ひどく幸せな子供はもういない

 わたしはひどく幸せな子供であった。大きな材木問屋を営む両親の元に、五人兄弟の歳の離れた末っ子として生まれ、兄姉たちに可愛がられて育った。欲しいと言えば両親はなんでも買い与えてくれ、たとえ兄姉たちの持ち物であっても、わたしが欲しいと言えばそれはわたしのものになった。
 わがままな末の坊ちゃんという評判は向こう三軒両隣はもちろん町内中に広まっていて、しかしわたしは小利口で見目のよい子供だったから、女中にいたずらをしてもごめんなさいの一言を添えてしおらしくしていれば、女中も、いたずらをしかろうとしていた姉も、次にしたら怒るよと言いながら、いつでも許してくれた。わたしのこの顔で謝れば誰でも許してくれる。
 それに例外ができることのないまま、わたしは大きくなった。
 わたしが十六になった頃、すぐ上の兄が少々遅い結婚をすることになった。相手の娘はわたしと同じ、十六。義姉になる挨拶に来た彼女を見て、わたしはその娘が欲しいと思った。別段美しいというわけではなかったが、「わたしの方が生まれが後なのに義姉なんて可笑しいけれど、よろしくお願いします」と恥じらいながら後れ毛をかき上げる仕草は妙に色気があり、それを見たわたしは、義姉になる娘が欲しいと思ったのだ。
 わたしが欲しいと言えば、たとえ兄姉の持ち物であってもわたしのものになる。自分のものにした後でも、兄姉たちにあれをわたしのものにしたと言えば、一度怒ったふりをしてみせるものの、兄姉たちは許してくれた。
 だからわたしは、義姉になる娘もわたしのものにした。
 わたしはそのあとで、すぐ上の兄と父に、あの娘はわたしの妻にすると言った。娘は兄の嫁になる予定であったが、わたしが欲しいと思えばもうわたしの嫁なのだ。今まで通り、それは叶うはずだった。
 わたしはひどく幸せな子供であったが、わたしの周りにいた者は必ずしもそうではなかったらしい。
 義姉になるはずだった娘をわたしのものにしたと言った時、すぐ上の兄は何も言わずに立ち上がり、止める父の言葉も聞かずにどこかへ姿を消した。兄がいなくなった後、父はいつになく怒った様子でわたしをしかりつけていたが、謝れば許されると分かっていたわたしは、しおらしく聞いているふりをしていた。
 やがて、兄が戻ってきた。手に、包丁を持って。
 止める父の言葉も聞かず、すぐ上の兄は逃げようとするわたしを捕まえて脇腹にそれを突き立て、みぞおちを蹴り上げ、「お前のような者は生まれない方が良かったのだ」と罵った。
 騒ぎを聞き付けた他の兄や女中たちが集まり兄を取り押さえ、呼ばれて飛んできた医者がわたしの手当てをした。傷は深く血が多く流れたが、わたしは一命を取り留めた。
 寝込むわたしを看病したのは母だった。熱にうなされるわたしの額に水に浸した手ぬぐいを載せ、ぬるくなればそれを取り替えた。
「お前のせいではないのだよ」と手ぬぐいを絞る母は言った。母は絞った布を広げて、それを縦に折りたたむ。それでは額に載せるのは横幅がありすぎると、わたしはぼんやり思った。
 母は手ぬぐいを、額には載せずにわたしの首に巻き、「いけないのだと知りながら父さんの弟を好いた母さんが悪いんだよ」と強く縛り上げる。わたしは助けを求めて母に手を伸ばしたが、母の手は手ぬぐいの両端を握りしめて離そうとしない。「お前の兄さんが、すぐ上のあの子だけが、それを知ってしまった」と言いながら手ぬぐいを握りしめる母の手に、涙の粒が落ちる。更に強く締め上げる。
 わたしはひどく幸せな子供であった。しかし、幸せだったのは子供の時の話で、もう子供ではなくなったわたしは、どうやら幸せではいられないらしい。
 すぐ上の兄と、すぐにあの世で再会できるのだろうか。
 母の形相を見ているとそれは叶いそうで、そこでわたしの意識は途切れた。

〈了〉