氷の海にて

 灰色の海の上を一匹の魚が泳いでいる。
 丸々とした胴体は銀色で、頭は冠を載せたみたいに金色。ヒレはどれも白く透明で、端の方ほど赤い。泳ぐ姿はたっぷりある裾をさばくようだ。
 これは金魚だとナミは言った。月の海を泳ぐ金魚なのだと。

「金魚は淡水魚だろ。海で泳いだら死んじゃうよ」
「これは海で泳ぐ金魚なの!」
「そんな金魚いないよ」
「ナギは分かってないなぁ。だからいいんじゃない」

 人間は想像する。海で泳ぐ金魚の姿を。
 人間は創造する。月の海で泳ぐ金魚を。
 ナミはそうして、機械仕掛けの金魚を作った。

 月にはこの金魚以外に様々な機械仕掛けの動物がいた。植物もいる。それらの一部は僕とナミが作った物で、残りは僕らの両親、そのまた両親、さらにはその両親と、先祖達が作った物だ。
 灰色の海はまさしく不毛の地でも、そこには色々な動植物が存在していた。
 でも、どれ一つとして本物はない。

 人間は想像する。月が動植物で溢れる光景を。
 人間は創造する。月を動植物で一杯にするために。

 剥き出しの月面で本物の生物が生きていけるはずもない。だから、先祖代々機械仕掛けの生物を作ってきたのだ。
 地球の人間は滅びてしまったけど、人間という生物が存在した事の証として、色々な機械仕掛けの生物を作ってきた。
 人間には想像力があるから。
 人間には創造力があるから。
 たとえば月の海で泳ぐ金魚を作るのだ。
 
 水平線のかなたに地球が浮かんでいる。金魚はまるで地球を目指すように泳いでいた。
「いつか地球に行ってみたい」
 ナミはよくそう言った。
「あの青は本物の海なんでしょう。そこで泳いでみたいの」
 人間は想像する。ナミは金魚と一緒に泳ぐ様を想像したのだろう。
 人間は創造する。地球へ向かう船を。








 でも、僕らはもう何も作れない。
 材料が尽きたのだ。
 僕らはもう作れない。地球へ向かう船も、僕とナミの子供も。
 機械仕掛けの動植物は古い物から動かなくなる。
 今動いているのは僕とナミが作った物と、僕だけ。
 ナミももう動かない。

 月の最後の人間が作ったのが機械仕掛けの人間で、僕らはその末裔だ。
 人間が存在した証として生まれた僕らは、人間がしたように想像し、創造してきた。
 地球へ向かって泳ぐ金魚のあとをついて行く。
 人間は想像する。僕もいずれ動かなくなる。この金魚もいずれ。
 人間は創造する。僕は地球のように青い金魚を作りたかった。

 人間は想像する。
 人間は創造する。

 もう何も作れない僕は、最後の人間になれただろうか。

〈了〉