執筆戦隊カケルンジャー

 ここに悩めるオンラインノベル愛読者が一人いる。私だ。
 ノートパソコンにかじりつき、ブックマークのフォルダ『ラヴなサイト』に分類・最上位に登録し、尚かつ私の運営するラヴなファンタジー小説サイト『Wonder West Wind』のリンクページからの連結も確保している、私の一等お気に入りのサイト『言の葉の木』のトップページと終点の見えないにらみ合いを続けている。またもや残念なことに私の鋭角的眼光が液晶ディスプレイを貫通する見込みはなさそうであるが、実際に貫通してしまったらノートパソコンへの致命的打撃となることはいざ知らず、私の財布にも壊滅的ダメージを与えるだろう。そのような事態が発生した場合、私の顔色はアルカリ性の液体でリトマス試験紙が赤から青に変化するように、速やかに青くなることは間違いない。pHで言うならばその際の私の顔色は14、強アルカリ性である。
「今日も更新されてない」
 私はブラウザへの鋭角的眼光照射をやめ、その代わりにため息を喉の奥から抽出してゆるゆると口から放出する。
 75cm巾のコタツ机を挟んだ対面に座す友人・加弥子が、彼女が持ち込んできたノートパソコンから視線を上げる。
「なんの更新?」
「『言の葉の木』の『最果て』が、今日もまた更新されてなかったのよ、加弥子」
 『最果て』とは、『言の葉の木』で連載中の正式名称『世界の最果て、その淵を歩む』というラヴな長編ファンタジー小説である。一年前にこの小説を発見した私は吸引されるように『最果て』の虜となった。純水に溶解した塩化ナトリウムを取り出せない不可逆変化のように、私の心から『最果て』を除去することは不可能であるくらいに囚われている。
「……八千代、あんたはまた懲りずに、レポートの提出間近になってもそんなことやってるわけ?」
 二台のノートパソコンを飛び越して、加弥子の絶対温度273Kの視線が私の目に突き刺さる。辛いレポートの合間にささやかな息抜きをしてやる気を取り戻さんとあがいていた私に対して、なんという冷たさ。加弥子の心の絶対温度はあと約20K低く見積もっても構わないのではないだろうか。
「レポート三昧の毎日ですさんで荒れてやさぐれて乾いた心には、潤い成分が必要なのよ!」
 今すぐに『最果て』の最新分を読むことができたと仮定した場合、私の心の潤沢度はたちどころに回復しレポートへのやる気と活力を取り戻すことは必至、空気に触れた固体の水酸化ナトリウムが潮解するのと同様に必然である。
「人はそれを『現実逃避』というのよ」
 加弥子のツッコミはどうしていつでもいちいちもっともなのだろう。加弥子がキーボードを叩く音までもが、私にレポートを書けとつっこんでいるように聞こえてくるという、摩訶不思議な現象さえ引き起こしている。
 確かに、加弥子のつっこみは正確に私の現実逃避願望を撃ち抜いた。しかし、それによって砕け散った願望は脳内細胞全てに浸透し、レポート執筆に向けるべき情熱が浸食されるという逆効果を引き起こしていた。浸食された情熱は、強酸と接触したアルミニウム箔のごとく、触れたそばから腐食してボロボロと形を失っていった。
「ああ、やる気が出ない」
 一度損失した情熱をすぐさま回収しようにも、その回収率は遠く一割にも及ばない。私はノートパソコンと協力関係を維持してレポート作成することよりも、床との親和性を高めることを優先した。バイト代を投入して先日購入したホットカーペットの性能を全身で確かめるのにも、今が適切な機会であると思われた。
「寝てる場合じゃないでしょう」
「文明の利器は素晴らしいね、加弥子。この極寒の地に、局所的に南国を提供してくれている……」
「雪だって滅多に降らない地方のどこが極寒の地なのよ」
「雪が降らなくても、寒いものは寒いじゃない」
 私は掌までもホットカーペットと密着させていた。改めてその性能の高さに感心させられる。この肌触りの絶妙さと電気エネルギーを熱に変換し使用者へ伝達する迅速さは、深夜一時を回った時間でもなお励まんとする学究の徒の情熱を、かさぶたを優しく剥離するように奪取していく。
「加弥子。わたし、眠くなってきた……」
 到達すべき結果として、私の脳は酸素と睡眠を激しく要求し始めていた。生物として、この欲求をはねのけるのは多分に困難である。
「わたしだって眠いわよ。でも、寝る前にレポート書きなさいよ。明日の昼には提出なんだから」
 しかし、学生として、どうしても提出しなければならないレポートの作成を放棄することも、同等に困難であった。単位取得のためにも、私は名残惜しい気持ちをホットカーペット上に残し、立ち上がった。

    ●

 涙ぐましい努力の末、無事にレポートは完成し、ぎりぎりではあったが定められた時間までに提出することができた。
 レポート作成のために犠牲となった睡眠時間を講義中に取り戻そうとしたが、点呼による出欠確認、眼光鋭い教授による突然の指名、目を閉じていることが許されない実験等のために、ほとんどかなわなかった。結局、私は夕方になっても眠気がまったく取れないどころかむしろ増大している体を引きずり、帰宅する羽目となった。
 先生たちが学生を苦しめるために結託したとしか思えないレポートの波状攻撃は、まだ終点に達していない。明日提出のレポートがあるのでバイトもサークルも休み、私は真っ直ぐに家へ向かった。
 レポート作成の前にとりあえずベッドに倒れ込みたいところだが、その前にどうしてもやらなければならないことがあった。
 ノートパソコンを起動、ネットに接続。ブックマークから目的のサイトへ一気に飛んだ。
「ああ、まだ更新されてない」
 前回確認してから十二時間余りしか経過していないので、更新されていない可能性が高いことは承知していたが、私は更新があったかもしれないというわずかな可能性を強く支持していた。更新されていて欲しかった、という願望だったとも言う。
 『言の葉の木』で連載中の『世界の最果て、その淵を歩む』は、ストーリーも主要な登場人物たちの性格も、何もかもが私の好みに合致している、ラヴな長編ファンタジー小説である。それだけに更新を心待ちにしているのだが、最近作者の『青月ほし』が多忙らしく、三ヶ月近く更新されていない。
 物語はいよいよ佳境に入り、離れ離れになっていた主人公とヒロインが、とうとう再会できそうだというところで更新が停止している。はじめは反発し合っていた二人が、紆余曲折を経て互いの大切さに気付いたところで、運命の悪戯によって引き離されてしまった。その二人がいよいよ再会できそうな場面で、〈つづく〉となってしまっているのだ。
 趣味で運営しているサイトなので、作者が多忙で更新できないことは仕方がないと分かっている。分かってはいるけれど、続きが気になって気になって悶えんばかりにのたうち回っている読者の一人としては、早く更新してほしくてたまらないのである。
「早く続き、読みたいなぁ……」
 ノートパソコンの前でため息混じりに呟いた時。
「心配ご無用ー!!」
 スパーンとベランダ側の窓が勢いよく開き、見事なまでにハモっている声が飛び込んできた。
「な、なに!?」
 予想するはずもないタイミング、状況での声に、丸まっていた背筋はぴんと伸び、心臓が一気に跳ね踊る。
 ベランダを見ると、いつの間にか狭いベランダに、カラフルな人々がそれぞれにポーズを決めて、いた。
「執筆戦隊、カケルンジャー!!」
 もう一度、ハモった声で奇妙な言葉を口走る人々。とっさに数えてみたら、五人いた。
「添削おまかせ、推敲ホワイト!」
「発想おまかせ、妄想ピンク!」
「全体おまかせ、構成グリーン!」
「期日おまかせ、締切レッド!」
「そして――文章おまかせ、執筆ブラック!」
 それぞれが自分の名乗った色ずくめの服を着て、セリフのあとに複雑な動きをしてポーズを決める。顔全体を覆うマスクもそれぞれの色で、顔は全く分からない。唯一、妄想ピンクと名乗った全身ピンク色の人物が女性であると、声から分かったくらいだ。
「五人合わせて、執筆戦隊カケルンジャー!!」
 自己紹介が終わった後、やはり複雑な動きでポーズを決めると同時に、五人でハモる。少しのズレもない。完璧にハモっていた。私はあまりの出来事に声さえ出なかった。
「悩み多き乙女よ、君の切なる願いは、我々がしかと受け止めた!」
「君のために、我ら執筆戦隊カケルンジャーは存在しているのだから!」
「君のために全力を捧げると、我々は固く誓う!」
「だから乙女よ、今夜は安心して眠るがいい!」
「それじゃあみんな、行くわよ!」
 ピンク色の唯一女性の掛け声で、かけるんじゃーと名乗った彼らは「とおっ!」という威勢のいい掛け声と共に、ベランダから飛び出していった。
「……ここ、四階なんだけど」
 なにが起きたのかまったく把握できないまま取り残された私の眠気はすっかり吹き飛び、それだけ呟くのが精一杯だった。

    ●

「疲れた……」
 源川加弥子は、足を引きずるようにして自宅のある賃貸マンションの廊下を歩いていた。
 肩にはノートパソコンの入った鞄をさげ、反対側の手にはレポート作成の資料に使う専門書を数冊抱えている。そのせいで、疲れた体がなおさら重い。
 今週はとにかくレポートの締め切りが迫っている。ほぼ徹夜でレポートを書いたばかりだというのに、今日も、大学図書館が閉館となる夜の九時まで学校で違うレポートを書いていた。同じ科目を履修している友人たちと頭を寄せ合い、資料の中から使えそうな記述を引っ張り出し、なんとか文章を繋げていく。一日の講義が終わると図書館に集まってノートパソコンを広げ、レポート三昧である。おかげで、バイトも休む羽目になってしまった。
「グレイト高田め、あんな厄介な課題を出さなくたっていいじゃん」
 加弥子は、分析化学の講義を担当している准教授の顔を思い浮かべた。学生に質問し、学生が見事正解したら「グレイトぉ!」と大げさに言うから『グレイト高田』と呼ばれている。そんな、ちょっと頭の寂しい准教授は、講義を受ける学生それぞれに、違う課題を与えたのである。似たようなものもあるが、それでも他人のレポートを丸写しすることは許されないような課題である。
 学生があらゆる手段でなんとか楽にレポートを書こうと思えば、先生たちは先生たちで、知恵を絞って学生たちに苦労してレポートを書かせようとする。そんな気がする。
 疲れのせいもあって、どこかやさぐれた考えを抱いてブツブツと文句を呟きながら、加弥子は自室の前にたどり着いた。ようやく帰ってきたと溜息をつきつつ、鞄から部屋の鍵を取り出して、鍵穴に差し込んだ。その時。
「執筆戦隊カケルンジャー、見・参!」
 廊下どころかマンション全体に響き渡りそうなハモった声が、突然背後であがった。
「な、ななに!?」
 驚きのあまり、鍵を開けるために小脇に挟んでいた本がばさばさと廊下に落ちる。鍵穴に鍵を差し込んだまま振り返ると、加弥子の部屋と隣室のちょうど中間くらいの位置に、色とりどりな人々が五人、なにやらポーズを決めて、いた。
 五人はカラフルで、なんとかレンジャーを彷彿とさせる衣装を身にまとい、衣装と同じ色の覆面もしている。一瞬コスプレをしている人たちかと思ったが、そんな人たちがマンションの廊下にいて、加弥子の方を向いてポーズを決めている理由が分からなかった。彼らが一体なんのためにここにいるのかさっぱり見当がつかない。
 加弥子は彼らに対してどういうリアクションを取ればいいのかさっぱり分からず、ドアに貼りつくようにして見ていたら、五人は決めポーズをやめて腕組みする。そして、リーダーが相場であるはずの赤いコスチュームの人ではなく、黒いコスチュームの人がビシッと加弥子に指を突き付けた。
「君が、『胸がキュンキュンする恋愛ファンタジーを目指している』オリジナル小説サイト『言の葉の木』を運営している『青月ほし』クンとお見受けする!」
 夜も十時を回った刻限に、よく通る声で、音がよく反響するマンションの廊下で、黒い服の男はあろうことかそう叫んだのだった。
「ぎゃー! ちょっ、ちょっと! 大声で言わないでっ!」
 加弥子は男に負けないくらいの大声を上げていた。
 そんな大声で、密かに運営しているサイトの名前とペンネームを叫ばないで! しかも、どうしてサイトの目指す方向まで声高に叫ぶ! こんなこと学校のみんなに知られたら、恥ずかしくて明日から外を歩けない!
「三ヶ月前から更新が停止している小説『世界の最果て、その淵を歩む』の続きを執筆させるべく、我々が――」
 加弥子の悲鳴など気にもせず、黒コスチュームの男はやはり大きな声でしゃべり続けようとしたのだからたまらない。加弥子は落ちた本を拾いもせずに男たちのところへダッシュすると、腕をつかんで言っていた。
「ちょっと、いいから! いいからとにかく、うちに入って。とりあえず、お願いだから!」
 加弥子は大慌てでドアを開けると、五人を自分の部屋へ押し込むように入れて、鍵をした。その直後、がくりと狭い玄関に膝をつく。
 オフの友人には誰一人知らせることもなく続けているサイトの名前を、どうしてこの人たちは知っていたのだろう。サイトには日記ブログもあるが、自分の正体がばれるようなネタは、極力避けている。友人間ではリアリストと評判の自分が、実は異世界ファンタジー小説が大好きで、その趣味が高じて自分で小説を書いてサイトで公開までしていると知られたら、恥ずかしくてたまらない。ひた隠しにしてサイトを続けること二年半、加弥子の読書傾向を知る八千代にさえばれることなく――。
 やってきたはずなのに、どうして彼らは知っているのよ。加弥子は疲れた頭を持ち上げて、狭い部屋の中に押し込んだ五人を見た。
 そもそも、彼らはいったい何者? サイト名とペンネームを叫ばれたから思わず部屋に入れてしまったけど、もしかしてそれは早まった行為だったかもしれない。変な格好をしているし、もしかしなくて変な人たちという可能性は極めて高い。
「さて、改めて」
 変態を招き入れてしまったかもと不安になりかけていた時、白い男が加弥子に向き直った。
「添削おまかせ、推敲ホワイト!」
「発想おまかせ、妄想ピンク!」
「全体おまかせ、構成グリーン!」
「期日おまかせ、締切レッド!」
「そして――文章おまかせ、執筆ブラック!」
 廊下で叫んだ時とたいして変わらない声量で、五人がそれぞれ自己紹介らしきことを叫び、一度見ただけではとても真似できそうにない複雑な動きをしてポーズを決める。
「五人合わせて、執筆戦隊カケルンジャー!!」
 全員の自己紹介が終わったところで、再びハモってポーズを決める。自分の部屋が、にわかに戦隊ヒーローショーの会場になったような気がした。いや、どういう因果なのか、なりつつある。
 書けるんじゃー……と、加弥子は口の中で呟く。疲れすぎて変な幻を見ているんだったら、その方がマシなんじゃー……じゃなくて、マシではないだろうか。いやしかし、こんな奇天烈な幻を見るのもいかがなものだろう。どちらがマシであるかは、果てしなく微妙な問題だった。
「説明しよう!」
 加弥子の反応がほとんどないせいなのか、あるいは元々そういう段取りなのか、五人の中の誰かが言った。ピンクの女性(声と胸の出っ張り具合から判断)と思しき人以外、なんだかもう、誰がしゃべっているのか分からない。体格は似たようなものだし、覆面をしていて口元も見えない。分かったところでなんの得になるわけでもない。加弥子は、誰がしゃべっていてもいいやと投げ遣りになっていた。
「執筆戦隊カケルンジャーとは、読書感想文やレポート、報告書に企画書に怪文書、果ては不幸の手紙まで、文章を書くのに行き詰まっている人々、その文章を心待ちにしている人々のために日夜活動している謎の戦隊である!」
 説明って、自分たちのことだったわけ。っていうか、自分たちで言っておきながら謎ってどうなの。怪文書とか不幸の手紙を心待ちにしている人なんて、いるわけないと思うんですけど。
 投げ遣りになりながらも、加弥子は律儀に説明を聞き、心の中でつっこみを入れる。
「我々カケルンジャーは、三ヶ月も更新が停止している『言の葉の木』の人気連載作品『世界の最果て、その淵を歩む』の続きを切望する乙女のため、作者である青月ほしどのに協力しようと見参した!」
「だから、大声出さないでってば!」
 投げ遣りに突っ込みをしていた加弥子であるが、いくら室内とはいえそんな大声を出されれば、隣の部屋に聞こえかねない。
 しかし、書けるんじゃーたちは加弥子の叫びなど気持ち良いくらいに無視して、加弥子の居室(七畳フローリング)で小芝居を始めていた。
「大変よ、みんな!」
 と、妄想ピンク――発想が担当だというのなら、何故発想ピンクにしないのだ――がその場で駆け足足踏みをする。ああ、そんなことしたら、下の部屋に響いてしまう。うるさいと苦情を言われるのは加弥子だと、彼らは分かっているのだろうか。
「どうしたんだい、ピンク!?」
「そんなに息を切らして。走ってここまで来たのかい?」
 どうやら、先程の妄想ピンクの駆け足足踏みは、どこかから走ってきたという設定らしい。戦隊と名乗っているからには、駆け付けた先は秘密基地ということか。
「君が慌てるなんて、よっぽどだね!」
 そんなセリフを言う奴の方がよっぽどよ、と加弥子はつっこむことを忘れない。
「そんなに落ち着いている場合じゃないわよ、みんな! もう! 大変なんだから!」
 一昔前のような芝居がかった口調で、妄想ピンクが大変さをアピールする。
 自分の部屋が、カラフルな五人組の小芝居の舞台になっているわたしの方が、ずっと大変なんだけど。加弥子は玄関にへたり込んだまま、靴を脱ぐ気力も湧いてこない。
「だから、何がいったいそんなに大変なんだい、ピンク」
「『言の葉の木』の『世界の最果て、その淵を歩む』が三ヶ月も更新されていないの!」
「ええ! なんだって!? 『言の葉の木』の『世界の最果て、その淵を歩む』が!?」
 残りの四人が、わざとらしいほどの口調で、妄想ピンクのセリフをなぞる。
「何度も大声で言うな!」
 いちばん言ってほしくないところをことさら強調するかのように大声で言われ、加弥子は床に散らばっている専門書を一冊取って、五人に向かって投げ付けた。厚さ三センチくらいの固い装幀の本が、執筆ブラックの背中にクリーンヒットする。
「あうっ」
 執筆ブラックが、ここだけは芝居がかっていない、本気のうめき声をあげて前につんのめる。
「きゃあ、ブラック!」
「大丈夫か、リーダー!」
「しっかりしろ、ブラック! 傷は浅いぞ!」
 妄想ピンクと推敲ホワイトと締切レッドが、素早く執筆ブラックに駆け寄った。アドリブへの対応が素早い。
 落ちた本を見て、構成グリーンは加弥子を指さした。
「青月ほしクン、なんてことをするんだ! 公共物は大切にしたまえ!」
 構成グリーンの指摘はもっともながら微妙にずれている気はするが、加弥子は今の一撃で完全に開き直っていた。
「うるっさいのよ、あんたたち! 廊下で大声で騒ぐわ、人んちに上がり込んで小芝居するわ、一体何者!?」
 靴も脱がないまま玄関で仁王立ちする。そんな加弥子を五人がどんな表情で見ていたのか、カラフルな布に隠されて分からない。しかし、五人は互いの顔を見合わせると、
「我々は、執筆戦隊カケルンジャー!!」
 先程も見せた複雑な動きでポーズを決める。加弥子が聞きたいのは、そういうことではない。
「だから、それが分かんないのよ!」
「我々が何者かは、さっき説明した通りさ!」
 地団駄を踏む加弥子に、誰か言ったか分からない爽やかな声が返ってくる。
「あんな説明で納得できるわけないじゃん!」
「だめだ、ブラック。彼女は執筆拒絶反応を起こしている!」
「なんということだ。か弱き乙女の願いを受けて、ようやく青月ほしクンを見つけ出したというのに!」
「いや、あきらめるなホワイト! 青月ほしクンの頑なな心を、我々の手で解きほぐしてやるんだ!」
「そうね! 案ずるより産むがやすしよ、みんな!」
 妄想ピンクに言われ、男どもが活気づく。本当になんなのだ、一体。
「そう言うわけで、青月ほしクン。君にはなんとしても『世界の最果て、その淵を歩む』、略して『セカブチ』の続きを、なんとしても執筆してもらう」
 ビシッと、執筆ブラックが加弥子を指さした。指さされるのはこれで何度目になるのだろう。
「ちょっと! なんなのよ、その中途半端すぎる省略の仕方は!」
 今まで一度も『セカブチ』なんて略し方で呼んだ人はいない。だいたい『最果て』が定番だ。しかし、今はそんなことはどうでもいい。一体なにがどういうわけで、『最果て』の続きを彼らに書かされなければならないのだ。
「だいたいね、わたしは講義やレポートで忙しくて、続きを書きたくても書けない状況なのよ。読んでくれてる人には悪いなと思ってるけど、単位を落とすわけにはいかないの!」
 レポート提出間近になっても『最果て』を読んで息抜きをしようとする、どこぞの友人とは違うのである。
 八千代の気持ちは嬉しくて、実は内心ニヤニヤしながら彼女が『最果て』が面白い、という話を聞いているのだが、それとこれとは別だった。
「そんなことは心配ご無用!」
「何故なら!」
「我々は!」
 わざわざこれだけのセリフを三人で分けて叫ぶ。もちろん、それぞれを誰が言っているのかは分からない。敢えて突き止めたいとも思わないし、とぼんやり考えていたら、再び全員で声をそろえた。
「執筆戦隊カケルンジャーなのだから!」
「いちいち叫ぶな!」
「青月ほしクン! 我々がいれば、君はもう大丈夫!」
 大丈夫と思える要素は、今のところ一つとして見当たらない。
「明日提出の分析化学のレポートも、明後日提出の放射化学のレポートも、来週提出の分子構造論のレポートも!」
「なんで知ってるのよ!?」
 加弥子が今抱えているレポートも提出期日もまさにその通りだ。
 そもそも、彼らはどうやって『青月ほし』が加弥子で、このマンションに住んでいることを突き止めたのだろうか。考えようによっては――いや、考えようもなく、こわい。
「それは、わたしたちがカケルンジャーだからよ!」
 不安と恐怖に陥りかけている加弥子の心境などまったく気にかけた様子もなく、妄想ピンクが、わざわざ答えになっていない答えを言ってくれた。
「さあ、青月ほしクン!」
「我々が君を手伝うから!」
「すぐにレポートを仕上げて!」
「そして、『セカブチ』の続きを執筆するんだ!」
 今度は一人一人、セリフを叫びながら、自己紹介の時と同じような複雑な動きをしてポーズを決めていく。
「それじゃあみんな、やるわよ!」
 妄想ピンクが締めの言葉を叫ぶと、もう何度目になるのか、再び全員で書けるんじゃーのポーズを決める。
 なんだかイヤな予感がする、と思っている間に、妄想ピンクががっちりと加弥子の腕をつかんでいた。
「目標は、明日の朝ね!」
 満面の笑みを浮かべているのであろうことが、覆面越しでも分かるような溌剌とした声。
 加弥子の同意など誰一人求めてくることもなく、こうして怒濤の一夜は幕を開けたのだった。

    ●

「ねえ、加弥子。分子構造論のレポート書くのに、加弥子が図書館から借りた資料を見せてほしいんだけど……って、なんかやつれてない?」
 翌日、講義が始まる前の教室でぐったりとした加弥子の隣にやって来た八千代が、心配そうな顔をする。
「ああ、ちょっとね……」
 加弥子は力無く八千代の方へ顔を向けた。猛烈に眠い。
「目の下にくまもできてるけど。徹夜でもしたの?」
「うん、まあ……」
「分析化学のレポート? 加弥子、昨日ほとんど書けてるって言ってなかったっけ?」
「うん、そうなんだけど……」
 半分以上閉じかけている目をますます細め、加弥子は登校直前まで彼女の部屋に居座っていたカラフルな怪しい五人組のことを思い出した。
 カケルンジャー(書けるんじゃーではなかったことが判明)たちは、彼らが言ったとおり分析化学と放射化学、まだ期日に余裕のある分子構造論のレポートを手伝ってくれた。そして、三つのレポートを書き終えたのが、午前四時。
 二日続けて徹夜は勘弁してくれ、と加弥子がギブアップを宣言しようとしたのだが、カケルンジャーたちの目的はレポートを書かせることではなく、『最果て』の続きを書かせることだった。彼らはここからがいよいよ本番だと、登場したときからまったく下がることのないテンションのまま、加弥子を激励した。
 文章が思い浮かばないと言えば、執筆ブラックが、こんな文章はどうだ! ならばこういう文章ではどうだ! と提案してくれる。うまいシーンが思い浮かばないと言えば、こんな展開はどうだ! と小芝居を始める。もう眠気が限界だと言えば、妄想ピンクが、特製ドリンクよ! とこの世のものとは思えないほどまずい飲み物を出してくれた。
 そんな調子で、たった数時間で更新三回分を書きためることができたのだ。
 仕上げとして三ヶ月ぶりにサイトの更新をしたときには、もう学校へ行かなければならない時間になっていた。カケルンジャーたちは加弥子と共に部屋を出て、あの目立つ衣装のまま「では、さらば!」と五人そろってどこかへ走り去っていったのだった。加弥子と共に徹夜をしたはずなのに彼らのテンションはついに一度も下がることはなく、驚くほど逃げ足は速かった。
「今にも寝そうだけど、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない……」
 登校はしたものの、講義内容なんてろくに頭に入ってこないだろう。
 自分の小説を心待ちにしてくれている人がいるのは嬉しい。趣味の物書きとはいえ、とても嬉しい。だが、しかし。
 『最果て』の続きを切望するか弱き乙女とは、いったいどこの誰なのだ。しかもどうやって、カケルンジャーに続きが読みたいなんてお願いをしたのだ。というか、切望してくれるのは嬉しいのだが、いかにも怪しげなカケルンジャーたちにそんな願いを託さなくても。
 レポートから解放されたものの、頭の中がほぼ眠気に占領されている加弥子には、その事実を喜ぶ余裕などなかった。

    ●

「あ……更新されてる!」
 一日の講義を終えて帰宅した私は、昨日と変化はないだろうと消極的予想をしつつ、『言の葉の木』をのぞきに行ってみた。すると、『最果て』が更新されていたのである。
 私の心は自分の小説の感想をもらったときと同等に、鉛直上向きに急上昇した。
 三ヶ月ぶりとなる『最果て』は、まるで少しお高い化粧水のように、私の乾いてすさんで荒れていた心を優しく潤してくれた。
 大満足である。しかし早くもまた、続きが気になる→だがサイトの更新は当分ない→なおさら気になる、という循環に陥ることは明白であった。
 久々の更新が出来たということは、作者に多少時間的余裕が発生したのではないかと考えられる。その推測が正しいならば、私は身悶え必定の循環から脱出できる。
 作者の現状の手掛かりを求め、私はブログを見た。

『ものすごくカラフルな人たちの協力で、久しぶりに更新できました。』

 ブログには短くその一言だけであり、更新日時は今朝のようだった。
 カラフルな人、と言われて私はすぐさま、昨日突然現れて劇的な去り方をした『かけるんじゃー』と名乗った人々のことを思い出した。
「……いや、まさかねぇ」
 彼らが私の部屋のベランダに出現した方法からして謎めいていた。どこかから伝ってやって来たのだろうが、怪しさ成分の含有率は百パーセントである。あまつさえ、四階から平気で飛び降りるという驚愕すべき離脱法を選択した彼らを、変態と認識しても問題はないだろう。
 しかし、その怪しさと変態性ゆえに、彼らなら青月ほしを捜し出して『最果て』の続きを書かせることもできるのかもしれない、と推定しそうになる。だが、まさかそんなことがあるわけはないだろう。
 考えても答えに到達する見込みがないのは明らかなので、私は追究することを中断し、レポートに取り掛かることにした。
 待ち望んでいた『最果て』の続きを読了したことで、私の心は爽快かつ潤沢状態となっている。レポート作成が順調に進行する可能性は極めて高かった。

〈了〉