第五話 巻き込まれ型勇者と魔女たちの思惑 01
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「ヒエラ……そんな物騒なモン、抜くなよ?」
「しかし、エルトックどの」
「来ないのならば、こちらから行きますよ。勇者どの。お覚悟ー!」
 紙人形はあまり抑揚のない声でそう言うと、まったく同じ形をした二体の紙人形のうちの片方にヒラヒラと突進していく。突進された紙人形が、突進してきた紙人形の突き出された腕を、へにょりとした仕草で払いのけると、払いのけられた方はそのままぱたりと倒れてしまった。
「うう……さすがは勇者どの。そう簡単に倒せる相手ではないようでございますね。しかし」
 紙人形がむくりと起きあがる。
「わたくしシマリウス一号に地面を味わわせたとしても、アルキマ山の洞窟におわすユマさまに敵うはずなどないのでございますよ。勇者どの。次に会う時は、もう容赦などいたしませんよ。また会いましょう、勇者どの!」
 べらべらとやはりあまり抑揚のない声で捨て台詞っぽいことを言い切ると、その紙人形は「はっはっは」と乾いた笑い声を上げながら、ヒラヒラと、テーブルの端へ去っていった。
「――いかがでしたでしょうか。ユマさま」
 テーブルの端までたどり着いた紙人形は笑い声をぴたりと止め、くるりと振り返ってテーブルを見下ろす人物を見上げた。
「うん。なかなか良かった。だいぶ上達したね、二号、三号、四号」
 椅子に腰掛け、テーブルの上で小さな紙人形たちが繰り広げた寸劇を見ていたユマは、労うように拍手をした。二号、三号、四号と呼ばれた三体の紙人形が、そろって「ありがたき幸せ!」と言って腰をへにょりと折る。
 ここは、アルキマ山の中腹にある洞窟の最奥部。ユマの秘密の研究室――もとい魔王の居城である。エルトックたちの監視役としてシマリウス一号を差し向けたユマは、一号が見聞きしたことを、シマリウス二号、三号、四号(以下随時増員予定)にそっくりそのまま再現させているのである。
 シマリウス一号は等身大だが、二号以下略は街を闊歩させている集団紙人形と大きさも形も同じである。ただし、二号以下略には一号と同じく胴体部分にシマリウス二号以下略と書かれており、そのうえ言葉を話し、ある程度の意志まで持っている。等身大のシマリウス一号から始まる紙人形シマリウス系は、ユマのこれまでの魔法研究の集大成でもあり、新たな研究材料でもあった。
 エルトックに『世界を救わなければ死んでしまう』という呪いをかけたユマは、誰もが安全に、なおかつ多大な迷惑は被らない感じに世界を危機に陥れなければならなかった。この場合の『世界』は、せいぜいここヴィーオス一国程度でいいのだが、ともかくそういう状況を作り出すために紙人形の集団を深夜徘徊させることにしたのだ。研究室――もとい居城での生活の不便さを解消するため、紙人形を召使いのように使役しようと思い付いたのがきっかけだった。
 果たして狙い通り、『勇者』としてエルトックが『魔王討伐』のために旅立ったのだから、我ながら名案であったと思う。そのうえ、こうしてエルトックの動向を逐一知ることもできるのだ。名案どころか絶妙案である。
 もっとも、一号の見聞きしたことを二号以下略に再現させる必要は、本当ならば、ない。一号以下紙人形たちは、すべてユマの意志のもとに行動しているのだ。ちょっとした手間をかければ、一号以下紙人形が見聞きしたことをそのまま直にユマが知ることはできる。
 しかし、それをせずにわざわざ二号以下略に再現させているのは、一つ目にはユマの魔法技術向上のため、二つ目には暇つぶしのためであった。
 一号が見聞きした情報を二号以下略が的確に受け取り、なおかつそれを忠実に再現する――これが、思っていたよりも難しい。ユマの命令ならば忠実に受け取りそのまま実行できる紙人形たちであるが、ユマのものではない、単なる情報を受け取りそのまま再現するのは想像していたより難しいことだった。紙人形たちは元々単なる紙切れで、ユマの魔法によってのみ動いている。情報を忠実に再現するには、そのための複雑な魔法が必要だったのだ。一号を差し向けて以来、ユマは二号以下略の情報の受信能力とその再現性の向上に努めている。はじめの頃に比べれば格段に向上しており、よい暇つぶしにもなっていた。
 そう、暇なのだ。深夜徘徊をする紙人形は、紙人形シマリウス系のような複雑さは必要ないから簡単に量産できる。それ以外の『勇者の敵』は用意していないし、特に必要もないので、ユマはエルトックがやって来るのをただ待つばかりなのだ。それもあって、一号の報告を直接聞くのではなく、二号以下略に再現させることにしたのだ。おかげで、魔法の研究と暇つぶしができて一石二鳥である。
「今のところ、予定通りだね……」
 ユマはほくそ笑み、呟いた。
 今のところすべて、ユマが思い描いた通りに事は進んでいる。このまま順調に行けば、もうすぐエルトックたちはアルキマ山にたどり着く。
 あと少しだ。あと少しで、すべてが終わる。そうすれば、エルトックを救い出せるはずなのだ――。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 俺は、気持ち良い風が吹き抜ける花畑の中を歩いていた。くるぶしくらいの高さまで茂る草の中に、色とりどりの小さな花が、まるで空からまぶされたように咲き乱れている。辺り一面がそんなだからなのか、あるいは遠くまでこの花畑が広がっているからなのか、風と共に鼻腔をくすぐるかすかな花の香りも運ばれてくる。
 裸足でそこを歩いている俺は、足の裏の土の感触が心地良く、また花の香りのせいなのか気持ちも穏やかで、いつの間にか鼻歌を歌いながら歩いていた。花畑はどこまでも尽きることがないかのように広がっていて、これといった起伏もない。だから、俺はすぐそばに近付くまで、花畑の中を流れるせせらぎにも気付かないでいた。
 それほど深くない川の水は澄み切っていて、流れは緩やかだった。はっきりと川底が見える。川底には、大小様々な丸い石が転がっている。石はまるで宝石のように透明感があって、陽光を反射してキラキラと輝いていた。水面の下に広がる、宝石箱の中をのぞいているようなその光景に俺はしばらく見とれていた。
「あなたが、エルトック・ウィラライカね」
 どれくらい見とれていたのか分からなくなった頃、突然声をかけられたものだから俺は心臓が口から飛び出すほど驚いて、川面から顔を上げた。見ると、少し川下の対岸に、女が一人、立っていた。
 彼女は足下まで覆い隠すほど長く暗い色のローブを着ていた。薄い金色の髪はまっすぐに長く、色白の肌はローブの色のせいでなおさら白く見える。長い睫毛に縁取られた瞳は緑色で、目鼻立ちは文句のつけようもないくらいに整っている。歳は、俺よりいくつか上、二十歳くらいだろうか。
 こんな美人を、俺はユマ以外には見たことがなかった。ちなみに、ユマと比べたからといって、俺はユマを褒めたいわけではない。あくまで比較対象人物としてユマを持ち出しただけで、他意はない。断じてない。
「ふふ。ようやく見つけた」
 世にも珍しいイキモノである魔女のユマと比較されたとも知らず、美女は赤い口元をほころばせ、かすかに笑みを浮かべる。妖艶な笑みとは、きっと今のような微笑を指すに違いない。ユマの顔の筋肉を総動員しても、無表情に近いあいつがあんな笑みを浮かべるのは無理だろう。
「あのぉ……どちらさまでしょうか」
 いつまでもユマと比べるのはやめにしよう。これじゃあ、俺が世の中の女性をユマを基準にして見ていると思われてしまう。いや、誰にそんな風に思われるかは分からないんだけど、とにかくやめよう。
 目の前に立つ女は、どこからどう見ても美人に違いはないのだが、その容姿にそぐわない地味な色のローブは、彼女にはとても不釣り合いなように見えた。容姿が優れているだけに、むしろ不審にさえ見える。まるで、寝物語の中に出てくる魔女のような格好じゃないか。
 待て。まるで魔女のような格好をあえて選んでいるのだとすれば、彼女はもしかしてユマの同類なんじゃないか? ユマがあんな格好をしているところは見たことがないけど、魔女のような格好を好き好んでやる人間が、魔女以外にいるのか疑問だ。
「そう急がないで。わたしとは、もうすぐ会えるわよ」
 妖艶な笑みのまま、女は鈴を転がすような声で笑った。まだ確証はないが、同じ魔女とはいえユマとは大違いだ――って、俺はどうしてやめると決めたはずなのに、しつこくユマと比べてるんだ!
「もうすぐって……いま、会ってるんですけど」
 しかもこうして会話できるくらいに近い距離にいる。これでも、会っていないと言うのだろうか。
「ここは、夢の中よ。わたしがあなたを見つけるために紡いだ夢。気に入ってくれたみたいで、良かったわ」
「夢……?」
 俺は辺りを見回してみる。果てしなく続く花畑。どこから流れてきて、どこへ流れていくのか分からない清流。空を見上げれば、雲一つない真っ青な空が広がっていて、そこにぽつんと太陽がある。これだけ花が咲き乱れているというのに、虫の姿はどこにも見えず、空には鳥一羽飛んでいない。俺は急に寒気を覚えた。
 『ここ』には、俺と彼女以外の何者もいないのだ。
「まさか……あの世の一歩手前?」
 そうだ。冥土の入り口には、きれいな花畑が広がっているとかいう話を聞いたことがある。危うく死にかけたりすると、そんな光景を見るとかって。しかも、川があってその対岸にはとっくに死んだ身内が「こっちへおいで~」とか言いながら手を振っているって!
「あんた、もしかして俺のばあさん!? ていうか、俺は死にかけているのか!? 呪い? ユマのあの呪いで、今まさに死にかけてるの、俺!?」
 父方の祖母は、親父がまだ小さかった頃に若くして亡くなったと聞いている。それに、イヤな話だが、俺には死んでもおかしくない呪いがかけられているんだった。こんな夢を見てもおかしくない心当たりがありすぎる。
「誰があんたのおばあさんよ! こんな若い娘捕まえてなんてこと言うのよ。しかも、別に死にかけてもいないし」
 それまで笑っていた女が憤慨する。が、俺としては自分の予想が外れていて嬉しいので胸をなで下ろした。
「でも、死ぬかも知れない『呪い』はかけられてるでしょう、エルトック」
 俺の安堵をぶち壊しにするような一言を、女が意地悪に歪めた唇から発する。ばあさんと言われたことが、そんなにイヤだったのか。早とちりしてばあさん呼ばわりしたのは悪かったと思うけど、冷静になって考えてみると、俺にそんなことを言わせるような状況を作り出したのはそっちの方じゃないか。いやいや、そんなことよりも――。
「どうして知ってるんだ、あんた……」
 ルーインさんも、俺にかけられた『呪い』を知っていた。格好からしてユマの同類じゃないかとは思っていたが、これでますますその疑いが深くなる、というかむしろ決定的だ。
「あんたも、魔女なんだな」
「ふぅん。さすが魔女――いえ、今は魔王と言った方がいいかしら。ま、ともかくユマと一緒に育っただけのことはあるわね」
 しかもユマの知り合いらしい。俺は魔女といえばユマしか知らなかったし、魔女の知人がいるという話も聞いたことがなかったけど、それでもあまり驚かないのは、ユマの魔法で散々な目に遭ってきたせいだろうか。でも、そんな言い方をされても俺は少しも嬉しくない。
「とにかく、あなたを見つけることはできたわ。もうすぐ、現実でも会えるわよ」
 できればお会いしたくないんですけど、と俺は言いたかった。女がその言葉と共に浮かべた笑みは、なんだか野望めいたものを胸のうちに秘めまくっている、もしくはなにかしらを企んでいる時に浮かべるものに似ていたからだ。
 ユマよりもずっと、この女の方が魔女らしく見えた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 寝覚めが悪い。
 ベッドの上で、俺はしばらく目を開いたまま天井を見ていた。今朝がた見た、夢なのかなんなのか知らないが、ともかく今日はやたらと夢の内容をはっきりと思い出せた。気持ち良く花畑を歩いているところに、魔女と思しき女と出くわし、あげくに呪われていることを看破され、現実でも会えると宣告されたのだ。事細かに覚えているあたり、魔女の仕業なんじゃないかと疑いたくなるのは、正真正銘の魔女で今は魔王を名乗っている幼馴染みがいるせいだろう。
 寝覚めが悪いのもそのせいだ。夢の中で出会った見知らぬ女は驚くほどの美人だったけれど、彼女が魔女であり、なおかつその彼女が俺にあんな夢を見せたのだと思えば、良い気分ではいられない。ユマに現在進行形でも散々な目に遭わされている俺が、魔女になにかしらのことをされて気にせずにいられるだろうか。いや、いられるはずがない。断じてない。
「エルトックどの。そんなに天井を睨んで、何かいるんですか」
 いつでも俺より先に起きてすっかり身支度を調えているヒエラが、不思議そうに俺が見上げているあたりの天井を見た。古ぼけてところどころシミが付いている以外、なんの変哲もない天井だから、ヒエラは首をかしげる。
「あー、いや。ちょっと、変な夢を見たもんだから」
 俺はなんでもないという風に言って、起きあがった。
「どんな夢を見たんですか」
 問われて答えようとした俺は、口を開きかけたところで、ありのままにヒエラに言っていいものかどうか迷った。
 今では世にも稀なイキモノとなってしまった魔女。その数少ない魔女の一人が、突然魔王を名乗り恐怖を――主にヒエラに――もたらしたのだ。その張本人である魔女と別人とはいえ、魔女としか思えない女に夢を見させられたと言えば、ヒエラは俺以上にこの事実を訝しがり、怪しみ、ついでにちょっと怖がるに違いない。
「あの、エルトックどの?」
 言わない方がヒエラの心の健康のためにいいんじゃないかと一人胸中で議論している俺が、いつまでたっても中途半端に口を開いたまま黙っている方が、むしろヒエラの心の健康を害しそうになっていたらしい。ヒエラが心配そうな表情を浮かべている。
「いや、ホントはそんな大した夢じゃないんだけど。花畑の中を歩いている夢を見ただけなんだ」
 俺は慌てて両手を振りながら、心配させまいと寝起きの顔に作り物っぽい笑みを浮かべた。が、効果は全くなかった。ヒエラは今度こそ心配そうな表情を浮かべた。
 俺はヒエラのそんな顔をまじまじと見、ヒエラは俺の顔をまじまじと見る。やがて、ヒエラがその表情に負けないくらい心配そうな声で言った。
「エルトックどの……死を覚悟するには、まだまだ早いですよ」
 ヒエラの言葉に、俺はヒエラの顔を見つめたまま固まってしまった。
 なるほど、そういう風にもとれるな。俺も、花畑を歩いていたし自分にかけられている呪いのせいもあって、うっかりあの世の一歩手前かもしれないと思ってしまったのは確かだ。ヒエラも、多分同じことを考えたんだろう。
 だがしかし。自分であの世の一歩手前と思うのと、他人に指摘されるのとでは、全然違う。その上、ヒエラは心底心配そうに言ったのだからたまらない。なんだか本当に俺の寿命は危ないんじゃないかと、不安になってくる。
 胸が痛いのは気のせいに違いないと思うことにした。

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(C) Nagasaka Danpi 2006-2009