05. 姉妹の住む街
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 カーナンは、隣国であるティクルカランから来る人々が最初に目にする都市だ。ティクルカランへ向かう商人や、逆にやって来る商人で昔から賑わっている。
 しかし、街を賑わせているのは商人ばかりではない。カーナンの周辺一帯は、昔から魔物が多く出没することで知られている場所でもある。魔物退治を生業とする魔滅士や魔術士、魔物からの護衛を必要とする隊商に雇われた傭兵たちもまた、カーナンを賑わせている人々であった。
 そんな街であるから、カーナンの主要な産業が、魔物退治に関わるものとなったのは、ごく自然なことだった。武器や防具、魔物の毛皮や爪や牙、そして魔石などが、カーナンの特産品だ。
 サリミナとレインシナートも、魔物を退治することで生活している人々の一部だった。
 魔物の侵入を防ぐため、カーナンは高い壁に囲まれている。ほぼ正方形の街には、東西南北の四カ所に出入り口となる門がある。サリミナとレインシナートが日常的に使っているのは、その中の一つ、北門だ。カーナンの北側の草原には、特に魔物が多く生息しており、サリミナたちはそれを狙って魔物退治をすることが多いので、北門は頻繁に利用していた。
「やあ。レイン、サリミナ。今日も無事だったんだね」
 すっかり顔馴染みとなった門番のオズワルズが、サリミナとレインシナートの姿を見つけて手を振った。
「おかげさまで」
「お疲れ様です、オズワルズさん」
 別の門番から通行証の検分を受けた二人は、オズワルズに手を振り返す。
「レイン。次の休みはいつだ?」
 オズワルズが持ち場を離れ、やって来た。門を通る人が増える日没前まではもう少し間があるが、カーナンの北側には魔物が多いため、北門を利用する人自体は少ない。隊商や旅人が多く通り過ぎる東西の門番よりも暇なのだ。
 オズワルズが北門の門番になってから、もう一年以上は経っている。彼がこうやって、姉を誘うようになってからも同じくらいの時が経っていた。
「決めてないわ。今は魔物が活発な時期で、稼ぎ時だからね」
 一年間、熱心に誘われているというのに、レインシナートの返事はいつもつれなかった。サリミナは、姉が色よい返事をすることを期待して、いつもわくわくしながら事の成り行きを見守っているのだが、残念ながら期待通りになったことはなかった。それでもめげずに、誘い続けるオズワルズの一途さには感心してしまう。妹としては、そんなオズワルズを全力で応援したい。
「最近毎日、魔物退治に出てるじゃないか。少しは休まないと、いざというとき疲れが出て大変なことになるぞ」
「オズワルズ。仕事中にナンパしてるんじゃないぞ」
 レインシナートたちの通行証を検分した門番――オズワルズの先輩門番である――が渋い顔をする。これも、この北門ではお馴染みの光景だ。レインシナートがいつもオズワルズの誘いを断るのにはがっかりしてしまうが、いつもと変わらぬやりとりが繰り広げられるここに戻ってくると、今日も無事に帰ってきたのだという安堵感でいっぱいになる。
「そんなんじゃないですよ、先輩」
「ほら、通行人が来たぞ」
 彼に言われて、サリミナたちも門の外の方に顔を向けると、数人が歩いてきているのが見えた。格好からすると、彼らも魔滅士だろう。
「仕事頑張ってね、オズワルズ」
「さよなら、オズワルズさん」
 まためげずにお姉ちゃんを誘ってね、とサリミナは心の中で付け足した。声に出さないのは、その後姉に怒られるからだ。
「お姉ちゃん、たまには誘いを受ければいいのに」
 サリミナは門の方を少しだけ振り返って言った。オズワルズが、名残惜しそうにこちらを見ていた。それを先輩の門番に叱責され、肩をすくめている。今日もめげていなさそうなので安心した。
「オズワルズの?」
「そう。だって、オズワルズさん、いっつも誘ってくるのに、お姉ちゃんは一回もそれに応じたことないじゃない」
「可愛い妹を一人で留守番させて、わたしだけ遊びに行くわけにはいかないでしょ」
 サリミナとレインシナートは、二人でアパートを借りて暮らしている。二人の両親は十一年前に他界しているのだ。近くに親戚は住んでおらず、当時十五歳だったレインシナートは一人で、十歳下の妹であるサリミナを育てたのだ。唯一の肉親であり、自分が育てたこともあって、レインシナートのサリミナに対する愛情は並々ではない。サリミナを差し置いて、自分一人だけ楽しむようなことを、レインシナートは今まで一度もしたことがないのだ。
「そんなこと気にしなくていいのに……」
 サリミナは口をとがらせて、つまらなさそうに言った。レインシナートが自分を大事にしてくれることを知っているが、サリミナだっていつまでも子供ではないのだし、そろそろ姉自身に自分の人生を楽しんで欲しいと思っているのだ。姉は青春時代のほとんどを、サリミナの養育に費やしている。妹であるサリミナから見ても器量よしで、研磨師としても優秀な自慢の姉だからこそ、それが惜しかった。
「そんなことより、早く市役所に行って報奨金貰うわよ」
「はーい」
 北門から延びる道をまっすぐに進み、街の中心部に向かう。退治した魔物を市役所の魔物対策課の窓口に持って行くと、退治した魔物に見合った報奨金が貰えるのだ。魔滅士たちは、そうやって生活費を稼いでいるのである。持って行くのは、丸ごとの死体でもいいのだが、普通は魔物の身体の一部を切り取って持って行く。サリミナがあのウサギの耳を切り落としていたのは、そのためである。

  *  *  *  *  *
 
 魔物対策課は、魔滅士たちが持ってきた魔物の死体の一部を引き取って焼却処分してくれる。課が焼却炉の近くである市役所の敷地の隅にあるのはそのためだ。それに、魔物対策課は市役所の他の部署とは異質な、血生臭い仕事であるため、隅に追いやられているのではないかと、レインシナートは見ている。建物まで違うのだ。
「いつもご苦労さん」
 顔なじみの職員は、サリミナから手渡された袋の中身を慣れた手つきで取り出して机の上に並べ、種類を確認し、数を数えている。それから、書類に必要事項を書き込んで、サリミナに一枚の紙切れを渡した。引換証である。支給される報奨金の額が書かれている。それを、市役所の中の会計課に持って行って現金を受け取るのだ。
「いつも頑張ってるね。これからも頼むよ」
 愛想のいい職員は空になった袋をサリミナに返した。
「ありがとうございます」
 レインシナートとサリミナは礼を言ってから、会計課に行って引換証に書かれている報奨金を受け取った。
 市役所の前の通りは、レインシナートたちがここへやって来た時よりも人通りが多くなっていた。一日の仕事が終わって家路につく人々だ。それに、もうすぐ日没だ。駆け込みでカーナンにやってきた人たちも、通りをにぎわせている。
「イルクセンのじいさんのとこに行くのは、もう明日ね」
「そうだね。日も暮れちゃったし。今日の夕飯、何にする?」
 姉妹はそんな人々の流れに入って、家路についた。
「中央市場に行ってから考えよっか」
「わたし、魚食べたいな」
「魚は高いわよ?」
 カーナンがあるこの国フィルレランドは内陸国で、海はない。大小様々な湖は点在しているが、カーナン周辺は草原が広がり、小さな池しかない。そんな池には、食用になるほどの魚は棲んでおらず、カーナンの市場に並ぶ魚は、街から一日くらい歩いたところを流れるメゾス川で捕れたものがほとんどだ。漁場は限られているし、捕れた魚の輸送にかかる手間賃も値段に入るので、このあたりで魚と言えば、奮発して買うような食材である。
「今日はいつもより報奨金が多かったし、たまには良いでしょ、お姉ちゃん」
「んー。そうね。しばらく食べてないから、今日は魚、買おうか」
「やった! 早く行こ、お姉ちゃん。いい魚がなくなっちゃう」
「はいはい」
 サリミナははしゃいで中央市場のある通りの方へ、軽やかな足取りで駆けていく。今年で十六になるサリミナだが、まだまだこういう子供っぽいところがあるから、レインシナートは妹のことを放っておけないのだ。オズワルズには申し訳ないけれど。
 レインシナートはそんな妹の後ろ姿を、目を細めて見ていた。
「お姉ちゃん。置いて行っちゃうよ」
「お金を持ってるのはわたしなのよ。置いて行って困るのは、サリミナだからね」
 レインシナートは報奨金の入っている財布を見せる。
「だって、いい魚がなくなっちゃう」
「そんなに慌てなくても大丈夫よ」
 急かすサリミナの姿に苦笑しながら、レインシナートは先に行く妹に追い付く。中央市場が一日でいちばん混み合う時間まで、もう間もなくだ。レインシナートとサリミナは、並んで市場のある通りに入っていった。


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