十物語

【第一話 叫び声】
 これはわたしが高校生の時、部活の先輩から聞いた話です。
 うちの学校は、物理室や音楽室、美術室を一つの校舎に固まってあるんですけど、授業がある昼間はともかく、放課後は音楽室と美術室以外、あまりひとけがないんですよ。物理部や化学部は、うちの学校、なかったから。
 先輩はある日、物理室に忘れ物をしたそうです。部活が終わったあとに気が付いたから、周りはもう真っ暗。物理の先生に鍵を借りて、物理室へ向かったそうです。忘れ物を取った先輩は、鍵をかけて職員室へ行こうとしました。その時に、誰かが叫ぶ声が聞こえたそうです。物理室は一階にあって、声は上から降ってきた。先輩は驚いて、でも美術部や吹奏楽部の誰かがまだ残っていたのかもしれないと思い直したそうです。でもちょっと不気味だから足早に廊下を進んでいたら、また叫び声。
 高校生くらいの男の子たちが、よくふざけて大声出したりするけど、それとは違って、苦しそうだったそうです。先輩はただごとではないかもしれないと急いで職員室へ行って、先生を連れてきました。
 そもそも、先輩が鍵を借りた時点で美術部も吹奏楽部もとっくに帰った後で、誰もいなかったらしいんですよ。
 でも、誰かが教室ではなくて廊下とかにはいたかもしれない。先生と一緒に一通り見て回ったけれど誰もいなかったから、そういう結論になりました。
 次の日、先輩は友達にそのことを話したら、友達から、こんな話を教えられたそうです。
 昔、化学の実験中に、床に落とした消しゴムを拾おうと女生徒が身を屈めた時、隣にいた生徒が硫酸をこぼしてしまい、それが女生徒の顔にかかるという事故があった。彼女の顔の右半分は焼け爛れて右目も失明し、事故から数ヶ月後に校舎から飛び降り自殺をした。更にその一ヶ月後、硫酸をこぼしてしまった生徒も自殺した。
 そういう話でした。
 叫び声はその女生徒のものか、と先輩はぞっとしたそうですが、友達はそうではなく、硫酸をこぼした生徒の声だと言うのです。
 その生徒は硫酸を自分の顔にかけて、とても苦しそうな声を上げながら校舎から飛び降りたのだそうです。

【第二話 消えたバイト仲間】
 お化け屋敷でバイトをしていた友人から聞いた話です。
 大型ショッピングモールの催事場で、夏休みの間だけ営業していたお化け屋敷で、お化け役のバイトをしていたんです。お岩さんみたいなお面をかぶって血糊のついた着物を着て、その時の写真を見せてもらいましたけど、明るいところで見たら結構チープなんですね、ああいうの。でも、暗いところで、しかもおどろおどろしい雰囲気満点のところで見たら、それなりなんでしょう。大概みんな驚いて悲鳴を上げたそうです。
 お化け屋敷って、前の人に追いつかないようにお客さんを入れますよね。それに、次から次にお客さんが来るわけでもないから、時には待ちぼうけになることもある。でも、二時間おきに交替だから、それほど辛くもなかったそうですよ。わたしはちょっと無理かな。真っ暗で怖い雰囲気の中で一人というのは。
 交替する時は、次の人が持ち場に来て入れ替わるようになっているけど、ある時、まだ二時間経っていないのに交替の人が来たことがあったそうなんですよ。友人は早いなと思いながらも交替した。ところが、バックヤードに戻ると、何で勝手に出てきたんだと怒られたんです。友人は、当然ながら交替が来たからって答えますよね。でも、誰も行っていないって言うそうなんです。みんなですよ。よく見れば、友人の次にお化け役をする人も、そこにいる。
 友人はおかしいと思いながら、そして、まさかっていう嫌な予感を抱えながら、持ち場に戻ったんですね。後ろから肩を叩かれて、交替だよって言われたのを友人ははっきりと覚えていたそうです。でも、戻ってみると誰もいない。
 いったい誰が友人と交替したのか、その人は何処へ行ってしまったのか、まったくもって分からないそうです。

【第三話 丁字路の電柱】
 何処だったのか場所は忘れてしまったけど、丁字路だったのは確かです。
 住宅地の中にあって、道幅も大して広くなく、見通しも悪い丁字路です。もちろんミラーはあるけど、交通事故が多い。そのせいで、呪われた丁字路、なんて呼ばれてるらしい。で、その丁字路に電柱が立ってるわけですよ。丁の字の下から歩いていくとするじゃないですか。そうすると横棒にぶつかりますよね。その、丁字路の左側の角に、電柱があるわけです。
 それでね、昔、自転車に乗っていた子供が丁字路を右に曲がろうとしたそうです。そこに右から車が突っ込んできて、子供は車と電柱の間に挟まれて、即死だったらしい。かわいそうに。近所の人たちもかわいそうに思って、電柱の根元にお菓子とかジュースとかをお供えしたそうです。
 それからしばらくした頃、その電柱の陰から丁字路をのぞき込む子供がいる、という話が広まったそうです。警戒するように、電柱から顔をのぞかせているんだとか。ただ、見えているのは顔の半分だけらしい。いくら子供といっても、電柱の陰に体が全部隠れるわけではないですよね。だけど、顔の半分しか見えない。しかもね、大人の背丈よりも高い位置からのぞいているらしいんですよ。
 そこで死んだ子供だろうというのが、もっぱらの噂です。高いところから見た方が見晴らしがいいからって。

【第四話 おねだり】
 僕が高校生の時の話です。
 生物室にあるホルマリン漬けの中に、大きな蛙がいたんですよ。その蛙は何年も前に生物室で飼われていたんだそうです。当時の生物の先生がとても可愛がっていて、毎日手ずから餌をあげていたらしく、蛙が死んだ時に先生はとても悲しがったそうです。よほどその蛙が好きだったのか、ホルマリンに漬けて保存するくらいに。
 僕が在学していた頃には、すっかり色褪せて真っ白になってましたけど、その蛙が動くらしいんです。前を通りかかると、まるで餌をねだるように口を動かす。でも、誰にでもそうするのではなくて、蛙を可愛がっていた先生と同じ、白衣を着た男が通りかかった時だけ。
 それを確かめてみようという話になって、放課後、白衣を着て蛙の前を通ってみたんです。でも、動かない。そんなモンだよなと友人たちと言い合いながら帰ろうとした時、僕は、本当に動かないかなと大した期待もせずに、蛙の入っている瓶をつついたんですよ。おい、餌はほしくないのか、なんて言って。
 すると、蛙の目が、ぎょろりと動いたんです。それまで焦点など合ってなさそうに上を向いていた目が、間違いなく僕を見たんです。僕は叫びましたよ。恥ずかしながら、腰も抜かしてしまった。友人たちが驚いて振り返り、どうしたのかと聞かれたから、ありのままを話しました。でも、蛙の目はまた上を向いていて、友人たちには僕が彼らを驚かそうとして叫んだ、としか思われなかった。逆の立場だったら、たぶん僕もそう思ったでしょう。
 でもね、確かに蛙は僕を見たんです。蛙を可愛がっていた先生じゃないと分かったから、目をそらしたんだと思います。そのあと、何度も白衣を着て蛙の前を通ることはありましたよ。でも、蛙はもう二度と僕を見なかった。

【第五話 山道を歩く女】
 教師の父が体験した話です。
 転勤になった父の新しい赴任先は、ダムよりも更に山奥にある集落の学校でした。いわゆる僻地ですが、自宅から車で三時間ほどのところだったので、父は単身赴任することになりました。往復六時間なので、ほぼ毎週末自宅へ帰ってきていて、あまり単身赴任という感じもしませんでしたけど。
 いつものように週末を自宅で過ごした父は日曜の夜、赴任先である集落へ向けて車を走らせていました。水力発電のダムがあるような山奥なので、道路の街灯は少なく、あっても暗く、民家は集落以外の場所にはありません。当然、歩いている人などなく、そもそも車とすれ違うことも滅多にないような場所です。
 集落まであと三十分もあれば着くという時、道路脇を歩いている人を見たそうです。山奥で、とっくに日没を過ぎている夜ですよ。既にダムも通り過ぎていて、この先にあるのは集落だけ。それにしたって、車で三十分はかかるような場所です。そんなところを、白っぽいワンピースを着た女性が集落の方へ向かって歩いていたんです。
 父は怪訝に思いながらも、車に乗っているものですから、あっという間にその横を通り過ぎました。バックミラーをちらりと見ても、すぐに女性の姿は闇に飲み込まれて見えなくなった。集落にああいう女性がいただろうかと首を捻りながらも、父はそれ以降は何事もなく赴任先の家にたどり着きました。
 話はそれだけです。父はそのあとまた転勤になるまで、二度と女性の姿を見かけることはなかったし、そういう怪談話もついに一度も聞くことはなかったそうです。集落の誰かが何かの事情で歩いていたのだろう、というのが父の見解です。
 ただ、去年、父の赴任先へ行く途中にあるダムから、女性の白骨化した遺体が見つかった、というニュースがありました。
 それだけの話です。

【第六話 祖父からの手紙】
 使ってないフリーメールアドレスって、誰でも一つや二つ、持ってますよね。何かのきっかけで取ったはいいけど、メインで使っているわけじゃないからいつの間にか存在を忘れてしまう、そんなやつ。わたしもいくつか持っていて、でもある日ふと、それを整理しようと思い立ちました。
 まあ、長年放置していたから迷惑メールが山のようにあるわけです。いちいち件名に目を通しもしない。ほとんど使っていないアドレスですからね。
 でも、あるメアドの受信ボックスを見た時、他の迷惑メールとはちょっと違う件名が目に飛び込んできました。泣き坊主へ、っていう件名でした。
 あれっと思いましたよ。泣き坊主って言うのは、祖父の、わたしの呼び方だったんです。わたしは小さい時は泣き虫で、大人になってからも両親や祖父母にそのことをよくネタにされていました。祖父は、いつもわたしを泣き坊主と呼んでいたわけではなくて、時々からかうようにそう呼んでいたんですけど、でも、そんな呼び方をするのは祖父だけでした。
 しかも、そのメールの着信日よりもずっと前に、祖父は亡くなっているんです。それ以前に、祖父はそのメアドを知らないはずだし、パソコンなんてほとんど触ったこともない人でした。
 たまたま、そういう件名の迷惑メールが来ただけかもしれない。でも、泣き坊主という響きが懐かしく、ついそのメールを開封してしまいました。
 幸いウイルス感染とかすることはなくて、それどころかね、そのメール、亡くなった祖父からだったんですよ。信じられないでしょう。わたしも、信じられない。でも、書いてある内容からすると、差出人はどうしたって祖父なんですよ。しかも、亡くなったあとに書いてある。
 嘘みたいでしょう。でもね、祖父曰く、あの世でパソコンを習って覚えたんだそうです。それで、わたしにメールを出してみたって書いてあるんですよ。どうやってそのアドレスを知ったのかとか、あの世からメールが来るのかとか、そもそもあの世なんて本当にあるのかとか、色々と突っ込みたいことはあるんですけど、祖父からのメールだった。
 わたしは、でも半信半疑で、そのメールに返信しました。ドメインは聞いたこともないもので、いくら検索しても引っ掛かりもしませんでしたけど、宛先不明で返っては来なかった。ついでに言うと、祖父からの返事も返ってきませんでした。すぐにはね。
 返ってきたのは、今年のお盆前。祖母と二人で帰るからちゃんと迎え火をしろとか、お供えの酒はもっと良いものにしろとか、早く結婚しろとか、そんなことが書いてありました。
 本当に死んだ祖父からのメールかどうか、実のところは分かりません。でも、わたしは祖父からのものだと思っています。
 そういうことがあっても、いいじゃないですか。

【第七話 おかえり】
 わたしが何年か前まで住んでいたマンションは、単身用と家族用の部屋があったんですよ。わたしは、当時まだ独身だったので単身用に住んでました。
 マンションの入り口はオートロックで、入ってすぐのところは特に何もないホールになっていました。奥にエレベーターが二基あるだけで、観葉植物も何もない、本当に素っ気ないホールでした。
 マンションは十階建てでほぼ満室だったと思いますけど、あんまり人には会わないんですよね。わたしが仕事で帰るのが遅かった、というのもあると思いますけど。
 夏の終わり、ちょうど今くらいの季節のことです。いつものように遅くまで残業してマンションに帰り着いたんですけど、ちょうどエレベーターが一機、一階にいました。待たなくてラッキーだったと乗り込もうとした時、おかえり、って言う声を聞いたんですよ。小さな、ちょっと舌足らずの女の子の声でした。驚いてあたりを見回したけど、女の子なんて何処にもいません。ホールには隠れるような場所もないから、どんな小さな女の子がいたとしても、いれば絶対に見つけられたはずです。だけど、誰もいない。
 ぞっとしました。だって、はっきりと聞いたんですもの。疲れていたせいなんかじゃないです。
 わたしはすぐにエレベーターに飛び乗って、自分の部屋に駆け込みました。幸い、声は一度聞いたっきり二度と聞くことはなくて、一ヶ月も経った時にはそんなこと、すっかり忘れてました。
 その出来事を思い出した、というか声の主を知ったのが、一ヶ月後です。
 わたしは単身用の部屋に一人で住んでましたけど、たまに二人とかで住んでいる人たちもいました。1LDKだから、小さな子供のいる夫婦くらいなら、多少手狭でも住めないことはなかったんです。
 わたしの下の階に、母一人子一人で住んでいる家族がいたそうです。ところが、その部屋の子供が、亡くなっているのが見つかったんです。第一発見者はその子の母親。一ヶ月以上、家を空けていたそうです。ようやくしゃべれるようになった女の子で、母親の帰りをずうっと待っていたんでしょうね。玄関先で倒れていたそうです。
 母親は逮捕されました。ニュースで顔写真を見たんですけれど、わたしと同じ歳で、背格好も似ているようでした。彼女は、子供を家に置いて恋人の家にいたらしいです。食料は置いていったそうですが、そういう問題ではないですよね。
 わたしが夏の終わりに聞いたおかえりという声、あれはきっと、あの女の子だったんだろうと思います。女の子の母親と背格好が似ていたから、お母さんが帰ってきたと思って、言ったんじゃないんでしょうか。
 ええ、そうです。わたしが声を聞いた時にはもう、女の子は亡くなっていたんです。

【第八話 黒電話】
 今の若い子は見たこともなければ使い方も知らないかもしれないけど、昔の電話はダイヤル式でね。プッシュホンよりも前の、黒電話の時代。え? トトロで見たことある? それは古すぎ。交換手なんてもういない時代だよ。
 ともかくね、指先が入るくらいの穴が十個、円周に沿って並んでいて、その穴に指を入れて、ぐるっと、ストッパーみたいなのがあるところまで回す。それで電話がかけられたんだよ。
 子供の頃、妹のままごと遊びにしょっちゅう付き合わされていたんだ。その時に、黒電話から上司に電話をしなくちゃ、なんてことになった。妹がしろ言ったんだけど、まあ、お父さん役らしくね、自分の父親の真似をして電話をかけたんだ。ダイヤルは回さないよ、もちろん。前に適当に回したらたまたまどこかに繋がってしまって、母親に怒られたから。回すふりだけ、口でね、ジーゴロゴロゴロ、なんて言うわけ。そういう音がするんだよ。
 とにかくね、ふりだけだから何処かに繋がるわけがない。繋がったふりをして、あーもしもしわたしだーって、父親の真似をしてしゃべり出したら、返事がしたんだよ。はあ、って。繋がるはずがないから、ものすごく驚いてね。誰なんだとか言ったのかな。自分が何を言ったのかはよく覚えてないけど、電話口の向こうから、はあとかふうとか、溜め息のような声が返ってきたのはよく覚えてるよ。
 もう気味が悪くってね、慌てて受話器を置いたんだ。
 両親にその話をしてもまったく信じてもらえなかったし、何日かあとに勇気を振り絞って同じことをやってみたけど、もう二度と何処にも繋がらなかった。
 あれがいったい何だったのか、今でも分からないなぁ。

【第九話 一本足りない】
 後輩の会社に伝わる話です。
 後輩の勤め先は分析系の会社で、日常的に様々な化学薬品を使っているそうです。その中には毒物や劇物に分類されものも多くて、そういうのって厳密に管理しないといけないらしく、一本一本に番号を振り分けて使用量とかも記録して残すらしいんですよ。
 その会社で昔、ある薬品が一本、所在不明になったそうなんです。その薬品は毒物で、口に入れたり、口に入れなくても体にかかるだけで死にかねないような危険なものだったらしくて、大問題になった。その薬品の管理を担当していた人がいて、仮にAさんと呼びますけど、上司はAさんにどうなってるんだとか言って怒ったらしい。
 でも、Aさんを怒ったところで薬品が出てくるわけでもなし、Aさんはもちろん、社員総出で探したそうです。でも、見つからない。そういう場合、警察とかに通報しないといけないらしいんですよ。なくなった薬品で誰かが被害に遭った場合は、会社の管理責任が問われることもあるんだとか。
 本当はいけないことだけど、上司たちは翌日になっても見つからなかったら通報しようと決めたそうです。Aさんはみんなで探し尽くしたあとも諦めきれずに探していたけど、上司にもういいからと帰されたそうです。
 その翌日、いつまで経ってもAさんが出社しない。生真面目なAさんのことだから、申し訳がたたず会社に出てこられないんじゃないかという話になって、上司と同僚がAさんのアパートに迎えに行ったそうです。ところが、いくらインターホンを押しても返事がない。心配になった上司たちは、アパートの管理人に頼んでAさんの部屋の鍵を開けてもらいました。
 Aさんは部屋にいたそうです。ただ、もう生きていなかった。首吊りだそうです。遺書には薬品がなくなった責任を取ると書いてあって、死亡推定時刻は、帰宅後間もなくということでした。
 結局、薬品は見つかったんですよ。ある人が、薬品を使い終わったのに記録するのを忘れていて、そのまま薬品瓶を廃棄してしまっただけだったらしいです。
 それからしばらく経って、会社でAさんの声を聞いたという噂が広がったそうです。毒物を保管している部屋で、一本、二本……と薬品を数えるAさんの声が聞こえる、と。遅くまで残業をした社員の多くが、その声を聞いたことがあるとか。一本足りない、と最後に悲しげに言うらしいです。
 後輩はまだ聞いたことがないそうですよ。定時で帰っちゃいますからねー、なんて言ってました。

【第十話 次に会うのは】
 大学二年の夏休みに交通事故に遭ったことがあるんですよ。信号が変わって横断歩道を渡ろうとしたら、信号無視した車が来てドン、て。そこで意識がなくなって、目を覚ましたら年が明けてました。びっくりしましたよ、気が付いたら知らないところにいるし、季節は変わっているし。
 ずっと意識不明だったそうです。俺が目を覚ましたのを見た母が、今まで見たことないほど泣いてて、それでようやく自分の身に起きたことの重大さを知りましたね。
 足とか腕を骨折したけど、それはもう治ってました。でもずっと寝たきりだったから、リハビリしないといけなくて。車にはねられた、と思って目覚ましたら足腰めちゃくちゃ弱ってて、なかなか思うようにいかなくて、大変だったなあ。
 寝ている間のことはほとんど覚えてません。感覚としては、夜寝て朝起きたって感じなんですよ。でも、夢みたいなのは見ましたね。
 いつの間にか、小学生の時によく遊んでいた公園にいたんです。団地が近くにある公園で、昼間なら子供の姿がないはずはないのに、その時は誰もいなかった。それどころか、世界中に誰もいないくらいに、静かでした。
 俺はベンチに座ってたんですけど、いつまで経っても誰も来ないから捜しに行こうと思って立ち上がりました。誰を捜そうとしてたのか自分でも分かりません。誰でも良かったのかもしれないし、じっとしているのが嫌になっただけかもしれないです。とにかく、公園の中を歩いていると、ブランコをこぐ音が聞こえたんです。急いで行くと、女の子が一人、ブランコをこいでました。
 見覚えがある気がするけど思い出せないから声をかけられない。でもほかに誰もいないし、どうしようと思っていたら、女の子の方が声をかけてきました。久しぶり、って。それで思い出したんですよ。その子、小学校三年生の時に病気で亡くなった同級生だったんです。
 俺は大学二年生に成長していたけど、女の子はすぐに俺だと分かったみたいで、せっかくここに来たのなら一緒に遊ぼうと言いました。俺も、懐かしくていいよって言って、遊んだんです。その子がまだ元気だった頃、その公園で一緒によく遊んでいたから。
 ブランコやシーソーで遊んで、一緒にすべり台を何回も滑って、追いかけっこしているうち、夕方になってきました。すると、その子が、俺にすぐ帰れって言い出したんです。それまですごく楽しそうに遊んでいたのに、血相を変えて、早くって。
 俺は、その子と久しぶりに会ったから、もっと一緒に遊びたかった。その子が病気になってから遊べなくなった分、遊んであげたかったんです。懐かしいというのもあったけど、俺、子供の時に、その子が好きだったんですよ。初恋ってやつです。でもね、それをその子に言っても、だめだって、帰ってって言う。
 その子が段々辛そうな顔になっていったから、俺も帰ることにしたんです。それに、誰かに帰ってこいと言われたような気がしたから。子供の時、つい夢中になって遅くまで遊んでいて、怒った顔の母が迎えに来たことが何度もあったけど、それを思い出したんです。
 帰る前に、どうして俺のことがすぐに分かったのか、その子に聞きました。体はでかくなってるし声も変わってるし、俺はその時、金髪に近い色に髪を染めてたし、小学生の時とはずいぶん変わってたから。
 その子は、俺のことが好きだったから、すぐに分かったって言いました。ほっぺた赤くして。かわいかったな。あ、ロリコンとかじゃないですから、念のため。
 それから、また早くって言うから、名残惜しさはあったけど、またねってその子の頭を撫でて帰りました。どうやって帰ったのかはよく覚えてないけど、気が付いたら、病院で寝てたわけです。
 臨死体験って言うんですかね、あれは。お花畑を歩いてたら三途の川が見えて向こう岸には死んだ肉親が、っていうのを想像してたんですけど、俺のは全然違うんですよね。
 でも、やっぱりあの世に行きかけてて、それをあの子が帰してくれたのかなって思います。俺がまたねって言った時、その子は、次に会うのはずうっとずうっと先がいいねって言ったから。

〈了〉