キンギョソウ

「どうぞお幸せに」
 かつての恋人が、結婚のお祝いとしてくれたのはキンギョソウだった。
 鉢植えの淡い桃色の花を見て、新妻は「綺麗な色」と言った。
 私とかつての恋人が別れたのは、妻と出会うよりも前のことで、円満な別れ方だった。
 結婚をしたと知らせる葉書を知人たちに一斉に送り、その中にかつての恋人も含まれていた。かつての恋人とは思い出したように、他愛もないメールのやり取りをすることがあったから、葉書を送ったのである。
 かつての恋人から特段の連絡はなく、葉書を出してしばらく経った頃、前置きもなくキンギョソウが送られてきた。
 カードに一言だけ綴られた見覚えのある字を見て、懐かしい気持ちになったのは妻には秘密である。

 広がる花弁は金魚そのものだった。
「本当に金魚みたいね」
 贈られてきた直後はつぼみが多かったものの、今はほころんでいるものの方が多く、金魚が群れをなして泳いでいるようだった。
 世話をしているのは主に妻で、彼女はキンギョソウが私の昔の恋人から贈られたものと知っても、拘りがないようだった。
「もうずっと昔に別れた人なんでしょ」
 だったら関係ないわよ綺麗な花はなおさらね、と朗らかに言う妻の心の広さに感心すると共に少しは嫉妬くらいしてほしいなと苦笑いした。

 私の過去にこだわりを持たない妻はキンギョソウが気に入ったらしく毎日甲斐甲斐しく世話をしていたが、いくら世話をしようとも花が枯れるのは避けられない。
 かつては群れをなして泳いでいた桃色の金魚たちは、日に日にしおれていった。
 妻はそれを惜しみながらも、種を取って植えるのだと張り切っていた。
 私は、そんな妻とは対照的に、あまりキンギョソウに関心がなかった。なるほど、綺麗ではある。しかし、それ以上愛でようという心持ちにはならず、どちらかと言えばキンギョソウの世話を楽しそうにする妻を見るのが楽しかった。

 やがて花はすべて枯れたが、こんなに種子が取れたと妻は嬉しそうだった。
「でも、花は綺麗なのに、さやはちょっと不気味なのね」
 妻に言われ、私は久しぶりにキンギョソウをまじまじと見た。なるほど、髑髏のようだ。可憐な花の姿を覚えているだけに、禍々しくさえある。
 ――貴方はわたしの外見しか見ていないのね。
 かつて、恋人にそう言われたことをふと思い出した。
 小さな三つの虚ろが、かつての恋人の顔と重なる。
 ――だから、別れたいんでしょう?
 事故で二目と見られなくなったあの顔と。

〈了〉