20. 大団円
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 木の扉の向こうで、数人が会話しているのは分かった。扉は木製だが分厚い。会話の内容はすべてははっきりと分からないが、声には聞き覚えがあった。バークンデーゲンと、レインシナートをこの屋敷へつれてきた馬車に同乗したあの男だ。
 それ以外の男の声に聞き覚えはないが、どうもレインシナートを助けに来た人物らしい。自警団が動いたのかとも思ったが、それはあり得ないとすぐにその可能性は自分で捨てる。しかしそうなると、いったい誰が助けに来たのかさっぱり見当がつかなかった。
 扉にぴったりと耳を付けて外の様子をうかがおうとしていたら、鍵を開ける音がしたので扉から顔を放し、一歩下がった。
 扉が開いたその向こう側には、三人の男が立っていた。二人は知らない。だが一人は、よく見知った顔だった。
「……オズワルズ」
 思いもよらぬ人物を見つけ、レインシナートは呆けたように呟いた。
「レイン。無事か!?」
 オズワルズは誰よりも早く、横の二人を押しのけて部屋の中へ入ってきた。魔物退治に行く時に、オズワルズはいつも心配そうな表情で見送る。今の彼の顔は、見たこともないくらい、そして必死な形相だった。
「オズワルズ」
 駆け寄ってくるオズワルズに、レインシナートは抱きついていた。そんなことをしてしまう自分が信じられなかったが、それだけ精神的に弱っていたのだと思い知る。
「レイン……」
 戸惑うようなオズワルズの声。それから、ためらいがちにオズワルズの腕がレインシナートの背中にまわされた。
「……セド。俺はとっても面白くない」
 見知らぬ男の、ものすごく不満そうな声に我に返ったレインシナートは、慌ててオズワルズから身体を離した。
「何が面白くないんだ。無事、レインシナートを助け出せたってのに」
 呆れるような、やはり知らない男の声。扉の向こうに立つ、二人の男のものだった。思わずオズワルズに抱きついてしまったのだが、それをあの二人にも見られていたのだということに気が付き、レインシナートの顔の温度は一気に上昇する。
「無事じゃないだろ。俺は、手に穴が開いたんだぞ」
「そのわりに元気だな……おまえ血の気が多いんだし、もう少し抜いた方が良かったんじゃないのか?」
「俺が貧血で倒れたらどうするんだ」
「そんなことが起きたら笑ってやるよ」
「オズワルズ……あの人たち、誰なの?」
 レインシナートたちのことなどそっちのけにそんな会話を繰り広げる二人から、オズワルズに視線を移した。
「傭兵だよ。サリミナに頼まれて、レインを助けに来たんだ」
「サリミナに……そうだ、オズワルズ。サリミナは? あの子は無事なの?」
 大事なことをうっかり忘れていた自分に腹が立つ。レインシナートを縛り付けるため、バークンデーゲンは部下にサリミナを見張らせていたのだ。自分が助かっても、妹が無事ではなかったら……
「大丈夫だ、レイン。無事だよ。イルクセンの店で、君の帰りを待ってる」
「よかった……」
 レインシナートは胸をなで下ろした。
「ふん。いいものか」
 聞き覚えのあるその声に、レインシナートの気分はぶち壊しにされた。
「バークンデーゲン。なんで、あんたがここにいるのよ」
 よくよく見れば、傭兵二人の足下にバークンデーゲンがいた。あぐらをかき、憮然とした表情で、目の前の床に視線を落としている。その姿は、レインシナートを脅した時と違ってかなり情けなかった。
「この期に及んで口答えするのかよ。往生際の悪い男だな」
「黙れ。貴様らさえいなければ、大儲けできたものを」
「全部自分のせいだろうが」
 と、傭兵の男が、剣の鞘でバークンデーゲンの頭を小突く。本人は軽く、のつもりだったかも知れないが、バークンデーゲンの頭からはレインシナートの耳に届くくらいの音が聞こえた。
「ま、とにかく無事助け出せたことだし、とっとと帰ろう」
 バークンデーゲンを小突いた傭兵の横の男は、隣人の行動を咎めるどころか気にもとめた様子もなく、軽く肩をすくめ一同を見回した。

  *  *  *  *  *

「お姉ちゃん!」
 見慣れた小さい道具屋に入ると、レインシナートの姿を見たサリミナが、弾かれるようにイスから立ち上がり、駆け寄ってきた。
「サリミナ」
 駆けてきた勢いのままレインシナートの腕に飛び込んできた妹を、その存在を確かめるかのようにしっかりと抱き締める。
「お姉ちゃんの馬鹿!」
 ところが、サリミナは思いもかけない怒鳴り声と共に、腕の中からレインシナートを睨んでいた。どちらかといえば大人しい性格のサリミナが怒鳴り、その上睨んでくるなんて、子供の頃レインシナートに怒られてふて腐れた時以来である。
「サリミナ?」
 てっきり泣き出すのではないかと思っていたレインシナートは、自分の思惑が思いも寄らぬ方向に外れてしまい、呆気にとられてサリミナを見下ろす。
「どうして……どうしてわたしを頼りにしてくれないの。あの時、捕まったけど、手をふりほどくくらいは、できた。やろうとしてたよ。気が付かなかったの。それなのに、お姉ちゃん、さっさと話を進めちゃうんだもん」
 サリミナは精一杯に怒って見せようとしていたが、途中から吊り上がっていたはずの眉根は下がっていった。最後の方はすっかり尻すぼみになっており、見るとうっすら目に涙を浮かべている。
「サリミナ……ごめんね」
 男たちに囲まれた時、レインシナートは自分が観念するしかないと思い、サリミナ自身が状況を打開しようと考えていたことすら思い付かなかった。サリミナにそんなことが出来るはずないと思ったわけではない。サリミナに何かあった時は自分が何とかしなければならないと、レインシナートはごく自然に考えただけなのだ。
 けれど、常にレインシナートが先回りして守らなければならないほど、サリミナも幼くはないのだ。
「無事だったから、もういい。良かった……」
 レインシナートをまっすぐに見上げていたサリミナは、目線を落としてレインシナートの胸に顔を埋めた。かすかに震える妹を、レインシナートは愛おしむように改めて抱き締めた。
「レインちゃん。無事で本当に良かった」
 サリミナに遠慮して店の奥にいたイルクセンがそばにやって来て、顔を綻ばせる。
「イルクセンのじいさんにも、心配をかけたわね」
「なに。無事で帰ってきたのなら、それで十分じゃよ」
 イルクセンは顔のしわをいっそう深くした顔で微笑んだ。
「泣ける場面だなぁ、おい。セド」
 レインシナートに続いて店に入ってきたのは、レインシナートを助けてくれた二人の傭兵だった。ライとセドである。最後に、オズワルズが入ってきた。
 どうしてオズワルズたち三人が助けに来たのか、帰る道すがらそのいきさつを聞いた。レインシナートたちがイルクセンからの依頼を受けていなかったら、今こうしてここにいる事はできなかっただろう。
 バークンデーゲンを鞘で小突いていた傭兵、ライが目を潤ませている。どうやら、レインシナートたちが再会できた事を、赤の他人であるのに嬉しく思ってくれているらしい。傭兵はもっと殺伐とした人ばかりだと思っていたから、意外だった。
「どうしておまえが泣いているんだ、ライ」
 そんな彼を訝しげに見ているのは、もう一人の傭兵、セドだった。彼ら二人の後ろにいるオズワルズも、怪訝そうな視線をライに向けている。
「引き裂かれていた姉妹が、こうして無事再会を果たす事ができたんだぞ。泣けるじゃないか。しかも、俺たちの手でそれを果たしてやる事ができたかと思うと……バークンデーゲンを殴れなくても、悔いなしだ」
「殴らなくとも、危害を加えてないわけじゃないだろう」
 片方しかない目で呆れた視線をライに送るセドの反応の方が、まあ普通ではないかと思う。
「ライさん、セドさん、それにオズワルズさん。姉を助けてくれて、本当にありがとうございます」
 ひとしきり喜びにむせび泣いたサリミナは、照れ隠しするように涙を拭いてレインシナートから身体を離すと、入り口近くにかたまって立っている三人の男に頭を下げた。
「まあ、縁があっての事だ。礼を言われるような事じゃない」
 セドがそう言うが、謙遜しているようには見えなかった。本心なのだろう。セドの言葉にライもしきりにうなずいている。
「意外に謙虚なんだな」
 オズワルズが言葉通り、意外そうな顔で二人を見ている。レインシナートも、二人の傭兵の謙虚さが意外だった。誘拐犯とはいえ、人の家に乗り込んで好き勝手に暴れた人間が、お礼の言葉さえ辞するような謙虚さを持っているとは、失礼ではあるが思っても見なかった。
「仕事の一環だからな」
 セドは素っ気なく答えるが、それが照れ隠しなのかどうかは分からない。セドの隻眼は、彼の表情を見えにくくしていた。
「俺は純粋に助けたいと思ったからだな」
 ライが鼻息荒くそう言ったが、彼の場合は冗談めいて見えて、やはり照れ隠しなのかも知れなかった。
「動機は不純だけどな」
 横目でライをちらりと見たセドが、呟くように言ったその言葉がどういう意味なのか気になったが、レインシナートが口を開く前にイルクセンが三人の男に身体の正面を向けていた。
「わしからも礼を言うそ、三人とも。よう助けてくれた。――ところで、バークンデーゲンはどうしたんじゃ?」
「泣いて帰ったわよ」
 セドの言葉の意味を聞く機会を逸してしまったレインシナートは、肩をすくめてイルクセンの問いに答えた。
 バークンデーゲンは人質という形で、ライたちに引きずられるようにして連れてこられたのだ。顔面は蒼白、口は始終あわあわと動くだけで言葉を発することもなく――出来なかったのかも知れないが――イルクセンの店が見えたところで、ようやく解放された。店の周辺に潜んでいた部下を呼び寄せると、彼らに厳重に護衛させながら、バークンデーゲンは家路につくことが出来た。その後ろ姿は、カーナンでも有数の貿易商とは思えないほど情けなかったが、これに懲りてバークンデーゲンがレインシナートに関わろうとすることはないだろう。
「あなた達のおかげね」
 レインシナートは改めて、自分を助けに来てくれた三人の顔を見た。オズワルズは照れて頭をかいているが、二人の傭兵は相変わらずどちらとも分からない態度である。無事に戻ってこれたのだから、彼らが助けに来た本当の理由は知らないが、十分に感謝している。
「ああ、まあ――俺たちは、この辺で」
 セドは曖昧な返事をして、早々ときびすを返して帰ろうとしていた。
「え。ちょっと待ってよ」
 気持ちを物に代えて、というのはあまり好きではないし、用意しようと思っても大した物などあげる事は出来ないだろうが、それでも、お礼を言っただけではレインシナートの気持ちが収まらなかった。
「そうだなぁ。俺らはお暇するか」
 セドに同意したライも、レインシナートたちに背を向け、ドアノブに手をかける。
「でも」
 なんとか引き留めようとする前に、セドは店を出てしまう。
「いいって、いいって。それより、これからは気を付けなよ」
 レインシナートたちに軽く手を振り、ライも出て行ってしまった。

  *  *  *  *  *

 陽はまだ高いが、店の外の通りは相変わらず閑散としていた。しかし、もう小さな道具屋を見張る男たちの姿はない。
「良いことをした後は気分がいいな、セド」
「その割には、語気が荒いし不満そうな顔してるぞ、ライ」
 セドは隣を歩く相棒の顔を見た。
「……あれだけ働いたんだぞ、何か俺たちにも良いことがあったってよぅ」
 カーナンにやって来て既に一月近く経っている。その間に、魔物退治も人助けもしている。ライが愚痴をこぼす気持ちは、セドにもよく分かっていた。
 しかし、レインシナートたちからお礼を受け取るつもりは元からなかった。正式な依頼ではないし、少なくともセドは、善意だけで助けに行ったわけではないから、お礼などもらってしまっては、逆にうしろめたい気持ちになってしまう。
「魔物退治して稼いだ金があるじゃないか」
 それに、悪い事ばかりではないのだ。銅貨一枚稼げなかったわけではない。
「それよりももっと大金が手に入るはずだったんだぜ、あの馬鹿が余計なことしなけりゃ」
「代わりに、おまえがやってみたいと言ってた、『囚われた娘を助け出す』って仕事が出来たじゃないか。まあ、ただ働きだが」
「まー、そうだな。そうだよな。うん。俺たちが、二人の姉妹を幸せにしたのだと思えば、悪くない」
 自分を奮い立たせるためか、はたまた慰めるためなのか、ライがそう力強く言う。
「間接的だけどな」
「いいんだ。陰ながらでも。俺はそれで満足さ。ああ、満足だとも」
 ずいぶんと投げ遣りな口調だ。
「……結局、不満なんだな」
「レイン……美人だったのに」
 ライはうなだれて、ぽつりとこぼす。
「見たところ年上だろう。それに、オズワルズがいるだろう」
「サリミナも可愛かったのに」
 ますますうなだれて、ライは再びこぼす。
「彼女はまだ幼いだろう。下手したらおまえ、変態呼ばわりされるぞ」
「……セド。俺を慰める気はないのか?」
 うなだれたまま、ライは恨めしそうな目でセドを見上げる。
「ないな」
 ライの恨めしい視線を外すように、セドはそっぽを向いた。
「……セドちゃん、冷たい」
 ライは更にうなだれて、とぼとぼと歩を進める。セドは苦笑混じりにその背中を追いかけた。
「こうなったらもう、セド。ぱーっといこうぜ、ぱーっと。金はあるんだ!」
 しばらく歩いたところで、ライは唐突に立ち止まると、両手を広げてセドの方を振り返った。やけくそ気味のライを見て、セドは深々と溜息をつく。
「ライ。次は真っ先に、鍛冶屋へ向かうんじゃなかったのか?」
「堅い事言うなよ、セド。それに、それはバークンデーゲンの依頼が終わったらって話じゃないか。でも依頼は蹴ったから、鍛冶屋は後回しだ」
 ライはセドの横に回り込むと、肩に腕を回してきた。
「そんな事を言っていると、今になまくらになるぞ」
「だってよぉ、セド。最後はただ働きだったんだ。酒でも飲まないとやってられないだろ?」
「おまえなぁ……自分で言い出したことだろうが」
「俺が颯爽と現れて助け出せば、いい雰囲気になると思ったのになぁ。くそ、オズワルズめ。あいつは連れて行くんじゃなかった」
「動機が不純なんだよ、おまえは」
 仮にライの思惑通りに事が進んだところで、バークンデーゲンの依頼はご破算になっていたし、セドの状況は今と何一つも変わらない。ライが女にうつつを抜かして金を浪費するよりは、今の方がまだマシだった。
「つれないなぁ、セド。せめておまえくらい、優しくしてくれよ」
「それは気持ち悪いな」
 セドは悪態を付くように言い返したが、今日くらいはライに付き合ってもいい気分だった。セドとて、こんな事になって何も愚痴がないわけではないのだ。
 まだ日没までには間があるが、二人の足は酒場へと向かっていた。

〈了〉

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(C) Nagasaka Danpi 2006