19. 地下の攻防
/ / 目次 / HOME /

「ふん。依頼を破棄するなら、君たちはこの屋敷とは無関係だ。早々に立ち去ってもらおう。嫌だというなら――サリミナ嬢の、身の安全は保証出来ない」
「卑怯者め」
 オズワルズが唾棄するように短く言う。
「そう言って、姉であるレインシナートも脅したわけか」
 ライが吐き捨てる。どうやら、店の周囲にいた者たちはレインシナートに圧力をかけるための、サリミナの監視者だったようだ。。
「俺はなぁ、あんたのそう言うやり方が、本当に気に食わないね」
 ライが剣を抜いた。バークンデーゲンの背後で控えている男たちが身構える。
「レインシナートはどこにいるんだ?」
「教えるわけがないだろう。馬鹿な男だな。この人数相手に、勝てると思っているのか。屋敷にはまだまだたくさんいるぞ」
「あんたに馬鹿呼ばわりされたかねぇよ。なあ、セド」
 ライがそう言って、座っているセドを振り返る。それが合図だった。
 セドは懐から青白い玉を取り出した。呪文を唱え、それをバークンデーゲンたちに放る。放物線を描く玉はバークンデーゲンの頭上で突如、強烈に輝く白い光を放った。魔石で作られた閃光弾である。イルクセンの店にあった商品のひとつだ。
「うわあ!」
 セドたち三人は発光する前に目を閉じたが、閃光弾とは知らないバークンデーゲンたちが悲鳴をあげる。発光は目潰し用なのでほんの一瞬だった。光が消えると、ライは派手な音と共にテーブルを踏み越え、テーブルの向こうに座るバークンデーゲンの襟首を掴んで引き寄せた。
「少しでも動けば斬る」
 ライはバークンデーゲンの首筋に剣を押し当てた。護衛たちもまだ視力は取り戻していないが、主人を人質に取られたという状況は理解出来たようだ。動く者はいない。
「レインシナートはどこだ?」
 誰も動かないことを確認して、ライは再度尋ねた。
「こっ、こんなことをして、ただで済むと思っているのか!?」
 バークンデーゲンは、怒りと屈辱で顔を真っ赤にしている。
「カーナンの自警団にちくるか? 好きにすればいい。いくら金持ちの頼みとはいえ、傭兵三人を追いかけ回すほど、自警団も暇ではないと思うがな」
「……俺は傭兵じゃない」
 この場ではどうでも言い突っ込みを、さり気なくオズワルズがする。
「まったく。どっちが悪党か分からないセリフだな」
 あくどい顔でバークンデーゲンに剣を突きつけるライに、セドは半分呆れた視線を送りながらソファーから立ち上がる。
「親玉は押さえたことだし、行くぞ」
「でもまだ居場所を聞いてないぞ」
「ここで聞く必要もないし、どうせそいつも人質として連れて行くんだ」
 そう言って、セドはバークンデーゲンの後ろ襟を掴む。ライが襟首を掴んでいるから、自然バークンデーゲンは前後から襟を引っ張られることになる。
「く、苦しいっ」
「まあ、確かに」
 セドとライは、それぞれがバークンデーゲンの襟を掴んだまま歩き出したので、バークンデーゲンは首を半分絞められたまま、横歩きをする。オズワルズが、護衛たちを牽制しながらその後に付いてきた。
「き、貴様ら。絶対に、許さん、ぞ!」


 さすがに気の毒だと思い、セドとライはバークンデーゲンを二人の間に挟んで歩いていた。ライは突きつける剣をナイフに変えていた。それでも脅すには十分である。先程までは怒りと屈辱に顔を真っ赤にしていたバークンデーゲンであるが、今は自分の先行きを心配してか、青くなっている。額に汗を浮かべているが、脂汗だろう。
 横に並んで歩く三人の後ろを、オズワルズがついてきている。時折振り返り、背後を警戒していた。
 四人は屋敷の地下を歩いていた。地下は、地上の屋敷と同じくらいに広いようで、階段を下りてからしばらく歩いているが、まだ目的の場所にはたどり着かない。
「地下室に幽閉とは、ずいぶんとひどい待遇だな。おい」
 ライは怒りのこもった据わった目つきで、ナイフの先端をバークンデーゲンの首筋に軽くめり込ませる。力加減は絶妙だから、血は出ないが痛みはある。バークンデーゲンが怯えた声を上げた。
 しかしバークンデーゲンのそのさまを見ても、セドは気の毒だとは思わなかった。自業自得というものである。レインシナートに魔石研磨をさせるために、彼女の妹を人質として、魔物退治へ行かないときには地下室へ幽閉しているというのだ。
 想像していたよりも地下の湿度は高くないが、ひんやりとしていてもちろん陽の光はない。あるのは積まれた石の壁と、ろうそくの心許ない灯りだけである。こんな所でも、自由に歩き回れるならまだしも、魔物退治に行くとき以外は一室に閉じこめられているのだから、その苦痛は想像に余りある。
「場所は教えたんだ。放してくれてもいいだろう?」
 バークンデーゲンは救いを求めるように、セドを見た。ナイフを突きつけているライでは相手にしてもらえないとでも思ったのだろう。
「……あんた、人質の意味が分かっているのか?」
 レインシナートを無事に取り返し、サリミナの元へ届けるまでは彼を解放することはできない。バークンデーゲンは恐怖のあまり、それさえ分からなくなっているのだろうか。
 行く手を照らすのは、セドが持っている燭台のろうそくのみである。三人の周辺をぼんやりと照らしているだけで、前方はほんの少ししか見えない。その状況がまた、バークンデーゲンの不安をよけいにかき立てるのだろう。その様子からは、そんなところに、一人の女性を置いているのだという自覚はうかがえない。元々ないが、あったとしても同情する気持ちは湧いてこない。
 いくつめかになる角を曲がったとき、前方にぼんやりと灯りのともった場所が見えた。
「あそこか」
「そのようだな」
 バークンデーゲンが首を上下にがくがくと振っている。レインシナートの幽閉場所に、ようやくたどり着いたらしい。進むにつれ、灯りのそばには木製のドアがあることが分かる。だが、そのドアの前には人影があった。
「お待ちしていましたよ」
 応接間に現れた男たちと同じような格好の男が一人、剣を携え立っていた。上では見なかった顔であるところを見ると、三人が応接間を出た後に話を聞きつけ、駆けつけた護衛のようである。
「ジギット……助けてくれ」
 男の姿に気が付いたバークンデーゲンが、何とも哀れっぽい声で助けを求める。
「もちろん、お助けいたしますよ」
 男――ジギットは落ち着いた表情で、携えている剣を鞘から抜きはなった。細い刀身にろうそくの頼りない光がきらめく。柄に近くなるにつて、わずかに刀身の幅は広くなっているが、それでも細い剣であることに違いはない。ああいう細身の剣は、斬撃よりは刺突に向いている。この狭い空間では、ジギットの持つ剣の方が有利だろう。
 だが、それはジギットとこの場で戦った場合の話である。今は、人質がいるのだ。
「この状況で、どうやって助けるって言うんだ?」
 バークンデーゲンの首にはライのナイフが突き付けられていて、ジギットが攻撃するよりも早く、バークンデーゲンの首をかき切ることができる。ライの左手は、バークンデーゲンの右の二の腕を掴んでいる。そして、ライをバークンデーゲンから引き離すことができたとしても、セドもオズワルズもいるのだ。もっとも、オズワルズは前にいる三人が邪魔になってしまうが。
 セドは、立ち止まった足の幅をわずかに広げ、剣の柄に手をかけている。横に二人も人間がいるから、抜いて構えるわけにはいかないが、ジギットが突撃してきたとき、素早く剣を抜いて、途中であの細い刀身を叩き折るつもりでいた。
「助けなければ、僕らは減給されるんですよ」
 おどけるようにジギットは言い、肩をすくめた。
「そりゃあ、助けるには十分な理由だな」
 ライが嘆息する。ジギットが傭兵ならば、彼の行動の理由としては実にまっとうであり、十分である。傭兵は、依頼主や雇い主から命じられた任務を完璧にこなさなければ、約束された報酬をすべて受けることはできないのだ。
「そうでしょう」
 ジギットはにっこりと笑ったかと思うと、突然一歩踏み込み、剣を突き出した。その唐突さと動作の俊敏さに、セドの行動は完全に出遅れてしまった。セドの剣がジギットの剣に届く前に、細い刀身はライの右手を貫いていた。
 ライの右手に握られていたナイフは、貫かれて滴る血と共に石畳の床に落ちた。
 セドは叩き折るつもりで抜きはなった剣を、寸止めした。この状態では、手を出すことができない。
「利き手でしょう、右」
 ジギットが再び笑う。だが、その笑顔は先程とはまったく違い、何とも粘着質な笑みだった。そう言った後、ジギットは突いてきた時と同じくらい素早く、剣を引き抜いた。その時、手首を返して、わざわざ傷口を広げるような抜き方をする。
 ライの顔が苦痛で歪み、呻き声が漏れる。ライの右手は真っ赤に染まる。あれでは剣を握ることはできないだろう。
 油断した。セドは舌打ちした。こちらは三人でしかも人質がいるから優位だと思い、油断していた。人質はいるが、二対一。
 しかし、この狭い通路でセドとオズワルズが並んで剣を振り回すのは不可能だ。二人とも刀身の幅が比較的広い剣であり、武器は、この場所ではジギットの方が有利である。セドが剣を振り上げれば、剣先は天井にぶつかり、横に薙ごうにも狭くて十分な加速は得られない。
「いいぞジギット!」
 自分の先行きに希望が見えてきたバークンデーゲンの表情が明るくなる。そのバークンデーゲン越しに見えるライは、額に脂汗を浮かべている。左手はバークンデーゲンの二の腕を掴んでいるが、捕まえているというよりは捕まっているという方が近い。
「おい。大丈夫か?」
 ライの危うい状態を見かね、オズワルズがライに代わってバークンデーゲンの押さえ役になる。後ろの下がったライは、左手だけで応急処置を始めた。出血がひどいが、止血を手伝えるような状況でもない。
「次はあなたですね」
 ジギットは剣に付いた血を振り払い、セドを見据えて剣を構える。オズワルズではなく、セドに狙いを定めたということは、オズワルズの方がセドよりも下しやすいと判断したのだろう。
 セドならば強い奴を最後に残しておくが、ジギットは先に片付ける派らしい。セドから手傷を負っても、オズワルズならば倒せるという判断なのだろう。オズワルズをかなり甘く見ているようだが、実際のところセドもオズワルズの実力を知らないので、その判断が的確か甘いかは分からない。
「次もうまくいくと思うなよ」
 ジギットの思惑通りに事を進める気はさらさら無い。セドは剣を使うことを諦め、代わりにナイフを取り出した。間合いでは、ジギットの剣に遙かおよばないが、ジギットの剣に毒は塗られていない。しかし、セドのナイフには猛毒《虎殺し》が塗布されている。アーリーヴィンガを仕留めることはできなかったが、人間ならばナイフでかすり傷を付けるだけでも、体の自由を奪うことはできる。更に一刺しすれば、ひとたまりもないだろう。
 だが、今ここでそこまでする必要はない。ジギットの動きを封じることができさえすればいい。
「剣を諦めてナイフですか」
「何とでも言え」
 セドはナイフを逆手に持ち、胸の前で構える。
 先程のような不意打ちはさすがに無理と思ったのか、ジギットは隙をうかがうように押し黙る。セドはジギットの動きを注視した。ジギットの刺突をナイフで弾き返しては、ジギットに刃は届かない。敢えて攻撃をさせる。
 ライの呼吸の音がわずかに聞こえてくる。手が痛むだろうが、セドの気を散らさないように息遣いを抑えているのだ。
 張り詰めた空気に口を閉じていたバークンデーゲンが、口の中にたまった唾を飲み込む音がした。それを合図にしたかのように、ジギットが足を踏み込み、猛烈な勢いで剣を突き出す。
 直に剣先が自分に向かってくるのを見ると、思いの外速いように感じた。このまま切っ先がセドの右手を捉えれば、刀身はライの時のように手の甲を突き抜け、セドの胸まで届くかもしれない。
 だが、セドは左足を前に踏み出し、上体を右にひねった。細い刃は右腕の袖を切り裂き、すぐそばを通り抜けていく。セドは右手のナイフを斜め上方に振り上げた。剣先がジギットの右手の甲を切り裂く。傷は浅く、赤い筋が浮かぶ程度のものだったが、それで十分だ。
「がっ……」
 ジギットが目を見開き、口の端から泡を吹く。握られていた剣は、床に落ちて軽い金属音をあげる。
「な、何をしたんだ!?」
 ジギットの尋常ではない様子に、バークンデーゲンが悲鳴のような声を上げた。ジギットはすでに足下がおぼつかなくなり、右手の壁にもたれかかったかと思うと、立っていられなくなり、倒れるように座り込んだ。呼吸がかなり荒い。かすめた程度だからジギットが受けた毒は微量である。死ぬことはないだろうが、《虎殺し》が当分は彼の身体の自由を奪う。
「大丈夫か、ライ」
 ジギットの変わり果てた様子に顔を青くするバークンデーゲンは無視して、セドはナイフを仕舞ってライを見る。
「まあ、神経はやられていないみたいだから良かったよ」
「傭兵ってのは、恐ろしいな……」
 バークンデーゲンほどではないが、顔を青くしたオズワルズがうめくように呟いた。


/ / 目次 / HOME /
(C) Nagasaka Danpi 2006