締切直前における特定の覆面作家企画4参加希望者の漸近線的記録あるいはマグネシウム燃焼時的アイデア

 これは覆面作家企画4の締切直前における一人のWEB作家の行動を綴ったものである。
 虚構か事実か虚構のように仕立てた事実か虚構と見まごう事実に限りなく基づいた虚構か事実から遠い虚構と事実をあからさまな虚構に見せかけた事実だとおもわせぶりにしている虚構かの判断は探偵諸君に委ねる。


 ここに悩めるWEB作家が一人いる。私だ。
 コタツ机にかじりつき覆面作家企画4の企画日程・提出方法等のページをプリントアウトした紙と終点の見えないにらみ合いを続けているが、残念なことに私の鋭角的眼光が紙を貫通する見込みはなさそうである。
「現代文明論Ⅱと化学実験Ⅰのレポート提出が21日で、化学Ⅱに有機化学Ⅰに統計学、ついでにドイツ語の期末試験も21日にあるなんて、鬼も裸足で逃げ出したくなるスケジュールよね」
 対面に座す花子は指先でシャーペンを回転させている。まるで他人事というその口調。わずか75cm巾のコタツ机を挟んだ至近距離において悩ましげな私の姿が目に入らないはずはないのに、なんということだろう。花子の心の絶対温度は273K以下に相違ない。
 私の視線はコピー用紙から花子に遷移する。目が合った。すると花子は回転させていたシャーペンをぎゅっと握り、その先端を私に向ける。
「世間のちびっ子は実質昨日から夏休みだけど、あたしたち大学生の夏休みはまだ先なんだよ」
「夏休み前の三連休といっても中日の19日は覆面作家企画4の締切なんだから連休どころじゃないのよ、私は」
 締切を20日にしてくれなかった企画者が恨めしい。20日であればあと一日余裕ができた。あと一日あれば、血は突沸し肉の振動数及び振幅が増大するような傑作が書けたかもしれないのだ。
「だから、連休どころじゃないのは確かだけど趣味を優先させるている場合でもないのよ。もう19日になっていて21日は明後日なの。それまでにレポートは二つ書いて、試験勉強なんか4科目分もあるのよ?」
 暑さ対策は扇風機に頼るのみの室内温度がやや高い値で安定しているためでもあるだろうが、クーラー代節約と室内及び精神的温度保持には望ましくない表情を浮かべ、花子は携帯で時刻を確認する。
「化学実験のレポートなんて実験結果から計算してグラフを作って考察を書けばお終いよ。実験方法や原理は教科書を見て書けばいいし、計算もグラフもExcelを使えばすぐだし。現代文明論も参考書を見ながら適当に書くし」
 周囲に堆積した専門書の山をバシッと叩く。おまえの手助けをしてやろうというのに叩くとは何事かと、本の堆積山が雪崩現象を起こした。
「現代文明論は手書きじゃないといけないけどね。それに試験はどうするの。暗記科目ばかりよ」
「でも覆面作家企画4をまずは終わらせないと、私はレポートにも試験勉強にも集中できないのよ」
 賽の河原で石を積むがごとく、崩れた本を積み直す私。一つ積んではネタのため、二つ積んでは締切のため、三つ積んでは企画のため、四五を飛ばして六つ積んではレポートのため。専門書の山が復活を果たす。
「募集期間は6月20日からだったんでしょう。どうしてもっと早く書いて提出しなかったの」
「そうかもしれないけど私にも事情があったの。学校があったんだし、【あす夜】の更新もしないといけなかったし、バイトもあったし、教習所にも通っていて色々と忙しかったの。締切までまだ時間があると思っていたらいつの間にか今日になっていたのよ!」
 私のこの態度を開き直りと言ってはならない。頭の中はネタで飽和を通り越した過飽和状態に達していて、文章を書こうにも過飽和状態なのでまとまらないのである。ちなみに、【あす夜】は正式名称【あしたの夜が明けるまで】という私のサイトで連載中のラヴな長編ファンタジー小説のことである。是非ご一読を。
「学校はともかくそれ以外はものすごく私的な理由ばかりじゃない」
「花子も【あす夜】のつづきが気になるって言ってたじゃない」
 なにを隠そう先刻より辛辣な発言が相対的に多い友人・花子も読者の一人である。【あす夜】は生きているだけで世界を破滅に導いてしまう孤独な少女とその少女を殺すことを運命づけられた青年のラヴな物語だ。少女を殺すため素性を隠して彼女に近づいた青年はやがて少女の信頼を得るに至るが、青年は少女への恋情に気づきつつある一方で少女は青年の正体を疑わざるを得ない事態に遭遇しているという塩梅に、物語は一つの山場を迎えている。敵対関係の二人が擦れ違い惹かれ合い擦れ違ってまた惹かれ合うベタにして胸キュンな【あす夜】の更新を急かすのだから、273K以下の辛辣花子の心にも乙女的成分が9%は含有されていると推定される。
「つづきが気になるって言ってたのはあたしだけじゃなかったはずよ」
 当時の自分の所業を思い出したのか花子が誤魔化すようにシャーペンの回転運動を再開する。たかだか9%(推定値)の乙女心に誤魔化されてなるものか。
「WEB作家はたった一人の読者の言葉にも励まされるのよ。自分の言葉の重みを知れ!」
 たった一度のweb拍手でさえ解析画面を見ると浅頭筋は弛緩し「面白かったです」の一言まであった日には、ヘリウムガスを充填した風船よりも速やかに心は鉛直上向きにまっしぐらである。
「分かった分かった。分かったから、ちょっと落ち着いてよ。隣に聞こえるじゃない」
 ここは学生向けアパートの一室で、近隣は皆学生だ。上階の部屋で酒盛りがあったらしい先週末、真夜中まで騒々しいこと甚だしく私は精神的苦痛を強いられた。風よ入れと窓を全開している今、世界よ飛び込んでこいとばかりに隣人も窓を全開にしていたら、私の声が風と共に去るどころか隣人宅を電撃訪問する危険性は高い。
「ふふん。分かればいいのよ、分かれば」
「なんでそんな偉そうなの。ああ、もう。ずっとレポート書いていても集中力が切れそう、というか既にあんたの相手してたら切れちゃってるし、ちょっと休憩」
 花子はシャーペンを斜方投射し体は水平方向に傾斜させる。
「フローリング気持ちいい~」
 床と花子が家主の目の前で密着する。これは由々しき事態であった。草木も眠る丑三つ時まであと一時間ほどあるが、レポートと試験勉強に追われる大学生が眠気を催すには十分な刻限である。なけなしの集中力が大気拡散し且つ全身を水平な状態に維持して床との親和性を高めたりしては、花子の意識は睡魔に攫われてしまう。スクランブル、友人・花子を救出せよ。私は使命感に駆り立てられた。
「花子、休憩するならちょっとネタをしぼるの手伝ってよ」
「ネタってなに? 現代文明論の?」
「覆面作家企画の。いくつかあるんだけどちょっとしぼれなくて。アドバイスがほしいの」
 机上で臨戦態勢のままいっこうに空白の埋まらないレポート用紙に退場を願い、ネタ帳にしているノートを代わって展開する。
「最初のヤツでいいんじゃない?」
 ネタの一つも聞かないうちからアドバイスをくれた花子は、180度寝返りを打って私に背面を向けていた。睡魔から救わんとした私に対してなんという適当極まりない一言。標準液を調製するのにメスフラスコではなくビーカーを用いるくらいの適当さだ。しかし純水に塩化ナトリウムを添加すれば溶解するように、話しかければ答えるのが花子である。
「とりあえず推理ものはどうかと思ったの。タイトルは【銀縁眼鏡探偵・春桜院道真の八千字事件帖】で、探偵の春桜院が古い洋館に招かれてそこで事件が起きて、洋館で働くメイドを助手に推理をする話なんだけど、どう?」
「どうって、覆面作家企画は小説だけから作者を推理するんでしょう。銀縁眼鏡なんてあんたの趣味丸出しじゃない。それ以前に推理ものなんて書けるの?」
 目論見通り花子が再度180度の寝返りを打って私の方を向く。
「春桜院は銀縁眼鏡のクールな探偵で助手のメイドももちろん眼鏡、黒いおさげに白いレースのエプロンをつけて『お越しやす、春桜院さま』なんて言うってとこまで考えたのに肝心のトリックがまったく思い浮かばないのよ」
 時代が大正末期から昭和初期であれば私の嗜好にベストマッチング。こんな話に一度お目にかかりたいと思っているのだが自分で書こうにも現状では力量不足である。探偵諸君には心当たりの作品をご紹介願いたい。
「ますますダメじゃない」
「そうだね。じゃあこういうのはどう? 可愛い許嫁を故郷に残して勉学のために上京した書生がいて、その書生は下宿先の主人の妻と不倫関係になっちゃうわけ。主人にばれれば下宿先を追い出されるかもしれないという不安と故郷に残してきた許嫁への罪悪感の間で揺れる書生だけど、人妻の妖艶さの虜になっちゃってて、人妻の方も不倫というスリルと書生の罪悪感を煽ることが面白くてやめられないからお互いに別れたくても別れられないのね。で、どうすればいいかって思い悩む書生が川沿いを歩いているとき一人の老人と出会う。その老人が『若い方、人生とは長い道のようなものでまっすぐではないことの方が多く、人は寄り道をしやすい』と諭す話」
「とりあえずあたしが許嫁だったら書生は殴り倒すとして、二股の上に不倫の話はOKなの?」
 この題材ならばエセ文学風になり常の作風と大きく異なるだろうと踏んでいたが、二股で不倫という世間的にあまり褒められたことではないこれらの事項が、夏休みを謳歌するまだ健全なお子様たちの目に触れるのはよろしくないとも言える。
「それなら、柔道か剣道か弓道に打ち込む高校生の青春の一幕みたいな話はどうかな。高校の入学式の日に遅刻しそうになってた主人公の女子高生・清羅〈せいら〉が、曲がり角のところで飛び出してきた男子高校生とぶつかって転んじゃうんだけど男は謝罪もおざなりに走り去って、清羅は転んだせいで結局遅刻をするという最悪な高校生活のスタートを切る。しかも教室へ行ってみればちらりとしか顔を見ていなかったけど清羅にぶつかった生徒を見つけてしまうのね。優斗〈ゆうと〉っていう名前なんだけど、優斗のせいで遅刻したのだと清羅は言うわけ。でも優斗はどうせ寝坊したから遅刻しそうだったんだろうと言い返しちゃって、お互いの第一印象は最悪だったのに部活まで同じだったものだから、清羅はせっかくの希望に満ちた高校生活が灰色になってしまうと嘆いて」
「柔道か剣道か弓道かってかなりいい加減なところも気になるけど、ストーリー自体ベタじゃない?」
 最後まで言い終わらないうちに花子が口を挟む。
「名前に〈優〉が入ってるのにあいつ全然優しくない! って清羅が言うプチエピソードもあるんだけど」
「ますますベタじゃないの。ベタよ、ベタベタ。ベッタベタのベったら漬けだわ」
 青い春ならばこの程度の設定は標準状態だと考えていたが、ベったら漬けとまったく無関係なことを言い出すくらい花子の飽和ベタ度を超えていたらしい。
「ねえ、無理にいつもと違うジャンルの話を書こうとしなくてもいいんじゃないの?」
 私が普段書くのは異世界を舞台にした小説ばかりで現代物は皆無に等しい。それでもあえて常とは異なる分野に偏向していたのには正当でいじらしい理由がある。
「よくない。だって“覆面”作家企画だよ。しかも今度でもう4回目。うまいこと覆面かぶって老獪な探偵たちの目をくらませて誰からも当てられない《完全犯罪》を成し遂げたいの、私は!」
「でも慣れないジャンルで舞台設定ばかり気にして文章の癖とかまで気が回らなかったら意味がないでしょう。それよりは慣れてるジャンルでいつもと違うセリフまわしとかする方が少しは分かりづらくなるんじゃない?」
 花子の言うことはいちいちもっともだ。それならばこれはどうだ。私はノートをめくった。
「ちゃんとファンタジー系のネタも考えてあるよ。剣道とかみたいな感じで魔法道っていう魔法の技や作法を磨くスポーツのようなものがある世界の話。その世界の魔法学校の部活に魔法道部っていうのがあって、出会ったときは天敵だとお互い思ってた男女が部活に打ち込むうちにラヴが芽生え」
「ストーップ! 舞台が異世界になってるだけでさっきの学園青春ものと大差ない」
 やはり最後まで言い終わらないうちに花子が口を挟む。
「今度は実家も天敵同士なの。ロミオとジュリエットみたいに」
「どちらにしてもやっぱりベタそうだから、中身」
 花子は四捨五入するよりもバッサリと私のネタを切り捨てた。
「それより『ラブが芽生えて』ってなによ」
「違うよ。ラブじゃなくてラヴだよ、ラヴ」
 ここは譲れないところなので、私は最後の『ラヴ』を特に強調する。
「どちらでも一緒じゃない。ラブもラヴも」
「違うって。“恋愛”を旧字体の“戀愛”って書くと印象が変わるのと同じで、“ラブ”と“ラヴ”も違うんだってば。グレイト高田も言ってたし、私のサイトにもちゃんと“ラヴ”なファンタジーって書いてあるわよ」
 グレイト高田はなにかにつけて「グレイトォ!」と叫ぶ化学の准教授だ。教え子同士の結婚をグレイト高田は「学生間で頻発するラヴ化学反応によって生じる化合物のひとつだ」とも言っていた。
「グレイト高田はどうでもいいよ。それよりどうして“な”が入るの? 普通にラヴファンタジーでいいじゃない」
「ラヴなファンタジーって書く方が糖度が高そうだからよ」
 見積もりでは45%高いはずだ。花子の乙女心含有率9%(推定値)を遙かに凌駕するこの数値。“な”を入れないわけにはいかない。
「あたしは大差ないと思うけど」
「花子、今はラヴ議論をしている暇はないの。それよりこんな話ならどう? 【魔女の道】っていうタイトルで、魔女を目指す少女が辛い修行の仕上げとして魔女の道という場所を一人で歩かないといけないの。山と山の間にある道で」
「山と山の間なら、道というより橋でしょう?」
「魔法のかかったあくまで“道”なんですっ。いいから最後まで聞いてよ。そこを歩いていると様々な試練が降り掛かるのよ。でも道の両端は切り立った崖になっていて、そこから落ちてしまえば《悪い魔女》になってしまうから少女は《良い魔女》になるために一生懸命試練を乗り越えていく。ようやくゴール地点が見えてきて少女はこれでようやく終わりだと気を緩めた時、最後の試練があって少女は道を踏み外して落ちちゃう、と」
「それじゃ読後感が悪くない?」
「だから最後まで聞いてってば。まだ続きがあって、魔女の道から落ちて《悪い魔女》になってしまった少女は自分の心とは裏腹に悪行をするようになるのよ。その後はいつでも深い後悔に襲われてなんとか《良い魔女》になりたいと願うものの《悪い魔女》に対する世間の目は冷たくて、《悪い魔女》となった少女はそんな世間に対して復讐をしてしまう。やがてこの悪循環に疲れ果てた少女は魔女の道を目指すのね。自分だけがこんな辛い思いをするのが我慢できず、道を通る者がいれば突き落としてしまおうと思って。で、道にやってきた少女はちょうど試練に耐えている別の少女を発見。ちょうどいいと思った時、試練の最中の少女は強い風にあおられて道から落ちてしまう。《悪い魔女》の少女はとっさに落ちる少女を空中でキャッチして助けてあげる。落ちそうになった少女は自分を助けたのが《悪い魔女》と知って目を丸くするけど、《悪い魔女》は自分でもどうして助けたのか分からず「おまえを落とすのはあたしのはずだったんだ」と言う始末なわけ。助けられた少女はきちんとお礼を言うのね。この時は二人とも知らなかったけど《悪い魔女》が魔女の道で人助けをすれば《良い魔女》になることができるのよ。あ、この話いけそう」
 ファンタジーだがラヴはない。花子に説明しながら、覆面を被るにはもってこいのネタという気がビンビンしてきた。
「そうかな? 全体的に地味な感じがするし、ラストにもっとひねりがあった方がいいと思うけど」
 しかし花子の評価は私ほど高くない。それどころか鼻の頭にしわを寄せひどく真剣な顔をする。
「それより、そろそろレポートを書かないとマジでやばいわよ」
 携帯を見ると時刻は19日の午前三時過ぎ。レポートの提出期限は21日の午前九時で試験開始はその30分後だ。現代文明論Ⅱは三行程度、化学実験Ⅰのレポートは目的すら書いていない。レポートが書けていないのに試験勉強をしているわけがない。
「やばいよ、花子」
「いまごろになってようやく気づいたの?」
 花子の言うことはどうしてこう、いちいちもっともなのだろう。しかし乙女心含有率9%(推定値)の友の言葉に感心している暇はなく、富士山よりも標高がぐっと高く険しい“逼迫した現状”という山を乗り越えなければ私に明日はない。だがヒトというのはえてして追い詰められた時にこそ真の力を発揮するものと相場が決まっている。
「今の会話をそのまま小説にしちゃえばいいんだ!」
 この発想はマグネシウムを燃焼させた時よりも輝いていた。眩しくて直視もできないほどのアイデアだ。
「この期に及んでまだ覆面作家企画のことを考えていたの?」
「だってストーリーは考えなくていいし設定だって何もいらないしなによりいつもの路線と全然違う! やったよ、花子!」
「はいはい、もう好きにしたら?」
 花子は完全に呆れた目をしている。否、時刻も時刻であるし再び床との親和性を高めたいのかもしれない。
 私は友人××の仮名を花子と決めると可及的速やかに執筆に取りかかり、締切までにこの原稿を仕上げることができた。


 ちなみにレポート及び試験勉強はこれからだ。荒れ狂う大波に匹敵する試練を私が無事に乗り越えたかどうかは蛇足と思われようとも正解発表後に明かす所存である。

〈了〉
覆面作家企画4の意気込みとあとがき