06. 昨夜の代償
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 空は青く澄み渡り、白い雲がほんのわずか、青に色を添えているだけの天気だというのに、ライの顔はまるで曇天のようだった。
「あ゛ー、頭痛い……」
 ライは宿屋のベッドに横になり、ぐったりとしている。
「だから飲み過ぎるなと言っただろう、ライ」
 セドが身支度をしながら、二日酔いで起きあがれずにいるライに呆れ顔を向けた。
「そんなこと言ったってよ、セド。酒は飲める時に飲む。かの大戦士・トールゾードも言ってたぞ」
「おまえの迷言だろう」
 セドが嘆息をつく。二日酔いでへばっていようが、この程度のライの軽口に少しも取り合ってくれない。
「冷たいな、セドちゃん……相棒の俺が苦しんでるって言うのに」
 ライがセドに救いを求めるように左手を伸ばす。
「単なる二日酔いのくせに大袈裟だな、おまえは」
 しかし、セドはその手を軽くはたいた。はたかれたライの手は、力無くベッドに沈む。
「それより、さっさと支度をしろ。置いて行くぞ」
「冷たい、冷たいよ、セド――ん? どこか行くのか?」
 ライはまだ頭痛のする頭を上げて、セドを見た。頭痛で眉間にしわが寄る。
「仕事探しだ」
「ええ、もう探すのかよ。昨日、護衛の仕事が終わったばっかだろ」
 顔を上げたライは、すぐに枕に頭を預けた。セドは、いつからそんな仕事熱心になったのだろう。いつもなら、少なくとも二、三日は休むというのに。
「その仕事で稼いだ金の三分の一が、一晩でなくなったんだぞ」
 セドの左眼がライを睨む。セドは隻眼で、精悍な顔立ちをしている。そんなセドが片方の目だけで睨むというのは、本人が思っている以上に迫力があるのだ。そこらの町娘や臆病者なら、セドが睨むだけで怯えて逃げ出していくだろう。
「おまえの報酬の三分の一じゃない。俺とおまえの分を合わせた三分の一だ」
 セドは、特に『俺と』という部分を強調して、ライを見据えている。
「へ?」
 それに対し、ライは二日酔いのせいもあって、なんとも気の抜けた声を出していた。
 昨夜、ライは宿屋にある酒という酒を飲み、なんだか知らないオヤジなんかにおごったりもしていたのだ。最後の方はすっかり記憶がないが、片隅で一人ひっそりと飲んでいたセドが、もはや我関せずという顔で部屋に引き上げていったことは覚えている。
 ライとセドは、護衛などの長期にわたる仕事の時は、酒はいっさい飲まないと決めている。昨日までの仕事は、ティクルカランの商業都市オルロンからカーナンまでの護衛だったため、何日も酒を飲めない日々が続いたのだ。大酒飲みのライは、我慢と忍耐の日々からの開放感で、ついつい飲み過ぎてしまったらしい。そして、飲みに飲んだ酒の代金は、ライの取り分の三分の一ではなく、セドと合わせたうちの三分の一だったらしい。
 ライの手荷物は、ベッドの脇に適当に置かれてある。そこに遠慮がちに手を伸ばし、ライは自分の財布を取り出した。異様に軽い。昨日のあの重さは幻だったのかと思うほど、軽い。あの重さを堪能しないうちにすっかり軽くなってしまった財布を、ライは切なげ眺めた。財布はすっかり重みを失い、それに見合った悲しみを残している。軽さでそれを感じるところが、余計に悲しみを誘う。自分のせいではあるが。
「宿泊費が必要だ、とおまえが泣き付いてきたから、俺がおまえの酒代を立て替えたんだ」
 セドが氷のように冷たい視線をライに向ける。ライはそそくさと起きあがり、しぼんだ財布を懐にしまい込んだ。これ以上うだうだしていると、セドに斬られかねない。セドはいつでも剣を抜いて戦える体制を整えているのだ。
「よし。いいぞ、セド」
 まだ二日酔いの状態から完全には抜けきっていないが、昨夜の酒代をセドにも支払わせてしまったことへの後ろめたさから、ライは急いで出掛ける準備を整えた。とは言っても、重装備ではないので、身支度自体は早く終わった。

  *  *  *  *  *

 宿屋の主人にカーナンの傭兵ギルドの場所を訊いて、ライとセドは宿屋を出た。
 傭兵ギルドは、傭兵のための有料の仕事斡旋所である。傭兵に仕事を頼みたい人がそれを依頼としてギルドに持ち込み、傭兵は自分の好みの依頼を選んで引き受ける。ギルドは、依頼人と傭兵の両方から、紹介料を得て成り立っている。紹介料は、依頼の内容によって様々だ。普通は、難易度の高い依頼ほど紹介料は高くなるが、その分報酬も高い。しかし、傭兵が依頼を遂行できなかった場合には、ギルドは依頼人から受け取った紹介料と、傭兵から受け取った紹介料を依頼人に支払うため、訪れたどの傭兵にも等しく依頼を紹介するわけではない。特に、よその街から来たセドとライのような傭兵は、名前がある程度売れていないとなかなか難易度の高い依頼は紹介して貰えず、簡単で、当たり障りのない依頼を紹介されることが多い。
「あんたら、どっから来たんだい?」
 紹介窓口の中年オヤジが、品定めするような目で二人の傭兵を上目遣いに見た。昔はもっと狭かったであろう額の左端には、裂けたような古傷がある。ギルドの窓口にいるのは、たいてい引退した、ベテランの元・傭兵である。やって来る傭兵の力を見極めるため、ギルドがそういった人材を置いているのだ。
「ティクルカランからだ」
 ライは窓口のカウンターに寄りかかって答えた。まだ酒が完全に抜けきっていないので、何かに寄りかかって立つ方が楽なのだ。
「酒くせぇな、兄ちゃん。そんなんで仕事ができるのか?」
 窓口のオヤジは、とても客相手の商売をしているとは思えない口調と目つきで、ライたちを見る。だが、ギルドの窓口職員は大概こんなものだ。貼り付いた営業スマイルに丁寧な口調で接客されると、裏がありそうで逆に怖い。
「大丈夫だって。任せな。これでも、俺たちは依頼遂行に失敗したことはないんだぜ」
「うしろにいる眼帯の兄ちゃんとコンビか?」
 と、オヤジはライの背後に立って無言で二人のやり取りを聞いているセドを指さした。ギルドの窓口での交渉はセドよりライの方が得意なので、ライの担当なのだ。
「ああ、そうだ」
「なるほど。仕事のレベルによるが、まあ、あんたらそこそこ出来そうじゃねぇか。この仕事はどうだ?」
 お眼鏡にかなったのか、オヤジは分厚い台帳から、紙切れを一枚抜き取った。依頼の簡単な内容、報酬の目安、条件等が書かれている依頼書だ。依頼人の依頼申請書を基に、ギルドが作成したものだ。
「今をときめくディリーズ傭兵団が新しい団員を募集している。若い奴らが欲しいんだとよ。あんたら、いくつだい?」
「二人とも二十二だ」
「ならピッタリじゃねぇか。仕事がない時でも、基本給が出る。安定してるだろ。どうだ?」
「ディリーズ傭兵団と言えば、大所帯の傭兵団だろ。そんなところが、更に募集してるのか? 戦争にでも行くつもりかよ」
 オヤジから依頼書を受け取ったライは、一通り目を通して言った。セドは興味がないのか、それを覗きもしない。ライ自身、傭兵団に入るつもりはないので、この仕事は却下だ。
「そういう噂もある」
 カーナンのあるフィルレランドの隣国ティクルカランは、数年来、南で国境を共にする国イードラスと戦争をしていた。フィルレランドからは遠く離れた地で起きていることなので、フィルレランドにまでその戦禍は届いていないが、フィルレランド国内で、その戦争に参戦する傭兵を募ることは珍しいことではない。
「俺たちはそういうのはお断りだ。もっと、こぢんまりした仕事はないか?」
「大きいだけに、給金もいいんだが」
 ライから返された依頼書を台帳に綴じ、オヤジは別の依頼書を取り出す。
「ま、嫌と言うなら、ほれ。これなんかこぢんまりだ」
「魔物の捕獲……依頼主はどんな奴なんだ?」
 依頼書の依頼内容欄には、魔物の捕獲、としか書かれていない。依頼書には、依頼人の名前で傭兵が依頼を選ばないためと、依頼を引き受けない傭兵に依頼人の名が知られることを防ぐために、依頼人の名前は書かれていない。先程の傭兵募集の依頼のような場合は別だが、紹介料を支払うまで、傭兵たちに依頼人の名前は明かされない。そういうルールなのである。
「それは教えられねぇな」
「ふーん。あまりまっとうとは言えなさそうだな」
 研究者であれば、別に傭兵に金を払って依頼せずとも、役所に言えば良さそうなものだ。そうでないところを見ると、研究者ではなく一般人が依頼主なのだろう。
 ギルドに持ち込まれる依頼は、必ずしもまっとうなものばかりではない。紹介料を支払うまで依頼人の名が明かされないのには、実はそういう理由もある。中には、暗殺依頼もあったりするのだが、一応は合法的なギルドということになっているので、暗殺のような非合法な依頼がおおっぴらに紹介されることはない。ギルドとの信頼関係があり、腕の立つ傭兵でなければ、紹介はして貰えない。ライたちに紹介するということは、それほど――あくまでそれほどであるが――非合法な依頼ではないと判断していいだろう。
「傭兵やってる時点でまっとうじゃないだろ。どうする? 結構報酬はいいぞ」
 確かに、依頼書の報酬欄には、目安ではあるが報酬が提示されている。昨夜、セドの金まで使って飲み倒したライには、その金額はあまりにも魅力的だった。目安でこの程度であれば、実際はもっと高くなる可能性もある。
「最近は護衛ばっかやってたからなぁ……セド、どうする?」
 傭兵団に入るよりはましだし、報酬金額は非常に魅力的なのだが、それでも魔物の捕獲は容易な仕事ではない。ライは、相棒を振り返った。
「護衛の仕事はあるのか?」
 ライの持つ紙を一瞥し、セドがオヤジに顔を向ける。
「あるよ。隊商の護衛ばかりだがね。ほとんどはティクルカランへ向かう隊商だ」
 交易の盛んな街だけに、護衛の依頼は多いようである。
「護衛がいいのか、セド」
「西へ行く隊がいるなら、それもいいと思ったが。ないなら魔物捕獲でもいい」
「西はないね」
 オヤジは台帳をパラパラと見て答えた。
「じゃあ、その捕獲の方だ」
「はいよ。じゃ、この紙に署名して、紹介料を払ってくれ」
 オヤジは引き出しを開け、中から書類を一枚取り出してカウンターに置いた。それから、インクとインク壺も出す。
「いくらだ?」
 ライは出された紙に書かれている規定事項にさっと目を通す。紹介料は書かれていない。
「金二枚だ」
 オヤジがにやりと笑って、ごつい指を二本立てる。
「ずいぶん高いじゃないか。それなりの報酬が本当に貰えるんだろうな」
「ギルドは信用第一なんでな、そこんとこは安心しな」
 早くしろ、と言わんばかりにオヤジは手を出して催促してきた。
 ライは懐にしまってあった財布から、金貨を二枚取り出してオヤジに渡した。
「ほれ。二人ともそこに署名しな。字が書けないってことぁ、ないよな?」
「読み書きは出来るよ」
 ライが先に名前を書き、次にセドが名前を書いて、紙をオヤジに渡した。
「ライズヴァルロ・ワイトロスと、セド、か」
 まだインクの乾ききっていない二人の署名を確認したオヤジは、顔を上げた。
「あんた、名前からするとフィルレランドの人間か」
「ああ」
「カーナンは初めて来るのか?」
「そうだな。俺は初めてだ」
「そうかい。で、そっちの眼帯の兄ちゃんがセドだな。名字は?」
「ない」
「そうかい。よその国から来たのか? ティクルカランの人間でもなさそうだが」
「おっさん。ここのギルドは身元がハッキリしてないとダメなのか? 紹介料もちゃんと払ったんだから、早く依頼人を教えてくれ」
 セドは自分のことについて訊かれることを好まない。訊いても答えることはないから、窓口のオヤジの質問は、時間を浪費するばかりである。
「悪い悪い。あんたらが魔物とっつかまえないで逃げたりしたら、こっちとしては大損害受けるから訊いたんだよ。まあ、そんなことしようもんなら、相応の報復はあるんだけどな」
 ギルドの紹介で仕事を得た傭兵が、依頼を放り出して遂行しなかった等、悪質であるとギルドが判断した場合、ギルドお抱えの傭兵に追われることになるのだ。もちろん、ギルドが被った損害を利子を付けて支払わせるためだ。おまけで、制裁も付いてくる。
「ちゃんと仕事はするさ。なあ、セド」
 ライは軽い口調で相棒に同意を求めた。セドが「ああ」と短く答える。
「よろしく頼むぞ。これが、紹介状だ。これ持って、この紙に書いてある所に行けば、仕事の詳しい内容を教えてくれることになってる」
 オヤジは封筒と、ギルドへの依頼申請書の写しらしい紙切れを寄越した。
「へぇ。確かに、金になりそうな仕事だ」
 ライは早速封筒の中身を取り出して、依頼人の名前を確認する。そこに書かれていた名は、カーナンを訪れたことがないライでも知っている有名な交易商だった。
「そうだろう。それじゃ、頑張ってな。幸運を祈ってるよ」
「ああ、ありがとな。セド、行こう」
「世話になった」
 ライは封筒の中身を元通りにしまって、それを懐に収めると、セドと共にギルドを出た。


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(C) Nagasaka Danpi 2006