その家を取り囲む生け垣はすっかり枯れて、水気のない枝になっていた。生け垣よりも背の低かった時分はまだ青々としていて、その向こうの様子を覗き見ることはかなわなかったけれど、今は生け垣より背が高くなったのと枯れてしまったのもあって、かつて見えなかったものが見えるようになっていた。
そこにあるのは、なんの変哲もない普通の家だった。ただ、人が住んでいる気配はない。外界との接触を拒むように雨戸はすべて閉ざされて、さして広くない庭は、枯れた生け垣とは対照的に雑草が生い茂り、猫が気持ちよさそうにひなたぼっこしているときもあった。
買い手のつかない空き家なのだろう。家は長いことその状態で、猫たちのかっこうの昼寝場所となっていた。枯れた生け垣は、猫は許してもやんちゃな子供たちの侵入を許さなかったようで、荒れた庭は猫たちの場所でありつづけた。
そんな空き家が「幽霊屋敷」と呼ばれるようになったのはいつからだろう。気がつけば近所の人たちはまことしやかに、あそこは幽霊屋敷だから近づかない方がよい、と口にするようになった。
屋敷と呼ぶほどの大きさではない、というのが噂を初めて耳にしたときに抱いた感想だったものの、「幽霊空き家」というのはいかにも間の抜けた感じがするので、やはり「幽霊屋敷」と呼ぶのがふさわしいのだろう。
ただ、「幽霊屋敷」で起こったとされる怪異は、空き家にふさわしい他愛もないものだった。
すべて閉ざされているはずの雨戸が、一カ所だけ開いている。
それだけである。
開いているのは、二階の北側の窓のこともあれば、一階の西側のこともある。しかし開いているのは必ず一カ所だけで、開くところ閉まるところを見た人はおろか、そのとき立つであろう物音を聞いた人もいなかった。
誰かが住み着いているのではないか、という憶測が当然ながらされたものの、確かめようと乗り込む物好きはなく、荒れた庭は変わらず猫たちの場所でありつづけた。
今日は、一階の南側の雨戸が開いていた。昼間だというのに、開いた窓の向こう側は真っ暗である。昨日は、二階の東側が開いていた。
明日はどこの雨戸が開くのだろう。
庭に忍び込むのを諦めた子供たちは、今はその予想をするという遊びをしているらしい。
〈了〉