第五話 巻き込まれ型勇者と魔女たちの思惑 02
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 シマリウス一号がユマの居所を口走ってから、南へ行くよりも行き先がはっきりした俺とヒエラは、ひたすらアルキマ山を目指していた。シマリウス一号は相変わらず付かず離れずの距離でついてくるし、行く先々の町や村では、やっぱり紙人形が徘徊するという噂が飛び込んでくる。
 シマリウス一号は人目が増えてくると、いつのまにか俺たちの視界から消えている。シマリウス一号の姿が見えなくなるのは、そんな時だけだけど、等身大とはいえ所詮は紙。隠れる場所はいくらでもあるだろう。俺たちに見つかるまで――見つけてもらうまでかもしれない――も、そうやって隠れていたに違いない。
 そんなシマリウス一号の暗躍(?)で、こうしていまだに、行く先々で紙人形退治をする羽目になっていた。もっとも、一度倒れた紙人形が動くことは、今のところ一度だってないし、この先もあり得ないんじゃないかとそろそろいい加減、ヒエラも認めてきたから、二晩連続で紙人形の出没を待ち構えることはなくなっていた。
 一晩紙人形を待ち伏せて退治して――退治とはいっても、俺が指一本さえ触れないうちに紙人形は勝手に倒れて動かなくなるから、退治したと言っていいのかどうか怪しいところだけど、ともかく、動かなくなった紙人形を回収して、翌日は昼くらいまでぐっすりと休み、昼過ぎからその町を散策して更に一泊。その晩は待ち伏せなんかせずにゆっくりと眠りにつき、翌朝に出発するというのが、最近の状態だ。
 とても魔王退治の旅とは思えないけど、そもそも俺はユマを迎えに行くつもりでいるのは相変わらずだから、これくらいがちょうどいいのかもしれない。ヒエラも、旅を始めた頃に比べたら、ずいぶん緊張感がほぐれてきたと思う。まあ、紙人形に怯えるのは今でも変わっていないけど、ヒエラと紙人形の初遭遇が最悪だったらしいから、致し方ないことだろう。
 町に着いたら必ず一晩は張り込みをしないといけないけれど、それ以外に関しては至って平穏に旅は進んでいく。ユマに呪いをかけられたと言われてからシマリウス一号を発見するまでは、世界を中心にして振り回されているような気がしたけど、今はその時に比べれば穏やかなもんだ。木漏れ日が程よい感じで射し込む林の中の道を歩いていると、その気持ちよさに思わず鼻歌を歌いそうになる。ヒエラを見ると、深夜、紙人形を待ち伏せしている時の緊張しまくった表情とは全然結び付かない、なんとも穏やかそうな表情を浮かべて歩いている。
 なんだかこうしていると、家の近所の林を散策しているような、懐かしい気分になってくるな。小さい頃、そこでユマとよく遊んでいたことも思い出す。そういえば、ユマは意外にも木登りが苦手だったんだ。魔法を使えるようになってから、魔法で空を飛ぶことだってできたから、自分の手足を使って登る必要がなかったせいだ。魔法を使わない木登り競争を持ち掛けて俺が勝ったら、悔しさのあまり、木登り競争に使った木を操って追いかけ回してくれたりもしたが……。
 いかん。子供時代を懐かしもうとしていたはずなのに、結局いつもユマにひどい目に遭わされたことまで思い出してしまった。子供時代のユマとの思い出には、いつでもほろ苦さがついてくる。いや、今のこの旅だって、歳をとって思い出した時にはやっぱりほろ苦さがついてくるんだろうけど。
 ユマが魔法を使って俺に散々なことをしなかったら、子供時代は懐かしさ一杯の思い出に溢れていたはずなのに。ついでに言えば、こんな旅に出ることもなかっただろう。
 そう考えると、俺は世界じゃなくてユマに振り回されているような気がしてきた。いや、そんな気がする。というか、そうに違いない。子供時代の思い出から、現在の状況に至るまで、何から何までユマが絡んでいる。これで、ユマが魔女なんかじゃなくてごく普通の女の子だったら、美人な幼馴染みの存在をもっと喜んでいたかもしれない。いや、別に魔女のユマが悪いわけじゃなくて、悪いのは俺で魔法を試すことであって、そんなことさえなければ、俺だってユマにはもっと別の感情を――いや、いやいやいや、ちょっと待て。いま何を考えていたんだ、俺!
「エルトックどの。どうかしたんですか?」
 ヒエラの声が、俺の暴走しかけていた思考を中断させる。
「いや、別に、なんでもないよ」
 俺は多分、思考が暴走している間は一人百面相をしていただろう。そんな自分の姿を想像すると間抜けだったが、ヒエラがそれをとめてくれたので、これ以上間抜けな姿をさらさずにすんだ。ありがとう、ヒエラ。
「そうですか? ――あ、もうすぐ林が終わりますよ」
 ヒエラは首をかしげたが、大したことはないと思ったようだ。俺としても、深く追求されたら困るからありがたい。
 頭をブンブン振って、暴走した思考を無理矢理正常値に戻した俺は、顔を上げて前を見る。ヒエラの言う通り、林の切れ目が見えていた。
 林を抜けると、直接陽光が俺たちの頭上に降り注いでくるが、季節は秋に向かっているから、暑いと言うほどではない。これで真夏だったら、旅をするだけでも大変だっただろうな。冬は冬で寒いし、春は雨が多いから大変だし。
 あれ? そういえばシマリウス一号や紙人形は、雨に濡れても大丈夫なんだろうか。今のところ雨が降る夜に紙人形に出くわしたことがないから分からないけど、でもユマのことだから、防水加工くらいしているんだろう。
 俺がそんな、どうでもいいことを考えていた時、
「待ってたわよ」
 女の声が、陽光と共に降ってきた。同時に、地面に人影らしき影が落ちる。
 俺とヒエラは驚いて空を仰いだ。ここは林を抜けた場所で、頭上を遮るものは何もない。ついでに人里から離れたところだから、周囲には建物もない。地面よりも高い位置に人がいることなど、あり得ないはずだ。
 だが、確かに頭よりだいぶ高い位置に、人はいた。その姿を認めた俺の顔は、きっと奇妙な表情を浮かべて眉根を寄せていたことだろう。
 竹ぼうきに腰掛けた女が、俺とヒエラを見下ろしていたのだ。そのうえ、女の顔に見覚えがある。何日か前に夢の中で会った、魔女と思しき女だった。いや、足場も何もない空中に浮かんでいるのだから、魔女と断定しても構わないだろう。ともかく、彼女は俺たちの前にゆっくりと下降してきて、地面に降り立った。ほうきの柄には、胴体が長いくせに足は短いという変な黒い犬が、短い足で器用に乗っかっていた。その犬も、地面に降りる。
「ほらね。会えたでしょう、エルトック」
 赤い口元をほころばせ、魔女がにこりと微笑んだ。
 魔女は、夢の中で出会ったのと寸分違わぬ姿、格好をしていた。暗い色の長いローブ。薄い金色の長い髪。色白な肌。すれ違った十人全員が思わず振り返るような容貌。違っているのは、胴長短足の黒くて小さい犬を連れていることくらいだ。
「エルトックどの、お知り合いですか?」
 おそらくいまだかつて空から降り立った人物と遭遇したことがないであろうヒエラが、面食らった様子で俺に小声で尋ねてきた。
 その質問の答えは、微妙だ。初対面ではないと言えばその通りかもしれないけど、夢の中で会ったことも対面したことにしていいものかどうか迷うところだし、俺は彼女が魔女らしいことと、ユマと知り合いらしいということ以外、名前も何も知らない。
「いや……」
 なんというか、知り合いと言うにはやっぱり微妙だ、と俺が言おうとする前に、魔女が口を開いてしまった。
「ちょっと、エルトック。一度会ったら忘れないような、こんな美人と会っておきながら、『いや』はないんじゃない?」
 魔女は不満そうに唇をとがらせる。自分の容姿に自信があるのが、今の一言でイヤでも分かってしまった。確かに美人だからその通りなんだが、それにしても、なんというか、ユマは自分の容姿を自慢するようなことも、自信にしていると思わせる節もなかったから、ちょっと戸惑ってしまう――って、俺はやっぱりユマと比較するのか!
「まあ、見るからに鈍そうな頭をしている男だから、いくら主(ぬし)さまの美貌をもってしても、記憶に残らないこともあるんでしょ」
 子供の甲高い声が突如割り込み、それに続いてヒエラの奇妙な悲鳴が上がる。
「へ、変な犬がしゃべったぁ!?」
 そう。俺の目と耳が間違っていなければ、今さり気なく失礼なことを言ったのは、黒い胴長短足犬だ。足と同じくらい短い尻尾を振りながら、口をぱかぱか動かしていた。もしも犬がしゃべったのでないとすれば、彼女の腹話術ということになる。
「変な犬とは失敬な!」
「うるさいわよ、ティトー」
 ヒエラに向かって再び口を開いた犬を、魔女が一瞥して黙らせる。もしもこれで腹話術だったとしたら、ちょっとこの人を避けて通り過ぎていきたいところだ。一方、魔女に睨み付けられたティトーという名前らしい犬は、「だって、あの男、自分を変な犬って……」ともごもごと言っている。どうやら変な犬と言われたことを気にしているらしい。
「もしかして……魔女?」
 決して短くはない旅の中で、ヒエラも奇妙なことの原因をそっちに求めるだけの経験を積んでしまったらしく、おそるおそる俺に尋ねた。
「なんだ。変な悲鳴あげたわりに、惜しいけど、鋭いじゃないか」
 それに答えたのは、俺でも魔女でもなく、一旦は落ち込んだティトーだった。いちいち人を小馬鹿にした言い方をするが、そう言う自分だって手足の長さが胴体の長さに全然見合っていない、まさにヒエラが言う通り『変な』犬じゃないか。
「ティトー。余計なこと言って、主人の台詞を取ってるんじゃないわよ」
 魔女が再びティトーを睨んだ。ティトーはまたもごもごと、「だって、あいつの顔がマヌケそうだったし……」とこれまた失礼なことを言っている。
「あのー、結局、あんたたち、なんか用なんですか?」
 なんだかこれ以上このまま話していても時間を浪費するばかりのような気がしてきた俺は、しかし決して積極的には見えない態度で魔女に訊いた。
「用? そりゃもちろんあるわよ。でもその前に、自己紹介ね。わたしはシルヴァナ・トスタイル。この子はティトー。わたしの使い魔よ」
 魔女はティトーに口を挟まれないよう、口早に言った。ティトーは犬じゃなくて、使い魔とやらなのか。と言われても、使い魔がなんなのか、俺にはよく分からないんだが。
「分かりました。それじゃ」
 俺はヒエラの腕を引っ張り、その場を急いで離れようとする。用があると言っていたが、きっとろくなことじゃないだろう。だって魔女だぞ、魔女。美人とはいえ魔女は魔女。この俺が、魔女に対していい印象を持っているはずがない。ユマが俺に用があると言って押し掛けてくる時は、だいたい俺で魔法を試す時だったんだ。
「ちょっと。だから待ちなさいってば!」
 さっさと行こうとした俺とヒエラを、シルヴァナが慌てたように追いかけてきて、俺たちの前に回り込む。彼女に遅れて、ティトーも回り込んでくる。足が短いせいで、シルヴァナについていけないんじゃないのか、もしかして。
「いや、俺はあんたらに用はないから」
 俺はきっぱりと言った。用がある魔女は一人しかいない。
「そんなつれないこと言わなくてもいいじゃない。せっかく力になろうっていうのに」
「力?」
「そう。これから魔王を倒そうっていう勇者の連れが、兵士一人だけなんて格好が付かないんじゃない?」
 なんとも得意げそうな顔で、シルヴァナが胸を張る。つまりは、自分も連れて行けということか。
「間に合ってマス」
 俺は勢いよく頭を下げると、ヒエラの腕を再び引っ張り、ティトーをまたいでシルヴァナの横を通り抜けていく。
「ちょっと! こんな美人が仲間になろうって言ってるのに、断るとはどういう了見よ!」
「ぐえっ」
 険のある声に、鈍い声が続く。隣のヒエラが上げた声だ。通り抜けざま、シルヴァナが甲冑の襟首をすかさず掴んでいたらしい。俺は慌ててヒエラの腕を放した。
「危ないだろ、そんなところ掴むなよ!」
「人の親切をないがしろにしようとするからじゃない」
 シルヴァナもヒエラの襟首から手を離すが、まるで悪びれた様子がない。
「いや、本当に間に合ってるから」
 早速ろくでもないことがヒエラの身に起きたし、ユマを迎えに行くだけで、今のところ魔女がいないと困るようなことは起きていないし、シルヴァナもこんな旅に付き合って時間を浪費することもないだろうと、俺は腹の底から思った。
「ユマの居場所をわたしが知っていても?」
 魔女は引き下がる様子を見せない。だが残念ながら、ユマのいる場所はもう知っている。
「ああ、十分間に合ってマス。もう知ってるから」
「ふーん、そう」
 シルヴァナはたいして残念そうな顔もせず、少し考える風にしてまた口を開いた。
「ねえ、エルトック。ユマは、あなたに『世界を救わなければ死んでしまう』呪いをかけて、それを解くために自ら魔王になることにしたわけでしょう」
 シルヴァナは妖艶な笑みを浮かべたまま、俺の反応を見るように口を閉じる。俺は、黙ってシルヴァナを見返していた。俺に『呪い』がかけられていること、それがどんな『呪い』であるかもシルヴァナは既に知っていた。そのうえにユマが魔王になった理由まで知っているとは、思わなかった。
「ユマは、どうしてあなたにそんな『呪い』をかけたのかしらね」
 疑問形で言っていながら、まるでその答えを知っているような言い方。
「それは……あいつはいつも、俺で魔法を試すから」
「でも、いつもと違うつもりだったとしたら?」
 その言葉に、はっとする。幼馴染みに呪いをかけることの是非はともかく、いつもと違うつもりでやったかどうかなんて、俺は一度も考えたことがなかった。そんな可能性があることを、思い付きもしなかった。いつものように俺で魔法を試して、でもその魔法が実は呪いで、それを解くためにユマが魔王を名乗るしかないから――他の方法があったかもしれないが――こんなことになっているんだと思っていた。
 しかし、だからといってどんなつもりで俺に『呪い』をかけたんだ。シルヴァナは、それを知っているというのだろうか。
「ねえ、エルトック。わたしを連れて行った方が、その『呪い』を解くのに有利よ」
 シルヴァナは、更に俺の興味を惹くようなことを言った。
 ユマは、『呪い』を解く方法は分からないが解けないこともないと言って、魔王を名乗った。それなのに、シルヴァナは『呪い』を解く方法まで知っているのか。いや、だけど「解くのに有利」だと言っただけで、解けるとまでは言っていない。でも解く方法の一部、あるいは手掛かりを知っているんじゃないか。
「エルトックどの。それなら同行してもらった方が絶対にいいですよ」
 俺の胸中など知る由もないヒエラが言った。確かに、ヒエラの言う通りかもしれない。シルヴァナは、俺が知らないことも、もしかしたらユマでさえ知らないことまでも知っている可能性がある。それを匂わせて餌にして、仲間にしろと迫るやり口は、なんだか脅しているようで気に入らないけど、『呪い』のこともあるし、この際文句は言っていられないかもしれない。
「分かったよ」
 不承不承ではあるが、俺はそう言っていた。

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