彼は大切なものを箱にしまう子供だったという。
部屋の一角には押し入れに入り切らなくなったという大小さまざまな箱が、積み上げられている。話通り、本当に箱に入れているんだと感心するとともに、これだけ大切なものがある彼がうらやましくもあった。――彼の、一番大切なものが入っている箱の話を聞くまでは。
「その一番大切なものって……」
このときの僕の声は、少し震えていた。
彼の話の流れからして、一番大切なものが何かは聞かずとも分かった。そして、聞くべきではないと、頭のどこかで警鐘が鳴っていた。だが、聞かずにはいられなかった。そう、もしかしたら僕の思い違いかもしれないではないか。それを確かめるのだ。
「言っただろう、大切なものが入っている箱はいわば宝箱だって。だから、その中身もありかも、教えられないよ」
彼ははぐらかすように笑った。僕はその笑みに底知れぬ怖さを抱いた。しかし、かえってそれで良かったのだ。下手に「一番大切なもの」の正体を知れば、何かとんでもないことに巻き込まれるかもしれないのだから。
「――でも、君にだけは特別に、教えてあげるよ」
彼の話は一応区切りが良かったし、もうこれ以上触れるべきではない。そう判断して話を変えようとした直前、彼が口にした思い掛けない言葉は、触れてはいけない暗い領域へ僕を引きずり込むものだった。
「いや、いいよ。誰にも知られたくない宝箱なんだろう」
彼は知られたくないといい、僕は知りたくないと思う。それでいいではないか。
「君は、人のものを横取りするような男じゃないから、教えてあげるんだよ」
評価してくれているのはありがたいが、教えてくれようとしている内容はまったくありがたくない。
「いや、いいよ本当に――」
「木を隠すには森の中、と言うだろう」
聞くべきではないという警鐘は鳴り止まない。
「え?」
なのについ、ほんの一瞬、耳が傾いてしまう。
「どうしてあそこに箱を積んでいると思う?」
彼の指さす先にあるのは、少し前にうらやましいとさえ思った「大切なもの」の山だった。だが、積まれているのはほとんどが掌サイズの箱ばかりで、多いと言ってもせいぜい数十個だ。
「押し入れに入らなかったからだよ」
僕の答えなど待たず、彼が立ち上がる。そして制止する間もなく、押入の戸を開けた。
上下に分かれた押し入れの下の段に、段ボール箱があった。体を丸めれば、人ひとりが入れそうなほど大きな――。
ずいぶん大きいんだな。それだけを冗談めかして言ってしまえばこれ以上妙なことにならないかもしれなかったが、実際には声を出せなかった。
「せっかくだから、中も見せてあげるよ」
すっかり顔色をなくした僕に構わず、彼はひどく重そうな箱を引きずり出した。
「これが、僕の大切なものだよ」
特にガムテープで留めているわけでもない段ボールの箱のふたを、ぱたりと開ける。
そこに収められたものを想像して、僕はいよいよ歯の根も合わないほど震えていた。
「どおもー! はじめましてー!」
場違いに明るい声とともに箱の中から何かが飛び出したのと、僕が情けない悲鳴を上げたのはほとんど同時だった。
「……へ?」
箱の中に立っていたのは、見知らぬ女だった。惚けた顔の僕を見て、いかにもおかしげに、しかし少しだけ気の毒そうに笑っている。
「え……どういう、こと?」
訳が分からず、箱の横に立ってやはり笑っている彼に問いかける。
「まさかそんなに驚くとは思わなかったけど――この子、僕の彼女だよ」
「は?」
「改めてはじめましてー。彼女のみずきでーす」
「普通に紹介するのはおもしろくないかなーと思って。それに、一度ドッキリって、やってみたかったし」
彼は実に軽い口調で、悪いなーそんなに驚くと思わなかったわーと言い、彼女の方もごめんねーとやはり軽い口調で謝る。
「お……」
あまりの展開に、目の前の出来事を認識できても感情がついてこない。僕は酸素を求める金魚みたく口をぱくぱくとさせていたが、ようやく感情が追いついてくる。
「たちが悪すぎるだろ!」
バカ野郎と続けて、床の上にあった週刊雑誌を彼に投げつける。
「いやー、ここまでうまくいくと思わなくて」
「紹介するなら、普通で良いだろ!」
「平凡な日常にちょっとしたスパイスを提供したくて」
「ちょっとじゃない!」
そんな僕と彼のやりとりを見て彼女が声を立てて笑う。
本当にごめんねーと言いながら箱から出ようとした彼女が、箱ごと転んだのを見て、僕もやっと笑った。
喉元過ぎれば何とやら。腰が抜けるほど驚いたが、まさかこんなドッキリを仕掛けられるとは夢にも思わないから、まあ悪くない体験だったかなと思いさえしてくる。
それから、僕と彼と彼の彼女の三人で、他愛もなくくだらない話をしながら酒を飲んで親睦を深めたのだった。
●
たちの悪いドッキリを仕掛けられた数日後、大学キャンパスで彼の彼女とたまたま再会した。
「この間はごめんねー。でも、楽しかった」
と思い出し笑いをする。一方の僕は、少々苦く笑った。
「もうあんなことは勘弁してよ。これから、サークル?」
彼とはさっきまで同じ講義を受けていて、これからサークルに行くと言って別れたばかりだったのだ。だから、てっきり彼女もこれから行くのだと思った。
「ううん、バイト。わたし、サークルにはどこも入ってないの」
「そうなの? 彼のこの間の話じゃ、同じサークルで再会したって……」
「ああ、あれね。あれは作り話だよー。彼とは地元も違うもん。知り合ったのは、サークルじゃなくてバイト先」
僕はあの日彼が話したのは本当のことと思い込んでいただけに、なんだか遅れて地味なドッキリに引っかかった気分だ。僕があんまり見事に引っかかってしまったから、瑣末なところはなおざりにされたようだ。今になっては本当に瑣末なので、どうでも良いことではある。
掲示板前にちょっとした人だかりを見つけたのは、バイトに行くという彼女と別れた直後のことだ。なんだろうと覗いてみると、どうやら皆、一枚の張り紙に注目しているらしい。
それはA4サイズの張り紙で、小さな顔写真が載せられていて、写真の人物の名前や学部などの詳細が書かれていた。
心臓の鼓動が速くなるのを感じた。体がかすかに震えている気がして、口の中が急速に乾いていく。
写真の人物の名は、栗原美都姫。僕や彼、彼の彼女と学部は違うが、彼とは同じサークルに所属していると書いてある。
そして――二週間前から連絡が取れず行方不明、とも。
〈了〉