魔女の婿取り エピローグ
 空は青く澄み渡っていて、今日も暑くなると予感させる。でも今はまだ朝になったばかりだから、夜の涼しさが少しだけ残っている。
 オディオンの企みが発覚してから四日経っていた。
 意識を失ったダレオナはイルレッガに抱えられて館へ帰った。シュルツの右腕は折れていたものの、それ以外にひどい怪我はなかった。あんな騒動があったというのに、イルレッガはダレオナが集めたコムニスの葉も持ち帰っていた。おかげでヒーダーはすでに回復している。
 オディオンは――オディオンの姿を借りていた魔術師の本当の名はケノトゥスといい、昨日、裁判官の手に引き渡された。意識を失う直前に倒れていた姿を見た時は、死んでいると思ったけれど、イルレッガにみぞおちを殴られて昏倒しただけだったそうだ。
 ダレオナは疲れていただけなので、一晩寝て回復していた。縛り上げて猿ぐつわをはめられたケノトゥスに、どれほど効果があるか自信はなかったものの魔術封じを施したら、少年の姿からヒーダーと同年代の男に変わっていき、傍らで見張っていたイルレッガとシュルツは目を丸くしていた。
 魔術の研究のためとはいえパトロンの機嫌取りをすることに嫌気が差していたケノトゥスは、ダレオナの婿になれば潤沢な資金が手に入り誰の機嫌取りをすることもなく研究できると考えたらしい。しかし、このままの姿では若い娘の婿になるのは難しいと思い、オディオンの姿に化けたそうだ。晴れて婿になり、研究の邪魔になるようであればヒーダーもダレオナも亡き者にするつもりだった、と悪びれもせずに言った魔術師は、イルレッガにまたみぞおちを殴られてそれきり口を閉ざしたのだった。
 ダレオナは小さくため息をついて、辺りを見回した。菜園はいつもと変わらない。この前植え替えた苗はどれも順調に生長していて、ついている実の数も増えている。
「おはよう」
 イルレッガが菜園の入り口に立っていた。
「おはようございます」
「今日も早いな。もっとゆっくり休んだ方がいいんじゃないのか」
 気遣わしげに言うイルレッガに、ダレオナは苦笑して見せる。
 森から帰ってきた翌日は昼くらいまで眠っていたけれど、その後は毎日イルレッガより早く起きてここに来ていた。あんな騒ぎがあったせいなのか気が昂ぶっていて、眠りが浅いのだ。
「……今日、発つんですよね」
「ああ。朝食を食べたら、その後に」
 唯一の婿候補となったシュルツが辞退を申し出たのは一昨日。自分はダレオナにはふさわしくない、というのがその理由だった。
 それが建前なのは分かったものの、ヒーダーもダレオナもその申し出を受け入れた。
 ダレオナの悪評を気にしていないと言っていたシュルツだけど、魔物を潰すところを目の当たりにして考えを改めたらしい。シュルツの部屋へ見舞いに行ったら、あからさまではないにせよ目には脅えの色が浮かんでいた。
 一抹の寂しさは感じた。でも、仕方がないとすぐに思った。こんなこと、今回が初めてではないのだから。変わらず話しかけてくれるイルレッガの方が、よっぽど珍しい。
 だからこそ、ダレオナは夜が明けたらすぐに寝台を抜け出してここへ来ていたのだ。
「わたし……」
 ダレオナの力を目の当たりにしても恐れずにいる人はほとんどいない。ヒーダー以外にもそういう人がいたら、と本当は願っていた。
「わたし――あなたが婿候補であれば良かったと、思っているんです」
 全身が熱いのは、日差しを浴びているせいではない。言おうかどうしようか散々迷ってきたけれど、言わなければイルレッガはシュルツとともに去ってしまう。その後で言っておけば良かったと後悔したくなかった。
「……ありがたい言葉だが、俺はダレオナにはふさわしくない」
「シュルツと同じことを言うんですか」
「俺は建前で言ってるわけじゃない。荘園の主なんて俺の柄じゃないし、ダレオナにはもっと似合う男がいるよ」
「でも、誰もわたしを怖がって近寄らない」
 振られるのは分かっていた。イルレッガはずっと年上だし、ダレオナの婿の座にまったく興味がないのは会ったその日に分かっていたのだから。分かっていても目頭が熱くなる。
「いつか、そうじゃない男が現れるよ」
 慰めるようにイルレッガが笑う。
 慰めてほしかったわけではない。ツタで縛り上げられた時よりも、今の方がずっと強く胸が締め付けられていた。ダレオナを恐れないという人は、イルレッガではないのだろうか。そうであってほしかった。
「俺みたいな荒くれ者より、もっといい男がな」
 イルレッガはそう言うとダレオナの手を取って、甲に軽く触れるだけではあったけれど、口付けをした。
「幸せを祈ってる。元気で」
 それが、別れの言葉だった。


 昼前に準備を整えて館を去るイルレッガとシュルツを、ヒーダーとともに見送った。
 二人の姿はすぐに見えなくなった。きっともう二度と会うことはない。
「……ダレオナ、気を落とすんじゃない」
「大丈夫よ、父様」
 気を落としているのは、ヒーダーも同じだろう。なりふり構わず婿を募ったせいでこんなことになってしまったと、自分を責めているかもしれない。
「いつかきっと、わたしに似合う人は現れるから――」
 イルレッガの唇が触れたところに、ダレオナはそっと自分の唇を寄せた。イルレッガの言った通り、彼のような人とまた出会えると信じて。