04. 研磨師と魔術士
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 草むらから飛び出してきたのは、一見すると耳の大きなウサギだった。しかし、大きいのは耳ばかりではない。体も大きく、中型の犬ほどもある。赤い目をぎらつかせ、威嚇の鳴き声を上げる。砂利をこすり合わせているような鳴き声で、耳障りだ。
「このっ!」
 長い髪を揺らして、レインシナートは剣を振り上げ、ウサギの巨体を脇から狙う。しかし、剣先が掠めただけだった。着地したウサギは、素早く体勢を立て直すと、レインシナートに向かって地を蹴った。
 レインシナートはそれをかわし、剣を振るう。これで、ウサギを仕留められればそれに越したことはないが、あいにくレインシナートの剣の腕では、すばしっこい動きをするものを仕留めることはできない。レインシナートの今の役目は、妹の準備が整うまで、ウサギの注意を自分に引きつけておくことなのだ。
 少し離れた場所に、魔力の存在を感じていた。熱を帯びているような、あるいは濃密な空気とでも言えばいいのだろうか、とにかく異質な空気が、すぐそばにあることを肌で感じる。異質な空気は、拡散することもなく一カ所で、少しずつ形を変えていく。存在を感じるだけであった魔力に、秩序が与えられ、輪郭が明確になっていく。もちろん、それは不可視のものだ。魔力は、ある特定の形を与えない限り、目には見えない。肌で感じることができるだけであるが、それでも、その魔力がどのように形を変え、どこに向かうのかは分かる。
「お姉ちゃん、よけて!」
 レインシナートが、ウサギの何度目かになる攻撃をかわしたところで、少女の声が上がる。輪郭と目的が明確となった魔力はもはや魔力とは言わず、その段階で魔法と呼ばれる。その魔法を、レインシナートの妹であるサリミナが、ウサギに向けて放った。
 レインシナートは言われた通り、右側に飛んでよけた。それまでレインシナートが立っていたあたりを、一筋の細い光が通り抜ける。光はウサギの眉間を貫いた。光が通り抜けたあとにはぽっかりと穴が開き、血が噴き出す。ウサギは飛び出した勢いはそのままに放物線を描き、地面に落ちた。眉間から血が流れ続けているが、ウサギはもはや動かない。
「よし。仕留めたわね」
 レインシナートは剣先でウサギの体を突き、死んでいることを確かめてから、剣を鞘に収めた。それから、ウサギの死体の傍にしゃがみ込み、右手を死体にかざす。
 レインシナートは意識を集中させるように目を閉じ、呪文を紡ぎ始めた。知らない者が聞くと、意味不明な音の羅列にしか聞こえないが、分かる者が聞けば、それが対象となるものから魔力を抜き取るための呪文だと分かる。
 全身が、内側からざわつくような感覚。そのざわめきは、かざした手に向かって収束していく。レインシナートの体の内にある魔力が、彼女の手に集まっているのだ。手に集中させた魔力を、ジャリウサギに向かって開放する。目には見えないが、レインシナートの体から引き出された魔力は、レインシナートの紡ぐ呪文に合わせて形を変えていき、ウサギの体を包み込んだ。
 ウサギの体が、ぼんやりとした青い光を帯び始める。レインシナートの紡ぐ呪文に合わせて、彼女が右手をかざしているところに光が収束していく。収束する光は強さを増し、やがてウサギの体から離れ、レインシナートの右手に吸い込まれる。レインシナートは素早く手を握りしめ、更に呪文を紡いでいく。
 ようやく呪文の詠唱が終わると、レインシナートは大きく深呼吸をした。呪文を唱える時は、極端に息継ぎをする回数が少ない。途中で途切れさせると、せっかくの魔法の効果が落ちてしまうのだ。駆け出しの頃は、酸欠になりかけたことが何度もある。
 レインシナートは息を整えると、それまでずっと閉じていた右手をそっと開いた。自分の仕事の出来を確かめる瞬間で、呪文を唱える時とは違った緊張感がある。それと同時に、自分の技術が上がったことを確かめられる瞬間でもあるから、楽しみでもあった。
 手の平には、直径が爪の幅くらいの、薄い青色のガラス玉のような球体があった。
「んー。六級……ってところかしら」
 レインシナートは左手で球体をつかんで片目をつむり、日の光にかざす。球体をほんのりと染める薄い色であるが、空の色よりも深い青色である。
「ジャリウサギにしては、結構魔力を持っていた方だね」
 レインシナートの作業が終わり、今度はサリミナがウサギ――正式にはジャリウサギという――の傍らにしゃがみ込み、腰にある短剣を抜いた。左手でジャリウサギの耳を掴み、それを付け根から短剣で切り落とした。しばらく切り口を下に向けておいて、完全に血を抜く。血が抜けきったことを確認してから、サリミナはポシェットから使い古しの布切れを取り出して、切り口を包んだ。
 ジャリウサギという魔物を退治した証拠を、持って帰るのである。証拠がなければ、魔物を退治した報奨金は貰えない。
「お姉ちゃん。魔石、どれくらい集まった?」
 サリミナは、切り取った耳を麻袋に入れた。袋の中には、今日一日退治した魔物から切り取った証拠が入っている。朝から魔物退治をして、結構な数を倒していたから、袋は見るからに重そうだった。
「そこそこね。二級が一個、三級が二個、五級が四個、六級が一個」
 レインシナートは腰に下げていた小さな袋の中身を手の平に出して、数をかぞえる。玉は濃淡様々だが、どれも青い色をしていた。
「二級と三級があるなら、結構いいんじゃないの?」
「わたしが見たところではね。イルクセンのじいさんの鑑定は厳しいから、二級はなくなるかも」
 言いながら、レインシナートはいちばん色の薄い玉を指先で掴む。
「それ、結構透明だよね。二級じゃないの?」
 サリミナはレインシナートが持っている、淡い青色の玉を見て言う。
「そうだといいけど――そろそろ帰ろうか、サリミナ」
 レインシナートは手の平に出した玉を袋に戻してから、帰る方角を見た。遠くに、高い外壁に囲まれた街が見える。
 フィルレランドの辺境都市カーナンだ。


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