18. 契約と約束
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 以前通された時と同じ応接間に案内され、今度は三人で同じソファに座った。座り心地は悪くないが、ゆったりと二人で座るソファだから、大の男が三人並んで座ると肩と肩がぶつかるほど狭い。特に真ん中に座るセドは、ライとオズワルズに挟まれていて余計に窮屈だった。
 オズワルズが室内を見回していた。一兵卒のオズワルズにも、この室内の豪華さは目を見張るものがあるのだろう。
 窮屈な状態でしばらく待っていると、ようやくバークンデーゲンが現れた。相変わらず成金趣味の装飾品を付けている。この屋敷には、主人の趣味の悪さを指摘する者はいないらしい。
「今日は三人かい。彼は?」
 バークンデーゲンは挨拶もそこそこに、初めて見るオズワルズにやや不審げな視線を注ぐ。
「カーナン周辺の魔物に詳しい傭兵です。協力してもらってまして」
 オズワルズのことは聞かれるだろうと予想していたので、あらかじめ考えていたもっともらしい嘘で、ライがオズワルズを紹介する。
 紹介を受けたオズワルズは小さく会釈した。バークンデーゲンが憎たらしくて仕方がないだろうが、ここで不審を買うわけにもいかないのでなるべく無表情でいるように頑張っている。
「なるほど。しかし、報酬は最初に決めておいた額しか支払えないよ」
「もちろん、分かっていますよ。彼は、僕らが個人的に雇っているので」
 ライが愛想笑いを浮かべる。セドも小さく頷く演技をした。隣で無表情でいるオズワルズが、セドにしか聞こえないような小さい声で「ケチめ」と呟いていた。
「それで? 約束の日にはまだ早いが、吉報がある、ということかい?」
 魔物捕獲の件だとばかり思っているのだろう。バークンデーゲンの立場からすればそれは当然のことだろうが、彼は期待に胸躍らせた顔で先を急かすように言った。
「今日は、依頼の件で少々お話しがありまして……」
 ライはわざとらしいほど言葉を濁らせて、バークンデーゲンを焦らせる。
「うん? なんだ? 捕まえてきたわけではないのか?」
 向かいのソファに座すバークンデーゲンは、わずかに身体を乗り出した。
「是非そうしたいのですが、そのための道具がまだ揃っていませんで……」
「何? もう二十日も経っているのに、いったい何をしているんだ」
 バークンデーゲンは叱責するように語気を強め、期待にふくらませていた顔をしかめる。
「お言葉はごもっとも。ですが、邪魔者が現れましてねぇ」
 困ってるんですよ、とライが首を横に振って、大袈裟なほどの溜息をつく。少し芝居がかりすぎているんじゃないかと思ったが、バークンデーゲンは気にしていないようだった。
「まさか、役所が何か言ってきたとか、そういうことかい? それならわたしに任せておきたまえ。多少、上の者に顔が利くからね」
 バークンデーゲンは殊更自慢するようにそう言った。
「……さすがは、カーナンでも一、二を争う交易商を営むお方は、おっしゃることが違う」
「そうだろう」
 ライが持ち上げると、バークンデーゲンはますます得意げに何度も頷いた。
「だから、人ひとりをかどわかしても、お咎めを受けることもないというわけですね」
「……何の話だ?」
 機嫌良く話していたバークンデーゲンの顔が、そのまま凍り付く。動揺しているのだろう。表情を変えないところはさすがと言いたいが、変えないだけで動揺していることはばれているのだから、商人としてそれはいかがなものかとセドは思ってしまう。
「魔石も扱っているそうですね。ティクルカランは今、魔石を必要としているから、そこへ大量に入荷して売りさばけば、大儲け出来ますねぇ」
 ライは相変わらずの芝居がかった口調で、ソファにふんぞり返り、足を組んだ。ただでさえ三人で座っていて窮屈だというのに、ますます窮屈になる。
「君はいったい、何の話をしているんだ」
「でも、魔石は研磨師から買うことでしか手に入らないそうですね。質のいい魔石を手に入れるためには、腕のいい研磨師と取引するしかない……」
 一旦言葉を切り、ライは貼り付けたような作り物の笑みを浮かべたまま、バークンデーゲンを睨み付けた。
「おたくの取引ってのは、誘拐して脅すことをいうわけですか?」
「……話が見えないな」
「端的に言いましょう。レインシナート・デューセスという研磨師を返していただきたい」
「誰だい、それは?」
 バークンデーゲンはすっとぼけたふりをするが、あまりその演技は上手くなかった。彼の代で、カーナンでも有数の貿易商は衰退するかも知れない。
「アーリーヴィンガを捕まえるためには道具がいるんだが、その道具の材料となる魔石をレインシナート・デューセスに作ってもらっていたんだよ。それを、あんたが、魔石ごとさらったってわけだ。あんたの依頼のためにも、彼女を返してもらおうじゃないか、ええ?」
 バークンデーゲンが否定したことなど完全に無視するライの顔からは、愛想笑いは消え去り、口調の丁寧さもなくなっていた。傭兵と言うよりは、ちんぴらのような喋り方である。その上、今にも殴りかかりそうだったが、まだレインシナート本人を取り返していないので、堪えているらしい。その迫力に圧されたバークンデーゲンは、酸素を求める金魚のように口を動かしていた。
「な……あ、なるほど。そういうことか。話は分かった」
 ライの迫力に耐えかねたのか、バークンデーゲンは思いの外あっさりと、否定を続けることを放棄した。ライに落ち着くよう手で制するが、さっき以上に動揺しているのが分かる。
「話は分かった。アーリーヴィンガを捉えるために魔石がいるのだね。分かった。その魔石を、君たちに返そう。それでいい」
「わけがないだろう」
 ライはバークンデーゲンの言葉に自分の声をかぶせて、ドスのきいた声で続ける。
「研磨師本人ごと、返せと言っているんだ。魔石だけじゃあ、駄目だ」
「な、何故だ。君たちが必要としているのは、魔石だけだろう。研磨師は必要ないし、魔石さえあれば、君たちとは関係ないじゃないか」
「両方ないと駄目だね。彼女の妹とそういう約束をしているんだ」
「二、二重契約だ。ギルドに訴えるぞ」
 傭兵には、原則として一度にひとつの依頼しか引き受けないという、どこにも明文化はされていない暗黙の了解が存在する。傭兵が調子に乗っていくつもの依頼を掛け持ちして結局どれも中途半端になってしまっては、仲介役であるギルドの信用問題に関わるし、傭兵本人も己の信頼を失ってしまうことに繋がるのだ。だから、二重契約をする傭兵は滅多にいない。
「サリミナとしたのは契約じゃない、口約束だ。報酬はもちろん受け取らない」
 もちろん、今のセドたちもバークンデーゲンの依頼しか抱えていない。レインシナートの救出は、あくまでその依頼のために必要なことなのだ。
「傭兵風情が、正義に味方気取りか」
 しかし、バークンデーゲンにはそれが分からないらしい。自分のしたことが結局自分の趣味の妨げになっていると、まだ分からないのだろうか。
「あんたのそのやり方が気に食わないだけだ――返してもらおうか。あんたの依頼のためにも」
「な、なら、その依頼は破棄だ。なかったこととしようじゃないか」
「それはそれで、構わないぜ。だが、それとレインシナートを返す話は別だ」
 バークンデーゲンの依頼が白紙に戻ってしまったら、魔石とレインシナートを取り返す必要はなくなるから、厳密に言えば構わないこともないのだが、だからといって今更引き下がるのは人としていかがなものかと思うし、そうも言っていられないほど首を突っ込んでしまっている。もっとも、ライにはそんな理屈は関係なく、困っている女性は助ける、という信念の下に動いているだけだろうが。
「くそっ――誰か!」
 バークンデーゲンが人を呼ぶ、というよりは助けを求めるように声を上げた。すると、応接間の隅にあった扉から、数人の男が入ってきた。身なりはそれなりにきちんとしているが、雰囲気からすると屋敷の護衛をしている傭兵といったところである。手には剣を携えている。
「依頼は破棄だ。違約金は払う。それで、引き下がってくれないか」
 バークンデーゲンは護衛が来たことで、多少冷静さを取り戻したのか、それとも強気になったらしい。
 現れた護衛たちは、ただで引き下がらせてくれるとは思えないほど、殺気だっているが、主人を守る、というよりはむしろ、ようやく暴れられると期待しているように見える。オズワルズの腕の程は未だ知れないが、三人で相手に出来ない数ではない。
「違約金はいただこう。だけど、引き下がるのは無理だ」
 数でははっきりと負けているが、ライは少しも臆することなく、ソファーから立ち上がった。気の早い護衛が、剣を抜く。
「約束があるんでね」
 ライも負けじと、剣を抜きはなった。これで、もはや話し合いによる事の解決はできない。もっとも、セドは剣を使わずにレインシナートを取り戻せるとはほとんど期待していなかったが。ライなど、その可能性すら考えていなかったのではないだろうか。乱闘を期待している節のある護衛たちと似たような表情を浮かべていた。
 こちら側に攻撃する意志があると見るや、護衛たちも一斉に剣を抜いた。いくつもの鞘走る音を合図にオズワルズが立ち上がり、彼もまた剣を抜く。
 セドとバークンデーゲンだけがソファに座ったままだったので、自然と睨み合う形となってしまっていた。


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