すぐそこにいる変人

 降り注ぐ日射しは日ごと強さを増していて、夏が近付いてきているのだと誰もが感じているような、そんな日の昼下がり。
 《南の獅子》として名を馳せる国フィドゥルム、その王宮の一角にある騎士団の本営は修練場の片隅に、三人の騎士の姿があった。彼らは先程まで鍛錬に励んでいたのだが、今は日射しを避け、大木がつくる影の中で休んでいた。《南の獅子》の牙として爪として、国のために剣を握る彼らであるが、ここしばらくは隣国デイルダも積極的に戦を仕掛けてくることがないため、平穏な世を満喫していた。
「《沈黙の森》は木陰が多くて夏でもわりあい涼しく過ごせましたけど、毎年ながら王都のこの暑さはたまりませんね」
 そう言って鬱陶(うっとう)しそうに息を吐いたのは、オイセルストだ。地面に直に腰を下ろし、右膝は立ててその上に右腕を載せている。鬱陶しげな息を吐きながらも涼やかな目元はいつも通りで、視線は隣で同じように地面に座るコントラルトに向けられていた。
 コントラルトは、弱音を吐くオイセルストを珍しいと思いながら、そのオイセルストとは違う意味で溜息をついた。
「王都とあんなところを一緒に考えるな、オイセルスト」
 《沈黙の森》は魔物が跋扈(ばっこ)する森であり、一度足を踏み入れたら最後、無事生きて帰ってこられるかどうか、はなはだ怪しい場所である。
「でも、《沈黙の森》の中が王都より涼しいなんて、実際にそこで長く暮らしてみないと分からないんだから、ひとつ勉強になったじゃないか」
 コントラルトは顔をしかめるが、隣の一人だけ立っているイルゼイは笑った。
「大して役に立つとも思えない知識だな」
「まあな。でも、それでますますオイセルストの変人ぶりも分かる」
「なおさら役に立たないな、そんなことが今さら分かったところで」
「コントラルトもイルゼイも二人して、俺を褒めているんですか」
「褒めてるわけないだろう。呆れているんだ、わたしは」
 コントラルトはしかめっ面をオイセルストに向ける。そのオイセルストは、コントラルトの頭を飛び越えてイルゼイを見上げる。
「我が愛しい妻からこんな仕打ちを受ける方が、よほど涼しくなりますね。つれない態度に、俺の心は涙の嵐が吹き荒れて荒涼としてしまいます」
 しかし、オイセルストの表情からそんなことは微塵も感じられず、コントラルトはまた溜息をこぼした。
「まあまあ、コントラルト。結婚してまだ間もないのに、そう溜息ばかりつくなよ」
「その事実が、そもそも溜息の原因だ」
 まことに遺憾ながら三ヶ月ほど前、コントラルトはオイセルストの妻というものになり、オイセルストがコントラルトの夫というものになってしまった。そこに至る経緯を思い出すだけで、溜息の数は更に増えるだろう。
「コントラルト。そんなことを言われると、俺の心の涼しさは増すばかりなんですが」
 イルゼイがとりなそうとするが、コントラルトはにべもない。しかし、イルゼイはそれを面白がるように笑う。
「安心しろ、コントラルト。世の中にはオイセルスト以上に変わった奴だっていると思えば、おまえの苦労なんか」
「この俺をつかまえて『変わった奴』とは聞き捨てなりませんね、イルゼイ」
「こいつ以上に変な奴がいるものか」
 イルゼイの言葉に、新婚夫婦はまったく逆のことを言い返した。
「いるみたいだぞ。しかも俺らと同じ騎士の中に」
「騎士の中に?」
 コントラルトは柳眉をひそめる。
「ああ、騎士の中に。先日のことなんだが、こともあろうか上半身裸になって城下の街中を駆け巡った騎士がいるそうだ。それも、二人」
 言って、イルゼイは指を二本立てる。コントラルトの眉間に寄るシワがいっそう深くなる。
「本当の話なのか、それ」
「なんでも、その二人にはそれぞれ意中の娘がいるんだが、偶然それは同じ娘だったそうだ。で、二人の想いを知った娘は『どちらが自分のことをより深く想ってくれているのか、それを示してほしい』とおねだりをした」
「それで、上半身裸になって城下を駆け巡ったわけですか」
 オイセルストが言うと、イルゼイがそういうことだと軽く肩をすくめる。
「変わっているんじゃなくてバカ者だ、その二人は」
 どうして想いの強さを伝えることと、上半身裸で走ることが直結するのだ。もっとほかの手段はいくらでもあっただろうに。しかも、それをやったのが二人とも騎士だというから、呆れるほかない。
「似たような話ならまだあるんだぞ、コントラルト」
「ほお?」
 先の二人と似たようマヌケな騎士が、ほかにもいるのか。今度は全裸で走ったとか言い出すんじゃないだろうなとコントラルトは疑(うたぐ)る。
「とある若い騎士が、さる貴族の令嬢と交際していたんだが、この令嬢は派手好きなことで有名でな。とにかく飾り立てた衣装を好む。本人だけが着飾っているだけなら、まだかわいらしくもあったんだろうが、令嬢は騎士にも同じように着飾ることを望んだんだ。騎士はあまり派手に飾ることは好きではなかったが、愛しい令嬢の望みとあらばと、派手な衣装をまとうようになる。令嬢はそれを喜び、そんな令嬢を見て騎士は更に派手な衣装を着て令嬢を喜ばせようとした。それはいつの間にか、私服だけでなく騎士の装束にまで及ぶようになり、その騎士は立ち並ぶ同僚の中でもひときわ目立つ存在になっていたそうだ」
「……イルゼイ。その騎士は、どこかで見たことがあるような気がする」
 一年ほど前、王族や要人の護衛、王宮の警備を主な任務とする《暁の盾》で、派手な格好をした騎士を見かけたことがある。いや、派手というより奇抜さの印象が強い衣装だったが、あいつは何を考えているんだと呆れた覚えがある。王女の護衛騎士と《緋の夏陽》の団長を兼任するコントラルトが、数ヶ月をおいて再び《暁の盾》に戻ったときには、その派手な騎士はいなくなっていた。
「《暁の盾》にいた騎士だよ。見かけたことくらいあるかもな」
「ああ、確かにいた。だが、いつの間にかいなくなってもいた」
 地味な、というかごく普通の格好に戻ったから目立たなくなり、いなくなったと錯覚しただけだろうか。しかし――。
「それなんだが、その騎士が王宮の周辺を巡回していたとき、盗賊と出くわしてな。騎士は盗賊を捕まえようとしたんだが、派手な装飾が邪魔になって盗賊に逃げられてしまったそうなんだ。騎士はその失態で《碧の秋星》に異動になった上、辺鄙(へんぴ)な片田舎に左遷されたんだよ」
 実際は、コントラルトの予想を大きく上回っていたらしい。
 フィドゥルムの騎士の大半は《碧の秋星》に所属し、《暁の盾》に所属できるのは大勢の中から選び抜かれた騎士だけである。ゆえに、《暁の盾》から異動すること自体が左遷といっても差し支えない。
「……バカか、そいつは」
 奇抜な格好をしているなと思った以外、これといって気にかけていたわけではなかったので、その騎士がいなくなっていても気にしていなかったが、そんなことがあったとは夢にも思っていなかった。ひとつの騎士団を預かるコントラルトは、まさか《緋の夏陽》にはそんなバカな奴はいないだろうなと心配になる。
「ほかにも――」
「まだいるのか!?」
 更に『変人』の例をイルゼイが挙げようとするのに、コントラルトの声は我知らず大きなものになる。変人というよりはバカ者の例のような気がするが、騎士団の中に、一人や二人といわずにいるのは驚きである。
「まだいるとも。まあこれもある若い騎士の話なんだが、そいつはやんごとない令嬢に想いを寄せていたんだ。その騎士は自分の思いの丈を令嬢に伝えるべく、恋文をしたためることにしたんだが、自分の深く激しい恋心を余すところなく文章にすることがなかなかできなかった。その騎士は納得のいくまで恋文を書き直し続け、結局一週間も費やしてしまったという話だ。もちろん、その間の仕事はさぼってな」
「……」
 呆れてものも言えないとは、まさにこのことだ。イルゼイはさも愉快げに話しているが、コントラルトはいよいよ頭を抱えたくなっていた。イルゼイの挙げた騎士たちは、有り余る活力の使い方を明らかに間違っている。
「それで、その騎士の想いは令嬢に伝わったんですか?」
 頭を抱えるコントラルトを尻目に、オイセルストがどうでもいいことを尋ねる。
「それが残念ながら、ダメだったそうだ。文章に凝りすぎて、逆に令嬢が引いてしまったらしい」
「ははぁ、なるほど。しかし彼の場合、自分の想いを文章に託そうというのが、そもそも間違っていたんですよ」
 オイセルストがわけ知り顔に言うのを、コントラルトは半眼で見る。『彼』などと、知り合いでもないのに、さもくだんの騎士を知っているかのような偉そうな口振りだ。
「言の葉に想いを乗せるより――」
 言うなり、オイセルストはコントラルトの肩を抱く。
「我が身を使ってこの想いを捧げる方が、断然相手に伝わるというもの」
 ぐいっと抱き寄せられ、コントラルトの眼前にオイセルストの顔が迫る。なにをするつもりなのか考えるまでもなく悟ったコントラルトの右手が、迫るオイセルストの横面で小気味よい音を響かせた。
「な、殴りましたね、コントラルト……」
「やかましい! 暑いさなかに暑苦しいことをしようとするからだ!」
 殴られた左頬を押さえ、オイセルストが恨みがましい目でコントラルトを見る。コントラルトは怒鳴りながら、肩を抱くオイセルストの手を払った。夫婦になったとはいえ、時と場所も考えずそんなことを許すと思ったら大間違いだ。
「殴るなよ、コントラルト。おかげで珍しいものを見損ねた」
 ニヤニヤしながら言うイルゼイを、コントラルトは睨め付ける。
「……どいつもこいつもバカばっかりだな。男は」
「おいおい、俺まで同類にするなよ。――でも、あながち間違いでもないかもな。なにせ、《戦乙女》の夫の座に目がくらんで《沈黙の森》に乗り込んでいった野郎どもの数は、両手じゃとても足りないくらいいたことだし」
「まあ確かに、彼らはバカだマヌケだと言われても仕方ないですけどね」
 殴られたところを未ださすりながら、オイセルストが言った。
「《沈黙の森》に住んでいた奴がなにを言う」
「考えてもみてください、コントラルト。彼らは、万が一にもこの俺を倒せるかもしれないという浮かれた夢を見て、《沈黙の森》に踏み込んできた連中なんですよ。この俺が、彼らの浮かれに浮かれて浮かれきった夢の住人になることなどあり得ないにもかかわらず」
「……」
 この無駄なほどの自信家ぶりは、オイセルストが《沈黙の森》にいた頃からまったく変わっていない。むしろひどくなっているほどだ。コントラルトはそれに呆れて、深々と溜息をついた。
「やっぱりいちばんの変人はおまえだ、オイセルスト」
「愛する夫になんてことを言うんですか、コントラルト」
「付ける修飾語が間違っている。『仕方なく結婚してやった』夫だ」
「そっちの方が間違っていますけど……その変人と『仕方なく結婚してやった』あなたは、変人にはならないんですか」
 そう訊いたオイセルストを、コントラルトは見返した。
 以前ならば、また「やかましい」と言って張り手でも食らわせていたに違いない。
「おまえと一緒にするな、オイセルスト。わたしはまともだから、決闘に負けて『仕方なく結婚してやった』んだ」
 しかし今は、にやりと笑って言い返せるくらいには、オイセルストという夫がいることになじんできている。
 コントラルトの言葉に、オイセルストはなにも言わずに笑った。
 そして――
 イルゼイが肩をすくめて静かに立ち去ったことに不覚にも気付かなかったのは、オイセルストを見つめていたせいだ、とは口が裂けても言えない事実であった。

〈了〉