魔女は涙を流さない 前編

「俺を弟子にしてください」
「一昨日おいで、坊や」
 顔を合わせるや始まるこのやりとりは、すっかり挨拶代わりとなっていた。
「お師匠さま。そんなつれないこと言わないで、どうかお願いします」
「気持ち悪い呼び方はしない。わたしは坊やの師匠じゃないのだから」
「それじゃ俺を坊やと呼ぶのもやめてくださいよ。俺はあなたの弟子じゃないんだから」
「わたしはいいのよ。君は本当に、坊やなんだから」
 こんな調子である。
 森に住む魔女は、なかなか俺の師匠になってくれない。

          ●

 自己紹介が遅れてしまった。
 俺は、ハンスク。立身出世を目指し、田舎から王都へ上京してきた将来有望の若き魔術師だ。
 なに? 将来有望を自称するな?
 いやいや、それくらい言わせてくれまいか。こう見えて、タッツク村にハンスクという名の神童あり、と言われたことさえある俺なのだ。村で俺の名前を知らない者などいなかった。向こう三軒両隣はもちろんのこと、度の過ぎた恵みの雨となる雨期ともなれば、村中が俺の神童たる才能を求めたものだ。
 ――神童と言われた根拠が、魔術で薪に火をつける、ほぼただその一点においてのみだったとしても。火打ち石代わりに使われていただけだったとしても!
 おっと、失礼。少し感情が乱れてしまったようだ。
 まあ、神童と言われていてもその実体はゴニョゴニョだったが、俺がいつかこの国の魔術師たちの頂点に立つことにでもなれば、「伝説の魔術師にもそんな微笑ましい子供時代があったのね」などという麗しい美談となるに違いない。その時は、できる限り美化することをお忘れなきよう願いたい。
 さて、有望な未来の俺に美しい伝説を添えるためには、なにはともあれ、実力が伴っていなければならない。
 薪に火をつける俺を神童と呼ぶような田舎では、魔術についてろくに学ぶことさえできやしない。そこで、俺は村の近くの街に住む魔術師の元に通って、基本的なことを教えてもらった。いつ授業が強制終了となるか冷や冷やものの老魔術師だったが、若い魔術師の教師を長年続けてきた熟練だけに、指導には無駄がなくて的確だった。耳が遠いのと、魔術の基礎を教え終えた途端にあの世へ旅立ってしまったのは齢のせいだが、彼は俺の最初の師匠だった。突然の別れに、俺は泣いた。
 だが、泣いてばかりでは最初の師匠に笑われる。師匠との突然の別れは、教えるべきものをすべて俺に教え込んだうえで彼以上の魔術師になれという、師匠なりの応援だったに違いない。俺はそれをしかと受け止め、泣くのをやめた。師匠よ、あなたの教えは今でも俺の中で燦々と輝き、生きつづけている。
 市井で生きた師匠を超えるための第一歩として、俺は上京することにした。目指すは、この国の宮殿で活躍する宮廷魔術師である。

          ●

 選抜試験を突破した魔術師だけが、宮廷魔術師となれる。宮殿には国内の優秀な魔術師ばかりが集まり、日々研究に励んでいるのだ。そこで功績を打ち立て、王の覚えめでたき術師となれば、故郷へ錦を飾ることにもなろう。俺が目指すのは、それだった。
 だが、今の俺は選抜試験を受けることさえできやしない。受験資格として、宮廷魔術師か宮殿勤めしている武官・文官からの推薦が必要なのだ。田舎から出て来たばかりの小僧にそんなつてがあるわけない。
 宮殿内の人物になんのつてもない魔術師が選抜試験を受けるには、まず上京して、宮殿内にいる魔術師か官吏と繋がりのある市井の魔術師に弟子入りし、その術師から宮廷魔術師たちに推薦してもらわなければならなかった。実質、二人からの推薦が必要というわけである。
 面倒なことではあるが、宮廷魔術師になるためと思えばそんな苦労も惜しくはない。上京した俺は、早速王都でも評判の魔術師に弟子入りしようと門を叩いた。
「タッツク村? 聞いたこともない村だね。基礎はちゃんと習っている? まあ、先生に弟子入りしようというのなら、それくらいはごくごく基本的なことだよ。君も宮廷魔術師になりたい口だろう。そういう若い子が、先生のところにはたくさんいるけどね、本当に優秀な術師しか推薦できないし、そもそも、身元のはっきりとした子しか弟子にしないんだよ、先生は。推薦する以上、責任というものがあるからね。身元ははっきりとしている? ああ、タイクツとかいう村の出のことだけじゃないんだよ。君という人間の保証も必要ということさ。誰かからの紹介状がなければ、入門を認めることはできないよ」
 弟子の一人という男は、そう言って俺を門前払いしたのだった。
 村の名前を言い間違えるような男に追い払われたのは悔しかったが、俺は仕方なくほかの魔術師を訪ねることにした。だが、紹介状が必要なのは同じことだった。
 今は亡き師匠に弟子入りするときには、そんなものは必要なかった。何軒目かで入門を断られたとき、たまらずそう言ったら、応対をした弟子は小馬鹿にした目で俺を見た。
「田舎と王都は違うからねぇ」
 なんならあんたの髪に火をつけて、チリチリにしてやってもいいんだぞ。頭髪の薄い弟子の頭を睨み、いっそ実行してやろうかと思ったが、ここでそんなことをしては、本当にどこにも弟子入りなんてできない。
 諦めて宿に戻った俺は、途方に暮れた。王都には親戚も知人もいない。師匠の住んでいた街には知り合いの魔術師がいるが、彼に紹介状を書いてもらっても、田舎の術師の紹介状ではやはり相手にされないだろう。
 俺にあるのは、熱意のみ。
 一番最初に訪れた魔術師の元を再度訪ね、俺はもう一度入門を願い出た。最初の時と同じ弟子が応対に出てきて、やはり門前払いされてしまった。しかし俺はあきらめず、毎日毎日、通い続けた。俺の顔を見るなり弟子がうんざりした顔をするようになっても、しぶとく通い続けた。
「何度来ても、紹介状がなければ入門できないよ」
 と毎日同じことを言っていた弟子が、初めて違うことを口にしたのは、俺が通い始めて十日ばかり過ぎた頃だった。
「先生も、君の熱意に少しだけ情をほだされたようでね」溜息混じりに弟子は言う。「《裏切りの魔女》に弟子入りをすることができれば、推薦状を書くと仰ったよ」
「《裏切りの魔女》?」
 初めて聞く単語にキョトンとする俺を、これだから田舎者は、と言わんばかりの目で弟子が見る。
「王都の近くにある森に住む魔女だよ。魔女というだけあって、ずば抜けた力を持つ魔術師だ。昔は宮廷魔術師として宮仕えしていたこともあったらしいけど、今は国王がいくら呼んでもその求めに応じていない」
「だから《裏切りの魔女》というわけですか」
「そう。でも、一度は王にも認められていた魔女だ。彼女に弟子と認められれば、君には宮殿勤めすることのできる能力があるということになるから、推薦状を書いてもいいということになる。先生はそう言っているんだけど、どうする?」
 やめておけよ、と弟子の目が言っているのがはっきりと分かった。だから余計に、俺のやる気に火はついたのだ。
「必ず《裏切りの魔女》に弟子と認めてもらいます」
「そう。頑張って」
 推薦してもらえるのならば、入門する相手が変わろうと文句はない。息巻く俺に対して、弟子は言葉とは裏腹に冷ややかな口調だった。
 その理由は、すぐに分かることとなった。
 《裏切りの魔女》に弟子入りすることは、ほかの魔術師に弟子入りする以上に難しいことだったからだ。要するに、言い方を変えた門前払いだ。
 魔女に弟子入りしろ、と言われた俺はそこへ毎日通うことになるのだ。弟子は俺を体よくあしらったわけである。

          ●

 森は、王都を出て一時間ほど歩いたところ、東西に長く広がっていた。街道からは少し離れている。城壁近くには畑や田んぼがあったけど、城壁が離れて森が近づくほどにそれらはまばらになって、やがて平地だけになる。遠くから見るとこんもりとしていた森は、近付けば近付くほど木々が鬱蒼と生い茂っているのが分かった。宿の主人に聞いたところでは、森の中には魔物が多く出るから出入りする者はほとんどなく、危険だから森を貫く道も作れないのだという。
 魔物を見たことはほとんどないが、獣と同じく、火を怖がる魔物は多いと聞く。子供の頃から火を扱う魔術はお手の物だった俺だ。なんの魔物が怖いことなどあろうか。
 意を決し、俺は森へ入った。


 魔女というのは、人であって人ではなく、魔術師であって魔術師ではない。
 俺や俺の師匠、それに王都や宮殿にいる魔術師なんかよりずっとずっと強い魔力を持っている。優秀な魔術師が十人束になっても敵わない、とも言われている。
 魔術を使うには、魔力と共に、自分が使おうとする魔術の礎となる『法則』が必要だ。魔術の法則は、俺たちの住むこの世界とは違う階層(と師匠は表現していた)に存在している。魔術師は、魔力を持っていて尚かつ違う階層に存在する法則を知覚できなければならないのだ。法則をこの世界に引っ張り寄せ、その法則に魔力を乗せ(これら諸々の操作をひっくるめて構成を組む、と言う)、初めて魔術は発動する。
 知覚できる法則は、術師の魔力に依存する。魔力が強ければ強いほど知覚できる法則の数は増え、その種類も幅も広がる。魔女ともなれば、普通の術師とは桁違いの数の法則を知覚できるらしい。
 魔力がずば抜けて強い者にしか知覚できない法則で、その代表的なものが、時間に関わる魔術を発動できる法則だ。魔女はその法則を使って体の老いを止め寿命を延ばし、常人よりはるかに長い時間を生きることができるのだそうだ。
 魔術師であって魔術師ではなく、人であって人ではない。魔女がそう呼ばれる所以である。


 幸い魔物に出会うことなく、森の中の道なき道を二、三時間歩いた頃、突然開けた場所に行き当たった。
 森の中にぽっかりと空いたそこには、ぽつんと一軒の家がたたずんでいた。何も知らずに森に迷い込んでこの家を見たら、夢か幻を見ているのではないか。そう思うほど、家との遭遇は唐突だった。
 街中にある民家とさほど変わらない大きさ、造りの一軒家である。打ち捨てられた雰囲気はない。今も現役そのもの、人が住んでいる様子だった。その証拠に、家の脇には小さな菜園があり、野菜が数種類実っている。あたりの人影は見えなかったが、ここが魔女の家に違いない。魔物が出る森の、数時間も歩いて進まねばならない奥まった場所に建っていて、それが普通の人の家であるはずがない。そもそも、こんな場所に、普通の人は暮らさない。
 俺はおそるおそる玄関に近付いた。数回深呼吸して、扉を叩く。森の中に、その音が思いの外大きく響いた。
 扉はすぐに開いた。
 現れたのは、俺より五つほど年上、二十代前半と思われる女だった。黒色の髪は長く、瞳は晴れた空を幾重にも重ねたような深い青色だった。俺を含め、黒髪黒目が普通のこの国で、青い瞳とは珍しい。
 晴れた空色の瞳は、扉を開けて俺の顔を見た瞬間、にわかに曇ったように見えた。
 だが、それが気のせいだったのだろうか。女の表情は一瞬で切り替わる。眉間にしわを寄せ、不審者に向けるような視線を無遠慮に投げつけてきた。
「誰? 何の用?」
 来訪者をまったく歓迎していないことは、彼女の表情だけでもよく分かるというのに、それに輪をかける第一声である。
 しかし、上京して以来幾度となく門前払いを喰らったおかげで、俺はすっかり精神的に打たれ強くなっていた。この程度の応対で怖じ気づいたり尻込みしたりなどしない。
「ハンスクと言います。ここは、《裏切りの魔女》のお宅ですか」
 歓迎していない表情を露わにしていながら、俺が物怖じせずはっきりと言ったから、彼女の方が驚いたのだろう。右の眉だけを器用に上下させた。が、眉間に寄ったしわは消えない。
「初対面の人間に『裏切り』なんていう、不愉快な言葉をよくも言えたものね」
 そう言って、用件も聞かないうちから扉を閉めようとする。俺は慌てて扉をつかんだ。女が、扉をつかむ手を嫌そうに見る。
「確かに今のは俺が悪かったです。謝ります。でも――」
「別に、誰になんと呼ばれようと構いはしないけれどね」
 俺が言いつくろおうとすると、彼女はあっさりそう言った。
「へ?」
「わたしを《裏切りの魔女》と呼ぶのは、そう呼び始めた人間の勝手な言い分ってこと。で、君はわたしにどんな用があるの?」
 扉を閉めるのを諦めたのか、彼女は腕を組んで、戸口にもたれかかった。
「あの、あなたがその……魔女?」
「そうよ」
 女はこともなげに肯定した。
 魔女に関する、一応の知識は持っている。だが、強大な魔力を持つ魔術師というからには、常にそんな雰囲気が溢れているのだと思っていた。俺の師匠が、熟練の術師にふさわしい、落ち着いた空気に包まれていたように、魔女は魔女の空気をまとっている、と。
 ところが、目の前にいる《裏切りの魔女》はどうだろう。俺より年上だが、それでも若い女にしか見えない。服装だって、簡素な白い服で、街を歩けばどこでも見かけるようなありふれたものである。
 少々つり上がった眉が気の強そうな印象を与え、瞳の色が青と珍しいが、端整な顔立ちだ。俺が今まで見たことのある女性の中で、一番綺麗ではないだろうか。もっと仕立てのよい服を着れば、貴族の娘と言っても通じるだろう。だが、どんな格好をしているにしろ、魔女には見えない。
「どんな用があるの?」
 魔女には見えないが、俺は魔女を一度も見たことがないから、よくよく考えればどんな人物が魔女にふさわしいのか分からない。桁違いに強い魔力によって、老いを止め寿命を延ばせるような術師なのだ。若い娘の姿をしていても不思議はない。本人が魔女だと言うのなら、きっとその通りなのだろう。
 とにかく、弟子入りを目指す人物と直に会えたのは、上京して以来これが初めてになるのだ。この千載一遇かもしれない好機を逃してなるものか。
「俺を弟子にしてください。お願いします!」
 大きな声でそう言うと、深く頭を下げた。
 下げられた後頭部に、溜息が落ちてくる。
「弟子はいらないわよ」
 訪問販売の押し売りを断るような口調である。
 俺は頭を上げた。王都からはるばるこんな森の奥まで来たのだ。即行で断られたって、今度という今度は簡単に引き下がるわけにはいかない。
「そんなこと言わないでください。真面目に一生懸命頑張りますから、弟子にしてください」
「弟子はいらないと言っているでしょう。どんな誠実な人間が弟子入り志願したとしても、いらないのだからお断り」
 魔女は犬の仔を追い払うように手を振る。
「俺は弟子入りしたいんです!」
「わたしは弟子はいらない。魔術の師匠が欲しいなら、そこの王都に行けばたくさんいるわよ」
 と、王都のある方角を指さす。俺は指された方は見ず、彼女を見た。
「確かにたくさんいるけど、俺はあなたでないと、だめなんです」
「ありがた迷惑な言葉だけど、弟子はいらない」
「俺は、あなたの弟子になるためにここへ来たんです!」
「そして、君はわたしに弟子入りを断られたから、帰るしかない」
 突然、扉をつかんでいた手が、見えない手でつかまれるようにして引き剥がされる。驚く俺を見て、彼女は言った。
「迷子にならないように気をつけてお帰り、坊や」
 魔女が俺に背を向ける。彼女は把手を握っていないというのに、扉は俺の目の前で勢いよく閉じた。急いで開けようと把手を握るが、今度はびくともしない。
 魔術を使ったのだ。それならば、俺も魔術で扉をこじ開けてやろうじゃないか。
 そう思ってあれこれ試してみるのだが、俺の術はことごとく、扉に向けた瞬間に霧散してはかなく消えていった。これならどうだ、と乱暴を承知で壁を破ろうと試してみたが、結果はまったくの同じだった。
 魔女は家ごと、俺の弟子入りを拒んでいるらしい。

          ●

 思いつく限りの魔術構成を試し、その結果がすべて虚しいと分かったときには、すっかり日が暮れていた。
 どんな魔術をぶつけても瞬時に霧散し、ならば普通にと手で扉を叩いてみても、近所迷惑を心配する必要もないから大声で呼んでみても、中からはどんな反応も返ってこなかった。失礼とは思いつつ、窓から家の中を覗いてみても、どんな魔術がかけてあるのやら、窓は鏡のように俺と背景の森を映すばかり。
 やがてあたりが薄闇に包まれてからようやく、俺は諦めざるを得ないと判断した。ただし、今日のところは引き下がるのであって、魔女の弟子入りそのものを諦めたわけではない。そこは誤解なきようお願いしたい。
 一時的に引き下がるだけなのだが、王都まで戻ろうにも、既に視界は暗くなっている。魔物も出るという森を薄暗い中歩くのは、怖いわけではないのだが、危険性を考えると避けたいところである。
 魔女が一晩泊めてくれたり……はないか。はるばる訪ねてきた弟子入り志願者をあっさり追い返すのだから、望みは薄い。しかし、試さないうちから諦めるのは、往生際の悪い俺らしくない。
 どうせダメだと分かっていたが、扉を叩いた。
「今から帰るのはちょっと危ないから、泊めてくれませんか……?」
 これまでと同じく、返事はない。やはりだめだったかと溜息をつき、俺は踵を返した。
 すると背後で、意外な音がした。驚いて振り返ると、魔女が戸口に立って俺を見ている。
「――坊やが迷子になって魔物に襲われたら、わたしの寝覚めが悪くなるからね」
 仕方なさそうに言う彼女に、俺は心の底から感謝した。


 魔女の家、といっても、外見と同じく中もごく普通だった。
 玄関を入ってすぐに居間があって、台所と繋がっている。居間には奥につづく扉があったが、閉じられていて向こう側に何があるのかは分からない。だけど、おそらく寝室や書斎があるのだろう。それは、家の周囲をぐるぐると回って、魔術の入り込む隙がないか探していたから想像がついた。
「適当に座ってなさい」
 きょろきょろする俺にお構いなしに、魔女はすたすた台所へ消えてしまう。
 招かれざる客なので、俺は大人しく言うことを聞いて食卓についた。居間の片隅に長椅子はあるのだが、いかにもくつろぐためのそれに腰掛けるのははばかられたのだ。かといって、食卓で待っていると、いかにもおもてなしを受ける気満々です、と言わんばかりであるが、あとはもう床に直接座るしかないので、致し方ない。
 ほどなく、魔女が台所から姿を現した。両手にお盆を持っていて、そこにはいくつかの食器が載っていた。立ちのぼる湯気と漂ってくるいい匂いが、俺の空きっ腹を刺激する。
「夕食がちょうど出来上がったときに扉を叩くなんて、ちゃっかりした坊やね」
 魔女はお盆を食卓に置いて、その上の皿を俺の前に並べる。
「いや、あの、俺は」
 目の前に出された料理と彼女を見比べる。泊めてもらえるだけでもありがたいと思ったばかりなのに、まさか食事まで出してもらえるなんて。これでは、本当に俺が夕飯が出来るまで粘っていたようではないか。そんなつもりは、もちろん毛頭なかった。
「冗談よ」
 魔女が小さく笑う。笑ったところを見たのは初めてだったが、笑うとますます普通の人と変わらなく見えた。
 俺と向き合う席に魔女が座る。
「大した料理じゃないけどね。食べていいわよ」
「あ、はい。いただきます」
 即行で弟子入りを断られたから、まさか向かい合って食事をとることになるとは思ってもいなかった。何を話せばいいのかも分からず、俺は黙々と料理を口に運んでいく。腹が空いていたので、箸の進みも速い。
 香草の入った汁物に、おそらく自家製野菜の和え物、それから炒めた鶏肉がのったおこわは、大したものじゃないと本人は言ったが、お世辞抜きに美味しかった。
 二人前あるところを見ると、もしかして彼女は、あらかじめ俺の分まで作っていたのではないだろうか。いやしかし、それは都合の良すぎる考えか。それとも、魔女は普段は二人前を食べているのか。仮にそうだとしても、比較的細身の体つきからは想像できない。できないが、魔女なら太らない魔術も使えそうだ。
「わたしに何か、珍しいものでもついてる?」
 食べつつ俺がちらちら見ているのはばればれだったのだろう。魔女が苦笑する。
「いえ、そういうわけじゃなくて……」
 魔女とはいえ女性に関して、太りそうとか太らなさそうとか考えていたことがばれては大変だ。取り繕わなければならない。
「あの、あなたの名前はなんて言うんですか」
「住処まで知っていたというのに、名前は知らないのね」
 取り繕うのは完全に失敗し、むしろ墓穴を掘ってしまった。
「す、すみません」
「――ソフリア」
「え?」
「わたしの名前よ」
「ソフリアさま」
「さま付けはなんだか気持ち悪いわね。そんなたいそうな身分でもないのだし」
「でも、じゃあなんて呼べばいいんですか」
 師匠と仰ぎたい人物を呼び捨てするわけにもいかないのだ。
「呼ぶ必要はないでしょう。君は明日の朝になったら王都に帰って、もう二度とここへは来ないのだから」
 魔女はずいぶんとはっきりものを言う。もう二度とここへ来るな、と言っているも同然ではないか。
「いえ、俺は来ますよ。あなたの弟子になりたいんです」そうだ。ならばこう呼べばいい。「お師匠さま」
「なんですって?」
 ソフリアが眉間に皺を寄せ、怪訝そうに俺を見た。
「お師匠さま」
「わたしは坊やの師匠じゃないわよ」
「俺はあなたの弟子になりたいんです。名前にさまを付けるのはだめだと言うし、かといって呼び捨てするわけにはいかないし、だったらお師匠さまと呼ぶしかありません」
「……厄介なのが訪ねてきたものね」
 眉間に皺を寄せたまま、ソフリアは溜息をついた。