お伽話のそのあとで

 むかしむかし、あるところにある小さな国がありました。
 その国の王様には一人娘であるお姫様がいて、それはそれは大事に育てられていました。
 お姫様はとても美しく成長され、その美しさは国内はもちろんのこと、周辺の国々まであまねく知られていました。
 それがあだとなったのでしょうか。あるいは美姫の宿命なのでありましょうか。
 お姫様は魔物にさらわれてしまったのです。
 しかし、お伽話では美姫を救い出す勇敢な若者が都合良く現れるもの。
 嘆き悲しむ王様の前に現れたのは、諸国を巡り腕を磨いているという、若く見目麗しいひとりの騎士でした。
 必ずや姫を救い出しますと王様に誓い、若き騎士は単身、魔物たちの巣窟へ向かったのでありました。
 たった一人でなど無謀だと、誰もが騎士はもう二度と戻るまいと思っていました。
 ところが数日後、騎士はボロボロな姿になりながらも、お姫様を伴って帰ってきたのです。
 お姫様にはかすり傷一つなく、王様と感動の再会を果たします。
 感極まった王様は、ぜひ姫の夫になってくれと騎士に頼みました。お姫様もまんざらではない様子。
 こうして、国中の人に祝福されて、お姫様と若き騎士は結婚しました。
 めでたし、めでたし。

 ――のあとにも、物語は続いている。

 姫と騎士の結婚を祝う祝福の雰囲気は、まだ城下から完全には消えていない。
 姫が魔物にさらわれたときの、重く悲しい雰囲気に包まれていたのと同じ街とは思えない。
 切れ長の目で周囲を警戒するように歩く男は、おめでたいもんだと肩をすくめて嗤い、石畳の上に唾を吐く。
 表の明るい通りから、一本裏の道へ入り、そこからまた奥の道へ入り、路地をいくつも抜けて、入り組んだ街の奥へ奥へと向かう。
 たどり着いたのは、まるで廃墟のような場所だった。入り組む街の奥すぎて、普通の人々から忘れ去られた場所だ。ただ、男のような、普通から少し外れたところをゆくものにとっては、かえって都合の良い場所である。
 男がそこに足を踏み入れると、物陰から、こんなすさんだ場所にはおよそ似合わぬ出で立ちの若い男が姿を見せた。
「お待たせしましたか――次期国王様」
 男は両手をもみ合わせ、いかにも卑屈そうに頭を下げる。
 そこにいるのは、先頃この国の王女と結婚したばかりの、若い騎士だった。
 陽光を受けて輝く髪は黄金色、涼やかな目元に凛々しい眉、すっと通った鼻筋に形の良い唇は、女たちを魅了してやまない。
 まるで絵画から抜け出してきたようなこの騎士こそ、魔物にさらわれた美姫を救い出すのにふさわしい。助けた姫と結ばれて末永く幸せに暮らしました、などというお伽話の登場人物にぴったりだ。
「申し訳ありませんねえ、こんなむさ苦しい場所にわざわざお越しいただ――」
 前触れもなく鼻先に切っ先を突きつけられ、男は言葉を飲み込まざるを得なかった。
「……用件は、金か?」
 突きつけられた刃より冷たそうな視線が、男を射抜く。
「話が、早いようで」
 脂汗を流しながらも、男は何とか声を絞り出した。
「所定の額はすでに払った。それでも無心するとは、小心そうに見えて図々しい奴だ」
 切っ先は鼻先から動かない。じりじりと後ろに下がっても、切っ先と鼻の距離は変わらない。
「へ、へへへ」
 騎士から見れば、やけくそになっているような声で男は笑った。実際に、半分くらいはやけくそである。まさかいきなり剣を突きつけられるとは思っていなかったのだ。
「わたしが戻らなければ、手下がお姫様を『また』さらうことになってんですよ、次期国王様。今度は、この前みたいに無事帰れはしませんぜ」
 騎士が柳眉をひそめ、切っ先がわずかに退く。男は、それで少し強気になった。
「ひへへへ……わたしのことを、まさか卑怯者と罵ったりはしないでしょうねえ。一度目、お姫様をさらうようにわたしらに頼んだのは、ほかでもないあんたなんだから」
 男は人の姿をしているが、正体は魔物である。大して強い力を持つわけではないが、どういうわけか化けるのが得意で、たびたび人に化けて人の世界に紛れ込んでいた。
 しかしそこは、大して強い力を持たない魔物の悲しいところ。人を惑わせ操るほどの力はなく、また腕に覚えもないものだから、口先で人をたぶらかすのがせいぜいだ。
 それでも男が人に化けて紛れ込もうとするのは、人の世界にある物に魅了されてしまったからだ。食べ物はもちろん、金銀財宝や宝石、それに金。人の欲望の対象となる物は、そのまま男の欲望の対象であった。
 そんな男の存在をどうやって知ったのか、この若い騎士は男を捕まえ金を握らせて、ある計画を実行するよう持ちかけたのである。それが、この国の王女誘拐である。
 魔物にさらわれた王女を救出して名を上げ、あわよくば王女の夫の座を射止める――それが、この騎士の計画だった。
 王女をさらったのは、男の手下である魔物たちだ。大して力のない男の手下をするくらいだから連中の力などたかがしれている。そこは質より量で補い、騎士以外の者が王女を救出するのを何とか防いだのである。結構ぎりぎりの攻防だった。騎士からは少なくない額を受け取っていたが、それでは足りないくらいの活躍を手下たちはした、と男は今でも思っている。もっとも、金の価値を知り興味を持っているのは男だけだし、手下たちは人に化けられないから金を使いようもないのだが。
 ともかく、王女の誘拐は騎士が仕組んだ茶番だったのである。それを王女や国王をはじめ、国の者に知られたくなければ口止め料を払えと、男は騎士を呼び出したのだった。
 騎士に計画を持ちかけられたとき、遂行できるかは、手下たちの技量を鑑みると微妙なところであったから、断ろうかとも思ったのだが、計画がうまくいけばこれをねたにして、騎士から半永久的に金を巻き上げられると見込み、話に乗ったのである。
 新婚気分の騎士に冷や水をかけてやろうと今日呼び出したのだが、前置きもなく刃物に訴えようとするくらいだから、どうやら金をむしり取れそうである。
「魔物。貴様、金がほしいか」
「へへ、先立つ物は必要ですからね」
「魔物のくせに人間臭いことを言う。いくら欲しい。言え」
 男が強請っている側のはずなのに、騎士のこの命令口調はどうしたものだろう。これくらい偉ぶらなければ、矜持を保てないということか。
 ご苦労なことだと内心嗤い、男はひとまずこれくらいで、と指で示す。
 ようやく、鼻先から切っ先が遠ざかる。
「前金だ。受け取れ」
 騎士は懐から中身の詰まった小さな革袋を取り出すと、男の足下に放った。
「話の分かる方で、ありがたい」
「足りない分は、後日用意する」
「へえ、後日ってのはいつなんで?」
 男は聞きながら、革袋を拾い上げようと身を屈めて手を伸ばす。
 指先が袋に届いた瞬間、手の甲に剣を突き立てられていた。
 二人のほかに誰もいない、荒れ果てた場所に、男の絶叫が響く。
「魔物よ。私から簡単に金を貰えると思わぬことだ」
 騎士は冷徹な声で言い、男の手に突き立てたままの剣を揺らした。
 叫ぶ男をうるさげな顔で見下ろし、騎士は続ける。
「金が欲しいのだろう、魔物。ならば貴様の示した額の分だけ、手下らを使い辺境の地を荒らせ」
「なぜそんなことを……?」
 この国はいずれ騎士のものとなる。それをなぜみすみす荒らせと言うのか魔物には分からない。
「姫をさらったのと同じ茶番だ。魔物が土地を荒らす。それを私が平定する。それを幾度か繰り返すうち、民の間で私の評判は高まろう。国を治めやすくするための、まあ布石のようなものだ」
「わたしの手下に、まさか手をかけたりは……」
「姫の時も、貴様の手下に手を出さなかったであろう。どうした、魔物。返事は諾か、否か?」
 騎士はまた剣を揺らす。自分を氷よりも冷たい目で見下ろす騎士が、男は恐ろしくてたまらなくなった。男よりもこの騎士の方がずっと魔物らしいではないか。
「貴様が金が欲しいと言うので、それならばまあ働いてもらおうかという程度の案だ。断るのなら、それも良かろう。ただしその時は、首だけになってもらうがな」
「わたしが戻らねば、姫は!」
「次期国王という座についた以上、別に必要ではない。好きにすればよい。それよりも魔物。さあ、どうする?」
 剣で貫かれた手はひどく痛いが、そんなことを忘れるくらいに、男は震えていた。この騎士を強請ろうとしたのが――いや、そもそも最初の計画を受けた時点で、間違いだったのだ。こんな男に関わってはならなかったのだ。
「や、やります。仰せのままに」
「話の分かる奴だ」
 騎士は言って、剣を抜いた。男は泉のように血の流れる手を抱え、転がるように騎士から遠ざかる。
 金をもらう気などとうに失せていた。この場で殺されなかっただけありがたい。このまま辺境の地へ行くふりをして、国を出てしまおう。
「魔物。やると言ったからには逃げるな」
 まるで男の心を読んだように、騎士が忠告する。
「まさか、逃げるなんて」
 図星を指されて声がうわずるが、違う姿に化ければ見つけようがないはずだ。
「覚えておくといい。人に紛れて生きる魔物は貴様のほかにもいることをな」
 それはきっとどこかにいるのだろう。だが男には、人に化けた同族を見分けられるほどの力はない。自分の魔物の気配を隠すのが精一杯だ。
「――私から見れば貴様のその姿、化けているうちに入らぬぞ」
 騎士は冷たい嘲笑を残し、きびすを返した。規則正しい足音はすぐに聞こえなくなり、あたりは静寂に包まれる。
 すさんだ場所に一人取り残された男は、流れる血を止めるのも忘れ、ただただ震えていた。

〈了〉