賞金首と懸賞金 ―前編―

 オイセルストが《沈黙の森》に居を構え、早数年。
 来訪者を厭い、わざわざ魔物が多く潜む森の中に住んでいるというのに、どうしたことか自分を訪ねてくる者は絶えない。
「やれやれ。人気者も楽ではありませんね」
 彼は軽口と共に、軽く肩をすくめた。
「……それは違うと思うが」
 独り言のつもりだったのだが、存外に声は大きかったようで、ご丁寧なことにオイセルストと対峙する甲冑の剣士がつっこんできた。
「人知れず《沈黙の森》へ引っ越したはずなのに、こうして居場所をかぎつけられ、あまつさえ頻繁に人が訪ねてくるんですよ。困ったものです。多分、辿り着く前に死んでる人もいるんでしょうけど」
 オイセルストの家までの道のりは、長いことはないが困難だ。《沈黙の森》へ一歩踏み込めば、そこは人外の世界。魔物に襲われて骨すら残らない者も少なくはないだろう。ただ、確かめられないのでどのくらいいるのかは分からない。
「しかしですよ、訪ねてくる者がいずれも野郎ばかりというのが、俺は甚だ不満でした」
 今度は独り言ではなく、はっきりと対峙する剣士に言い放つ。甲冑に身を包み、顔のほとんどを覆う面までしている剣士の表情を読み取ることは出来ないが、声からどんな顔をしているかは想像できた。
「いや、それはそうだろう。貴様は、賞金首なんだし」
「それが、そもそもおかしいとは思いませんか。俺は、自分で言うのもなんですが容姿端麗、品行方正。その上に剣の腕も立つときた、非の打ち所がない男だというのに、何故賞金首なんですか」
 目、鼻、口はどれも形が良い上に見事な均衡で顔の上に配置されており、女性の目を惹き付けてやまない。元々上背があり、日頃の鍛錬で鍛えられた筋肉の鎧をまとった身体は、決して彼を優男と言わしめない。優れた容姿に鍛えられた身体から繰り出される剣技は、舞っているようでさえあるだろう。もちろん、過去に人から後ろ指でさされるような真似をした覚えは皆無だ。常に自分にも他人にも恥じぬ生き方をしてきたという自負がある。
 それなのに凶悪な犯罪者たちと同列の扱いで賞金首にされているという現実は、オイセルストにとっては来訪者が男ばかりだという事実以上に不満だった。
「自信過剰な性格はともかく、誰にも忠誠を誓おうとしないからこそ、危険視されているんだ」
 剣士はそれまでのどこか呆れた口調を改め、厳しいくらいに固い声で指摘した。
 オイセルストは、誰にも忠誠を誓っていない。彼の腕前を見て、多くの領主や権力者たちが護衛として雇おうと声をかけてきたが、そのいずれにもオイセルストは首を縦に振ることはなかった。破格の報酬を約束されたこともある。しかし、金額の問題ではないのだ。
 誰かに忠誠を誓いたくなったら、その時に誓えばいい。今までは、そんな気分にならなかったから、流浪の旅をしながら腕を磨きつづけただけである。旅をやめた今でも、生憎忠誠を誓いたいという気持ちは湧いてこない。
「今からでも遅くない。国王陛下に忠誠を誓えば、懸賞金は取り下げられる」
 懸賞金をかけられた理由については、だいたいのところは想像している。この国で、向かうところ敵なしと言えるほど強くなったオイセルストが、国に忠誠を誓わず、それどころか転覆させようと思い立ったときのことを考えて、従わないのなら今のうちに潰しておこうという魂胆なのだろう。オイセルストにかけられた懸賞金を見れば、その推測にほぼ間違いないであろう事が解る。
 オイセルストを倒した暁に得られるのは、《戦乙女》と呼ばれる騎士だった。騎士団の一つを率いる彼女は妙齢の独身女性であり、直系に近い王族の一員である。未婚の《戦乙女》を餌に、オイセルスト以上に強い男を騎士団へ引き入れようというところだろう。《戦乙女》と結婚すれば王族の親戚となれ、騎士団は(多分)裏切ることのない、この国最強の剣士を手に入れることが出来る。《戦乙女》の意志は定かではないが、オイセルスト以外には悪くない話なのだろう。
「生憎ですが、それは遠慮しましょう。人に指図されるのは性分に合わないんですよ」
「ならば、おまえを倒すしかない」
 甲冑の剣士は、肩幅くらいに足を広げて、腰に帯びる剣の柄に手をかける。
「俺にはあなたと戦う理由がないんですが」
 オイセルストは肩をすくめた。理由がないのは、目の前の剣士だけではなく、最近はいつでもそうだったが。オイセルストにとっては当然なんの得もない賞金目当てに訪れる剣士の相手は、はっきり言って面倒だ。欲に目が眩んでいるせいなのか、《沈黙の森》で体力を使い果たしたせいか、戦ったところで張り合いのない連中ばかりである。オイセルストが数回打ち込めば、あっさりと勝ててしまう。
「貴様にはなくとも、こちらにはある」
 甲冑の剣士は、オイセルストがイヤだと言っても斬りかかってきそうな雰囲気である。《沈黙の森》で体力を使い果たした、ということはなさそうな勇ましい声だった。賞金目当ての男たちにはない、欲に目が眩んだわけではない、しかしなにか強い意志のもとに動いているという印象を受ける。きっと、声と同じく目にもそれは宿っているのだろう。面があるせいではっきりと見えないのが残念だった。
「懸賞金が目当て……というわけではなさそうですね」
 声を聞けばそれくらいは分かる。甲冑の剣士はきっと――いや絶対といっていい、懸賞金そのものが目当てではないだろう。
「最強、の称号が欲しいんですか?」
 懸賞金目当てではないとすれば、それ以外にはオイセルストに思い当たる節がなかった。なにせ、自分にも他人にも恥じない生き方をしてきているだけに、恨みを買ったことはないからだ。それに、面をしているせいでくぐもってはいるが、剣士の声は意趣返しや敵討ちをしようという、恨みのこもったものではない。
「興味がないといえば嘘になるが、その称号が欲しくて来ているわけでもない」
「懸賞金が目当てでもなく、称号が欲しいわけでもないとすれば――俺自身が目当てですか」
 目的が懸賞金でも称号でもないとすれば、残るはオイセルスト自身のみ。それ以外にいったいどんな理由があって、わざわざ《沈黙の森》を通るという危険を冒してここまで来るというのだろうか。生憎、オイセルストには思い付かなかった。
「……貴様、頭は大丈夫か」
 オイセルストはひどく真面目に言ったのだが、返ってきたのは冷たい声だった。心なしか、視線も冷たいようだ。
「先程言い忘れていましたが、俺は容姿端麗、品行方正と言うだけではなく、頭脳明晰でもあります」
「……自分にかけられた懸賞金を知っているのか」
 剣士は心なしか疲れた声で訊いてきた。その前のオイセルストの言葉は無視することにしたらしい。
「知っていますとも。俺につっかかってくる男たちは皆、同じことを口にするんですから。『おまえを倒せば《戦乙女》と結婚できる』ってね。あんまり結婚結婚言いながら襲い掛かってくるから、俺が求婚されているような気分になりますよ」
 はははと、オイセルストは朗らかに笑った。そんな風にでも思わなければ、面倒な連中の相手なんかしていられないというのが実状である。オイセルストのやる気に関係なく、連中は襲い掛かってくるのだから。
「……私がおまえを倒せば、もはや誰も懸賞金を手にすることは出来ないだろう。それが目的だ」
「《戦乙女》と結婚したいわけではないですよね。それなのに何故」
「したくはない。そもそも、彼女とは結婚できない。絶対にだ」
 剣士は断言する。その声に、無念な思いはにじんでいない。むしろ声に混じっているのは憤りだった。
「それじゃあ、何故俺を倒そうとするんです」
「《戦乙女》を結婚させないためだ」
「なるほどね――」
 オイセルストは小さな声で呟いた。なるほど、確かにそういう理由でオイセルストを倒そうとやって来る可能性は否定できない。懸賞金は、なにせ騎士団の一つを率いる《戦乙女》なのだ。
「つまりあなたは、たとえ俺を倒せたところで《戦乙女》と結婚することは絶対にないけれど、せめて《戦乙女》とほかの男を結婚させないために俺を倒そうと、そういうわけですね」
「おおむね、その通りだ」
 剣士は小さく頷いた。オイセルストは再度なるほどと呟き、あごをなでる。おそらく、間違いないだろう。
「まあ、自分が懸賞金にされたら、誰だって不愉快ですよね」
 その言葉は剣士にとって予想外だったようだ。剣にのびるその手が、わずかにぴくりと動いたのをオイセルストは見逃さなかった。
「まさか、《戦乙女》が自ら乗り込んでくるとは思いませんでしたよ」
 剣士にとっては、決定的な一言だろう。しかしオイセルストは、今までと変わらぬ口調で、軽く首をすくめただけである。
 どうやら間違いはなさそうである。予想していなかったから驚きはしたが、しかし冷静に考えれば、《戦乙女》の意志を無視した可能性の強い懸賞金であるから、《戦乙女》が自ら懸賞金を無効にしようと乗り込んでくることだってあるのだ。
「貴様、分かっていたなら、はじめからそう言え!」
 剣士はかなぐり捨てるように面を剥ぎ取って、地面に叩き付けた。観念したうえに、ヤケを起こしたように見える。
「すみません。男のふりをしていたようなので、乗ってあげなければと思って」
「……つまり、はじめから私が女だと分かっていたわけだな」
 じろりと、《戦乙女》はオイセルストを睨む。面の下から現れた素顔は、決して美人ではないが、勝ち気そうなぱっちりとした目が印象的である。そして、オイセルストが思っていた通り、目には強い意志が宿っている。
「声を聞けばすぐに分かりますよ」
 彼女が《戦乙女》だと分かったのは先程の問答のおかげであるが、甲冑の剣士が女性であることは最初から分かっていた。彼女の声は女性としては低い方だろう。が、くぐもっているからといって聞き分けられないほどの声ではない。《戦乙女》と呼ばれる彼女にはよく似合っている芯の通った声で、戦場で上がる彼女の雄叫びは、きっとそこらの男より勇ましいのだろう。是非、聞いてみたい。
「それなら最初からそう言え。恥ずかしいだろうが」
 どうやら彼女自身は、甲冑で身を固めて顔を隠せば性別がばれないと思っていたらしい。顔をほんのり赤くしている。
「照れ屋なんですね」
 甲冑を着込み、性別を隠して挑んでくるその姿は、いじらしい。よほど懸賞金にされたことがイヤだったのだろう。まあ、無理もないかもしれないが。しかしそれならそれで、最初から素顔をさらして挑んできてもよさそうなものである。
「違う!」
 耳まで赤くして否定するその姿は、深窓の姫君が見せる恥じらいの仕草とはずいぶんと違うだろうが、可愛らしかった。
 賞金稼ぎたちが彼女のこんな姿を見て、オイセルストに挑んできたわけではないだろう。しかし、身分や地位を抜きにしても、彼女には人を惹き付けるものがあった。
 こんな女性が、どんな理由があって懸賞金にされたかは分からないが、なんとも不憫ではないか。オイセルストに落ち度がないのに懸賞金をかけられたのと同じように、彼女も勝手に懸賞金にされたのだろう。でなければ、わざわざ懸賞金自らオイセルストを倒そうなどと考えない。なんだか似たような立場に立つ《戦乙女》に、親近感が湧いてくる。
「お聞きしたいのですが」
「なんだ」
 《戦乙女》はまだ恥ずかしさから脱出し切れていないのか、憮然とした顔をオイセルストに向ける。
「最強の男を倒した者に《戦乙女》の夫の座を与える――この賞金は最強の男には適用されないんですね」
「自分で自分をどうやって倒すつもりだ。というか、そんなことを訊いてどうするんだ」
 オイセルストの突拍子もない質問に、《戦乙女》は多少平静さを取り戻したらしい。顔の赤みがひいていく。
「決まっています」
 オイセルストはにっこりと笑い、《戦乙女》にゆっくりと歩み寄る。《戦乙女》は何事かとわずかに眉をひそめたが、それ以上の警戒は見せなかった。
「あなたと結婚するためです」
 《戦乙女》の前で片膝をついたオイセルストは、彼女の手を恭しく取った。