、言う必要がないことだったから。誰も、シルヴァナが」
「言わないで!」
 ユマの言葉を、シルヴァナの金切り声が遮った。その先だけは、絶対に言ってほしくないし、聞きたくなかった。
「……シルヴァナ。今回のことは、シルヴァナには関係のないことだよ。でも、どうしてもエルトックについて来るというのなら、もう止めない」
 ユマは諦めたように、話を元に戻してきた。シルヴァナとしても、その方がありがたかった。これ以上話していても、平行線をたどるばかりで互いの意見が近付くことはないだろうから。近付くときがあるとすれば、それはシルヴァナが『本当の目的』を果たしたときだ。
「そう。『魔王』のお墨付きが出るなんて、ありがたいわね」
 諦めたようなユマの言葉に、シルヴァナは嫌味たっぷりに言い返す。シマリウス一号は何も言わなかったが、ユマはため息をついているような気がした。
「そろそろエルトックたちのところに戻ったら? 変な連中が彼らに近付かないように、見張っていなきゃいけないんでしょう? この町はほかよりは治安が良くないから、早く行った方がいいんじゃないの」
 エルトックたちはのんきなことに、深夜の張り込みに対してなんの危機感も持っていないようだったが、夜中は紙人形よりもずっと物騒な連中がウロウロしていることだってある。ティトーがついているが、ティトーが役に立つ局面があるとすれば、エルトックたちはすでに危ない状況に陥っているということになる。
「……そうさせてもらうよ」
 シマリウス一号はそう言うと、窓の隙間からするりと外へ出て行った。シルヴァナは闇夜を移動する白い紙人形を目で追いながら、ひとり呟いた。
「ユマを利用して、エルトックを利用して……。わたしは、やるしかないのよ」
 ユマが、エルトックのために『魔王』を名乗ったように。
 シルヴァナは、己のために『勇者』に同行するのだ。そうすることでしか、シルヴァナという魔女はこの世に存在できないのだから。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 人の通りもすっかり絶えた真夜中の路地上に、怒りと悲しみで微かに震える声がひたひたと這っていた。
「そしたら我が麗しのカタリーナは、『あたくし、足の短い殿御(とのご)とはお付き合いできませんの』と言ったのだ! ひどいと思わないか、エルトック。自分に二ヶ月もの間、色々と貢がせておきながら、別れの一言がそれだったのだぁ!」
 ティトーの愚痴は、もうずいぶんとその中身が変わってきていた。
 いつの間にかティトーを袖にした雌犬の話になっている。今は、つい最近ティトーをふったという『麗しのカタリーナ』ちゃんのことなのだが、よほどそのカタリーナちゃんに未練があるのか、あるいはまだ失恋の痛手が癒えていないのか、ティトーはちょっと涙声だ。
「ひどいと思わないか、エルトック」
「ああ、そりゃひどいな」
 同意を求められ、俺は適当な相づちを打った。俺としては、本当にカタリーナちゃんがそんなことを言ったのかとか、ティトーはカタリーナちゃんにいったい何を貢いだんだとか、そっちの方が気になる。
「そうか、分かってくれるか、エルトック。同じ男だもんな。ならば聞いてくれ。その前に付き合いのあったコンスタンツァなんか、純情な男の心をもてあそんだのだ」
 いや、おまえは雄だろう、ティトー。というか、やっぱりそのコンスタンツァちゃんとやらが、犬なのに純情な心をもてあそんだりできるんだろうかという疑問があるんだが、でも別に本当にその答えが知りたいわけじゃない。
 ヒエラはといえば、相変わらずティトーの話など耳に入らない様子で、張り込みをつづけている。いや、もしかしたら耳に入ってはいるものの、相手をしたくないから聞こえていないふりをしているだけかもしれない。いつもより、なんだか耐えているような表情をしている気がする。
 早く紙人形たちが現れないだろうか。そうすれば、ティトーだっていくらなんでも愚痴を言うのをやめるだろうし、退治し終われば紙人形を回収して宿に撤収できる。
 張り込みをしている時間はいつもときっと大差ないのだろうが、今夜はいつもよりもだいぶ夜が長いような気がする。
 一刻も早く現れてくれと、俺は旅に出てから初めて、紙人形の登場を心から待ち望んでいた。

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(C) Nagasaka Danpi 2006-2009