01. 赤い大海の中で
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 太陽は、その陽光の色を変え始めていた。
 草原を覆う草の丈の長さは、大人の膝くらいまである。風が、その草を柔らかにしならせて通り過ぎていく。そのさまは、海の波のようだ。夕陽に変わりつつある陽光に照らされた草原は、さながら赤い大海だった。
 その草原を貫く道も、その道を急ぐ人々も、みんな赤く彩られている。
「もうすぐ日没だ。急げ」
 道を急ぐ人々の中に、隊商がいた。草原を貫く道は、行き交う数多くの人々の足で踏み固められていて、草原と道をくっきりと分けている。馬車と馬車が余裕ですれ違うことができるくらいの道幅である。
 四頭だての荷馬車が二台。荷物をくくりつけ、人が騎乗している馬が三頭。荷馬車の後ろを、二頭が並んで歩き、最後尾を残りの一頭がついて来ている。急げと言ったのは、荷馬車の前を行く馬に騎乗した男だった。その馬だけは、荷物もくくりつけず、その男が一人で乗っているだけだ。
 急ぐのには理由があった。この辺りは魔物が多く出没する地方で、この先にあるカーナンという街は、魔物の侵入を防ぐため、日没後は街の門を閉じてしまうのだ。魔物の侵入を防ぐ門は大きく分厚い。開閉させるのはひと苦労なため、門が閉じた後に、入り損ねたからといって開けてくれるよう頼んでも、滅多なことでは開けてくれない。閉め出されてしまったら、一晩中、魔物に怯えて夜を明かさなければならないのだ。
 しかし、魔物はなにも夜ばかりに現れるものでもない。草原の中に潜み、人間の隙を窺っている。そして、隙を窺っているのは魔物だけではない。盗賊たちも、金目のものを狙って旅人たちの隙を窺っている。だから、大量の商品を運んでいる隊商などは、護衛を付けて移動をするのだ。
 この隊商にも護衛が八人付いていた。その全員が、体格の立派な男たちである。護衛たちは徒歩で荷馬車や馬の左右に五人ずつ付いて、魔物や盗賊の警戒をしている。隊商の長が急げと言ったので、一行は歩みを早めている。馬に乗っている隊商のメンバーは楽だが、徒歩の護衛たちは楽ではない。カーナンまでは、まだ距離がある。街を取り囲んでいる高い外壁が、遠くに小さく見えているだけだ。日没前に辿り着くためには、もう少し急がなければならないだろう。
「あいつがすぐに休むから、予定してた行程より遅れてるんだろ」
 小声でそう言ったのは、一行の左側を歩いている傭兵の一人だ。あいつというのは、隊商の長のことである。しかし男は隊商の長から離れた位置にいるので、その愚痴は聞こえていない。
「……そう言うな。もうすぐカーナンだ」
 答えたのは、愚痴を言った男のすぐ前を歩いている男だった。
「もうすぐって、やっと外壁が見えてきたばかりだぜ、セド」
 男は顎をしゃくってカーナンを見る。だが、前を行くセドにそれは見えていない。
「日没前には着く。それより、油断するなよ、ライ。そろそろ魔物が出てもおかしくない時間帯だ」
 そこでセドは振り向いて、愚痴を言う男――ライを見た。
「セドは真面目だな」
「おい。急げ!」
 二人が話しているのに気が付いたのか、隊商の長が振り返り怒鳴り声を上げる。急いでいるから、焦っているのだろう――急ぐことになったのは、彼のせいなのだが。馬に乗っているにもかかわらず、午後だけで三回も休憩したのだ。
 しかし、長が急ぐ気持ちはセドもライも分かる。セドが言ったように、そろそろ魔物の活動が活発になる。昼行性の魔物もいるが、夜行性の方が厄介なのだ。カーナンまでまだ距離がある今、魔物に襲われたりしたら、日没前にカーナンに辿り着くのは難しくなるだろう。愚痴は言っているものの、ライとて街の外で一泊することを望んでいるわけではない。
 一行は更に歩みを早めた。
 太陽はますます傾き、一行の左右に広がる草原の遙か彼方へと去っていこうとしている。隊商は、その太陽を追うかのように道を急いだ。
 しかし、こういう時に限って、起こってほしくないことが起きるものである。
 日没までにはもう少しあるが、気の早い夜行性の魔物がすでに活動を始めていた。

  *  *  *  *  *

 寝起きの魔物は、腹を空かせていた。
 昨日は狩りの成果が芳しくなく、小物の獣を一匹喰らっただけなのだ。昨日からの空腹を癒せないままの魔物は、空腹のためにいつもよりも早く眠りから覚め、今日の狩りを早々に始めることにした。
 起きたばかりの体はまだ完全に覚めきっていなかったが、草原を駆けているうちに段々と調子が上がっていった。草に覆われた大地を蹴り、草の海を切り裂くように駆けていく。やがて魔物は完全に目覚めた体で、今日の調子を確かめるように駆けて、駆けて、駆けた。駆けてるうちに、風に乗ったかのように体が軽くなる。
 魔物の持つ魔力が働き始めたのだ。この魔物はそれほど強い魔力は持っていないが、それでも魔力を四肢に集めて走る力に変えれば、どんな魔物や獣よりも速く走ることができた。だが、魔物はそれを理論的に理解しているわけではない。本能で、己の体内にある魔力を走る力に変える術を知っているのだ。
 魔物は今日の獲物を探し、草原を駆けた。夜行性のほかの魔物で、まだ活動を始めているものは少ない。昼行性の魔物はそろそろ巣穴に戻る時間である。今起きたばかりの魔物よりも、すでに今日の活動を終えた魔物の方が動きは鈍いが、昼行性の魔物は数が少ない。たとえいつもより早く狩りを始めても、日没前に獲物が見つかることはそうそう多くはなかった。
 しかし駆けているうちに、風上から流れてくる生き物のにおいを捉え、魔物は立ち止まった。においはかすかであるが、紛れもなく生き物の――人間とかいう生き物と、その生き物とよく一緒にいる四つ足の獣のにおいだ。それが、集団で移動しているようだ。
 魔物はその集団を獲物と決め、風上を目指した。獲物に見つかってしまわないように慎重に、草原の中に紛れるように足音を忍ばせて歩く。やがて獲物の姿が見えた。思った通り、たくさんいる。四つ足の獣はそこそこの速さで走るが、人間とかいう生き物は歩くような速さでしか走れないことを魔物は知っていた。この魔物はその俊足で、狙った獲物に己の存在を気付かせない距離を一瞬で詰める。この俊足があれば、狩ることはとても容易い獲物たちである。
 魔物は舌なめずりをすると、駆け出した。魔力が働き出すまでには少し助走が要る。風を切り、魔物はぐんぐん速度を上げていった。飛んでくるような勢いで、獲物が近づいてくる。当然のごとく、獲物たちはまだ魔物の存在に気が付かない。
 魔物は獲物の目前で跳躍し、集団の端にいた四つ足の獣にまたがる人間とかいう生き物の頭に食らいついた。口にくわえたまま着地するが、勢い余って二、三度小さく跳躍をして、草むらの中を駆けた。獲物の集団が見えなくなるほどの距離まで駆けて、ようやく立ち止まる。口の中の獲物がなにやら弱々しい声を上げるが、魔物は首を大きく振って獲物を地面にたたきつけ、とどめを刺した。魔物は獲物を地面に置いて、それから食事を始めた。
 草原に住むほかの魔物や獣と違って、この生き物は変わった味がする。不味いことはない珍しい味だから、もっと食べたかった。それに、この獲物は小さいから、一匹だけでは物足りない。魔物は獲物をたいらげると、再び風下へ移動した。
 せっかく見つけた獲物なのだ。ほかの魔物に横取りされる前に、狩らなければならない。


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